「イタリア古寺巡礼」が読ませる栄光などは所詮和辻の旅行者としてのある種の特権的立場の視線で、イタリアはそんな小さな所に存在しないのだ。私がイタリアの全体を知っている所以は何か?昨日観たデ・シーカ「ウンベルトD」によってである。悲惨を映し出したスクリーンは、イタリアと同じ大きさをもっている
翻訳
「教育勅語」
「教育勅語」は、皇帝が与える明代の「孝経大全」を真似た。「孝経大全」の場合は、古え天を祭るのは天子の事であった。中江藤樹が行ったことは、その宇宙の究極的神格太乙神を民の側に奪うことであった。彼はこの祭祀を「士庶人事」としてしまう、つまり、自分の心のテクストにしてしまうのであると子安氏はみる(「中江藤樹ーなぜ近江聖人なのか」)。藤樹の『孝経』持誦という行法に注目してみると、それはすべての人びとがもつ母子一体性の本源的な記憶を内観法的な回想によって現前化することを求める行だったといえる。詳しく知らないが、この実践的な行は挫折しなかったか、挫折をもたらすかもしれない。よく調べる必要があるが、私の理解では、そこから、藤樹において「孝」として理念化されたのではあるまいか。そうして、藤樹は、「孝」によって生きることは、だれにでも可能であり、それによってだれもが人間的価値をもつことを初めて語ったと考えられる。私の誤読でなければ、わかりやすく言ってしまうと、等しく誰も持っているからアプローチできるもの、それが「孝」といわれるものとして発見されたと言ってよいか。現在のわれわれは、自分自身への反省として書くが、藤樹が「孝経大全」を解体できたように、現在復活してくる歴史修正主義者たちの「教育勅語」を解体しているといえるか。問われている
詩
絵で書くこと、文字で描くこと。曖昧な同一性しかないのに、書くことと描くことの間に区別があるのか?
詩
祀られることなく剥き出しの折り目も
忘却の余白も包められることなく
「弁名」ノート No. 19 ( 私の文学的フットノート)
「弁名」ノート No. 19 ( 私の文学的フットノート)
道とは統名であり、人間社会と等価の大きさをもつといわれる。徂徠が指さすのは、この道と同じ大きさをもつ、命名者であり制作者である先王=聖人であった。聖人は人びとと本性を同じくしない。この聖人観は朱子の本体論的な性概念の否定と切り離せない。そのようにして、人の性とは生まれつきの性質であり、異なる人ごとに異なる特殊性(「性は人人殊なり」)である。徂徠によれば、その人によって得られる徳も異なるとされる。「徳もまた人の特殊性において把握される。これは普遍的な道徳性に対する解体的な批判であり、攻撃である。」(子安氏)。徳は人ごとに殊なる。ここで問題となってくるのは、そもそも人の性がこのように特殊性となるとき、ではいかに人びとは社会の全体性に連なりうるのかである。人間世界の全体性をとらえようろする徂徠の議論にとっては、人の性からは答えが出てこないことだけはたしかである。むしろ「弁名」は、人間社会の構成論の必要を言ってくるのである。