‪ storytellerとは何か?

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‪ storytellerとは何か?

戦争の経験は語られるけれど伝わらない。戦争をもたらした帝国主義のことも伝わらない。帝国主義ヨーロッパからは目には見えない国家があった。植民地を持たぬ国である。況やおいて植民地された国はゼロである。そこから、いかに自己を主張するのか?アイルランド的文芸復興運動の詩人は芸術(演劇)に根ざす国家を考えた。ここで芸術とは二人の他者があるー見上げる他者(学問)と見下げる他者(文化)。アイルランドは芸術によって自己を主張できるだろうか?しかしアイルランド問題はヨーロッパにおける学と文化の普遍を推進することによって植民地化が推進されたのに、再び学と文化の普遍に依拠することは倫理的な不可能である。今日それはオリエンタリズムの問題として理解されるようになった。日本近代もこの問題に直面した。歴史修正主義によって自らの帝国主義の姿を見ようしないから、この問題を解決できずにいる。
さてstorytellerは侵犯である。オリエンタリズムに対して、自分で決めた国内亡命している精神であるstorytellerは、common placeはどこにあるのかと物語る。(ヨーロッパにおいて自分で決めた亡命を行ったジョイスは地図をもってアイルランドのことしか書かなかったのは彼が「国内亡命」していたからである。) 二人以上になることは滅多にないのは、近代という時代においては自分が3分2ぐらいのものだからであるが、ordinary peopleと共にいなければならない。理念的なものを嘲笑うのに、ギリギリ理念的なものに託すという両立しないものに陥る。それは何色?storytellerからみると、世界の終わりは人間の経験のなかに起きてくる灰色ではない。それは言語の経験のなかに反復的に生じる不可避なピアノの音なのである。common placeとしての舞台の上のピアノの音の調べ。storytellerは、世界は世界中の人々よ、ここに来たれ!と、この言葉を宇宙の劇場を為す書物に書くー 別の始まりを告げるために


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教養をたたえる

‪教養をたたえる


わたしは人文主義という意味ならばですが教養は大切だと考えています。教養に取り組んでいたならば、ルネッサンスソクラテス像からの理解によるのですが、専門家(近代合理的型官僚支配)になっている暇がないでしょうと言われます。これは教養の専門知に対する対抗近代的イメージですね。教養は必ずしもイコール知識ではありません。アイルランドはどちらかというとプラトンが重んじられますから、そういうことにされていますから、知識がなくとも恥ずかしくありませんでした。ちなみにフランスはアリストテレスが重んじられているとききますから、経験にもとづく知識が物をいうらしいのです(そうでなければいけないのです。) たしかにアイルランドにおいては瞑想とか覚醒が過剰に意味をもっているように感じられました。同じカトリック国でも随分違うのですね。産業革命がまだはじまっていないという言葉も繰り返されます。反開発も教養のイメージを為すものでしょう。イギリスは産業革命啓蒙主義の近代がありますので一生懸命知識をもとうとします。何か知識を以って階級を超えようとしている幻想が幻想を生んでいるようにみえます。厄介とおもうのは、教養を身につけていくのは人格形成のためにといわれることですね。正直わたしは人格の意味がよくわからないのです。「人格」の語を使うものを胡散臭くおもうのは、ブルジョワ的なものを正当化する特殊なものを隠蔽して人格の普遍を読ませる透明性に対してです。教養と教養主義の差異ですね、わたしが考えたいことはこの点についてです。教養はいつ、教養主義になるのか?教養主義というと、明治の西田幾多郎、大正の和辻哲郎をおもいますが、和辻はアカデミーにデビューして哲学を教えるとき、かつて三木清から影響をうけたマルクス主義の出発を消してしまって、アリストテレスから語りはじめるのですね。「和辻倫理学」を論じた子安先生の指摘によると、これは無視してはいけない問題です。大正教養主義の世代は漢文を読めなくなった最初の世代なのに、明治維新の近代にたいして反時代的精神である位置と機能をもつことができるでしょうか?

さてわたしはアートを重んじるポストモダン立場ですから、教養の高すぎる高さに対して警戒します。何の本を読んでもいいじゃないか、基本的にはどんな映画でもいいじゃないかとおもうのです。橋下徹との対談で三浦瑠麗という人が「アーチストはほとんどが左翼だ」と言ってますね、ここで、左翼は表現の自由を叫ぶのならわたしの学問の自由も尊重しろよと言いたいようですが、しかしいま一度、表現の自由の対象と学問の自由の対象は違うという点を考えてみるべきですね。わたしの考えでは、芸術は二つの他者をもっています。芸術にとっては、学問は見上げる他者、文化は見下げる他者です。芸術は体制に奉仕しはじめた学問にたいしては異議申し立てをします。また現在は文明を映像を編集するヴィジョンをもっていた和辻からの影響を受けた形の世界文化的視点が流行していますが、文化が体制に仕える流通となったとき、例えば多文化主義の時代に起きてくるナショナリズムと帝国の文明論的一元主義の流通に対して、芸術は文化に対して異議申し立てを行うでしょう。芸術を異議申し立てから切り離すことが果たして可能でしょうか、三浦が言うようにはね。再び和辻ですが、九鬼と大川といっしょに、岡倉天心の東大の講義に出ていたというのですね。だれもがみとめるとおもいますが、岡倉天心の教養はすごいです。だけれどその彼が書いたものは、反教養主義的だおもうことがあります。その背景にインドにおける反帝国主義の運動の経験もあったでしょう。今日意味をもつのは岡倉における言説闘争のほうでしょう。子安先生のおかげでわたしは彼の言説闘争を理解できるようになってきました。近代の経験のなかでヨーロッパの言説であるアジアという他者が現れてくるのですが、先生はアジアはどう読まれたかを分析なさってきました。わたしの理解が間違えていなければ、岡倉天心岡倉天心になるのは、「東洋美術」=「中国美術」という確立された物の見方の中でそれとは異なる物の見方を作りたいとするところからくるのです。時代時代の芸術が集まってくる波打ち際のような境界としての日本列島(「博物館」)においてあった、ヨーロッパの言説「アジア」を脱構築していくだれも言わなかったアジア(「東洋の理想」)に依拠しようと語ろうとしたらですね、教養主義に頼っては到底うまくいかなかったと思われます。横浜で生まれ育った岡倉は実際に顔も変わっていきましたよね、アメリカ人?からインド人へ、中国人と日本人のイメージへとアメーバ的に移り変わりました。「民族」の語は明治維新の後に成立した言葉ですが、結局は「民族」の言説の概念的枠組みにおさまることが不可能であるような、彼自身が反時代的な精神が宿る投射的な芸術作品だったという可能性があったと書くのはあまりに文学的すぎる表現でしょうか?

言説「憲法は本来的に国民を統合する」に反論する

言説「憲法は本来的に国民を統合する」に反論する


言説「憲法は本来的に国民を統合する」はどう読まれたか?どう読まれたかといっても、この言説を批判するひとがいないので、結局このわたしがどう読んだかをここに書くだけなんですけれど。憲法の力とは、絶えず国際協調主義を発明していくことにあり、発明をやめてしまうと憲法の言葉は化石になってしまいます。またそれは国際協調主義の理念性を市民が自分たちのものにすること、敢えて言うと、市民を国民から分裂させる力だと思います。無理に統合するから、解釈改憲による軍国主義が復活し、また国家神道が復活するのではないですか。野党の政治家が言い出した国民統合の言説に先行して野党による靖国神社の参拝がありました。これをしっかりフォーカスしてみなければなりません。戦後の靖国神社は法人であり国家神道の国家ではなくなったといってもですね、参拝する民とそれを受け入れる社(建造物)があれば、国家神道と等価なものが成り立つという傾聴すべき指摘があります。アメリカと中国から自立するあり方を考えることは、市民にかかわる認識として国際協調主義の理念性を再構成することであって、日本会議の「日本しかない」と叫ぶ国際協調主義の理念性をゼロにしてくるナショナリズムと違います。

「国語」の思想とはなにか?

「国語」の思想とはなにか?

そもそも「国語」という命名に違和感をもっていましたし、現在もその違和感がなくなりません。戦後民主主義(一国民主主義)にとっての日本列島の「国語」なのでしょうが、それでは戦前の台湾で日本語で文学を書いた作家たちが無視されてしまいませんか。「日本文学史」は前衛作家たちの転向のことが分析されるのは内部の視点においてからですが、台湾の日本語で書く作家たちに転向はおきなかったことが、最近の台湾映画で明らかになってきました。外部から思考しなければ、転向の問題だけでなく文学のあり方も考えることが不可能でしょう。「国語」は精神に深く関わるのは、ここで文学を読むからですが、だからこそ、現在は「国語」の思想を批判的に考えなければならないときです。敢えてこの時代は、「国語」という中立化された自明の言い方をやめて、「国語の思想」と呼んでみたらどうでしょうか。

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?

靖国神社の問題とはなにか?何を考えていくのか?


靖国神社の問題は、何といっても、死者のあいだにhierarchyを作り出す点ですね。戦争体験は語られているが、伝わってこないのは、靖国神社の言説に絡みとられているということにも原因があるでしょう。さて靖国神社は近代国家の産物です。ここで儒家神道と国家との関係について知る必要があります。この両者は一直線上にあるとして説明してしまうのでは簡単すぎるかもしれません。活動的知識人たちを集めた後期水戸学の言説(荻生徂徠本居宣長平田篤胤の思想の影響のもとに、「国体」の思想が政治神学的に構想される「命名制作論」が核にある。)が明治国家の構想をつくりだしましたが、明治維新後は、明治国家は平田篤胤の弟子たちの思想家たち(スピノザ的な汎神論を展開した人もいました)を政府から追放しました。「日本しかない」というような主張に顕著ですが、理念的なものを軽視する日本会議に結びつくのは、平田篤胤系ではなくて、国家神道の方向をつくる本居宣長系であると考えられます。国家神道は即ち国家祭祀。繰り返すように、これらは明治国家が作り出した制度ですが、徳川幕藩体制も国家として考える必要があると考えると、どういうことが言えるのか?国家祭祀は国家を通じて近代が制作したという点がはっきりしてきます。そう考えることによって、例えば中世の仏教の平等思想に、近代を批判する視点があったという指摘もなされますが、はじめて意味をもつように思います。近代は死者のあいだにhierarchyを作らない中世の理想を実現することに失敗したのです。ここで中世を実体化してとらえようとは考えていません。そのように思考実体にとらわれることは、近代原理に対抗するアジア原理を実体化するときとおなじ限界をもっています。(正しい映像ではなくただ映像があることが要請されるように、朱子学コスモロジーが言うようにただ理が気のうえに要請されるということだと思います。)中世は外部の思考としてあること、文明論的一元的同化主義、開発と戦争を批判する物の見方があるということが大切なのです。アジア原理を思考形式の理念的方法として再構成するこういう考え方は、アイルランド時代にジョイスの文学の読み方(デクラン・カイバード「神話的リアリズム」)から学んだことですが、現在は東京の講座「明治維新の近代」(子安宣邦氏)で学んでいるところです。

芸術作品は物で書かれたものとして存在する

ナチスは退廃芸術の展示を行なった。また彼らの思想に合わぬ書物を儀式的に焼き払った。何故ナチスは芸術作品と書物を一緒に破壊したのだろうか?まず彼らは芸術作品と本が一体であると見抜いていた。芸術作品は物で書かれたものとして存在する。芸術作品即ち物で書かれたものは不(半)透明である。不(半)透明とは意味を読み解けないということ。読み解けないこれらの生命なき非有機物を燃やすことによって、透明な生命である精神の声が蘇ったか?結局他者とは不透明である。必然としてナチズムは他者を民族の敵として燃やしていくことになった。最終解決?もはやこれと同じことは起きないだろう。戦後ドイツは戦争責任を追求した。だけれど日本はどうなの?現在の日本は国外と国内に敵をつくろうとしていることは事実である。相当にヤバイところに来ているのではないかと考えなければならなくなったとおもうのだけれど

『朱子語類』を読むことの意味

中国哲学インド哲学を勉強する学生が少ないと若い中国哲学の研究者から聞いた。と書くわたしもアジアの哲学をほとんど知らないでやってきたではなかったか。ほんとうにそれでいいのかと思いながら彼の北京大学留学の話を聞いた。インド哲学といえば、ダブリンの近所の哲学語学塾みたいな所で一カ月だけ勉強したときに手に入れたサンスクリット語で書かれた入門ウパニシャッドの解説本をもってかえってきている。リグ・ヴェーダの文もあるが、これらを眺めているだけ。英語の翻訳があることはあるが、すべてオリエンタル学の解釈だろう。ただサンスクリット語起源と推定されるゲール語がたくさんあることを知ったのはよかった。さて中国哲学の再構成はインド哲学との出会いによって起きたと考えられている。朱子学は東アジアを代表する哲学として確立した。朱子学は究極のもの=ロゴスを覚醒する存在論であるが、17世紀徳川日本の時代に、仰ぎ見る天の思想に帰る古学派によって朱子哲学が脱構築されていった。その意味はなにか?これは京都から起きたアジアにおける知識革命を為すものであった。20世紀ポストモダン孔子という読みは翻訳を通じて、現在中国の関心を呼んでいる。21世紀の東京で行われた、17世紀の朱子語類鬼神論の読みは鬼神論を超える。鬼神論のディスクールはアジアからヘーゲルとフーコが発見されていくかのようである。ヘーゲル精神現象学』に言及する「人間の分身」(第9章)のなかの‘起源の後退’を読んで12世紀だけれど鬼神論の弟子たちの考え方について考えている。‘物で書かれたもの’を分析している「世界という散文」の‘透明性’の喪失を読む見方は成る程、「命名=制作」論か。子安宣邦氏のもとで朱子を読んできたが、これと平行して、市民大学講座で、アジアにおけるグローバルデモクラシーの展望がないまま国家祭祀が事実上復活してしまったという危機感をもって明治維新の近代を相対化する批判的視点を学んでいる。