MEMO

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" 向こう側にある『歎異抄』はみえる。朱子の『論語』はこうであるかもしれない" (子安先生の『歎異抄の近代』講義(板書)より)


「天」=「公」の記号=は何かと時々かんがえる。この等価記号によって、「天」の領域=「公」の領域とのあいだの距離がなくなるということであれば、「天」と「公」は互いに一致した<点>となった?そうして絶対無限と絶対的平等性は<点>である。この<点>は漢字を不可避の他者とする日本文化の他者性の平面にのっかっているのだろと私は考えてみる。するとどういうことが言えるだろうか。ところで対象的思考を構成しない思考(ノエシス)の球(これも平面にのっかっている)が国家祭祀に絡みとられると、日本知識人は「公」を超えて考えることができない(天皇の超越的視点からしか国家をみることができなくなる。その視点は絶対無限としての天ではない)。これが日本人の意識を与えながら意識から逃れる問題であるなどと色々勝手にかんがえはじめた。だけれど明治維新の近代の失敗を<一国>民主主義(結局帝国主義)だけで解決しようとするのはこうしたことによるのではないか。『歎異抄の近代』は、再び『伊藤仁斎の世界』と読むとともに、青土社三部作である『国家と祭祀』『近代の超克』『和辻倫理学を読む』を読みなおす必要を感じている。


JOYCEの’FINNEGANS WAKE’


これは、天と地のギャップ(上昇と下降)を書いたジョイス的表現です。



Sandhyasはジョイスの造語です。三つの言葉から出来上がっています。Sanctus(ラテン語で「聖なる」の意)、Samdhi (サンスクリッド語で「薄明」や「平和」の意)、Chante(フランス語で「うたえ」の意) 

「聖なる夜明け」と訳されますが、もっと形而上学的に、天の「至高者」ー絶対無限ーではないかとおもうようになりました。「至高者」は共同体に平等を与えます。

天は絶対無限、公は絶対的平等性。天は公より上にあるということです。


Sandhyas !Sandhyas!Sandhyas!


Calling all downs. Calling all downs to dayne.Array! Surrection. Eireweeker to the wohld bludyn world.O rally,O rally,O rally! Phlenxty, O rally! To what lifelike thyne of the bird can be.Seek you somany matters.Haze sea east to Osseania.Here! Here! Tass, Patt, Staff, Woff, Havv, Bluvv and Rutter 


聖なる夜明け!聖なる夜明け!聖なる夜明け!すべての邦に目覚めを。すべての邦に夜明けをもたらせ。一条の陽の光、復活せよ!エールウィーカーが善きダブリン世界へ誘われ、おお、光!おお、光!おお、光!あらわれよ、おお、光!吟遊詩人の比類なく素晴らしい人生。かくも多くのものがあらわれたのだ

東の海H・C・Eは、島々にその姿をあらわす。さあ、さあ、タス通信社、トン・ツートンと叩く一物が打電中、アヴァス通信社、パンに、牛乳に、ロイター通信


思想史は親不孝の始まりと言われる理由は?思想史では確立された物の見方が絶えず解体されることを学ぶから。思想史は自らも解体する。解体思想史= 別の見方+ 別の見方...


武器としての鋤。英国をやっつけるナポレオン海軍がアイルランドに上陸しようとしたが、迎えた反乱農民達の鍬を見てこりゃ駄目だと帰ってしまった。パブでこの時代の民謡をきいた


あの柄谷行人ですらカントを消去してまで『資本論』の読みへの拘りを示したが、日本知識人の『資本論』の読みへの拘りは日本だけに起きるという意味で日本ファシズムを構成する。歴史的に、日本知識人は、天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国家を俯瞰してきたように、19世紀を見渡しただけの『資本論』を純粋に読んで他のものは考えないと言いながら‪『資本論』に書いていない21世記の国家を呼び出す。ここから、社会主義を理念としてもつ帝国としての国家像とか言いだすの?


民主主義とは統治するものと統治されるものとの同一性であると憲法の教科書がそう教えるようにその通りに理解すると、統治するものは腐敗するし統治されるものも腐敗してしまう


何でもかんでもカネがモノを言う社会ではやっていくなくなるんだから権利の無い社会に反対して自由に喋らせてくれをもとめる声、そして日本文化の他者性。この二つが黙らされるという危機感が検察庁法改正案に対する抗議という形をとる。「検察庁法改正案に抗議します」が単純に増える、それでいいんだ


推敲中

方法としての「歎異抄」- 子安宣邦歎異抄の近代」の感想文 (本多敬)


1、方法としての「歎異抄


 世界資本主義の誕生は12世紀に遡る。富の蓄積は教会に。逆に貧困の進めが貴族に大流行した。聖書の字面から貧困を学んだフランシスコは、平等を説くマルキシズムよりも遥かにラジカルだった。同時代の親鸞は、往生還相へ行く。教行信証の学問僧の教えは、ウィットゲンシュタインにおけるラジカルな哲学復帰を喚起する。「言葉と物」「外部の思考」のバタイユブランショアルトークロソフスキーの読みの問題は、二十世紀の解釈学に、17世紀の注釈学的視線がいかに遅れて批判的に介入してくるかを考古学的に考える問題であった。ポスト構造主義の「歎異抄の近代」では、二十世紀の昭和思想に、十二・十三世紀の「歎異抄」、「教行信証」が介入してくる。やはり、子安氏の親鸞にアプローチする方法は、仁斎の「論語」にアプローチしてきた方法を踏襲している。「歎異抄」という<読むことが不可能な>テクストを、近代がいかに解釈し、そこのとによって自らの言説を構成してしまうことになるのかを子安氏は検証してきた。つまり、「歎異抄の近代」とは、方法としての「歎異抄」になっていく必然性があったのである。


2, 三木清を称えよう

 ー死を徹底的に観念化する世界思想性から疎外されている日本人の限界をみた


滝沢ー西田の「弥陀本願」は、超越者を侵犯していくために必要とされた超越者の思想的な措定であった。その措定は、日本の土着的な汎神論的自然観とは鋭く対立した。が、倉田百三 (「出家とその弟子」) と 丹羽敏 (「菩提樹」)、この非常に大正的であり自然主義である故に'日本'的な作家であるこの両者が、滝沢ー西田の超越者の思想的措定を台無しにしてしまう。それは、テクスト「歎異抄」の内部に、'親鸞'という超越的な<起源>を見出すことによってである。このことは、「歎異抄」の暁烏敏の発見とは無関係にあらず。暁烏の「歎異抄」の発見はひとつの神話としてあったから。その正体とは、近代が発明するー自己の肖像画の為にー''親鸞'を実体化する言説だった。滝沢ー西田の超越者の思想的措定が真に意味をもったのは、三木清においてである。そのラディカルな批評精神は、<戦う国家として自らを自らの為に祀る国家>を拒む。戦争国家が自らの栄光を称えるために自らを一体化していく象徴的な<過去>を拒む。そのために三木は「末法」を導入する。「末法」を自己と世界との間に介入させる。他者としての「末法」は、<死に切った過去>しかもたないから、そこにおいては国家が自らを永遠の超越者として勝手に祀る余白が許されないだろう。「歎異抄」の三木の「末法ー内ー存在」は、ハイデガー的和辻の「世界ー内ー存在」を超える。子安宣邦歎異抄の近代」の課題は、この反時代的な三木においてまだ書けなかった問いの部分を書くことにあった。即ち、絶対的他力者は現実の社会でどう生きていくか?


"もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる"という人々は、原発憲法を失ったかわりに何かを獲得できるとばかり安倍内閣を支持している。それによって限界なくグローバル資本主義に絡みとられていく。それにたいして、"もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる'というのが、私の他力的な構成。原発と軍隊とグローバル資本主義から何も獲得できないときにも、失うことができるそのなにかとは、自己のなかで、息苦しい全体主義に対してなお捨てきれずに抱いていたかもしれぬ、再びかれらがなんとかしてくれるのではないかという曖昧な僅かな希望である。

 「末法」とは、安倍の集団的自衛権原発体制の近代である。無力な無数のひとりの人間が、われ=われ。いわばこの絶対的他力者について小田実「世直しの倫理と論理」(1972)が語っていた。小田実が生きていたら何を言うか?永遠に巻き込まれることに、STOP ! 巻き込まれながら巻き返していく。


3, '精神主義'の清沢満之エピクテトス的抵抗


 日本軍の慰安娼婦の問題は、日本の戦争責任の問題である。「他国にも同じようなことがあった」は、日本の戦争責任を曖昧にする許し難い態度です。これと同様に、今村仁司等のオタク知識人達ーいわゆる'フランス現代思想'ーが、日本の暴力の問題についてレヴィナスの暴力論(ナチズム)を援用するとしたら、やはりそれも日本の暴力の問題を曖昧にしていく許し難い態度ではなかったでしょうか?例えば、今村は清沢満之を語ったとき、清沢が直面した暴力の問題を語るべきでした。明治時代は国家の時代でした。したがって必然として清沢満之が衝突したのはまさに、この国家だったのです。具体的には、国家が教員制度を通して宗教(真宗)を管理しはじめたことに、清沢は激しく抗議したのです。「精神主義」の清沢満之エピクテトス的抵抗は、たとえば鈴木大拙における浄土の国土的表象からはかけ離れたとものです。しかしこの清沢の怒りは、今村のようなヨーロッパとの同時代性を誇る'フランス現代思想'の知識人たちには決して共有されることはありません。いかに国家の暴力が'無限'(清沢)を囲い込んでいくかということにかくも鈍感であること、これは近代から現代の日本知識人たちの立ち位置を端的に示すものです。


4, 「歎異抄」は近代の知識人を惹きつけたように、野間宏吉本隆明をは惹きつけたのだろうか?否・・・


吉本は親鸞から宗教を差し引いたとき全部が無になる危険性を避けるために、「思想詩」「思想劇」で条件づけたのではないだろうか。詩のモローグ性と演劇のダイアローグ性は異なる。しかし「思想詩」といえ「思想劇」といえ、吉本自身の声を語っている上で両者に大きな違いはない。かくも他者の名で、ずーずーしく(笑)、自己自身を物語ったのは、ほかに、「本居宣長」の小林秀雄ぐらいだろう。が、この思想は他者を語れなくなる。これが「最後の親鸞」の吉本のパラッドクスだった。詩人はいかに、自分の思想の壺の中から親鸞という他者の名の蠅を脱出させるか?それが問題だ。

ところで、野間宏「わが塔はそこに立つ」の場合は、近代国家という壺の中にはめ込まれたものをただ「民衆」と呼んでいた。マルクス主義的な歴史観の内部に見出した「民衆」が文学の語りの内部に再発見した父的'親鸞'の固有名において重ねられていくのは、和解できない<過去>を大地に埋めていくようなカタルシスというほかないのである。

それにたいして、「最後の親鸞」の吉本隆明は、自らの思想を自己移入的に「信」と「民衆」(野間)の内部に根拠づけることはしなかった。知識人の「俗」(「大衆」)に寄り添いながらも「俗」(「大衆」)でない、「信」と「不信」の間への脱出を考えていたからである。そうして外部の愚者と成った蠅は、<往相>と<還相>を行き来するだけである。


 「吉本が親鸞についていう<衆生>は、服部や野間がその親鸞論でいう<民衆>の対極にあるというべきだろう」(子安)

「戦後思想としての吉本の発言をほかならぬ吉本のものとしたものが<大衆の原像>であったとすれば、吉本の親鸞を吉本の親鸞論にするものは<衆生の原像>であるだろう。'親鸞にできたのは、ただ還相に下降する眼をもって<衆生>のあいだに入り込んでゆくことであった'という言葉には、吉本にしかできない親鸞の読み方がある。(子安)

「<非知>とは親鸞において<非僧>;である。<非僧>とは寺院的知識の体系を負った僧における自己否定の運動である。知識人が己の知識の自己否定を続ける知識人の運動を<非知>と見れば、最後にうたる親鸞をこの<非知>の運動を貫き通したものとみなされなくもない。」(子安)


近代知識人が語る「歎異抄」の言説しかないのである。思想の問題とは、言説の交通の中に囚われた人間が、これに巻き込まれても永遠に巻き込まれないようにと、いかに批判的な外部性に存在するかにかかっている。その外部性は、自己自身の声からは見ることが不可能なほど外部にあるに相違ない。吉本のレトリックがいうようには、思想が自己称賛の詩と演劇の声に依存するのは無理だ。思想を読むこととは、外部から自己自身を規定してくる読むことができないエクリチュール性を見ることであるー他者の眼差しのうちに、壺から脱出した蠅の眼差しのうちに(外から窓をたたいている)


5、「歎異抄の近代」を読むことの倫理性


 最後に、「歎異抄の近代」について自分が書き綴った感想文について顧みる。本というのは、作家のこだわりに座礁していると中々読めないもの。これは‘異様なもの'をまえにした直観の揺れかもしれない。そういう場合は、この子安氏の本の感想文のように、何とか諸々の要素に分解して分析していくと読めるのかもしれない。しかしそうして本の出口に立ったとき、最初の悍ましい違和感がすっかりと消えている。最後の最後に来て、分析そのものが無意味に思われてくる。本当に読んでいたのかと疑いはじめる。(この空白感は、直観と分析は共通のものが無いことを告げているのかもしれないーカントがいうようには統覚的な枠組みがない)。「歎異抄の近代」についても、やはり序章で引いた言葉にかえっていくのである。結局、原初的テクストの言葉を提示するだけで十分だったのだ。感想文などは余計な解釈である。原初の言葉を称えよ!なにも変えるなーすべてを変えるために!!


 「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」


 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころ、をろさかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらんと、まうしいれてさふらひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、ただ唯円おなじここりにてありけり」


政治に抗議するときは、別にその人を芸能人だと考える必要がないでしょう。政治評論家のプロは知らないかもしれないが、市民は自分の頭で考えて正しいことを言うことができます


ポストモダンの70年代と80年代に近代主義批判が展開された。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題があった


「それぞれの近代」を方法としてもたなければ、「世界史的な近代」に埋没してしまうこと、埋没してしまっては、近代を批判的に相対化できないし、文学を読むことも難しい


芸能人がかくも尊敬されるのは彼らが難しいこととされる私のプライベートな感覚を公に伝える大きな力をもつからだろう。尊敬と軽蔑は一体である。尊敬は、抗議する市民にたいする軽蔑から、軽蔑の言葉を口にするのかもしれないが、「歌手は歌だけ歌っていればいい。」と言ってくる政治評論家のプロが出てくる。



17世紀近代の芸術の原点は、表現の外に依存しない鏡の中の如き表現(一つの包摂原理なき多様性をもつ表現)を追求して成熟していった。現在アーチストは「職人技」と呼ばれるのを恥と感じる場合があるのは、官僚的反復とみなされたくないからかもしれない。(しかしこの点については、現代のアーチストは、中世の職人の仕事は神わざだったという記憶もあるし、文化人類学によるブリコラージュ的な視点も知っているので、単純ではない。) 問題はもしもし官僚的反復ならば作品は表現の外に依存しているということだ。ところでナチスは退廃芸術展をやった。ファシズムによる「政治の美学化」は表現主義の芸術を酷く怖れたのはなぜだろう?わたしは関心がある。これといった答えはわたしにないけれど、やはり表現主義の作品には起源というものが感じられない。爆撃の悲惨を描くときは、そこに起源なき廃墟を表現できるアーチストたちは多くはユダヤ系であった。ナチスは起源ある廃墟にこだわった。連中は起源をもたないのにネットワークをもっているではないか?これが、根無し草の大衆を一つの起源に向かって組織化したいと望んでいる「政治の美学化」(全体主義)を畏怖させたのだろうか..?


‪5年前に、子安宣邦氏の著書『帝国か民主か』(社会評論社)を書いた。これを読むと、現在は、5年前とくらべて、アメリカ一辺倒だった安倍政権は大国中国との関係も築こうとしているが、理念をもたず、アジアへの共感もない方向は変わることがないようにみえる。2020年を考えるために、ポストコロナのアジアのあり方を自分で考えるために、子安氏の『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012年)との関係で現在考えていること、そしてこのあとに5年前の書評をそのまま投稿することにした。わたしにとって、外部であるアジアから、戦後を読み直すことの意義を考えた書評だった。


ポストモダンの70年代と80年代に近代主義批判が展開された。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題があった。‬

子安宣邦氏の言葉によると、「それぞれの近代」を方法としてもたなければ、「世界史的な近代」に埋没してしまうこと、埋没してしまっては、近代を批判的に相対化できないし、文学を読むことも難しい。‬

‪この課題からみると、溝口の「公と私」は官僚資本主義の成立と共にある構造主義的思考で、所有権の特殊日本的曖昧に対抗する明確なイメージ。思考にもとづく思考不可能なもの(「天下的公」)を追い遣る。‬

‪また、多様体の内在平面は一つの包括的原理ではあり得ない。しかしポストモダンモダニズムへ行くと、儒教文化における帝国の構造を物語る柄谷行人のように、内在平面を一つの包括的原理で理解していることがみえてしまう。‬

‪あの柄谷行人ですらカントを消去してまで『資本論』の読みへの拘りを示したが、日本知識人の『資本論』の読みへの拘りは日本だけに起きるという意味で日本ファシズムを構成する。歴史的に、日本知識人は、天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国家を俯瞰してきたように、19世紀を見渡しただけの『資本論』を純粋に読んで他のものは考えないと言いながら『資本論』に書いていない21世紀の国家を呼び出す。ここから、社会主義を理念としてもつ帝国としての国家像とか言いだすの...?‬


以下は5年前の書評


「21世紀にみえてきたのは、グローバル資本主義と<帝国>と民主主義です。グローバル資本主義の分割は、<帝国>を中心に推進されています。具体的には、新自由主義新保守主義アメリカ<帝国>、(EUから) 第四帝国へ行くヨーロッパ<帝国>、スターリン主義=ボルシェヴィキズム=ツァーリズムに戻るロシア<帝国>、そして官僚資本主義の新儒教の中国<帝国>、であります。これに関して言うと、安倍自民党は日本をなんとかアメリカの側に位置づけようとして必死に、対抗・中国帝国としての危険な役割を引き受けているようにみえます。東アジアは、この安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険な権力ゲームに囚われています。このゲームの内側で、民主主義の形骸化は、安倍をはじめとするこうした1%のネオリベの新貴族たちによって推し進められているではありませんか。一方、非暴力の抵抗であるオキュパイ運動からalternativeの民主主義が現れてきたことは、注目したい動きであります。民衆的自治・自由論・民衆的直接的行動論を「民主主義」の真の再生の力にしていく語る民主主義。そこで、市民の思想史は、東アジアのグローバル・デモクラシー=白紙の本になにを書くことができるのか?「帝国か民主か」が問うているのはまさに、このことなのです。」


現在は、アジアにおける「バベルの災厄」について考えるようになった。『朱子語類』は原初的言語(四書)も再建だったかもしれない(全く違う発想で読み直した)。古学の荻生徂徠命名制作論も原初的言語の再建か。本居宣長が「神」をカミと読んだことはこれらの再建を解体することだったのか?8年前は、丸山真男を読んでいたが、実際はなにも知らなかったが、色々面白くなってきた。


「緊急事態宣言」の解除のあとも一億の「目」が罰してくる世界では、法はどこにもないのに、理由も告げられずに、いつ地図にない監獄に連れていかれるのかわからないようなものだ


今回は、「検察庁法改正案に抗議します」の下に自分の意見を書く人が多いみたいね。反原発デモが二千人程度のときも自発的に自分の意見を書いたボードをもつ人が多かったのを思い出した。外国のデモではみかける長文もあらわれた。携帯電話でどうしてここにいるのかを友達に実況放送する女の子もいた



ジョイスほどアイルランド文化の他者性を知った作家はいない。だからこそ彼は自分で決めた亡命を行うことになった。リアリズムはどん詰まりだし、神話もそれほど期待できるのだろうか?『ユリシーズ』の挿話『テレマコス』という名は、ギリシャ神話と植民地都市の現代との交錯をほのめかす。リアリズムにとって神話は不可避的な他者である。奪われたものを取り返せるかという叙事詩ギリシャ神話は現代の植民都市の無意識を構成している。しかしそうであるならば、土地を求めて一つの確立した包摂的原理を求めるという点で反帝国主義帝国主義者ではないか?作家の思考は、リアリズムか神話かという対象的思考から逃れていく。アイルランド文化の決定的な他者性は、神話的リアリズム、ここにある。


ジョイスユリシーズ』の書き始めはマーテル塔から。あの形は、思考の優先順位としての形而上学的円か?リアリズムはどん詰まりだし、神話もそれほど期待できるのか?ストーリーテラーのコスモスは反ロゴスを利用して自らを再構成しなければならないときがきた。そうしてジョイスにおける神話的リアリズムが誕生していく。『ダブリンの人々』では最も従属している人々から書き出した。『ユリシーズ』では、ジョイスは、土地を求めて一つの確立した包摂的原理を求めるという点で反帝国主義帝国主義者であることを批判して、万物を絶対的平等とみなす視点のもとに行く。ジョイスほどアイルランド文化の他者性を知った作家はいない。だからこそ彼は自分で決めた亡命を行うことになった。

翻訳した丸谷才一氏は大学時代の悪友だったと渡辺一民氏から聞いた。退屈な講義を抜け出しては、喫茶店で丸谷氏は英文学、渡辺氏はフランス文学について熱心に語ったという。お互い話を聞いていたかはわからない?丸谷役のバック・マリガンは体育会系みたいで面白くないのだけどね、いま読み直すと、この場面は、旧制高校の寮の通過儀礼のSturm(嵐)-先輩達が不潔な部屋に来た新入生を歓迎して朝まで容赦なく議論をふっかけた-の雰囲気をもって訳しているのかな。


しかしこれはダブリンというパリから遠く離れた田舎で、アナーキスト系のボヘミアアン知識人と芸術家が集まるカフェを真似ていて、アイルランドだとナポレオン海軍にたいする砲台がカフェのかわりである。ゲール文芸復興運動の時代。バック・マリガンは時代をリードすると期待されたその知性ゆえにアイリッシュからは大変尊敬されているのだけれど、現在もね、ジョイスは彼のキャラを漫画っぽく描写している。バック・マリガンたちは若いジョイスをやっつけなければならないと危機感をもっている。『テレマコス』という名のこの章は、ギリシャ神話と植民地都市の現代とが交錯している。奪われたものを取り返せるかという叙事詩ギリシャ神話は現代の植民都市の無意識を構成している。リアリズムにとって神話は不可避的な他者である。作家の思考は、リアリズムか神話かという対象的思考から逃れていく。アイルランド文化の他者性はここにある。ジョイスは、この章では彼の視点を反映している登場人物のスティーヴンに、「アイルランドの芸術は召使いの割れた眼鏡だ」と言わせている。議論のボクシングがはじまる。暗闇のなかの銃声。場面は、その翌朝...


Bygmester Finnegan, of the Stuttering Hand, freeman’s mairer, lived in the broadest way immarginable in his rushlit toofarback for messuages before joshuan judges had given un numbers or Helviticus committed deuteronomy ( one yesterday he sternely struxt his tete in a rub for to watsch the future of his fates but ere he swiftly stook it out again, by the night of Moses, the very water was eviparated and all the guenneses had met their exodus so that ought to show you what a pentschanjeuchy chap he was!) ー Joyce FW‬


検察庁法改正に抗議します」は、投票でもないのだから、選挙集票マシーンの自民党にとっては「大したことはない」のかもしれないけれどね、「検察庁法改正に抗議します」は何でもかんでもカネがモノをいう社会にたいするネガティヴなイメージをはっきり持っている。このことだけはたしか!


野党が900万の抗議ツイートをどう活かすか


映画とテレビの時代の終わりと共に成立してきたビデオを利用した思考がこのネットの時代に実現してきているのかもしれないとおもう。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題。反原発デモと安倍戦争法反対デモの撮影ばかりではない。オンラインで好きな本と映画を書くというような試行錯誤をしているうちに、わたしのような者でも気がつくこともでてきた。問題は、公の権力の言論的領域よりも、日本文化の他者性が殺戮されている構造や無意識の言説的領域かもしれないと。他者の問題、ここをフォーカスしなければいけない大事なときに、日本知識人の天皇への期待を過剰に語る言説に絡みとられてしまうことを警戒しているのだけれど


ネットの世の中はデモ一人の背後に百人いる。国会前にアベ辞めろで十万人は来るから900万の抗議ツイートは自民党が言う「一人で百万をつくりだす」という数字ではないだろう


外国語に翻訳できぬような母語は仕方ないねと言って、頭の中で常に正しく読んでくれる西欧人と向き合うが、私の母語を仁斎と徂徠は読むかと問わなくなった明治維新の近代の貧しさよ



‪Deshil Holles Eamus ‬ 


‪"太陽神の牛"(『ユリシーズ』)が好きだと言っていたルーマニア人がいた。トリエステで出会ったが、奥さんが妊娠中らしい。”太陽神の牛”は産婦人科病院を舞台としている。ブルームはピュアフォイを見舞い、そこで医師ディクソンに誘われて、医学生の宴会に加わる 。書き出しの言葉は、アイルランド語Deshil, 英語の地名Holles とラテン語Eamus で構成されている。呪術的雰囲気で、どうも、Let's go south to Holles Streetと言っているらしい。"南行保里為佐"と訳した丸谷才一によると、「『保里為』は地名ホリスに動詞「欲りす」の(『古事記』)万葉仮名をあてる」という。訳者が『古事記』の言語に対応していると思ったのはなぜかはとくに説明がない。わかるひとはわかる、わからないひとはわからないということ?私はわからない。‪ ‪ ”太陽神の牛”の多様な文体を書き分けた丸谷訳。まあ大変な努力だろう。歴史感覚も必要だ。英文学史平田篤胤の登場では彼の文体で書いた。現代の文学的難産と神学的救済論。文学史の最後に、起源が不明の、ダブリンの乱痴気騒ぎの英語が生まれ出る。バベルの災厄以降、言語はアイルランドにおいて見事に復活したのである。



推敲中

中国知識人と朝鮮知識人と(彼らが育てた)日本知識人の三者が一緒に書いた、国家のアイデンティティー『日本書紀』。だけれど『古事記』、『万葉集』にしたがって、"変な"中国語になっていくという。どうも、Deshil Holles Eamus のいかがわしさは、むしろ、文字を与えられた現地知識人が中心となって書いていく『古事記』において対応をみることがよいとかんがえたか?‬何にしても、このように翻訳されると、ああそうかと読めるのである。媒介として成り立つ解釈の働きを観察しよう。ジョイスは『ユリシーズ』が翻訳と解釈によって完成していくとかんがえていたようである。原文と翻訳の関係は、オリジナルとそのコピーのそれとしてと表象されるけれど、そんなに単純ではない。コピーがオリジナルに先行するように、翻訳が先行する本を書いたとしたら、その本はなんと奇妙であることか!?挿話‪"太陽神の牛"の説明文によると、「古代英語からマロリー『アーサー王の死』、デフォー、マコーレイ、ペイターなどを経て現代の話し言葉に至る英語散文体のパロデイーで書かれている」という。古典ギリシア語とラテン語という他者との関係において、近代語が自己との関係を再構成していった歴史を追うことになるわけだけれど、それだけのことだったら『ユリシーズ』の後に、『フィネガンズウエイク』は登場してこなかっただろう。逃げ腰だけれど近代に挑戦したジョイスは異常なことを本に行なっている。ヨーロッパの言語だけでなく、世界中の言葉の助けによってしか完成しない本を書いたというわけである。究極的には、出発をなすとされてきた作者も翻訳としてある。他者しか存在しない。世界の創造に語るべき中心などはない...


ルイ14世の少年時代は毒殺を恐れて犬達に囲まれるようにして寝ました。犬だからルイ14世を思い出すのでしょう。‬「首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿」(検察OB)‬


「コロナ自警団はファシズムか、自粛要請が招いた不安」。心配するな!コロナ以前に既に安倍政治から日本人の4割は政治に全く関心がないのに政府を信用しきっているファシスト


シェアさせていただきました。必要な文化支援がなく、公演ができないという困難な時ですが、わたしは活動のあり方について別の物の見方も考えてみるチャンスだとおもっていましたから、大鷲さんのお話を伺えてほんとうによかったです。ありがとうございます。やはり、観客という場は文化の他者性にかかわるという意味で大切だと思います。感染は永久に続くのではないでしょうし、ワクチンが開発されたら、また同じように経済がどんどん進むのでしょうけれど、経済ばかりが進んでもね、人間中心の世界の限界を感じていないひとはいないでしょう。しかしそのときに、文化の他者性を支える言語の体制が無くなってしまってはですね、問題ですね。ご指摘の言葉の通り、コロナを契機に、ただ怖がってばかりいるのではなく、もっと地球と関わるコスモスをトータルに考え直すロゴスのために、反コスモスを利用できるかもしれません。

ベランダは気持ち良さそうですね。うちも、屋上でテーブルと椅子を用意してコーヒー☕️を飲もうと準備しています。


無観客の舞台をネットで配信するか、これからは役者はマスクせよという。仕方ないね、役者は仮面を被るか?もう舞台上から人間の叫びも泣き声も段々聞こえなくなるのか?言葉なき身振りとジェスチャーが語るそんな無声映画としての舞台は可能か?物で書かれているものー嘗て存在した、その沈黙している自然とともに即自的に一体としてあるーに対する宗教的尊敬の感情が、書記言語が輝く空間に成り立つのだろうか?


法をまもる暴政のことも私は疑っている。軍国主義国家神道が事実上復活したのは解釈改憲によってだし、多分憲法25条にも解釈改憲が起きている

こういうことも起きなければ、ジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud)の演じた「ルイ14世」を観ることもなかったなあ...


パラジャーノフは目を開けた夢ならば、タルコフスキーは狂気の夢のなかの覚醒。物で書かれたものをたたむパラジャーノフと比べて、映画の中に映画の他のものがないわけではない


ダブリン公演に来た平田オリザの「東京ノート」の舞台撮影を頼まれたときは、舞台における内在する水平方向に働く力を媒介なくそのまま捉えることができるかが課題だった


‪『Dubliners』は”ダブリンの人々”と訳されるようになったが、以前は”ダブリン市民”という訳で通っていた。”ダブリン市民”の訳語は、共和主義者は反帝国主義ナショナリズムを意味するのでヒューマニズムの立場からは「ジョイスが望みそうにもない」とされていた。さて前に書いたように、反帝国主義ナショナリズムが領土のように土地を取り返そうとして一つの民族を表象するかぎりにおいて、帝国主義v.s.反帝国主義は、ジョイスにとって曖昧な観念である。だから、思考は二元論的分割なしに不可能だから、二元論の対象的分割(”ダブリン市民”の曖昧な観念)から出発して、これを脱構築する非対象的思考(“ダブリンの人々”の明確なイメージ)が要請される。読者がこのことをきちんと分かっていれば、‪『Dubliners』は、”ダブリン市民”でも”ダブリンの人々”(共和主義者=反帝国主義=ナショナリズムに対して明確にネガテイヴなイメージをもっている)でもいいのであるまいか。



推敲中

それは<一>的多様体ではありえない。<一>でしかない<一>的多様体の読みほど、<多>の仁斎を台無しにする解釈はないだろう。それでは柄谷(行人)的な<帝国>の<ー>と違わない。強いて<一>を言うならば、そこから、多数の穴が開いたような<一>の状態と考えてみる必要があるだろう。なぜ穴なのか。人の歩み行く道の外に道はあるのかと問われるときに、「公」を介さず「天」と直に向き合う「私」にとって目の前の他者との関係だけが、破れ傘的に、多孔性の「生生一元的世界」なのである。


宋代朱子学も中世神学も、天理のような理念性、すなわち、人間の生がもつ本来性を理念的に体系化したが、これに対して、天と人との間の本来性よりは運動性を見出したのが、18世紀の仁斎とカントなのである。ここで本来性とは、人の不在において成り立つ、意味するものと意味されるものとの間の近さをいうのではないか。つまり秩序の静的な同一性の意である。他方、私の理解では、運動性とは、人を介して天地の間の無限の距離に自らを委ねていく行いである。よって、運動性は事件性と言いかえることもできる。この場合注意しなければならないのは、天が排他的にただ一つあるという思想よりも、天が多数あるという思想のほうが運動性の概念にとっては大切となるということである。さて、西欧の近代思想史は、カントの後に、ヘーゲルマルクスが、カントが壊した中世的思弁をもう一度哲学的に再構成することになったことを教えている。新たな思弁体系をつくるために、ヘーゲルはそれを「精神」と名づけ、マルクスは精神を唯物論的にとらえて「労働」と名づけることになった(日本でこれに取り組んだのが西田哲学である)。つまり、そこで「人」の持つ意味がふたたび認識の側に中立的に客体化されたのである(例えば、マルクス主義唯物史観に個別的な貧困問題はなく、ただシステムのなかの抽象的、一般的な貧困問題があるといわれる。和辻哲郎の「人と人との関係によってなりたつ道」でいわれる意味も、抽象的、一般的な概念性である。和辻はマルクスの「ドイツイデオロギー」を最初に日本へ紹介した思想家である。この和辻と比べて、仁斎の「人」は目の前の他との関係をいう点でもっと具体的、直接的である)。つまり、「人」の消去から二十世紀的人間は(十九世紀の)ヘーゲルマルクスの呪縛に入っていくことになり、二十一世紀になっても脱出できずに囚われたままなのである。例えば、ヘーゲルと言おうとマルクスと言おうと、柄谷行人のいう<帝国>の理論のどの部分に視点を置くかの問題であって、氏の朱子学的ロゴス中心主義の<帝国>の思想の本質的な理解に大きな違いはない(朱子学的ロゴス中心主義とは、まさに仁斎が解体しようとしたものである!)。21世紀の<帝国>論は、ヘーゲルの客観精神としての「礼」の展開と呼べるかもしれない。このような世界史的教説は、徂徠がいう先王の道が礼楽論的な人民教化の道術、社会統治論的な外部的言説体系に構成して行かざるを得なかったこととパラレルであるところの知の停滞にしかみえない。最後に、首相靖国公式参拝、国民道徳、吉田松陰を伴奏にして安倍晋三が繰り返す「この道のほかにない」という言葉ほど、アジアへの共感を持たぬ彼の国家主義を露わにする言葉もないが、彼が間違っているのはその言葉から肝心な「人」の漢字が抜け落ちてしまっているということだ。絶望的にも、誰もこうしたものを批判していく役割を止めてしまったのか。二十世紀的人間の呪縛を破る外部は存在しないのか。「仁斎講義学」で子安氏が指したのが、「人」をいう仁斎とカントの方向だったのである。「もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる」というほどの絶望感、つまり、天に向かって絶望しきったような絶望感、にもとらわれた我々が、「天道」と仁斎が呼んだ運動性としてみなしえる台湾の太陽花運動や香港の雨傘運動に大きな希望を持つことになった理由もここにある。「人」の思想性とは、グローバル資本主義に抵抗すると同時に、東アジアの民主主義を求めるグローバルデモクラシーの市民的「人」の直接行動の思想性のことである。「帝国か民主か」、この問いこそ「仁斎学講義」の前に書かれた中国と東アジア問題を論じた子安氏の本の名となる必然性があったが、「仁斎学講義」と、昭和思想史研究会で進行している未完の講座「<大正>論を読む」とともに、氏の三つの仕事は、戦後民主主義近代主義の言説に対してだけでなく、前述した世界史的教説の一部である民衆史、日本ポストコロニアリズム天皇制構造論の諸言説に対する批判も可能にする、思想ラジカリズムを構成していくものである。この思想ラジカリズムの中心にはただ「人」の思想が存在する。あらためて、仁斎がいう「人の歩み行く道の外に道はあるのか」でいわれる「人」のもつ意味は大きいといわなければならず、ここから離れることなく、「近代」を乗り越える「人」の思想について根本から考えるべき時がきたのではないか。伊藤仁斎が「人」を発見したのは、幸徳秋水大杉栄小田実が「でもくらていあ」の市民を発見したのと同じほどのラジカルな意義をもっていた。ここから、管理された、一瞬一瞬の、システム的組織の利益のためなら、他を全部消し去る、地球規模の抽象的な、グローバル資本主義と帝国の時代、そして、それらの対極でそれらに逆らおうとするオキュパイ運動を契機に市民が蜂起し始めた動乱の時代に、「仁斎学講義」を読むことの意義は大きい。おそらく、今こそ仁斎と共に「論語」を読み直すべき時であろう。


朱子は理は只気の上に佇むという。すなわち理は論理的に先行するのである。朱子学を純粋に継承した朝鮮儒学では、一の原理による包摂として理に気がもとづくことになった。理にオリジナリティがある。日本儒学の方は、古学派は、朱子学の曖昧な観念に対して、『論語』の自己の学問を継承する顔回の死に絶望して天を仰ぎ見た孔子の明確なイメージをもっていた。朱子学の性の概念も放棄される。朱子学の正統派からは日本は朱子学を間違えて理解していたと非難される(今日において、日本はヨーロッパを間違えて理解していると言われるように。) 真相は、思考は二元論的分割なしに不可能だから、朱子における二元論の対象的分割から出発して、これを脱構築する非対象的思考が要請された。そうしてはじめて、無限は人という有限性から再構成される。つまり「学ぶ」ことが無限である。ここで中世の存在論的物の見方から、理念性の見方へ転回することになった。


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日本人は検査の結果次第では携帯電話の履歴を調べられて国の権力が家の中に入ってくるのはやめてくれなのに、デモに参加せずとも外に出たらどんな口実でも逮捕できる警察と黙認している検察を怖いと思わないのかしら... 非常に緩い非常事態宣言を望んでいることは事実だが、だからといって、「自由」を求めるからと躊躇いもなく言いきっていいものなのかどうか疑問におもう


推敲中

Noam Chomsky denied entry into Israel and West Bank.Marie Combesque,my facebook friend,says; c'est vraiment très bête de la part des autorités israéliennes. Très bête et très 

révélateur de cette mentalité type "forteresse assiégée". Vont-elles bientôt dire que Chomsky est antisémite? And they should stop treating Palestinian as prisoner.




MEMO

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ソクラテス。それにしても何故死罪だったのか、さっぱり分らない。ゴダール曰く、ソクラテスロッセリーニとそっくりだったと。つまり、ソクラテスロッセリーニも、どんな立場の誰とも対話したので公から危険人物にされてしまったのだろうと。なるほど本当に難しいものだ。人に近づくな、自粛せよといわれるパンデミックの時代でもなかったのに...


記憶するために、また未来の人びとに警告を与えるために、役に立たない令和をやめて、コロナ元年にしたらどうでしょうか。百年後はコロナ百年、千年後はコロナ千年と

民主主義が成り立っているからウイルス対策がダメだというのなら、逆に、ウイルス対策が上手くいくのは民主主義が成り立っていないから?すると、ドイツは民主主義が成り立っていないんだ!?論理は負けないとおもっている論客達は、民主主義も成り立っていないしウイルス対策も上手くいってないと疑う反証の精神(懐疑の精神)が眠りこけているようにみえるのだけれど

Tout le problème est de savoir quel est le rapport, ou le non-rapport, entre l’extériorité événementielle pure et le champ des images, où vient presque toujours se perdre, dans une représentation sans pensée, la puissance latente de événement, le sens encore non révélé de la révolte. ー Alain Badiou‬

ゴダールの『JLG/自画像 』(autoportrait decémbre 1995) 

「この的確で無頓着な場所では、見るものと見られるものとがたがいに入れかわる。どちらの視線も安定してはいない。というよりむしろ、画面を垂直につらぬくいずれともつかぬ視線の奇跡のなかで、主体と客体、鑑賞者とモデルは永遠にその役割を換え続けていく...」(フーコ 『言葉と物』渡辺一民訳)
en ce lieu précis, mais indifférent, le regardant et le regardé s'échangent sans cease.  Nil regard n'est stable, ou plutôt dans le sillon neutre du regard qui transperce la toile á la perpendiculaire, le sujet et l'objet, le spectateur et le modèle inversant leur rôle á l'infini. (Foucault)

「そうして絵の左端で裏がえしにされている大きな画布は、第二の機能を果たすこととなる。つまり執拗に画面を見せようとはしないそれは、視線の関係が読みとられることも、決定的に確立されることも、ともに妨げるからである」
(フーコ 『言葉と物』)
Et la grand toile retournée á l'extrême gauche du tableau exerce lá seconde fonction ; obstinément invisible, elle empêche que soit jamais repérable ni définitivement établi le rapport des regards. (Foucault)‬

‪AUTOPORTRAIT. < on m’avait demandé Godard par Godard, mais je préfère JLG/JLG. C’est un autoportrait et en principe, ça ne peut être fait au cinéma. C’est quelque chose de propre à la peinture. Je voulais essayer de comprendre ce que signifie pour moi faire un autoportrait, voir jusqu’où je pouvais aller dans le cinéma et jusqu’où le cinéma pouvait m’accepter. C’est l’idée de l’art assez classique qui dit que l’œuvre est importante que l’homme. C’est ce qu’on avait appelé “ la politique des auteurs” et qui a été mal comprise. Le mot qui comptait c’était la politique et pas l’auteur lui-même. Picaso se posait aussi beaucoup cette question :  jusqu’où puis-je aller dans la peinture.? Quand ils en avaient marre de peindre des paysages, il ne restait plus aux peinture qu’ à se peindre eux-mêmes. Le cinéma étant un peu autre chose, ne pouvant pas se faire seul, on peut toujours montrer ce qu’il y a autour de cette solitude. J’ai toujours pensé que le cinéma était un instrument de pensée. (...) Je suis heureux aussi dans la conception mais je le suis plus dans la cherche que dans l’accomplissement des choses. (...) j’ai essayé de faire un film qui ressemble aux livres que j’ai pu lire dans mon adolescence, ceux de Blanchot, de Battaile. Je me souviens par exemple de L’Experience intérieur. À l’époque, je suivais les cours d’Henri Agel, il avait passé Terre sans pain de Buñuel et je lui avais dit : “ C’est une bouleversante expérience intérieure de l’Histoire.” Voilà, le cinéma est là pour faire de le métaphysique. C’est d’ailleurs ce qu’il fait mais on ne le voit pas alors ceux qui en font ne le disent pas. Le cinéma est quelque chose d’extrêmement physique de par son invention mécanique. C’est fait pour s’évader, et s’évader c’est de la métaphysique. ‬‪ーGodard ‬1985

「ほかにいい人がいない」からで、安倍を支持するのをもういい加減にしてくれる?お見合いじゃないんだから!

推敲中

もう人間とはおさらばだ、妖精と共同生活しよう
とりあえず現在もっているものと
できそうなことをクレヨンで書き出してみた...
国際便で何ヶ国も彷徨う19箱の本たち、
マイナーなものづくり、地下茎のように
共通の部分が腐ったガラクタ学問、
そして思想史的遠足


推敲中
闇が光に、光が闇に生まれ変われるメタモルフォーゼか?この編集は、暗闇の卑近にあるのは光しかないというほどの無分節の世界の記憶を蘇らせるものであると考えてみたら、それによりどんなことが言えるか?人間は、スクリーンを背後にして語る自己を否定する観念によって(スクリーンに向きあうことになる)、平等に差異が差異としてあるような真の意味での多元世界に来るのではないか。これは形而上学の映画である。絶対的な<自分が語るのを-聞き-たい>ということである。(映画館の暗闇は自分がどういう階級であるかを隠してくれたとデユラスは少女時代を回想している。)

推敲中

人間の有限性という本来性の構成的言説に絡みとらわれないで、寧ろ万物の生成の道のラディカリズムに、ギリギリ理念的な内在性が思考されている。そして部屋の森にこそ、徴は至るところに。凡庸に新しい時代のオリジナルを鋳造する孤立から離れて、孤独の力に留まるー 目に見えないもの(夜の本)と目に見えるもの(昼の本)との間にあって‬

推敲中

ナンパの物語とお喋りを解説するほどつまらないことはないので、ウィキに要領よくまとめられているあらすじを引用しよう。「シャルロットとヴェロニックは、パリにアパルトマンをシェアする学生である。ふたりはリュクサンブール公園で待ち合わせをする。先に着いたシャルロットは、がまんできずに、パトリックという青年に求愛され、一杯飲まないかと誘われ、約束をする。シャルロットがいなくなったところでヴェロニックが着くと、おなじくパトリックが近づいてきて、おなじ会話をし、翌々日に約束をする。ふたりが部屋に戻ってくると、シャルロットもヴェロニックも、それぞれの「パトリック」のことを話す。次の日ふたりは、街で女性に親しくあいさつする青年(パトリック)を目撃し、パトリックがいつもだれに対してもおなじことをしていることがわかってしまう」。‬ ‪このナンパ劇からは、シャルロットとヴェロニックは本質的には同じもので、優先順位がちがうという見方もできるかもしれない。案外これは、深遠なロゴスのことにかかわるものかもしれない。生死を認識するとき生死は本質的に同じものであり、ただし認識の順番があるので、生を考えたあとに死を考えるという。なにか、八十年代からの天地の間を還相する映画のコスモロジーをおもうのである。‬

映画館の暗闇は自分がどういう階級であるかを隠してくれたとデユラスは少女時代を回想している。)‬


推敲中

映画のスクリーンは自らに時代精神を投射するように、80年代のゴダール時代精神を語るときどういう方向が正しいかという問題がある。70年代はブルジョワ的なものにたいする拒否の視点をもった。とくにゴダールにとって大問題だったのは、60年代の映像と音をたたえる態度が批判されたことである。九十年代以降のオートバイオグラフィー的な言葉の方向へ行くまえに、語りを可能とする媒介としての映像と音の自立的なあり方が検討された。映像と音はなにか?「カルメン」という名が与えられるまえに、それらは何だったのか?他から与えられた媒介ではなく、あるいはまた他から奪っていく媒介でもなく、倫理的に自己自身の媒介としていることによって、映像と音の存在についてもう文句を言わないこと。映画を愛するシネフィルはシネフィルの道がある。

ベートーベンは普遍というよりは、ベートーベンは普遍の統合する時代精神というほどのものではなく、統合することの無理をスクリーンの中で示す特殊の普遍ーたたえられたフランス革命の近代を批判的に相対化するーであろう。

推敲中
ここで調和とは新しい時代からの半-亡命のことである。ここで調和とは新しい時代からの半-亡命のことである。古い世界こそは、二人の間の対話を構成するシンメトリーと分割をもっていた。新しい世界を批判できる反時代的精神は、古い世界を完成させることに失敗したのだと訴える古い世界からする反時代的批判である。‬

推敲中

‪『ゴダールのマリア』(1984)は、アンヌ=マリー・ミエヴィルの短篇映画『マリアの本』とゴダールの長篇劇映画『こんにちは、マリア』(Je vous salue, Marie)の二部構成で成り立っている。『ゴダールのマリア』は言説を考える映画である。映像は、だれかが語った言葉ではなく、何が語られたのかとの繊細な関係をもつことによって、ある言説が言い出された意味の読みが成り立つという。映画の関心は、力ー異なるものどうし(映像と音と言葉)の関係ーの生産にある。この映画『マリア』は極右翼とフェミニズムの両方から非難された。前者はゴダールはアンチ・カトリックだとしてマリアの裸体像を公に晒した映像に反発し、後者はゴダールカトリック神秘主義に陥っているとして映画の女性の地位を貶める物語に抗議したのである。映画を読み解くだけでは不十分である。映画がもたらしたこの波紋からなにを読みとるか?世界は、映像がもつ言葉との繊細な関係を物語った言説としての映画を産み出し、またこれを否定したのである。一方に力ー異なるものどうしの関係ーの生産があり、他方に力を否定する抑圧が存在している。‬ ‬ 映画は誰々が語る主義と矛盾から切り離されている言説のスクリーンである以上、こう言わざるを得ない、映画が自らに投射する世界それ自身が無矛盾の映画である、と

英語を聴きとれる日本人がいないのは英語は言語だからだ。言語は差異を住処とする。差異の表象が成り立つ為には空間のイメージが必要である。空間は境界としてあった。国家はその後


身体感覚だけれど、京都の街を歩くとヤバイ感じがする。建築家ゲーリーが京都は枠作られると言っていた通りだ。東京は反権力の知があるが、これは死の感覚によるのだけれど、同じように枠作られていると感じてしまう自分は一人ぽっちと感じる。多分、国家の全体をみるフレームが天皇の死者を祀る見方に枠づけられているからではないだろうか

同じではないとおもいますが、言葉を通じて理解する事柄なので、微妙なところですね。「枠づける」がいつ、「枠作られる」となってしまうのか、そこに隠蔽があるのかとか、「枠作られる」のなかに「枠づける」の不透明な枠作られていない痕跡(外部)が必ずあるとおもいますし...

山々の輪郭は大変美しいです。文学にすんでいるような美しさというのでしょうか。またわたしは人のほうもおもしろいのです。京都に行きますと、運転手の方やお坊さんが「応仁の乱」まで遡るでしょう。あれはアイルランド人が800年前まで遡るこだわりと共通しています。東京中心主義に巻かれたくない歴史感覚というのでしょうか。詳しく書けませんが、アイルランドでは自分たちは北の地中海人という自負があります。内藤湖南を勉強して「応仁の乱」の意味がだいぶわかってきました。明治維新の近代は権門体制の復活(天皇と寺社と貴族の支配体制に、下級武士と軍人と官僚が加わった)と理解できますが、明治維新に帰れという安倍政権の東京も権門体制に反抗する「応仁の乱」が必要です。京都は伊藤仁斎の古義堂がありました。修学旅行のとき、バスガイドの人が堀川の散歩のときここを強調しました。お父さんが大事なだと言っていました。たしかに、ここを訪ねてこそ、17世記アジアの知識革命が見渡せます。
わからんことを投稿したかもしれませんが、子安先生の講座で大岡昇平を読んだことがあります、このときの議論をおもいだしました。大岡昇平は『野火』であんなにラディカルだったのに、『レイテ戦記』では何か死者の魂を救うつもりで戦闘に意味があったことを明らかにしたいと言ってこれを書くのですね。これは局所的な戦いをみてもダメで、全体をみないとわからないというのです。ある意味で国家祭祀の視野です。最近出てきた「天皇抑止論」とその反響のことも考えると、どうも何か、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた日本知識人の古代から始まるのかもしれませんが、日本知識人の視点を規定する枠組みがみえちゃうのですね

推敲中

「エレナとリシャールは、ロジェと行った同じ湖に、同じようにボートを漕ぎ出した。そこでリシャールはエレナを突き飛ばす。エレナは溺れかけるが、リシャールは腕を伸ばしてエレナの手をつかみ、エレナを救い出すのだった。‬ ‪」 エレナの精神的成熟のことがいわれる。ロジェ・レノックスはエレナの心の中の他者であると。言葉で説明されるとこのように整理されてしまうのだけれど、映像で見たかぎりにおいては、おぞましいアラン・ドロンは何らかの力で死体のまま蘇った怪物のようである。 それは人間の心の中の他者などではない。ロジェ・レノックスを殺したあと、エレナの精神がリシャールという名をもったこの死者から成り立っているではないか。わたしはこういうことも考える。エレナは過去のロジェ・レノックスの言葉を理解しようとして、彼の心の中の感覚世界を追っていったようにおもう。だけれどロジェ・レノックスは理解されることはないだろう。そうしてエレナは彼女の前に現れたリシャールの心を住処にしようとして屋敷を出るのである。しかし他者ロジェ・レノックスはリシャールの現在から構成されることは不可能である。愛の不可能性、それが「ヌーヴェルバーグ」のテーマだったではなかったか?


‪今年もゴダールの映画作品を囘想したが、『ヌーヴェルバーグ』(1990 Nouvelle Vague)についてきちんと書いていない。正直、誰もこの映画を語っていなかったようにおもう。
この映画について最初に言っておかなければいけないことは、これはスクリーンのような内在の平面を表現している映画だということだ。
アランドロンはかつてヌーヴェルバーグの敵だったこともあって、批判家たちに嫌われている。アランドロンがゾンビの如く言われるが、それですますことはできない。追い立てられて死に場所もなく、死んだら死んだでそれっきりでいいのだろうか?映画は記憶のこととしても、死者(忘却される映画自身も含めて)が生者の近くに存在しなければならないことを表現しているのである。「前近代」では類似者は常に生まれ変わりとして現れるように、ポストモダンの世界においては、スクリーンのような内在の平面の上では、生(別のあり方)も死(別のあり方)も縺れあった状態として同時にあり得る。
内在の平面は唯物論的である。ロラン・バルトマルクスの「決定する」という語の反復にウンザリしたが、エンゲルスはこの貧しいエクリチュールを借りて、何でもかんでも根本に物質があるとみる唯物論を抽象的に展開できた。死に切った過去は人間の意識が接近できない点で物質である。この内在の平面に互いに異質なものが配置される。(エンゲルス唯物論と共通のものをもっているのがペンローズだとおもうのだけれど)。

Fbの場で7冊を発表したことは、それらを考えなおすよい機会となったかもしれない。一方、持っていることが知られたら恥ずかしいから隠しておきたい本もある。これらの本のことも考えてあげなければフェアーではないだろう(変かな?) ハイデガーと共に、時間とは何かと考えるときには、一生かかっても接近できない距離を以って日常言語で考えなければいけないものを、臆病にも、物理や数学の方程式を解説した本を読んで時間についてわかろうとしている自分のなかの言語的支配の欲望が恥ずかしい。文学史が自然科学にもとづいて構想されるのは違和感があるし、同様に、思想史も公式化されてはならないということをおもう。構造主義が自らを科学でないとしたうえで、数学を利用することは全然問題はない(ポスト構造主義はそういう構造主義である)

推敲中

マルクス資本論」をシェークスピアを通して分析した、経済学者・岩井克人氏の「ベニスの商人の「資本論」」に到底及びませんが、最後の審判の日の「不均衡動学」というような切り口で、演劇というものを経済学批判の視点から読み解くことができないかというのがここでの私の目的。▼岩井「不均衡動学の理論」をホルヴァートを通して分析したいと思います。▼この「不均衡動学の理論」は、経済学の「学」に向けられた言説批判というか、「これは、まさに合理性というものの逆説にほかならない」という口調で「逆説」という言葉が氾濫しています。▼われわれに教えるその逆説は、効率性と安定性の二律背反に関わるものです。そして「市場経済とは、まさにその外部によってその内在的な不安定性から救われているのであるという逆説がここに存在している」と言われるのですが、この二律背反こそがネオリベ経済学に対するアカデミックな反論の視点をなします。▼つまり簡単にいえば、(マクロ経済学においては)効率がよくなればなるほど不安定性が増大するという関係がみられるということですね。
▼さて演劇ですが、ホルヴァートが「愚かしさのようなものほど、永遠性を感じさせるものはない」というとき、この「愚かしさ」とはなにかとかんがえるとき、それは、「外部性」の概念に関係しているのではないかとおもうのです。▼なぜ「最後の審判の日」アンナはトーマスフーデツをあれほどかばったのかという問題があります。これなんかは、外部性としての愚かさという切り口からとらえることができないだろうかと思うのですね。▼アンナはなんらかの意味での人間的な硬直性をもっていたように感じました。後期近代21世紀において極まる、効率の果てしない追求と怖るべき安定性の拡大、差別されていく精神の空洞化。これはすでに1930年代にさかのぼりますが、われわれの現代に必然的に直進していく体制にたいして、その外部に立とうとするアンナ。列車衝突事故に帰結しましたので、愚かにみえますが、それは事後的にいえることで、キスは、アベミックスのような市場至上主義の経済合理性の立場からみれば「非論理的」であるが、社会的な存在としての共同体の立場からみれば「一見したほど非論理的ではない」と私は考えます。▼時間を均質化していく機械仕掛けに進行する合理化と危機的な不均衡に巻き込まれていく人々。トーマス・フーデツに、アンナは人間性の意味を回復しようとしていわば経験知としてのキスというごとき言葉の光と闇を与えました。ホルヴァートは、近代にたいしてなんとか巻き返していこうとしたプロセスがあったことを、ほかならない、二人共同体を通して舞台で表現したのではなかっただろうか。




‪新しい物の見方が問われている。ポストコロナについて言われるようになった。このままネオリベの市場主義と同じことを続けたらやっていけなくなるのは明らかだ。ケインズ主義の見直しが起きているが、昔のケインズに戻れというような単純な話ではないだろう。岩井克人『不均衡動学』(1989)は、私の勉強不足でこれを完全には読めていないが、岩井によるケインズ『雇用・利子・貨幣の一般理論』の脱構築的読みを追いながら、合理性は合理性を貫くと合理性を保てなくなるというようなことを書いていたことは理解できたとおもう。簡単に整理すると、新古典派の思考可能な合理主義からみると、労働組合などの政治的存在は思考不可能な非合理であるが、もしそういうものがなければ、ネオリベの合理だけが存在するシナリオ通りにハイパーインフレが起きて経済そのものが成り立たなくなる。だから、<思考>と<思考にもとづく思考不可能なもの>、この両者はケインズにおいて互いに切り離されてはいないと。ここで岩井がやったことは、合理主義そのものの否定ではなく、近代における合理主義のあり方を問うものであった。『不均衡動学』は対立する経済学説の議論を検討することによって近代を問題にしたのである。だからここから、合理主義はひとつではないという新しい物の見方をかんがえてみることだって可能ではないか。たとえば新井白石の合理主義は近代であるが、伊藤仁斎の合理(「未(いま)だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らんや」の注釈)はこれとは違う近世のものである。また朱子学の合理主義と仁斎の合理は近世に属するが?両者は別のものである。啓蒙主義が多様であるように、合理主義も多様であると考える必要があるのだ。再び、ケインズ主義の見直しが起きているが、昔のケインズに戻れというような単純な話ではないだろう。ケインズ主義の問題は、それが確立してしまうとその言説的合理のなかでそれとは異なる多様性が排除されてしまったことにある。現代は世界資本主義の分割である帝国の時代であるが、近代が考えるようには、帝国のなかにひとつの合理主義があるのではない。他者が先行するのである。「帝国のなかに他者が存在する」とは多孔性の意味によって明らかになる言説ではないか‬

ヤバイ、憲法記念日をすっかり忘れていた。こんな時代だからこど、何か言わなくては、しかし令和の時代にいったい何を言うことが可能なのか?戦後確立できると考えた憲法制定権力と憲法訴訟という制度的認識、つまり国民主権司法権の独立を保障した三権分立のデモクラシーは、成り立つことがないことを、既に戦争中の天皇論ー「祀る神は祀られる神」の歴史なき構造の不変式ーには分かっていたのか(畜生!)左翼の「天皇抑止論」に顕著であるが、歴史的に、日本知識人というのは天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国を俯瞰してきたのか。‪時代に対応する形で天皇制は色々なあり方でやってきたが、現在象徴制を過剰に超える象徴行為に直面しても、この構造に危機感もない。これからどうすればいいのか!?

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MEMO

ゴダールは、『新ドイツ零年』(Allemagne année 90 neuf zéro、1991)によって、「歴史」の領域にはいることになった。『アルファヴィル』(1965)のレミー・コーションを、探偵として、かつて東西を分断した境界を超えていくドン・キホーテの分身として呼び出している。ドンキホーテにとって、類似の徴は至るところに。戦争と国家とはそれほど別々のものではない。しかし同一性の時代にあって違いがわからないドンキホーテは笑われる。戦争は戦争、国家は国家である。『新ドイツ零年』はニューヨークで見た。衝撃だったのは、戦争という国家悪を外へ追いやるのではなくて、映画と現実とが溶け合う映画の諸々の断片によって形づけられた回想を通して、戦争国家を自己の内部に掘り起こすかのような編集である。大熊信行の言葉を考える。国家が個人を超えて実在するのではなくて、逆に個人が国家を超えた実在である、そうでなければ、国家悪を超える思想領域と精神領域へ歩み入ることができないと訴えるかのように。‬


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ポストモダンは近代知識人に対してもつネガティヴなイメージをもっている。このことは‪、ポストモダンが68年の運動から転身したという事情から説明できるだろう。百年後は、20世紀に生じた知識人の全否定はイコール全体主義だったと思い返されるとき、だからポストモダン全体主義に抵抗できない思想だったと表象されてしまうのかもしれない。しかし思想史はそれほど単純ではない。さて知識人の漢字エクリチュールへの依拠を批判した、従って総体として知識人を全否定したラディカルモダニズムだけが皇国史観を批判できた。この津田左右吉のような普遍主義か普遍主義でないか曖昧な位置と機能は近代主義からはみえない。だがポストモダンからはみることができる。なぜならそれは、“普遍主義である”<と>“普遍主義でない”をみとめるような思考の柔軟性をもっているからである。20世紀の思想史に記述されるべきだろう‬



Impossible


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「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし」あるいは「われわれ」と言えず、主体の形式をとることができないというのである。この自己にあっての差違がなければ、文化や文化的同一性は存在しない。」(デリダ『他の岬』)


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2021年7月の東京五輪の開催までにコロナの収束は国家的事由である。世界はもっと数えろという。数えないためには、日本における例外主義の神話を言い続けているのだろうか?



Man has not been able to describe himself as a configuration in the episteme without thought at the same time discovering , both in itself and outside itself, at the borders yet also in its very warp and woof, an element of darkness, in apparently inert density in which it is embedded, an unthought which it contains entirely, yet in which it is also caught. ーFoucault


思考が同時におのれの内と外に、その外縁に、しかもそれ自身の横糸と交叉するかたちで、夜の部分を、思考の束縛されている一見して動かない厚みを、さらに、思考にことごとく含まれていながらまた思考をとらえている思考されぬものを、発見することなしには、人間は、<エピステーメ>のなかの布置として描きだされることはなかった。ーフーコ『言葉と物』渡辺一民


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バタイユブランショアルトーとクロソフスキが蘇るというか、フーコは文学的な文体をもっている。原文と読み比べる日本語訳ではっきりわかる。フランス語は日本語だと言っていた人が翻訳した。『言葉と物』の英訳は文学的文体が無い。だが英米で中国学生が読む。彼らの認識の仕方を考えるのは面白い


ベーコンはダブリンで育った。南アフリカに行ったときの子供時代を回想している。庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもった。外縁というか、小動物によって、自己との関係を再構成していくことになったのかも。どうだろうか?「ゲルマニカ」のピカソも動物を描くが、現代アートにおける最後の表象性というか。スペインに行って見ると感動する(ピカソはキュビニズムの抽象化を切り開いたが、どうしても「美しい」スペイン人の顔を描きたかった)。ベーコンには、記号のある夢はない。トラウマテックな言説の反復というか、フロイトを読んではじめて感動する本ではないか。


推敲中

ベーコンはダブリンで育った。南アフリカに行ったときの子供時代を回想している。庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもった。外縁というか、小動物によって、自己との関係を再構成していくことになったのかも。ベーコンの絵画は、存在が表象にすんでいる西欧の伝統の枠を出ないようにみえるが、存在は小動物との出会った事件に遡るだけであって、それ以前に遡っていくことはない。存在は失うために失われる。比べると、「ゲルマニカ」のピカソの場合は、描かれるのは人間化した動物である。そして存在の日付をスペイン市民戦争の前においている。民衆の顔の至上性を書くのは物である。物ならば無限にさかのぼることができる。物が可能にしてくれる。ほかならない、始原にこそ失われることのない人類の起源がある。しかし物によって至上性を与えられているというのに、人間はそこでますます失っていくのである。


推敲中


荻生徂徠『弁名』


(子安先生訳) 「人の性質はそれぞれに殊なるとはいえ、また人に知愚・賢不肖といった違いがあっても、みな相互に愛情をもって養育し、補助し合って成し遂げていく心と、運用営為しる能力とは一様にもっている。それゆえ統治は君主の力に頼り、養育は人民の力に頼り、農工商買(しょうこ)がみな相互に頼り合って生活をなすのである。群としての集団を離れ、無人の郷で独立して生活することができないのは、それがただ人間の性質だからである。君主とは群としての人間集団の統率者である。君主においてその統率を可能にするものは、仁に非ずして何があるだろうか。」

ここでは君主と人間の集団性が言及されている。‪「君なるものは群なり」といわれるところの、人間の集団性とその統率物の存在との分かち難い関係の意味は何か。ここで子安先生は徂徠を理解するために荀子を引く。「君とは何ぞ。曰く、能く群するなり。能く群のするとは何ぞや。曰く、善く人を生養するなり」。「君なるものは民の原(みなもと)なり。原の清めば則ち流れも清み、原の濁れば則ち流れも濁る」。仁斎が『孟子』を読み直すことで、「聖人の道」をめぐる仁斎の言説体系を構成することに対抗的に応じている、と子安先生は指摘している。 ‬徂徠の言説と仁斎の言説が宿る近世の言語は絶えず注釈によって自身を顧みる。テキストの絶対的先在による。"il faut le préable absolu du texte‬"(Foucault)


デリダの翻訳は、わかってない人がやった翻訳のようですね。デリダをわかっている高橋哲哉のおかげで読めるようになりました。問題は、わかっていない人による翻訳は翻訳権で保護されてしまうことです(たとえば、『グラマトロジー』の翻訳ですね)。改められることが難しいのです。不思議なことに、日本には右翼のデリダ主義者(!?)が多いのです。デリダを読んでナショナリズムにいくことはあり得ないのですが、これは、問題のある翻訳の悪い影響によることだとおもいます。ヨーロッパではポスト構造主義とポストコロニアリズムは密接に繋がっていて、ナショナリズム民族主義の言説に絡みとられることはあり得ないです。が、どうも日本ではそうではありません。デリダをわかってない人の問題のある翻訳を読んで民族主義的となった人たちがポストコロニアリズムを読んでナショナリズムへいくのです。

フーコの原文と、フーコをわかっている渡辺先生の日本語訳と英訳をいっしょに紹介していこうとおもっています。とくに、言説discours を理解していないと、フーコを理解できません。中村雄二雄は、わかっている人ですが、言説を「言語表現秩序」と訳してしまう問題がありました。そういうこともあって、日本では、近代を批判的に相対化する鍵となる、言説discoursの概念の理解が定着していません。

ついでに、ドウルーズの翻訳も最初から問題があったのですが、Deleuzeをわかっている宇野邦一のおかげで読めるようになってきました。ただしドウルーズの理解について言えば、正しく翻訳されたフーコにかかっているとおもいます。<一>的多様性という多元主義の思想を、一に還元される多元主義(全体主義?)にしてしまうのも日本だけではないでしょうか。

子安先生の全集が出るなど、現在の中国はポストモダンの思想がはじまっているようです。言説の語は中国語にもあるのですが、これは意味が違います。おおまかに言えば、学者の議論というふうに理解してみるのもいいでしょう。学者の議論は学者が読むのですが、学者でない市民が読んだらどういうことが起きてくるのか?これがフーコの視点でしょう。ちなみに江戸時代の学者さんは市民に近いです。江戸の儒者は士大夫ではありません。天皇・貴族・寺社が独占していた学問が町人と農民に解放されて、市井の自発的に学んだ人たちです。


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‪言説は言語に宿るので、作品において言語のある部分を差し引くと、言説性が露呈されるのかもしれない‬


コラボで勘違いしている安倍にチコちゃんもイカってるよ、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


«The plane of immanence is not a concept that is or can be thought but rather the image of thought, the image thought gives itself of what it means to think, to make use of thought, to find one’s bearings in thought.»

-  Gilles Deleuze and Felix Guatarri, What is Philosophy



鎧戸


『言葉と物』は、‪主体と客体、鑑賞者とモデルが永遠にその役割を換え続けていく様子を書くのだけれど、『監獄の誕生』において見るものと見られれるものの関係をかく書き方は、『言葉と物』のそれとは別である。人間はコミュニケーションの主体になろうとするが、情報の客体の側にいる。空間の分割が鍵である。

昔読んだ本なので記憶があやしいが、思い出しながら書いてみよう。『監獄の誕生』を読んだとき面白いと思ったのは、フーコは監獄から話しはじめたのではなかったからである。その前に、ペストのときの隔離とか、動物園のことを書くことによって、空間はいかに分割されていくのか分析している。

この本に分析されている一望監視方式の監獄は、ダブリンにある。植民地時代の監獄を博物館にしている。天井の光は善の光であり、それと同時に、大英帝国がもたらす光であったわけだ。こんな所では冬は寒くて凍え死んでしまうだろう。それぞれの独房の囚人たちは少しの熱を感じようとして天井を見上げたに違いないと想像する。一望監視方式の監獄は動物園のように公開を前提とした監獄である。ここを訪れた人々は、どういう罪を買えばどんな罰を支払わなければならないということがはっきりわかる。罪と罰は商品と価格に対応しているというわけだ。いつでも鎧戸を開けて中の囚人の様子を見ることができるようになっている。これは恐ろしいことだ。囚人はいつでも監視されていてだれが監視しているかわからない。鎧戸という実に簡単な仕掛けで監獄のコストを最大限に低くできるという。

フーコによれば、言説的なものー「最大多数の最大幸福」で知られる功利主義の善と悪を計算するアイデアーが建築に反映されているかといえばそうではないという。言説的なものと可視的なものは互いに独立しているとフーコはみる。

フーコはフランス革命の近代を考える。フランス革命後はアナーキズムと国家秩序との間に揺れ動いた。1789年のフランス革命は完全な革命ではなかった。革命はクーデターの軍国主義にとらえられてしまう。それは明治維新の場合とおなじといえるだろうかいまわたしは考えているのだけれど。軍国主義の規律と訓練が国家の秩序にとって都合のいい従順な身体を作り出していくに違いない。これは学校のモデルとなる。問題は、監獄の外部は一望監視方式の監獄の内部と違いがなくなっていくことをどう考えるかである。監獄の外部もだれが見ているのかがわからない。監視の権力に中心はない。現在はメッセージをネットワークに送るときにコミュニケーションの主体になろうとして他者を望んでいるが、現実は生活の隅々まで見られている情報の客体となっていて相互監視の網目を築いている‬。これについては、21世紀のアジアでの新しいコンテクストで考えることになりそうである


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元祖寸劇

ネコ(溜息)「あーあ、嫌なことばかりじゃない?」

フクロウ「ホー、いいこともある」

ネコ「ニャーニ、それは?え、教えて!」

フクロウ「天気だ」


推敲中



‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬


「弁名」


‪(子安訳)「しかも先王は聡明叡智の徳を備え、礼楽を制作し、道を定立し、天下後世をしてこの道を最上の規範として由らしめたのである。後世の君子たるものはこの道を奉じて、天下にこれを規範として行ったのである。先王は聡明叡智の徳を有するというが、その徳をこのように道の定立に用いずしてどこに用いることがあろうか。しかも先王における道の定立は、仁すなわち安民の徳をもってするのである。それゆえ先王の制作になる礼楽形政は、いずれも人すなわち安民の目的をになわないものはない。このようにあるならば仁を奉ずる人でなくして、だれが先王の道を行うことを己れの任務とし、安民の課題を果たすことができようか。それゆえ孔子の教えは、仁を至上とし、その「仁に依る」(『論語』述而)ことを務めとしたのである。聖人の大徳である仁に依拠することに務め、だが聖人となることを求めないのが古えの道であったのである。孟子が、「仁は人なり。合わせてこれをいえば道なり」『孟子』尽心)といっている。仁の大徳に依拠して徳をわれに為すことで、仁をもってする先王の道とわれとは合一するのである。これは古来伝来の説である。」‬


「聡明叡智とは聖人の徳である。徂徠において制作者としての先王が聡明叡智の徳を有する聖人だとされる。したがって先王が聡明叡智という聖人の徳をもって道を制作するのである。何にもとづき、いかにして道を制作するかという、制作するゆえんは、聡明叡智を称される先王(聖人)のみ知るところである。聡明叡智とは 、一般的な知と隔絶した超越的な知である。... 制作者である先王はさらに仁という安民の大徳を備える存在である。先王による礼楽刑政とく道の制作は、この仁の徳をもってするものであり、その制作行為はすべて安民というテロスに貫かれている。後世の人が先王の道を奉じて行うことも、道を貫く安民のテロス(仁の理念)をいまここで実現することだとされるのである。」(子安 『徂徠学講義』)



‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬


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「夢」や「数」、それに「水」というものにとても強く影響されています。「夢」という不定形なものへの欲望と、「数」の定形を目指す意志との衝突がぼくの思考を生きた持続あるものにするのですが、「水」はこうした対立概念の統合されたものとしてあるんです。ー武満徹


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Le plan d’immanence n’est pas un concept pensé ni pensable, mais l’image de la pansée, l’image qu’elle se donne de ce que signifie pense, faire usage de la pansée, s’orienter dans la pensée ...

ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?


‪Les concepts sont des événements, mais le plan est l’horizon des événements, le réservoir ou la réserve des événements purement conceptuels; non pas l’horizon relatif qui fonctionne comme une limite, change avec un observateur et englobe des états de choses observables, mais l’horizon absolu, indépendent de tout observature, et qui rend l’événement concept indépendant d’un état de choses visible où il s’effectuerait.‬


‪Concepts are events, but the plane is the horizon of events , the reservoir or reserve of purely conceptual events: not the relative horizon that functions as a limit, which changes with an observer and enclose observable states of affaires, but absolutely horizon, independent of any observer, which makes the event as concept independent of a visible state of affaires in which it is brought about. ‬

‪ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?‬


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‪Le plan d’immanence n’est pas un concept, ni le concept de tous les concepts. Si on les confondait, rien n’empêcherait les concept de faire un, ou de devenir des iniversau et de perdre leur singularité. ‬

‪ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?‬


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rory end to the regginbrow was to seen ringsome on the aquaface. ーJoyce ‘ Finnegans Wake ‘


roryは、「赤い」のアイルランド語、またroridusは、「露を帯びた」の意のラテン語。またダブリンの小劇場でみた’Making History’( 『歴史を書く』)、イングランド王ヘンリー二世に破れた最後のアイルランド王、ロリー・オコナー(1116?ー98)が暗示されているのか?


英国首相ボリスはネオリベに対する闘いを台無しにした男であるが、NHSと外国人医師二人に示した深い感謝の言葉は嘘ではないだろう。再び社会をぶっ壊したらまた感染してほしい


ハンナ・アーレントはこう語りました。「世界の安定性は芸術の永続性の中で透明になったかのようである。そしてその結果、不死性が触れる形で現れ、輝き、音を発し、語っては読まれるようになったかのようである」(『人間の条件』)。この国は芸術が無くなったら何が起きるのでしょうか?生存の手段に隷属した死の物質的支配に覆われ、輝きはなく、音を発し、語っては読まれることはなくなるでしょう。


‪It is as though wordly stability had become transparent in the permanence of art, so that a premonition of immortality, not the immortality of the soul or life but of something immortal achieved by mortal hands, has become tangibly present, to shine and to be seen, to sound and to be heard, to speak and to be read. ‬

‪ーHannah Arendt‬


推敲中


「天」の意味と知識人が語る「天」の意味は同じにあらず。知識層から知識人となっていく方向づけにおいて、同様の普遍主義的な語り口とはいえ、仁斎と徂徠の差異から近世思想史の言説的曲面をかくことができよう。徂徠の謂わば「一番弟子」であったと考えられる宣長とて、この儒家言説の枠組みに接すると理解できる。篤胤は反知識人的だけれど、だからといって近代主義が烙印を押したようにそれほど反普遍主義といえるのだろうか?問題となってくるのは、篤胤の世界は先行する全ての言説的曲面の"正しさ"を疑う点でメタレベル的に普遍主義に属するという風に言えるのではないかという点である。


柄谷の「交通」から他者はどこに消えてしまったか?

ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか


他者との関係をいう「交通」の概念。マルクス「ドイツイデオロギー」に出てくるこの概念を、柄谷行人マルクスの可能性の中心に置いた。しかしそうして、柄谷氏はカントから学ぶよりも、「資本論」の読み方を教えてくるようになったのではなかったか(われわれは、「教える」という漢字は「鞭」の形と関係していると考えている。)「交通」は「交換様式」として投射される。しかし現実には彼の「交換様式」からは他者ー思考できないものーが消されていく。思考できるもの(<一>)と、思考できるもののなかで思考できないもの<多様なもの>を切り離して、両者のあいだの距離をできるだけ大きくする。つまり柄谷氏の「交通」の知は、透明な帝国の「交通」の言説に置き換えられていく。つまり他者に開かれたはずの「交通」は、他者を閉じ込めて同一化していく相互監視の体系となってしまう。そこに市民の経験が語られているだろうか?子安氏はこう指摘している。日本知識人による「〈儒教〉の〈世界=帝国〉性の主張は、東アジアの多様的文化、知識を一元的〈帝国〉的文化として包摂して行く〈帝国〉的イデオロギーの先駆的主張である。」これは、柄谷言説から影響を受けてくる現在の思想空間が、多様性の方向性をもつ<一的多様体>の理念性を、『資本論』の読み方を教える思考可能な<一>でしかないものにする言説の形成をみてとれる。これがいかなる危険性を孕むか。それに対しては、「ポストモダン孔子」(子安氏)の方向性をもつ市民の経験の多様性を学ぶことが大切だとおもう。


ナチスの手法を真似て、首相はマスクをしたゲッベルスだし、官房長官は正されるアイヒマンであるが、ヒトラーがいない(米国と中国にいる。)これでは4割だし左翼も立ち上がれない


‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)についてまず言わなければならないことは、「『軽蔑』はゴダールの映画である」、と同時に、「『軽蔑』はゴダールの映画ではない」。プロデューサーは映画にブリジット・バルドーの裸体の映像を求めたとき、ゴダールは映画から自分の名前を消すことを条件に了解したという。

ギリシャ神話「ユリシーズ」の海が枠付ける映像の系列。登場人物達は生活しているときに、ラングが語るヘルダーリンの詩の意味を理解できなくとも、神が支配する無意識に住んでいる。

『軽蔑』はブリジット・バルドーモラヴィアである。ギリシャ悲劇みたいな不条理な死が起きる、バルドーの身体は何を意味していたのか?身体は空間に属しているのだろう。この空間はそれほど空間ではない。空間的であるというか、そこは神の支配が貫徹した全領域の部分ではなかった。



ゴダールの『探偵』(Détective 1985)は、コロナのおかげでこの映画に気がついたというか、部屋のなかだけで事件が解決されなければならない。事件と言ってもね、ゴダールの初期の映画とは全然違っていて、まるで空間の中からその内部に沿って空間自身を語るような停滞と落ち込みと疲労感。何もないのだけれど、そこに思考のイメージが成り立っているのかもしれない。思考の存在を表象するためには、思考が綴られる平面(ベッドのうえ)を思い浮かべる必要がある。思い描いてもね、ゴダールの映画を見たときの感じとおなじで、いつも期待外れなんだけれどね



ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967)。この映画には文化大革命の政治的災害は存在しない。ブルジョワ学生が集まるマオイズムの部屋で起きる偶像崇拝と、映画による偶像破壊(確立された映画をみる見方のなかでそれとは異なる見方も含む)との奇妙な分節化。68年前夜に現れたこの映画は「明確な映像に曖昧な言葉をぶつけよ」というように、単に自己否定を呼びかけただけではなかった。観念的な自己否定の曖昧さを明確にするような、精神の従属させてくる社会に対するネガティヴなイメージをはっきりもつことの重要性を訴えていたとおもうのである。


1、Ces jeunes gens représentent, comme autrefois les personnages des Bas-fonds de Gorki, 5 niveaux particuliers de la société. (JLG, 1967)


推敲中

ゴダールの天と地の間を語る形而上学においては、天から平等に物にロゴスが与えられる。「映像」も「言葉」もロゴスをもっている。だけれど「明確な映像と曖昧な言葉」(『中国女』1967)といわれる。ここでは映像そのものと言葉そのものとの関係について考えられているとしよう。すると、映像(明確な秩序)は完全な同一性で、言葉(曖昧な秩序)が不完全な同一性とされているのはどうしてなのか?平等ではないではないか。同一性と相違性のフレームにおさまらない、意味作用をもった不透明な外部の思考が存在すると考えようとしているからではないか?‬それは映画と呼ばれる...


死んだ芸術家は愛される。常に、生きている芸術家が追放されてきた。思考の存在の表象のために、思考にもとづいて目の前でこれほど不透明なものを思い浮かべなければいけないのかと


プラトンは詩人の追放を考えていたのは有名な話。どうも芸術それ自身を否定したのではなくて、表象に依存する芸術のあり方を考えていたのか、コンセプチュアルアートへの道であるとおもわれる


現場から考えることは大切。ところが危機の時になると「頑張ってるんだから批判するな」っていう紋切り型の言葉がでてくる。極端にいくと、天皇ファシズムのときも文革のときも、際限なく頑張った。「頑張る」エートスに、ラディカル・モダニズム永久革命があるが、これが齎した政治災害の問題を考えていない



‪「津田はいうのである。『王政復古』クーデターが「天皇親政」を騙った明治政府を可能にしたのだと。昭和の天皇ファシズムによる軍事的国家の成立を「王政復古」維新と無縁ではないと考える私は、津田の維新をめぐる論考を大きな助けとして「明治維新150年」を読み直したいと思っている」(子安宣邦氏‬、講座「明治維新の近代・1 」4月14日)


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‪ブレア労働党サッチャーリズムの先駆が八十年代のフランスの左翼と右翼の連立政権で、ゴダールは、左翼政党に野党の立場を貫いて欲しいと考えていたといわれる。『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987)の物語のメインストリームは、ゴダール本人が演じる「白痴公爵殿下」。(『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(1993年)でも同じ役柄を演じることになる。)殿下が手にするドストエフスキー『白痴』の主人公ムイシュキン公爵からの引用であるが、この名はニヒリズムと嘲弄の時代の感情をあらわすように読める。右側のなかで、反証の精神が眠りこけた国家、無能で売れない落ち目の芸人たちに率いられる滑稽さと言ったら...。クルクルまわってめまぐるしく連続衝突するだけで、自己否定的な理念の運動もなくなった記号は、フランスの腐敗を描こうとしているが、果たしてフランスだけなのか


“Despite the virus’s highly infectious nature and our proximity to its source, we have prevented a major outbreak. As of April 14, we have had fewer than 400 confirmed cases. This success is no coincidence,” writes President of Taiwan Tsai Ing-wen ーTIME



気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)は、ゴダールの「東風」においてみられる東へ方向づけられる前に、南へ行く方向をもっていたことが言われるように、ロマネスク風ミュージカルに誘われる溝口映画を喚起する道行の旅がある。映画はルノワールの生き方を物語る。美学的な問題提起が映画を貫く。黄昏と透明を重ねあわせた、画家ベラスケスが言及される。沈黙の交響曲が言説そのものを打ちまかす。そして根拠を問うコスモスは、イメージの傍らに佇む無(反コスモス)を利用して、事物の分節化されないあり方を探究して自らを再構成する。思考の存在の表象のために、思考にもとづいて目の前でこれほど不透明なものを思い浮かべなければいけないのかと。映画のおどろくほど単純で純粋な詩は絶対を語る。地中海の死と太陽の島が映画のすべての歴史と等価の大きさをもっていた。必然として、アルチュール・ランボーの詩「永遠」が朗読される。と、われわれは『山椒大夫』の島々にいるー


ゴダールリア王』(King Lear 1987)


ニ十世紀は映画の世紀といわれていたように映画の徴は至る処にあったが、21世紀にはいってから古典的傑作は急速な勢いで忘却されることになった。このまま映画はついに見えないものとなるのだろうか。映画が記憶から追放されるとともに、「ゴダール」の名は、デカルトの名が哲学それ自身を表すように、次第に、映画それ自身の存在を表すようになってきた。そのときある伝記作家が、ゴダールに「リア王」の名をあたえたのは、映画の存在の表象のためには、映画が投射される姿が思い浮かべられなくてはならないからだろう。世界たる、この道化は、見るためには、見ることにもとづいて見えないものを在らしめると荒野を彷徨い続ける。その姿は思考から逃れゆく思考とともに経験世界のなかで帰属を失った人間のそれではない。むしろかつて魔術師がやったように、暗がりのなかで小さな箱ー白紙の本に変身したスクリーン?ーを開けたら光が溢れだして、見えるものと見えないものとが共存する世界があらわれるというものである。



『徂徠学講義』(子安宣邦氏、岩波書店2008)より


‪「後世の儒者は聖人の道を知らない。したがって仁もまた知らない。そこから後世儒者の仁説が生まれる。彼らは「仁とは愛の理、心の徳である」といい、また「人欲をきれいに除けば、天理があまねく行きわたる」といい、さらにまた「専言の仁があり、偏言の仁がある」いう。こうしたとらえ方は仏教や老荘の考えに根ざしている。それゆえ後儒の学は理を主とし、心を主とするのである、また『中庸』や『孟子』を誤読して、仁を性の概念とする。だが性とはひとごとに異なるゆえ、彼らはその異なりを気質のせいにして、理においては聖人と異らず、同一だといったりする。‬

‪彼らがいう意はこうである。仁者はたしか人を愛するのだが、愛とは情であり、情として動く以前の静かな心にあっては愛という情動をみることはない、と。しかし未発の愛としての理を、人は生まれるとともに天より享(う)けて心に具えている。それが仁である。仁が心徳であるとは、そのことをいうのであると。また彼らはこうもいう。人の生まれ初めの純粋さは聖人と異なるところはない。ただ気質と人欲にとらわれると、仁本来十全さを失ってしまう。したがって学問が成り、人欲を消尽し、気質を変化させるに及んではじめて、人の行うところ仁であらざるはない境地にいたるのだと。またこうもいうのである。天地の道は生々してやまざるものである。その天地の徳を人に享けたものが仁である。それゆえ天理流行というのはただ生々の意を表しているのであると。また彼らの考えによると、仁は心の全徳である。ゆえに仁は儀礼智信を兼ね備えている。これが専言の仁である。仁が儀礼智信に対するものとして、仁儀礼智信といわれるとき、それは偏言の仁であると。‬


• 徂徠は後世的仁説の批判を書いている。ここでは、「仁とは愛の理」という言語が問題とされている。


‪訳文を読めばわかるように、宋代の程子や朱子たち、宋代以降の中国や日本のの儒者たちは、古代先王のみちこそが聖人の道であることを知らないから、したがって礼楽形政としての道を、天下安民の徳・仁によって聖人が制作したものであることができない。そこからこの後世の儒者たちは先王の道から離れて仁を、彼らの観念の言語をもって語っていくことになったという。徂徠の言及から、宋学あるいは朱子の本体論的な哲学的言語と本来主義的な倫理学的な言語の姿がみえてくる。ここでは、「本体論」と「本来性」の違いに注意しながら、体用的二元論をもって、また性理学的視点とその概念をもって語られてきた宋学あるいは朱子学ー東アジアの漢字的世界を支配していったーのエッセンスを理解する必要がある。子安氏の評釈によると、「本体論というのは、宇宙や人間の根拠にかかわる議論である。人間という存在と行為が何に基礎付けられ、根拠づけられているのかという議論である。さらに宋学は禅の本体主義も己の言葉で語るようになる。人は現実世界において、その本来性を失って堕落するその危険性のなかに絶えずある。人の本来性とは、天に賦与された人間の道徳的本性である。それは道徳的存在としての人間を基礎付ける根拠(理)でみある。現実の世界における人間は情動的契機によってこの本来性を失うようにたえず脅びやかされているのだ。ここから本来性の維持と回復とが、「復初」の言葉とともに説かれるのだ。宋学あるいは朱子学は、この本体論的な哲学的な言語と本来主義的な倫理学的な言語とをもって中国だけでなく、東アジアの漢字的世界を支配していったということができる。日本人は朱子学の受容とともにこうした言語を自分のものにしていったのである。徂徠は後世儒家のこうした本体論的な言説から「仁」を解き放とうとしている」(子安氏)。‬


言語に定位する人間が有限であり、言葉の極限に人が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼らを規定する縁である。理の内部に位置づけられないとする「聖人の道」を指示できるのは、外部の領域からであると徂徠は考えるのである。‬



小池のような国家主義者にとって、国家の存在の表象の為には、国家の存在を飾る儀式(五輪)が不可欠で、その限りにおいてロックダウンする必要がある。総理待望の声が。だがロックダウンは人類を守る為にウイルスに対する戦いを構成するのに、東京を守る自国中心主義に行くようでは、これは隣同士を大切にするアジアのリーダーではないとわたしはおもう


‪近代のものは...いっさいの命令が思考の内部と、思考されぬものを回復するための運動の内部に宿っているかぎりにおいて、いかなる道徳も定式化しようとはしない。ーフーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬

The modern one, ...formulates no morality, since any imperative is lodged within though and its movement towards the apprehension of the unthought. ーFoucault ‬


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‪「近代のものは...いっさいの命令が思考の内部と、思考されぬものを回復するための運動の内部に宿っているかぎりにおいて、いかなる道徳も定式化しようとはしない。」(フーコ)。この点については、伊藤仁斎の道徳学、荻生徂徠の制作学から批判する仁斎道徳学を読むと、近代西欧とパラレルなことなんだね。漢字と仮名で議論を読むことが大切である。ここで言う漢字はわれわれが依存しきっている明治維新以降の漢字のことではなくて、朱子学を共有した漢字文化圏の漢字こと。漢字の存在の表象のためには、漢字が書かれる姿を思い浮かべなければいけない。漢字と仮名で議論を読むことが大切だというのはそういうことである。ここで、音声化された現代中国語にもとづく朱子の翻訳に依拠できないことも言っておく必要がある。ラディカルモダニズムの音声化を推し進める近代国家と対等の自立をえるためには、国語の外縁を為しているが母国語にとっては化石のようになんの価値もなくなった漢字エクリチュールのとりかえしが問題となっているからである。‬


昔は、「一億総懺悔だ」と言ったらしいが、いまはその”わたしに責任はない”と同じ意味のことを「わたし自身の責任です」(安倍)というみたいだ。メモしておこう


国家の戦争責任をみとめないかぎり同化を拒む人々がでてくるだろう。よろしい、国家は同化を本質としているとしよう。もし国家が同化できないなら、どうしても戦争責任をみとめることが不可能ならば、その国家は終わるべきなんだ。そしてその人々とほかのあり方をさがすしかないだろう。できるとおもう


「緊急事態に人間を家畜のように監視する生活権力が各国でまかり通っている」(東浩紀)。逆。家畜に等しい扱いだったのに、補償無しに自粛する倫理観ある人間として扱うのか?


パルマコンが「両面的」であるのは、そのなかでもろもろの対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)が対立し合う中間環境〔媒体〕をなすからであり、そうした対立物たちを相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなすからなのだ(『散種』)


ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(One Plus One 1968)から学ぶことは、対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)を相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなす働きである。

“Sovietcong”,”Freudemocracy”,”Cinémarxism” という映画のなかに示される造語を笑うしかない。ゴダール文化人類学構造主義の原点がある。構造主義は強力な物の見方を構成できるが、構造主義は世界の半分しかみていないから、映画は開かれた全体にすんでいる以上、別の世界の半分を足してやらなければ...。ワン・プラス・ワン のプラス<たす> は、重ね合わされて交錯する多数の中断をもつ系列を為している。


推敲中


徂徠の社会全体の視点をもった彼の言葉を現代社会に適用すると、このこととして理解できるのではないだろうか。アベノミックスの破綻をみとめず、代替案を議論もしない。あたかもその破綻を隠蔽するように「教育勅語」の破綻し尽くした天皇ファシズム家族原理を再び言い出すことをやめよ、と、このことである。徂徠の批判はそれを読む者に論争と議論を教えるというか。




• 徂徠を読むと、理が破綻しているのになおなんでもかんでも理から説明しつづけることを批判するとき、学問というのは、依拠できるものが理の内部に位置づけられないことを考えさせようとするといわれる。依拠できるものが言葉にならないと聞くと、(近代的な意味で)神秘主義の非合理を思うが、しかし知識人が言うそれはそうではない。ここをよく考えると、(朱子や仁斎の)破綻しているかもしれないのにその理が疑問もなく一体化しているような言葉に依存しても、解決に結びつくことがあり得ない (「民の生」を安らかにすることができない)。無理に言葉で説明するとズレてしまうことがおきる。唯物論的とまではいえないが、「礼楽は外物なり、我に在るものに非ずと」という徂徠の議論を行うことを重んじる方向性をもった言葉に向き合うことになる。『弁道』で徂徠がこう言っていることに子安氏は解説している。人から与えられる礼楽の教えを重視するところには、人の心への次のような徂徠の見方があるという。‬


‪「善悪はみな心を以てこれをいうものなり。孟子曰く、「心に生じて、政に害あり」と。あに至理ならずや。然れども心は形なきなり。得てこれを制すべからず。故に先王の道は、礼を以て心を制す。礼を外にして心を治むるの道を語るは、みな私智妄作なり。何となれば、これを治むるものは心なり。我が心を以て我が心を治むるは、譬えば狂者みずからその狂を治むるがごとし。いずくんぞ能くこれを治めんや。故に後世の心を治むるの説は、みな道を知らざるものなり。」


祀られる神は祀る神であるという権力が皇居に現前しているにもかかわらず、皇居における「空虚の中心」などというオリエンタリズムの言説によって盲目にされていたような..


ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの‪ 『ヒア & ゼア こことよそ』(Ici et Ailleurs 1974)。「ジガ・ヴェルトフ集団」の一部としてゴダールとジャン=ピエール・ゴランが1970年に作った親パレスティナ映画『勝利まで』のフッテージを使用して制作された。ビデオが積極的に利用されていることが注目された。

「ここ」と「よそ」の関係は、映画の編集概念(映像と音の関係)によって再構成される。「ここ」と「よそ」は空間的差異にもかかわらず、瞬間的な時間の分節化によっておなじに「ここ」になっていきた。「ここ」と「よそ」を敢えて映像と音の差異として語ったものは、この映画のまえにいなかった。「ここ」と「よそ」は、この映画からはじまったのである。

これは、コミュニケーションの主体を、情報の客体に還元する。だが「ここ」の思考から、「よそ」の思考にもとづく思考できないものを切り離してはならないし、切り離してはもうやっていけなくなったと語る理念性である。

ここから、現代国家批判が成り立つ。現代国家というのは、どこどこにある実体ではなくて、テレビのニュースが行う解釈のなかに存在する言説である。言葉の解釈は曖昧である。それははっきりとしたイメージにともなわれることを必要とする。問題は、テレビのなかの「ここ=映像」と「よそ=音」がはっきりとしたイメージを打ち出してきたかである。言葉の解釈が曖昧なまま、現代国家がイスラムとの関係の排除をやめて新しい普遍性を再構成しなくてはいけないのにそれを非常に悪い形でやってきた現在のあり方が隠蔽されている。言葉の解釈が曖昧なまま、後期近代においてもはやそのまま戻る必要がないのに、絶えず他者を排除せずには成り立たない国家のイメージに戻ろうとする。

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 ‪この文、好きだな。ほんとうにそうだ。「円錐体の虚頂点」が嘗ての近代の力だったというか。人間が終焉する<他者>の時代は、円錐体も消滅するが痕跡として平面スクリーン上の線になるのではないか。平面の上で点たちとはりついている球体たちと共存している


‪(人間の)起源とは、あらゆる相違性、あらゆる分散性、あらゆる不連続性が、もはや同一性の一点のみを、みずからのうえで炸裂して他者となる力をそれでもうちに秘めている、触知しえぬ<同一者>の形象のみを、形成するため、そこで凝縮されるような、そうした円錐体の虚頂点‬

‪なのである。フーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬


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‪封筒を開いたときそこに読むべき手紙がはいっていると言うことは可能か?開けたときは手紙は脱出していたかもしれない。私しか開けない封筒の内部に私が読む手紙が入っているとは言えぬ。日本語で書くが日本人は存在しない。日本語で書くと言っても何語でもよく、母国語を逃すために書く国内亡命である‬


推敲中

作品の名に値するようなテーマの存在を説明するのが苦手ですが、何も頼らずに読めるかというとそれはあり得ないという問題がありますね、この問題を考えています。例えば、ヨーロッパ語で書いたヨーロッパの近代を読むときは、それを考えるフレームが必要です。漢字仮名混交文がそのフレーム。だけれどそれで日本語を読んでいるだけなのです。不可避的にギャッが起きてくるのは、ここにおいてですね。不一致というか、距離というか。自然に読むということはあり得ないと思うのです。依拠するフレームの存在を考えることなく、読む行為はそもそも不可能。思考の限界というこの問題をべつの仕方でかんがてみます。封筒を開いたときそこに読むべき手紙がはいっているなどと言うことは可能でしょうか?封筒を開けるときに、手紙は脱出しているかもしれませんから。それなのに、私しか開けない封筒の内部に私が読む手紙が入っているというふうに考えるのは、言葉のなかに人間が存在していると考えるのと同じくらい無理なんだろうと気がついてきました。かならず二つの封筒を使っているのですが、中の手紙が自ら封筒に成ることで脱出していることをうまくあらわしていますかね?‬まだまだかー


‪道端に倒れたひとの意識が回復したとき、助けてくれたひとの名前を間違ったままでその自分の体験を他人に語ることは問題が起きない。‬だれと出会ったかの間違いは正されなくとも、間違ったまま成立してしまうのである。しかし間違ったままでは大切な物の見方が生まれてこない。たとえばもし歴史修正主義の安倍政権を批判するつもりならば国家祭祀を天皇ファシズムの名を以って批判する必要があるのに、専らナチズムの名で語られてきたものを語っている。結局これは安倍を助けている。また、中国の民主主義にとっても日本の民主主義にとっても、支配者である皇帝の官僚が考えた民主主義なき近代の成立のあり方と、外縁においてその思想から被支配者の人びとは民主主義を考えようとしたが政治思想としては展開できなかったこともあって、まだ多元主義としての民主主義を実現できていない近代のあり方を問題にしなければならないのに、それができないようでは、民主主義をもとめた劉暁波の固有名を消し去ってしまわないだろうか。これが、間違ったままでは大切な物の見方が生まれてこない問題である。


‪昔、映画館というものがあった。映画館とは何だったのか?映画館の中はプラトンの洞窟の内部とどう違っていたのか?洞窟といっても、都市の構築された秩序からしか洞窟のあり方を考えられなかった筈だ。古代の公共建築物の壁に投射された論理形式を思考した筈である。それは神話から自立している。中世がそれをどう理解したかはわからない。自身の分身である世界に巻きついたイメージ?重要なのは思考ではなく、やはり、光を以って、暗闇から世界が一気に開かれてくる悟りだったのだろう。それに対して、映画が誕生したのは自由なお喋りがあったカフェにおいてだったから、映画はリュミエール兄弟が投射してみせるたその出発から、言語的存在である人間の意味を考えるようになっていた‬。映画は、近代が死よりも生を中心に考えるようには、死を遠ざけなかったのは、映画館のなかに死衣装であるスクリーンが配置されていたので、死後の問題を考えざるを得ない。この点について朱子を読んでおもうことは、映画は映画館と共に消滅しきってしまうのではなく、それを迎える生者達に帰ってくるというか。そうでなければ記憶することに意味がなくなってしまうではないか


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お肉とお魚、マスク、10万円、全部よこせ。3000億円はワクチン開発費、あとWHOへ



議会の近代は、王政から共和制へ移行する時代に起きてくることだが、誰が誰を代表しているのか曖昧になる。このことは指摘されることだが、フランス革命のこの時代のナショナリズムは、代表されていない人々の平等を推進する一定の役割をもっていた。現在のポピュリズムの問題は、政治風景が非常に狭くなること。どうしてそうなったのか?従来のやり方では平等化が十分に進まないと考えて危機感をもった左翼が70年代から戦略的に右側に接近した結果、だんだん差異がなくなってきた。と、気がついたら右側からすっかり巻きかえされていて、結局投票できる政党もなくなっているのが現在の有様である。安倍政治に顕著であるが、理念のある政治が棄てられてしまった。伝統と保守に仮装したナショナリズムのおぞましい声が権利のない社会をつくりあげるようにみえる


ハイデガーアインシュタインを語っていたのは、悟性の永遠の知に譲渡されたものを思想にとりかえしたいからで...それよりも、そのハイデガーも含めて、近代の知は人間と同時代でない起源の後退とか逆向きとの関係を語りはじめることになって、裂け目としての起源から、物との不可能な同一性をさがしている。17世紀の仁斎にとって顔回の死が契機となって問題となっていたのは仰ぎ見る天を最も卑近なものに関係づけること。人に根拠づけられる思想のあり方‬。仁斎は『論語』の読みを再構成することによって、言語的存在である人間にとっての存在の意味についての朱子の問いを発展させたのではないだろうか、存在から理念へと


‪安倍がやっているのは情報操作ばかりでしょう。不安を抑え込む情報操作にばかりに頭を使っていることがはっきりとわかってきたことが今回の問題です。その効果もあるみたいで、「日本はうまくやっている、自民党のおかげだ、政府のおかげだ」とか「野党は何もしない、桜問題に取り組んでいたからいけないのだ」とか、「成功している、いいことをしていることを認めなければならない。政府を批判するな」などと、何の疑問もなく喋る人が周りにあまりに多いのでこれは何だろうかと呆れますし怒りも覚えます。おそらくフランスの人々はマクロンに対する闘いを保ちながら、マクロンと共にウイルスと闘っているのでしょうが、比べると、この国は、安倍の何の解決をもたらさず現実を隠蔽する情報操作と、ウイルスにすらヘイトスピーチに利用しようとするなんと不毛なナショナリズムー安倍に同一化したいミクロの安倍たちが増殖しているーに翻弄されていないでしょうか‬


公害企業に対したときを思い出す。人の命を守りたいと皆思っているのになぜそれに無関心になるのか?小池も守りたいだろうが、同じ命ならば国の命を守るほうが絶対になるのでは?


現在は、外国語は頭から訳せ、順番を保てと言われるが、昔はそうではなかった。非常に長い和訳に訓点を付しレ点をふって原文を読む。本来は外国語(中国語)にやっていたのだけれど



推敲中

ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964)‬

国家の力は芸術作品をどれくらい所有しているかによるといわれるように、美術館は美術館以上の意味をもつこの問題提起は政治的なものである。しかし『離れ離れに』では政治が語る歴史への関心から遠ざかっていった。むしろ映画は、日常の人びとの間を遊戯的に構成する、映像の博物館的な沈黙と知覚される存在の流れへ行く。そこにこそどうしても語られなければならないものがある。映像の運動が為す視線が先行する。‬


山々の輪郭は大変美しいです。文学にすんでいるような美しさというのでしょうか。またわたしは人のほうもおもしろいのです。京都に行きますと、運転手の方やお坊さんが「応仁の乱」まで遡るでしょう。あれはアイルランド人が800年前まで遡るこだわりと共通しています。東京中心主義に巻かれたくない歴史感覚というのでしょうか。詳しく書けませんが、アイルランドでは自分たちは北の地中海人という自負があります。内藤湖南を勉強して「応仁の乱」の意味がだいぶわかってきました。明治維新の近代は権門体制の復活(天皇と寺社と貴族の支配体制に、下級武士と軍人と官僚が加わった)と理解できますが、明治維新に帰れという安倍政権の東京も権門体制に反抗する「応仁の乱」が必要です。京都は伊藤仁斎の古義堂がありました。修学旅行のとき、バスガイドの人が堀川の散歩のときここを強調しました。お父さんが大事なだと言っていました。たしかに、ここを訪ねてこそ、17世記アジアの知識革命が見渡せます。

わからんことを投稿したかもしれませんが、子安先生の講座で大岡昇平を読んだことがあります、このときの議論をおもいだしました。大岡昇平は『野火』をあんなにラディカルな懐疑精神で書いたのに、『レイテ戦記』では何か死者の魂を救うつもりで戦闘に意味があったことを明らかにしたいと言ってこれを書くのですね。局所的な戦いをみてもダメで、全体をみないとわからないというのです。これでは、明治維新の帰結であったレイテ島の悲惨を意味あるものとして語る国家祭祀の視野です。平成天皇の象徴性を超える統合性(象徴行為)に対しては警戒と危機感ではなく、最近出てきた「天皇抑止論」が共感をもって受け入れられている世論のことも考えると、どうも何か、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた日本知識人の古代から始まるのかもしれませんが、日本知識人の視点を規定する枠組みがみえちゃうのですね


自然に並べられてこのようにあるのかもしれませんが、『仁斎論語』と『言葉と物』のあいだに、溝口『中国の公と私』がみえてくるのがわたしには大変興味深いです。本の地層のような配置で隠されていたもの(?)がみえてきたり、考える必要のないと気がついたものが沈黙したりして、自分でも色々考えてみようとおもいます


言語は差異を住処とする。文学ージョイスベケットーは言語より高くあるいは低く行った。絵画は言語であり得る。イメージの傍らに存在している無から、ピカソは絶対の差異へ行く


「戦前」は二度あった。第二次世界大戦の前だけでなく、日露戦争の前を「戦前」と言っていた。

われわれが「戦後」と言っているのは実は、二度めのそれである。


‪私にとって、まだ芸術の力が存在し不可欠だとすれば、死に切った過去の世界が芸術によって蘇ること、その内在平面の差異から、現在の世は生きるに値しないと学ぶ反時代的精神にある‬


The modern reversal shares with the traditional hierarchy the assumption that the same central human preoccupation must prevail in all activities of men, since without one comprehensive principle no order could be established.  

ーHannah Arendt ‘ The human condition ‘


つまり、近代の転倒は、一つの包括的原理がなければいかなる秩序も不可能であるから、人間のすべての活動力には人間の同一かつ中心的な第一義的関心が支配しているにちがいないと仮定している点で、伝統的なヒエラルキーと同じである。

ハンナ・アーレント『人間の条件』2


多様体の内在平面は一つの包括的原理ではあり得ない。しかしポストモダンモダニズムへ行くと、帝国の構造を物語る柄谷行人のように、内在平面を一つの包括的原理で理解している


The coronavirus epidemics does not signal just the limit of the market globalization, it also signals the even more fatal limit of nationalist populism which insists on full state sovereignty: it’s over with “America (or whoever) first!” since America can be saved only through global coordination and collaboration. SLAVOJ ŽIŽEK




□「歴史的にみれば「オホヤケ」の対をなす語は「ワタクシ」ではなく「ヲヤケ」であった。「オホヤケ」とは大宅であり、「ヲヤケ」とは小宅の意である。「ワタクシ」が「オホヤケ」の対語となるのは、中国から律令制が継受され、「公私」の概念が輸入されて以降のことである。律令国家の誕生という事件は、「大」が「小」を包摂し、秩序づけていく過程でもあったが、実はこの「公私」の前史こそが、前近代日本における「公私」概念の基本的な用例を規定することとなり、中国の「公私」ともヨーロッパの public/private とも異なる分岐点をうみだすこととなった。日本における「私」が「公」と原理のうえで対立する概念とはなりえず、「公」に対する部分性、すなわち impartial/partial という語義で用いられるのはそのためである。なお中世の禅林社会では、やや例外的に、publicに近い「公議」「公論」「公挙」「公選」などの語が、「江湖〔ごうこ〕」の理念のもとに使用され、近世儒学においてはj ust/unjust の意で「公私」が用いられた」(日本思想史辞典[2009a:132])

□「日本史上、「公私〔おおやけわたくし〕」は概念的に対立していないことに特色がある。たとえば743年(天平15)の墾田永年私財法は、西欧近代型の私有財産の誕生、すなわち国家に介入されない私的自立の圏を誕生させたわけではない。それどころか同法は、律令法を通じて導入された中国型の「公私」観念が、既存の固有法的秩序に沿って再解釈されざるをえないことを示すものである。すなわち、中国から継受された律令によれば、「公」は官、「私」は民を表し、したがって人民に班給される口分田は「私田」であった。しかるに墾田永年私財法では、口分田こそが「公田」と再定義されるに至る。これは、天下の人民一般を「公民」とよぶ観念ともかかわり、その歴史は古く大宝律令以前にさかのぼるものであった。それゆえ、中国型の国家と社会の分離を前提とした「官」―「民」が、律令以前の「オホヤケ」―「ヲヤケ」の・・309 大小関係の読み替えとして登場したことは、日本の「公私」観に大きな特色をもたらすことになった。すなわち大小関係が相対的にありうるように、「公私」もまた相対的なものとして意識されざるをえなかったのである。先の墾田永年私財法を例にとれば、口分田は官有地ではないという意味において「私田」であるが、国家から班給されるという点において、墾田よりは「公田」である、というわけである。日本の「公私」観念は、国家と社会の分離ではなく癒着を前提とし、しかも社会をを入れ子状に包摂する形で国家を措定するのである」(日本思想史辞典[2009b:309-310])

□「かくて、相対的に相手より大きく、相手より筋目が正しいということが「公」であるこの世界は、古代から中世にかけて社会が多元化するにともなって、「時の公方」という語に象徴されるように、「公」の多元化という現象を招来した。すなわち、荘園領主もまた荘園という秩序の中では「公方」たりうるのであり、要は多元的(かつ時限的)に存在する三角形の秩序の、それぞれの頂点により近く立つものが「公」とされた。一方、南北朝の動乱にともなって社会の流動化が進むと、万人に開かれた西欧近代の public に近い、「江湖〔ごうこ〕」という概念が浮上する。中世の禅林には、「公議」「公論」「公挙」「公選」など、既存の「官」や「オホヤケ」とは異なった「公」の用例がみられるが、その究極の「公」こそが「江湖」であった。だが、中世後期に浮上した自治的共同体である惣村は、この「江湖」の思想とはまったく対蹠的なものであった。近江国今堀や菅浦の地下掟で「私」と対置されているのは、「公(official)」でも「江湖(public)」でもなく「惣(common)」であった。また伊勢国大湊のように「公界」とよばれる自治組織も、上位の公権力に対抗する下位の公権力(小さなofficial)としての「公」であるにすぎず、万人に開かれたpublicな「公」が全面展開することはなかった」(日本思想史辞典[2009b:310])



□「中国における公私は、社会秩序における支配・被支配や上下の関係というよりも、道徳的な対立の関係を表わす対概念である。「公」を肯定的なもの、「私」を否定的なものとしてとらえる価値評価は春秋戦国時代にまで遡る。『説文解字』において「公」が「平・・94 分」、「私」が「姦邪」として規定され、また『荀子』において、一方の「公平」「公正」と他方の「私欲」「曲私」が対比される。宋代以降の朱子学陽明学において、公私についての道徳的な評価はより鮮明になり、「天理の公」と「人欲の私」が鋭く対比される。「私」は道徳的秩序からの逸脱を意味し、それゆえ「私」を脱却することが望ましい当為規範とされる。明代半ば以降、私的な欲望の充足が肯定されるようになるとしても、それは、「公」の道徳的優位を覆すものではなかった。また、溝口雄三によれば、中国における伝統的な用法においては、「公」は、「つながりの公」、すなわち人々の間に自発的に形成される水平的な共同性を含意しており、閉鎖的・位階的な秩序には収斂しない開かれた関係性をも表しうる言葉である」(斎藤[2006:94-95])


溝口雄三によれば、中国における伝統的な用法においては、「公」は、「つながりの公」、すなわち人々の間に自発的に形成される水平的な共同性を含意しており、閉鎖的・位階的な秩序には収斂しない開かれた関係性をも表しうる言葉であるという。


「まず中国の公私の原義だか、詳しくは次節で再述するとして、ここではとりあえず戦国末から後漢にかけての資料の範囲でみてみると、ム(=私)について『韓非子』は自環すなわち自ら囲むの意、『説文解字』では姦邪の意としている。これに対する公は、(一)群として『韓非子』のいわゆる「ムに背く」すなわち囲いこみを開くの意であって、ここから衆人と共同するの共、衆人ともに通ずるの通、さらに私=自環の反義として説文解字では「公は平分なり」としている。一方、(二)群として、これは 『詩経』の用例からの類推だが、共から衆人の共同作業場・祭事場などを示す公宮・公堂、およびそれを支配する族長を公と称し、さらに統一国家成立後は君主や官府など支配機構にまつわる概念になった。」(溝口)


 一方、日本の公すなわちおおやけは大家・大宅で標記されるように大きい建物およびその所在地で、 オホヤケの枕詞が物多(ものさは)にとあることから古代的共同体における収穫物や貢納物の格納場所、さらにそれを支配する族長の祭・政上の支配機能をさす語であったと考えられる。律令国家の成立期に公という漢字が、天皇制支配機構に直接的にかかわるミヤケよりは、なお当時すでに古語化しつつあったオホヤケ概念と結びつけられたのは、オホヤケにまつわる古代共同体的な共のイメージが公の字の訓としてよりふさわしいと思われたからであろう。衆人とかかわる世間・表むきのことから、官・朝廷の諸事物に公の字があてられたのは、このおおやけの原義に由来するのであろうが、ただしここで注意されねばならないのは、オホヤケとして受容された公は、前述の(二)群の方にかたよっていて、(一)群の方はほとんど捨象されていたということである。つまり、おおやけの原義にはもともと(一)群の概念とくに通とか平分の部分は含まれていなかった。もともとおおやけは一応は共(軍事・祭事・農事などの共同性)を含みつつもなおその共を包摂する支配機能の方に概念の比重がかかっており、大和朝廷の政治イデオロギー上の要請からもその傾向はむしろ増幅された(平安期には公(おおやけ)は天皇個人を指す語にすらなった)。かつ当時かれらが導入した漢唐の文献は、先秦のそれに比べて、公については(二)群の方が優位であった、などの事情がそこには介在した。


「一見小さな差異だが、中国では(一)群の方は漢唐の間にも生きつづけ、さらに宋代に入ると天理・人欲概念と結びついてより深化し、特に近代に至ると、孫文の公理思想に展開するなど、ほとんど(一)群のみの、すなわち国家や政府を公とする日本の公とはまるで違う言葉のように差異が決定的となる。 ところがその差異が意外と明確にされないままきているので、明清以降の中国の公概念の展開をみるにあたって、そのことをあらかじめ念頭におく必要がある」(溝口)


「例えば秦の呂不韋が、「昔、先聖王が天下を治めるには、必ず公を先にした。公ならば天下は平らかであり、平は公より得られる。…天下を得る者は…公であることにより、天下を失するのは必ず偏であることによる。…天下は一人の天下ではなく、天下の天下である。…甘露時雨は一物に私(かたよ)らず、万民の主は一人に阿(かたよ)らない」(『呂氏春秋』貴公*1)と述べるときの公は偏私に対する公平であり、私の自環・姦邪に対する公の通・平分の義がここに生きているのがみられる。また漢代に編纂された『礼記』礼運篇の「大道が行われているとき、天下は公である(天下為公)」云々の有名な「大同」の個所は、 人々が自分の親族だけを大事にするのではなく、よるべなき老人・孤児や廢疾者を相互扶助し、あるいは余った財物や労働力を出し惜しみせず、要するに人々が「必ずしも己れのみに蔵(とりこ)まず」「必ずしも己れのみの為めにしない」、そういう共同互恵の社会を天下公の大同世界としてえがきだしているかにみえ*2、そのかぎりでこの公は平分の義を強くうちだしたものであるといえる」(溝口)


 しかし、にもかかわらず皇帝が支配者たりうるのは、タテマエであれ、共なり公平が期待されているからであり、それがなければ皇帝は単に天下をひとりじめする「独夫」「民賊」でしかないという 易姓革命の思想も背景にちゃんと流れているのであり、そのかぎりにおいては皇帝は一群がもつ公の倫理性から自由でありえない。これは日本の天皇が無条件かつ無媒介におおやけそのものであるのとは、やはり非常に違う。


「この倫理性の有無というのが、両者の差異をきわだたせる特徴の一つで、中国の公私が、特に(一)群については、公正に対する偏邪という正・不正の倫理性をもつのに対し、おおやけ対わたくしの方は それ自体としては、あらわに対するしのび、おもてむきに対するうちむき、官事・官人に対する私事・私人、あるいは近代に入って国家・社会・全体に対する個人・個というように、何ら倫理性をもっていない。公私のからみや対立はあっても、往々それは義理人情に擬せられうるもので、決して善・悪や正・不正レベルの対立ではない。強いて倫理性があるとすれば、おおやけのためにすることが支配の側からあるいは全体の意思として規範づけられる場合においてであり、その場合その支配者なり全体の意志の善・悪、止・不正は全く問題にならない。したがってかりにそれを倫理とよぶとしてもそれは所属する集団内部を紐帯するだけの閉鎖的なもので、むしろ対外的には当該集団の 私に従属することさえあり、公平なら公平の原理がもつ内外貫通の均一性・普遍性はみあたらない。」(溝口)


溝口の「公と私」は官僚資本主義の成立と共にある構造主義的思考で、所有権の特殊日本的曖昧に対抗する明確なイメージ。思考にもとづく思考不可能なもの(「天下的公」)を追い遣る?


鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?

鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?


安倍応援団の日本会議の問題は、どういう国にしたいのかという理念性を拒否している点にあると思うのです。残念ながら思ったほどには左翼からも声がきこえません。ヨーロッパ諸国は戦後、平等と多様性を重んじてきました。権利のない社会に反対してきました。「鎖国」をして非常事態体制でも権利のある社会を壊しているようにみえないのです、個人に補償をしています。市場至上主義も停止です。平等を重んじつつ、文化多元主義を保とうとしています。ところが安倍日本は、非常事態宣言もしていないのに、どんどん権利のない社会を作っている感じです。ウイルスとの闘いなのに、まるで権利に対する闘い(権利を抑圧する)をやっています。多様性を破壊しています。また平等に関しては、多国籍企業を規制するためには、一国主義ではやっていけなくなってきた、グローバルデモクラシーの時代にいかにやっていくかについての理念が要請されています(本来「要請」はこんな意味ではないでしょうか。) 現在はやむを得ない鎖国となりそうですが、実は日本は鎖国がはじめての経験ではありません。近代からは悪い評価しかきかれませんが、鎖国の時代に学問と教育と文化が開花したのです。識字率はヨーロッパよりも高かったのです。鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?人びとは学んだのです。ウイルスの問題が解決したときに、国をどう開いていくかを考えて準備するときです。現在のように五輪ばかりにとらわれていたのではそれこそ本当に「鎖国」‪の自国中心主義に陥ってしまいます。

劇評; 東京演劇アンサンブル公演『揺れる』


揺れる』(マリア・ミリサヴリエヴィッチ作)は、ベルリンの壁の崩壊後の現代をえがいている戯曲である。<わたしたち。誰でも。何人でも>というト書きは思考を揺さぶる事件だ。これは、戯曲のコスモス(ロゴス)が、反コスモス(わたしたち。誰でも。何人でも)を利用して自らをグローバルに再構成しようとしているようだ。『揺れる』が呈示するカオスはなにか?‪『揺れる』は、なんでもかんでもカネがモノをいう社会に対するネガテイヴな明確なイメージをもっている。回路づけられた欲望の知覚し得ぬ極限に、隅々まで情報の客体となった身体の深い孤立がもたらす痛さこそがカオスである。これにたいして、マリア・ミリサヴリエヴィッチと東京演劇アンサンブルの舞台はウイリアム・ブレイクの想像力を導入する。舞台をみる。舞台に抱擁されているのは想像力。演出家の公家義徳氏の舞台は想像力の舞台からラディカルに問う。演劇は世界とともに、奪回した視線の肉体を以って、外の思考の領域へと逃げることが可能かと。引きこもりの箱たち?私と私のなかの汝の下に、微かに呟き続ける即自的に影のように私につきまとう身体が呟き続ける。そうして世界は根拠が与えられ、世界は突然、希望の無限の広がりを自分のものにしていくプロセスを想像できた。2020年という年に、『揺れる』の舞台をみることの意味は何か。全世界が音楽、演劇、映画、美術館をたずねる能力を失った現在、それらの真の価値を真剣に考えはじめることになった。演劇とはなにか?演劇とは、泣くこと、思いだすこと、笑うこと、考えること、学ぶこと、受け入れること、そして揺れるー揺らされるのなかで想像すること


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MEMO

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『揺れる』(マリア・ミリサヴリエヴィッチ作、公家義徳演出、東京演劇アンサンブル公演)を観劇すると、演劇は二つの真実がある。肉体を通して次第に素描され形成され均衡し明らかにされていく歴史の真実から揺れる、両義的であり続ける言説の真実が存在する。問題となっているのはこの揺れである。同一の空間(舞台上)に、解放の物語を教える過去への不安から外へ逃げるふりをした80年代の言説。これが、未来への不安から外へ逃げるふりをする現在の言説と、互いに惹き合う。‪舞台の空間は自ら折り重なる余白をもっている。この余白から何を学ぶのか?‬ ‪もうやっていけなくなった後期近代の行き詰まりにたいして、‬リアルに、われわれは外へ出るためには言説とのたたかいのなかにいるー確立した物の見方の中でそれとは異なる新しい物の見方が問われる

(下は舞台のスケッチ。舞台は速度のヴァリエーションがある)


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If everything on earth were rational, nothing would never happen. 

- Fiodor Dostoievski


なるほど、「不要不急」 はunessentialですか。国家にとって何がなんでもやりたかったオリンピックは内部の中心のようですが、音楽、演劇、映画、美術館は外部にあるような「不要不急」...


エクリチュールの神は医術の神である。この場合、「医術」とは、学であると同時に秘薬でもある。治療薬にして毒。エクリチュールの神はパルマコンの神である。(『散種』)


読むことは、さしあたり、書くことの後に来る行為である。それは、より慎しみ深く、より洗練された、より知的な行為なのである。ーボルヘス


小学校の正門近くに高木ブーさん家があって時々顔を出していたので毎週土曜日にドリフターズをみていたけれど、彼らは大人に人気があった。加藤茶チャップリンで、新しく現れた志村がバスターキートンに対応させていたわたしの親たちの世代は、現在は考えられないが、サイレント映画が記憶の卑近にあった。ドリフのコントはあまり分からず、最後の数秒間の建物(舞台)の崩壊するカタストロフィーからみんな逃げ出すように退場したのをぼんやり見た。キートンについてだけれど、アメリカ人と喋ったことがあるが、キートンの映画を通じてアメリカの風景を発見できる。キートンはいつも勇敢でイノセントなキャラだった。‪アメリカの開拓を伝える。‬風景は崩壊後の自失唖然と共に成立する。モダニズムの創造と絶えざる解体の形象?彼は声が悪くてトーキーの時代に人気を失ってしまう。ベケットは映画を作ったときキートンを導入したが、「最後の貢献」などと‪<父として>‬オイデプス的に道徳化されることはなかった。



志村の死もダイアナのときのようなギリシャ悲劇みたいな偶然の死だが、なんとしても理由がなければならない。「最後の貢献」とか?なんの理由もないからこそいよいよ悲劇的となる


‪le livre n’est pas image du monde, suivant une croyance enracinée. Il fait rhizome avec le monde, il y a évolution apparellè du livre et du monde, le livre assure la déterritorialisation du monde, mais le monde opère une reterritorialisation du livre, qui se déterritorialise à son tour en dans le monde ( s’il en est capable et s’il le peut) ーD=G‬


本は、根強く信じられているように、世界のイマージュなのではない。本は世界とともにリゾームになる。本と世界との非平行的進化というものがあるのだ。本は世界の脱領土化を確かなものにする。けれども世界は本の再領土化を行ない、今度はその本がそれ自体として世界の中でみずからを脱領土化する…。ーD=G


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•「生きた精神」が生き続けなければならないのは「死んだ文字」の中においてである。そして「生きた精神」を死から救い出すことができるのは、それを進んで蘇らせようとする一つの生命と再び接触するときだけである。ーハンナ・アーレント『人間の条件』23


‪It is always the “dead letter”in which “living sprit” must survive, a deadness from which it can be rescued only when the dead letter comes again into contact with a life willing to resurrect it, although this resurrection of the dead shares with all living things that it, too, will die again. ‬


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 居酒屋「講座」でしたか(笑)。梶野さんのような方に聞いていただく内容のあるお話だったか疑わしいですが、アイルランドの話に興味をもっていただきまして感謝申し上げます。たしかベケットと画家ベーコンのお話ですね。彼らは支配者層(10パーセントの地主階級)に属していたが、彼らの芸術に、アイルランド独立のときにプロテスタントの没落していった子供時代の経験が反映されていたのではないかという話でしたかね。永遠と言われても、来る人がいなくなった教会も売りに出されます。ただ「独立」もわたしが想像していたよりもはるかに複雑なものです。また現在それを考えることは自己言及的でもあります(“アイルランドは語る”は’アイルランド’を意味するというか)。独立後、従属が深まるのですね。まずアイルランドはヨーロッパのなかで植民地化された唯一の国です。こういうのは英仏独伊にいたのではわかりにくいのですが、ヨーロッパは非ヨーロッパを植民地化しただけではなく、実は自らも植民地化したのです。またアイルランドは政治は独立したが経済が自立できないアジア・アフリカ第3世界の代表選手です。ジョイス文学はモダニズムの勝利を記念した作品ですが、植民地を持たぬ近代というのはゼロでしかないことを暴露した本でもあります。現代アイルランドは、文学と演劇は70年代の「血の日曜日事件」と呼ばれる地域紛争をどうとらえるかが中心的課題です。演劇は再び世界に発信できた80年代が黄金時代でした。わたしが行ったのは90年代ですが、この時代は非常に優れた批評が出ました。’Inventing Ireland’(Kaibard)という本では、いかにイギリスがアイルランドを発明したかを分析した本です。アイルランドの「独立」は、明治維新と比べることができるような、クーデターによる独立が実現した独立でした。銃による政治はずっと続くのです。サイードが関心をもっていた、アイルランドの自立を考えているのですが、子安先生がいう「グローバルデモクラシー」に近いコンセプトではないかと思っています。これはアイルランドにいてはわかりにくいのですが、アジアから考えるとみえてくるものがあるようにおもいます。先生が外部から近代日本を批判的にみるというとき台湾から考えることなのですが、講演のとき先生が連れて行ってくれました。わたしにとって、台湾はアジアのアイルランドに対応しています。沢山の国に支配されてきたのでアイデンテイテイーに穴を開けるものがいっぱいあるのですね。この人生、残りは、くたばるまで、地球の視点で考えて行こうか、と、こんなこともやっと最近わかってきました。‬


現在「グローバルデモクラシー」を考えることは自己言及的であります(“ グローバルデモクラシーは語る”は’ グローバルデモクラシー’を意味するというのは、「グローバルデモクラシー」が開かれた問題だからです。We とかIという主語を以て語るとうまくいかないのは、「グローバルデモクラシー」について語っているからではないか?「グローバルデモクラシー」を語るためには、「グローバルデモクラシー」を逃がさなければいけないというか


「不条理が、列挙された物の分けられる場所である<なかで>を不可能にすることによって、列挙をささえる<と>を崩壊させてしまう。」このフーコの方法論を幕末の徳川日本に適用したらどんなことがいえるか?近代知<なかで>に絡みとられずに、<or>としての<と>を崩壊させてみたら、たとえば、幕末の神学と経済政策が出会う冒険が可能となるんじゃないか。<and>としての<と>に、言語が集中している


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お金ならあることはあります。五輪を主催することができるのですから。しかし五輪のリスクはお金がそれに吸収されて必要な所にまわらなくなることでした。現在は延長のための経済負担やコスト調整ですね、ここに吸収される金が大学生全員のネット環境のために平等にあてられないのですね。大学生はそれでも自分たちで勉強しなければいけないですが、子供たちに学ぶためのネット環境が必要です。一斉休校にしても学ぶ機会がありそれが平等であることがほんとうですが、残念ながら、教育勅語の国は学校(国のために教える)の体制しかないので、自発的に学ぶことを助ける発想がありません、そういわれても仕方ないでしょう


大御心


マスク二枚の


令和奴婢



1、意外と、中国史(フランスの学者が書いた)を面白く読める。インドとイスラムからの影響を考えながら思想史の背景を追う。国際化とナショナリズムが交代する反復に興味をもつ。夷狄(われわれは東夷だ)を文明に対する野蛮として記すヨーロッパの歴史の見方に拠っている知のあり方を思うが、世界システム論のない中国は存在しない。思い返すと、ロンドン時代にnew left review誌に掲載されたポストモダン論客の論文を何の知識もなく読んだが、東京に戻ってきたとき、柄谷行人を勉強した自分の物の見方が転倒するような感じで、彼らと共にある柄谷を批判しなければならなくなった(どちらがどちらに影響を与えているかわからないが)。天安門広場事件を考える。劉暁波を読む。そして子安先生のおかげで台湾を発見した。帝国か民主か?中国の思想史を形成する対立する言説の中に生きている。21世紀は東アジアにいきなり出現した大き過ぎる他者である中国の圧倒的存在感に揺れているが、揺らされる世界はどこに向かっているのかそわからないままである。

2、西欧が読み解く中国の”ルネッサンス”で意味されるものはなにか?ヨーロッパのルネッサンスを考えたのはヨーロッパの端っこに位置しているアイルランドにおいてである。もう少し詳しく概念的に書くと、ポストコロニアル世界においてである。

3、ポストコロニアル世界の研究の対象は、政治の独立はあったが経済の独立がない国々の経験である。アイルランドはこのポストコロニアル世界に属する。少しアイルランドのことに触れると、フランスからみると、イースター蜂起はアイルランドにおけるパリコミューンとしてとらえる見方もあって、何にしてもフランス革命後の政教分離の危機のどこかの段階にまだあるらしい。アイルランドのなかでは自分達はフランス革命が必要だという意見がある。否、500年前のルネッサンスが必要だという声もある。興味深いのは、500年前といわれている彼らの思い描くルネッサンスから18世紀フランス革命まで300年間かかっているという点である。つまり都市の自治とともにあったルネッサンスの成立はまだ、個人の政治的自由を意味する民主化ではなかったということは世界史で教わるが、とにかくヨーロッパの民主主義はルネッサンスから500年を要したといえる。このことを考えると、アジアの民主化は150年とか30年でやっている。非常に圧縮された時間の中で、全体主義民主化と考えたり、民主化全体主義と考えることが起きる。(ヨーロッパのドイツですらフランス革命後の150年の経験をワイマールに集中させた結果、全体主義民主化と考えたり、民主化全体主義と考えることが起きたかもしれない。)

4、未来を考える。アジアのグローバルデモクラシーはどんな世界だろうか。ポストコロニアル世界と比べたらどんなことが言えるか?経済の従属はないかもしれないが、しかし問題は平等を実現しているかである。平等に関する最高の原理アジアにあることはあったが、ヨーロッパのようにそれを実現する方法がなかった。しかしヨーロッパの平等は帝国主義に絡みとられてしまうことが問題であった。アジアのグローバルデモクラシーは、われわれはフランス革命が必要だったとか、ルネッサンスが必要なのだという声がでてくるのだろうか。ルネッサンスの存在を表象するためには、朱子の時代にみることができるアジアのルネッサンスを考える必要があるということか。フーコが明らかにしているようにヨーロッパのルネッサンスバベルの塔の災厄からの言語の回復だったとすれば、子安先生が問題提起しているのはアジアのルネッサンス朱子学における四書の新しい普遍主義の再構成である。アジアのルネッサンス漢字文化圏において、ヨーロッパのルネッサンスと同様に、コスモポリタンが生じてくると考えていいのか。そこで成り立ってくる平等の観念があっただろうが、しかしこれを以ってアジアはヨーロッパよりも先にデモクラシーの近代があったと考えることができるか?中国における平等の観念はヨーロッパのように市民が考えたのではなく、士大夫が考えたのであるから。それは、皇帝と民との間の貴族が官僚となっていく時代で、民と直にむすびついて大きな権力をもつ皇帝のもとに臣下(官僚)は平等であるというような理念である。これを民主主義の思想であるとはいえるだろうか?

5、グローバルデモクラシーを考えるために、アジアにおけるコスモポリタンとは何かを考える。ここから、アジアにおけるコスモポリタンとは何かをポストモダン的に、地域的に考えるとき、江戸思想として展開した思想史を考えることになるとおもわれる。江戸思想は多様性の方向をもつが、天下の公(国家を越える宇宙)を考える思想が出てくる。そして西欧(縦軸)とアジア(横軸)を逃してやる斜線としての東洋とは何かを考えていくことが可能である。アジアのグローバルデモクラシーにとって障害となるのはナショナリズムフランス革命の時代はナショナリズムは平等を実現する運動としての役割をもっていたが、今日の後期近代におけるナショナリズムにそのような役割があるのか疑わしいと言わざるを得ない。今日のナショナリズムは縦軸(一国民主主義)と横軸(自立的一言語主義(国語))から構成されるとしたら、グローバルデモクラシーは縦軸と横軸から解放されたフレームのなかの斜線をなすものであると思う。このフレームは江戸思想が形作るか。江戸思想は明治維新の近代を批判的に相対化する視点をもっているからである。



意外と、中国史(フランスの学者が書いた)を面白く読める。インドとイスラムからの影響を考えながら思想史の背景を追う。国際化とナショナリズムが交代する反復に興味をもつ。夷狄(われわれは東夷だ)を文明に対する野蛮として記すヨーロッパの歴史の見方に拠っている知のあり方を思うが、世界システム論のない中国は存在しない。思い返すと、ロンドン時代にnew left review誌に掲載されたポストモダン論客の論文を何の知識もなく読んだが、東京に戻ってきたとき、柄谷行人を勉強した自分の物の見方が転倒するような感じで、彼らと共にある柄谷を批判しなければならなくなった(どちらがどちらに影響を与えているかわからないが)。天安門広場事件を考える。劉暁波を読む。そして台湾を発見した。中国の思想史を形成する対立する言説の中に生きている。21世紀は東アジアにいきなり出現した大き過ぎる他者である中国の圧倒的存在感に揺れているが、揺らされる世界はどこに向かっているのかそれほどわからない。


ポストコロニアル世界の研究の対象は、政治の独立はあったが経済の独立がない国々の経験です。たとえばアイルランドポストコロニアル世界に属します。フランスからみると、イースター蜂起はアイルランドにおけるパリコミューンとしてとらえる見方もありますが、何にしてもフランス革命後の政教分離の危機のどこかの段階にまだあるのですね。アイルランドのなかでは自分達はフランス革命が必要だという意見があります。否、500年前のルネッサンスが必要だという声もあります。どのアイルランド像が本当か?これについては、アイルランドをどこからみるかの物の見方の違いであってどの見方も正しいのだろうと思います。ここで興味深いのは、500年前といわれている彼らの思い描くルネッサンスから18世紀フランス革命まで300年間かかっているという点です。つまり都市の自治とともにあったルネッサンスの成立はまだ、個人の政治的自由を意味する民主化ではなかったということですが、これが単純に、ヨーロッパの民主主義はルネッサンスから500年を要したという意味です。

さて、アジアのグローバルデモクラシーはどんな世界でしょうか?それは、ポストコロニアル世界と比べると、経済の従属はないかもしてません。しかし政治の独立はどうでしょうか。平等を実現しているでしょうか?平等に関する最高の原理アジアにあることはあったが、ヨーロッパのようにそれを実現する方法がありませんでした。だけれどヨーロッパの平等は帝国主義に絡みとられてしまいます。アジアのグローバルデモクラシーは、われわれはフランス革命が必要だったとか、ルネッサンスが必要なのだという声がでてくるでしょう。ルネッサンスの存在を表象するためには、朱子の時代にみることができるアジアのルネッサンスを考える必要があります。ヨーロッパのルネッサンスバベルの塔の災厄からの言語の回復だったとすれば、アジアのルネッサンス朱子学における四書の新しい普遍主義の再構成なのです。アジアのルネッサンス漢字文化圏において、ヨーロッパのルネッサンスと同様に、コスモポリタンが生じてくるのです。そこで成り立ってくる平等の観念がありました。しかしこれを以ってアジアはヨーロッパよりも先にデモクラシーの近代があったと考えることができるでしょうか?平等はヨーロッパのように市民が考えたのではなく、士大夫が考えたのです。それは、皇帝と民との間の貴族が官僚となっていく時代で、民と直にむすびついて大きな権力をもつ皇帝のもとに臣下(官僚)は平等であるというような理念です。これを民主主義の思想であるとはいえるでしょうか?

整理しますと、グローバルデモクラシーを考えるために、アジアにおけるコスモポリタンとは何かを考えています。ここから、アジアにおけるコスモポリタンとは何かをポストモダン的に、地域的に考えるとき、江戸思想として展開した思想史を考えることになるでしょう。江戸思想は多様性の方向をもつのですが、天下の公(国家を越える宇宙)を考える思想が出てきます。そして西欧(縦軸)とアジア(横軸)を逃してやる斜線としての東洋とは何かを考えていくことができます。アジアのグローバルデモクラシーにとって障害となるのはナショナリズムです。フランス革命の時代はナショナリズムは平等を実現する運動としての役割をもっていたが、今日の後期近代におけるナショナリズムにそのような役割があるのか疑わしいと言わざるをえません。今日のナショナリズムは縦軸(一国民主主義)と横軸(自立的一言語主義(国語))から構成されるとしたら、グローバルデモクラシーは縦軸と横軸から解放されたフレームのなかの斜線をなすものであると思います。このフレームは江戸思想が形作ります。江戸思想は明治維新の近代を批判的に相対化する視点をもっているからです。‬


領土性と脱領土性のあいだにある両義性は、<生まれ故郷>のもつ両義性と同じものである。(…)<生まれ故郷>は外にあるのだ。――(中)p349


寸劇布マスク

犬「安心だけの布マスクはいりません」

安倍「君達どうした?別に、”ありがとう、ご主人様“って言わなくてもいいんだから」

犬「犬だから自由に吠えたいんだ!」


鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?


安倍応援団の日本会議の問題は、どういう国にしたいのかという理念性を拒否している点にあると思うのです。残念ながら思ったほどには左翼からも声がきこえません。ヨーロッパ諸国は戦後、平等と多様性を重んじてきました。権利のない社会に反対してきました。「鎖国」をして非常事態体制でも権利のある社会を壊しているようにみえないのです、個人に補償をしています。市場至上主義も停止です。平等を重んじつつ、文化多元主義を保とうとしています。ところが安倍日本は、非常事態宣言もしていないのに、どんどん権利のない社会を作っている感じです。ウイルスとの闘いなのに、まるで権利に対する闘い(権利を抑圧する)をやっています。多様性を破壊しています。また平等に関しては、多国籍企業を規制するためには、一国主義ではやっていけなくなってきた、グローバルデモクラシーの時代にいかにやっていくかについての理念が要請されています(本来「要請」はこんな意味ではないでしょうか。) 現在はやむを得ない鎖国となりそうですが、実は日本は鎖国がはじめての経験ではありません。近代からは悪い評価しかきかれませんが、鎖国の時代に学問と教育と文化が開花したのです。識字率はヨーロッパよりも高かったのです。鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?人びとは学んだのです。ウイルスの問題が解決したときに、国をどう開いていくかを考えて準備するときです。五輪ばかりにとらわれていたのではそれこそ本当に「鎖国」の‪自国中心主義に陥ってしまいます。


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軍国主義解釈改憲的復活。日本が依拠できるのは何も無い。国家祭祀の禁止だけだ。ブレイク詩と『ユリシーズ』(ジョイス)が私の中に反復してとらえて離さない理由は、それらが国家祭祀からの断絶を以って行う出発を書いた文学だからである


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puppet strings ー up in the air and down




平気で安倍は「公金を使って助成するのはふさわしくない人びと」と差別していますが、「おまえは公職につくのが相応しくない戦争犯罪人の孫」と言われたらどうなのでしょうか?


フーコ『言葉と物』がウィリアム・ブレイクに言及しているとおもわれる一文。こういうことです。


「我々にしか属さず、認識することによって世界の真実を我々に開いてくれる、有限性に自分自身が繋がれていると信じている我々は、我々自身、虎の背にくくりつけられているということを思い出さなければならないのではなかろうか?」


Ought we not to remind ourselvesーwe believe ourselves bound to a finitude which belongs only to us, and which opens up the truth of the world to us by means our cognition ーought we no to remind ourselves that we are bound to the back of a tiger ?

ー Foucault


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‪「我々にしか属さず、認識することによって世界の真実を我々に開いてくれる、有限性に自分自身が繋がれていると信じている我々は、我々自身、虎の背にくくりつけられているということを思い出さなければならないのではなかろうか?」(フーコ『言葉と物』渡辺一民訳)‬


‪「有限」と「有限性」との差異についてですが、「有限」を理解することは特に難しいことではないですが、有限「性」はなにかグッとくる言葉ですね。形而上学的何かがはたらくからだとおもいます。la finitude, フランス思想を受容しているアメリカ人が読む英訳ではa finitude としているようですが、「有限性」の語は、文法ではとらえきれない沈黙のなかに、思想を与える枠組み(根拠を根拠づける)の痕跡をもっているとおもいます。わたしが子安先生のもとで江戸思想を勉強しはじめたときでしたが、渡辺氏は「フーコも、演劇も、明治維新の近代に負うている」と言ってきたことがありました。たしかにそうで、明治以降の翻訳語の創造なくして一文も読めないのですが、西欧の形而上学のかわりに、忘却されまた抑圧されたアジア(朱子学的)の形而上学が、漢字(「性」)によって存在感をもって現れてくるのは何だろうかとおもっています。‬


本文で言われていることはなにかについてですが、まずおさえておきたいことは、一度確立された支配的な物の見方のなかでそれとは異なる物の見方をつくるのは非常に困難であるという点です。思想史的風景を与えておきますと、バベルの災厄以降、課題となったのは秩序をとりかえすことでした。それにこたえる形で、表象の物の見方が確立されていきます。そして表象とは異なる認識という物の見方をつくったカント。(それほど違っていたか?)。そしてカント以降の人間学的眠りを差異化したのがニーチェの思想。(ここではブレイクの虎をおもいえがいているようですが)。簡単な整理ですいません。これらと対応する形で、古代における四書(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)の読みを根本的にかえた宋代の朱子から展開した近世の仁斎(“ポストモダン孔子”のデビュー)、仁斎の言説を差異化していった、徂徠の”一番弟子”である宣長の物の見方を考えます。




金メダル ドイツ

銀メダル 韓国

銅メダル 台湾


頑張って賞 イタリア

言うことをきかない賞 フランス

ピークを過ぎたで賞 スペイン

政府が感染したで賞 イギリス

大統領がマスクするつもりない賞 米国


敗北した国 日本


(中国は情報が無い)


小島

呂大圭と同じく、元に投降するのを潔しとせずに死を選んだ人物として、文天祥がいる。彼は状元(科挙主席合格者)として宮界のエリートだったが、権臣賈似道(かじどう)に楯突いて地方に出されていた。臨安(抗州)に危機が迫ると呼び戻されて宰相となり、元との交渉にあたる。宋政府は無血開城天無条件降伏の道を選んだが、彼自身はレジスタンス運動に身を投じ、捕えられて大都(北京)に護送される。元世宗(クビライ)から臣従するように説得されたが応ぜず、刑死した。
彼の「正気歌」は朱子学の世界観にもとづいて、天地の正気が艱難時の英雄たちの行為として現れることを、いくつもの事例を列記して述べ、三網・道義の前には生死は論ずるに足りないとして、自分が宋への忠節を貫いて死ぬ覚悟を詠った詩である。尊皇攘夷という文言が登場するわけではないのだが、後世、宋の皇帝の忠節を尊皇、元に屈服しなかったことを攘夷として解釈されるようになる。

東湖の詩は文天祥を模倣して書かれているのだから当然であるが、二つの詩は同じ構成を採る。、すなわち、冒頭で理気論による世界像を展開し、人間もその一部であることが示される。そして、正気がはたらいた事例として古今の人物の事績が語られ、自分をその系譜に位置づける。終盤では自分の置かれている不遇な状況を描写し、しかしなお正気をはたらかすことであるべき生を遂げる決意が表明される。人生は倫理的価値を実現するため、すなわち天地の道理に適うことのためにあった。正気は個々人の生命を超えてつながっており、それゆえ尊重されねばならない。
私たちは何のために生きるのか。この古今東西つねに問われてきた倫理的設問に対して、「正気歌」は明快な回答を与えている。生命それ自体よりも高次の価値として尊皇攘夷という理念があり、しかもそれは人為的な約束事ではなく天地自然の道理だとする見解である。私たちの生命は天地から(父母を通して)賦与されたのだから、道理のためにはみずから進んで提供しなければならない。これが彼らの実践倫理であり、そのようにして生命を捧げた場合、「英霊」として天地の正気に溶け込むことができると思念された。作者の文天祥藤田東湖がこうした生を実践したこともあって、この生き方が規範として敬仰され、多くの「英霊」を生み出すことになった。



Wiki


皇帝祭祀(こうていさいし)とは、中国皇帝が執り行った国家祭祀。中国の皇帝は皇帝祭祀を行うことにより、祭祀王権としての側面も持った。


皇帝祭祀の起源については諸説があるが、今日一般的と思われる説明に従えば、などで行われていた自然神に対する祭祀である社禝と、で行われていた祖先神に対する祭祀である宗廟を合わせたものである。


緊急事態宣言のまえに、この男はなにをやりたいのか何を言っているのかわからない安倍の説明に対する緊急事態宣言


緊急事態宣言は補償で人間扱いしてくれるが、それでも人口に還元される怖さはあります。戦争メタファーが流通する、日本新自由主義国家の緊急事態宣言という名の自粛のもとでは、否応なく、人口という空間に自身を監視し尽くす透明な網目が成り立ち、そこでは、一人一人が隅々まで監視されていた権利(?)すら持てなくなるのかしらとおもいます


新聞の大見出しは、「表層批評宣言」か!目をこすったら、なんだ、「緊急事態宣言」かよ..



‪「さしあたりまったく確実なこととしてわれわれの知っている唯一の事柄といえば、西欧文化のなかで、人間の存在と言語の存在が、共存して互いに連接しあうことはけっしてできなかったという一事にほかならぬ。二つのもののこの非両立性こそ、われわれの思考の基本的特質のひとつであった。」

ーフーコ『言葉と物』‬(渡辺一民訳)‬


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The only thing we know at the moment, in all certainty, is that in Western culture the being of man and the being of language have never, at any time, been able to coexist and to articulate themselves on upon the other. Their in compatibility has been one of the fundamental features of our thought. ーFoucault



MEMO 


帝国は二つある。ローマ帝国のように自身を含んだ帝国のあり方(しかしローマ帝国漢帝国はそれぞれ自己の起源を語るが世界帝国の分割に過ぎない)。大英帝国がとるのは世界帝国との境界を生かすことによって成立す帝国のあり方。問題は、文明と世界帝国の関係。(文明の言説と世界帝国の言説の関係も含む)。


1、周辺の野蛮を統合していく文明と世界帝国の言説(例、ギリシャは周辺の野蛮を同一化していく。ローマによって世界帝国が成立する。『ユリシーズ』は文明的に自ら構成した多様性と戯れる世界帝国的な(?)本。)

2、帝国におけるコスモポリタニズムの言説。(漢字文化圏における朱子学的普遍。江戸思想は野蛮(東夷)による普遍主義の脱構築的解体。<一>に還元されない<

多>のあり方。)

3、言説<アジアは一つ>。(中国は世界帝国であり続けた。文明は、ヨーロッパ文明のようには断片的にならなかった。岡倉は中国美術ではなくあえて日本を拠点としたアジアの美術を考える。日本は世界帝国ではないが、境界にすべての文化が共存すると考えてみる)

4、近代の超克を語る言説。(明治維新の近代の失敗。中国の民主化がなければ日本の民主化がないし、日本の民主化がなければ中国の民主化がない。しかし日本が帝国主義化することによって二つの間に互いを必要とする関係がなくなってしまう

5、帝国か民主かを問う思想(帝国はグローバル資本主義の分割。帝国は共存する。またナショナリズムと共存する。ナショナリズムは音声中心主義のラディカルモダニズムが推し進める自立的一言語主義と一国民主主義である。それに対して多様性とエクリチュールを不可避の他者として重視する方向。)


文明を考えるときに日本史で考えてしまう問題。世界帝国を考えるときは古代に遡る民族的世界史を見渡す必要があるが、1870年以降の民主主義をその世界史で教えることは間違い


コロナウイルスの詩


王冠のホームレス

わたしこそ、人間との関係においては他者

問題は、存在ではなく、犬達に吠えられる伝達であり、

人間ではなく、それが構成した距離から

自ら離れる二重化であり、

本源的誤認の可能性ではなく豚がやる隠蔽のやってる感である。

問題は、

明晰な哲学的意識のうちへの、人間が自己を認知することのないあの根拠づけられぬ諸経験の領域全体の奪回ではなく、

資本主義を再び効率よくはじめる人口の配置である



La tigritude est un concept inventé par l'écrivain nigérian Wole Soyinka, en réponse à la pensée développée autour de la négritude, notamment par Léopold Sédar Senghor et Aimé Césaire.


• Wole Soyinka said: "A tiger does not proclaim his tigritude, he pounces". In other words: a tiger does not stand in the forest and say: "I am a tiger". When you pass where the tiger has walked before, you see the skeleton of the duiker, you know that some tigritude has been emanated there. 

Wiki



社会学者がウイルス感染に取り組む人類の視点を指摘しておきながら、「運命共同体」というようでは、日本知識人は死者を弔う天皇の見方からしか世の中をみれないのかと違和感あり


その哲学者は、新自由主義が社会を置き去りにしたと指摘しながら、金融よりももっと健康と環境の役割を大きくせよと言えず、自国中心主義に行かぬドイツと韓国と台湾の評価もなく、民主主義における透明性も気にしていない。日本における「全体の調和」を言うならば、国家中心主義に戻る全体主義なの?



‪おばあちゃん(ローズ)が海の底にブローチを落としてやる。ジャックとの過去が蘇る場面。多分もっと遡る。人間が存在しない時間まで遡る過去を考えること。そうして理解できない時間の厚さに人間というものが現れるようだ。これは近代のイメージだ。映画は舟で社会をあらわしていた。映画は悪くないが、冒頭にベルファーストの搾取されていたプロテスタント系造船労働者達が「この舟は沈め!」と呪いの釘を打っていた映像があるべきだった。近代というのは自分が作ったものから追放される時代である。映画の中で描かれるように乗組員はスコットランド人だろう。だから救出のときは平等に扱ったといわれる。しかしみんなが脱出するためにはボートの数が少なかったー経費削減が悲劇を生んだ。「タイタニック号の船長」は映画の中ではかれなりに責任を取っている‬。「最悪のときに責任を取ればいいというものではない」とは言わなかった。アベ日本は最悪の映画に違いない



『江戸思想史講義』は、ネットで感想文ー特に馬淵と宣長に焦点をおいたーを書かれていた方の文を読まさせていただいたのですが、参考になった点も多々ありますが、丸山眞男『日本政治思想史研究」からの影響から自由でない感じもします。『江戸思想史講義』、この本についてまず言わなければならないことは、エッセンスは「方法としての江戸」にあるとおもいます。これは学説を整理している本ではありません。解体思想史的に、ポスト構造主義的に書かれた、「方法としての江戸」を貫く本です。宣長がはじめて語ったことを明らかにすること、これと同時に、後期近代の行き詰まりに直面した市民の思想を多元主義として展開なさっていることも重要だとおもいます。「方法としての江戸」を市民として読むこと、ここにおいて宣長を問う意味が出てくると思われます。そういう視点で書いた宣長論があったでしょうか?

国学」それ自体を考える態度は内部に絡み取られた近代に顕著な読みです。「国学」が近代にいかに語られるのかを市民は考える必要があります。たとえば昭和十年代の教科書がいかに、馬淵と宣長の出会いを自分に都合よく物語ったかを批判して近代主義を相対化している視点が不可欠です。戦後の近代主義者も自分に都合よく宣長を発明しました。「宣長問題」は宣長ハイデガーと比べて論じました。実証性とイデオロギー性の矛盾を指摘みせたのですが、それは近代主義の視点を宣長に読みこんだだけです。結局、戦後の宣長の理解は、驚くべきことに、戦前の宣長の理解と同様に、『古事記』の読みの連続性が存在したかのように語っていますが、『古事記』は宣長から語りはじめられるのです。これに関してですが、宣長の場合は、大和言葉があるとして、古言を解釈するためには古代人の心を考えていく必要を考えたのですが、このことは、馬淵のおかげで可能となった宣長の方法といえるでしょう。ですから、宣長は、戦前の思想や戦後の近代主義のようには大和言葉や古代人のこころを実体化することはありませんでした。古言を解釈するために古代人の心を読むといっても、「本居宣長」の小林英雄が宣長の心の中を追っかけていたのですが、かならずしも上手くいっているようにはみえません。難しいところですね。

今年から、「江戸思想史講義」の続きを展開なさる予定なので、とても楽しみにしています。仁斎や徂徠における朱子学脱構築的読みから宣長の言説が展開していくいわば思想の闘争の歴史をみることができますが、今日のコンテクストから言って、今日の中国のあり方を理解するために、「江戸思想史講義」を宋代から読みはじめることになると告げられております。現在これは大きな意義があるとおもいます。


ノアの方舟から放たれた鳩が嘴にオリーブの小枝をくわえ戻ってきたという創世記の話が、何を伝えようとしている観念であるのか曖昧でわかりませんが、明確なイメージをもっている話だとわたしは思うのです。ウイルスは卑近な他者を必要とするコミュニケーションであるとゴダールが言っているのがこれと何か関係があるんじゃないかとおもいます。メッセージは小鳥みたいに卑近な他者のもとに行って帰ってくるという点を指摘していますしね。メッセージを送るときは、その中にはいる他者を必要とします。ここから、表現のことを考えてみると、表現を生み出すコミュニケーションが成り立つためには、中にはいったものが外にでなければいけません。しかし表現ならば情報の世界に溢れているのです。大切なのは寧ろ、卑近な他者からの感化。ゴダールの場合は、中にはいってくる他者、映画における感化の大きな運動の意義がいわれます。‬感化が先行するというか、普遍主義を脱構築していく多様性の方向性ですね。卑近というのは、伊藤仁斎を読んで考えはじめたテーマでありますが、抽象的な高さはないとされますけれど、この人に近づくなという時代にあってそれほど平易なものではありませんね


ヴェニスに死す』(1971年)は、偉大な映画だけれど、音楽をずっと流していたのは、映画がテレビのコマーシャルから感染したというような非難もあった。しかしヴィスコンテイーはオペラ的なひとなのだ。ネオレアリズモ(ネオリアリズム)を切り開いた『揺れる大地」もリアリズムとはいえない。シシリー島の漁民たちのオペラ的なジェスチャーと身振りを発見できる。演劇の役者は映画を軽蔑した。お金のない役者が映画に行った。その映画はテレビを軽蔑し、テレビはビデオを軽蔑した。ビデオはゲームを軽蔑している。ゲームはなにを軽蔑するのか?youtube か?インスタグラムか、ここでゴダールが喋り始めた(宇宙人か?)



権力が最も恐れているのは、集団の力、集団の暴力です。権力は集団の力を個性化という技術で中和しようとします。この技術はすでに十七世紀、学校における階層化を通じて用いられています。-狂気、権力の一問題-



推敲中


挿話<ペーネロペー>では、身体の損傷は外敵に攻撃された共同体の損傷の表象です。ジョイスがそこに人間としての復活を書いたモリーの声は、起源の言説に定位しているならば、共同体の破壊(政治的災害)を推進した近代の問題の解決を再び近代に委ねることに。だから声は解体的に起源の起源を住処にするの


推敲中

la série, l'enchaînement, le devenir

漢字は他者からの贈与と考えてみよう。漢字「借り物」論が絡みとられる純粋な起源を忘却してこそ、他者の言語によって自己の言語との関係を絶えず構成した決定不可能性を記憶できる


推敲中


子安宣邦著"「江戸思想史講義」(岩波書店、1998)の感想文ー「方法としてのアジア」、「方法としての江戸」、「方法としての知識人」


子安宣邦氏は最近のツイートで、山口昌男が「《重い》級友であった」ことを綴った。「彼と私とは知の関係史を作っている。私をマルクス主義に、そしてポスト構造主義に位置づけていったのは彼の存在であったかも知れない」と。マルクス主義構造主義。この<関係の冒険>からは、新たに普遍性の構築を模索しようとする知性が生まれたことを子安氏の回想は証言している。それ自体が歴史を構成する出来事といえようが、兎に角、そうして、1990年に、世に問われたのが『「事件」としての徂徠学』であった。

この『「事件」としての徂徠学』(1990年)から、『「中国」はどう語られてきたか』(2012年)まで、子安宣邦氏が直視し続けたのは、歴史を書くことの意義と、歴史を書くことの不可能性だったとおもう。顕著な二つの探求があった。そのひとつは、アジアからの眼差を受けながらも、何故かくもこの他者を語ることの不可能性が繰り返し生じてしまったのかという探求である。(「近代の超克論」「和辻倫理学」「国家と祭祀」「日本ナショナリズム論」)。他者に於ける他者性の痕跡を消すようにして行われる、自己の中の他者の措定の挫折を読者は読み取ることになる。もうひとつは、仰ぐ見る「大いなる他者」を求める探求である。「アジア論」には台湾儒学のことが記述されているが、この台湾儒学の将来に、江戸朱子学の再生を託してはいなかっただろうか。「中国論」の根底には、亡命者に見出していく「大いなる他者」の声の通低音が支配している。歴史、歴史、歴史である。


ところが、八十年代というのは、歴史の終焉と普遍主義への幻滅がもことしやかに語られた時代だった。かのサィード曰く、「ポストモダンの知識人たちは、いまや、真実とか自由といった普遍的な価値ではなく、専門的能力のほうを高く評価するということらしい。」。構造主義に転向していた多くの知識人たちにとっては、八十年代に起きたソ連の解体、ベルリンの壁の崩壊、天安門広場事件などは、特に驚くべき事件ではなく、既にその前の時代に証言されていたユートピア的神話的象徴に対する幻滅ースターリンヒトラー独ソ不可侵条約が齎した人民戦線の崩壊、強制収容所の発覚、顕在化した文革の犠牲、社会主義国間戦争ーを確認した事件としてあらわれとみえたかもしれない。八十年代に、ポストモダニズム構造主義的言説が流暢に喋り始めた。反ユートピア的言説とはいえ、少なくとも、啓蒙主義ユーとピアから排除された他者たちを取り戻すことの意義だけは訴えたけれども。また前衛的マルクス主義とは別の仕方で反資本主義の運動をなしていたことも。たしかに批評的な問題的提起から活発な論争が起きた。ただ日本に限っていえば、オタク知識人、今村 仁司のような同時代性の「フランス思想」を自慢する人々があらわれた。かれらはレヴィナスに言及しても、その暴力の概念を日本の暴力の問題に即して考えることは消極的であるようにみえる。結局、九十年代に入ると、世界的な傾向として、ポストモダニズはメインストリームの核に取り込まれていった。今日資本主義そのものとなってしまったのである。「専門的技能がすべて、手軽なもうけ話や一攫千金の野望達成の手段へと矮小化されるような、たえざる流通循環過程の領域。」(サィード)。日本の現在については、ポストモダニズムナショナリズムという憂慮すべき反動的事態も生じているのだが、今回はこのことを指摘するだけに留めておきたい。


サィード「知識人とはなにか」は1994年に出版された。この六年後に、彼の「故郷喪失についての省察」(Reflections on Exile)が出る。そして「江戸思想史講義」は、その間の1998年に出版されたことは注目したい。この本で子安氏が「方法としての江戸」で問うたものこそ、サィードが再構築しようとした普遍主義の「知」と深い関係があったのではないかと私は主張したいのである。子安氏は、「仁斎論」の最後でこうまとめていることに注目したい。


・<人間の時代>において「天」は「論語」テクストに人間孔子を読み出すことともに、読み出されてくる。すなわち、性理学的な思惟とその言語学的構成の外側に、もはや己れの存立根拠ではない「天」が、仰ぎ見る「天」が読み出されてくる。「論語」の「天命を知る」の言葉にみずから思い入れるものは、孔子とともに仰ぎ見る「天」を、もはや己の存立根拠にはない「天」を、恐れとともに見出すのである。


ここで<もはや己の存立根拠にはない「天」>とは、知識人における「語りの特権性」と子安氏がいうものと関係があるだろう。知識人が「語りの特権性」をもつのは、かれが専門性も否定していく外部的な位置と関係した立場をもつからである。サィードもつぎのように言っている。「知識人とは、あくまでも社会のなかで特殊な公的役割を担う個人であって、知識人は顔のない専門家に還元できない。つまり、特定の職務をこなす有資格者階層に還元することはできない。」「まもるべき砦となる職務もなく、また、まもりを固めて防御すべき縄張りもない知識人には、つねに、不安定で遊牧民的なところがある。」。また、文中の<仰ぎ見る「天」>という言葉はそのまま、サィードの次の言葉を喚起しないだろうか。「知識人が真の知識人といえるのは、形而上的で高尚な理念に衝きうごかされつつ、公正無私な、真実と正義の原則にのっとって、腐敗を糾弾し、弱気をたすけ、欠陥ある抑圧的な権威にいどみかかるときなのだ。」「わたしをとらえて離さないのは、同化精神よりも、やはり反骨精神であって、知識人のありようをめぐるロマンスなり、利害なり、挑戦なりは、すべて、現状に対する異議申し立てのなかで光をはなつものだ-」。「知識人が、公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、姿勢なり、哲学なり、意見なりを表象=代弁したり、肉付けしたり、明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人であるということだ」


結局、サィードは「方法としての知識人」について語り出したのだ。そうならば、あえて図式的に分りやすく整理してしまうと、「方法としての知識人」とは、即ち、「方法としての江戸」といえないだろうか?もちろん、これは、私の勝手な推定であるけれども、ただしここではっきり言っておきたいこととは、江戸儒学者の研究は決して、アナクロニズム的な衒学ではないという点なのだ。「方法としての江戸」は1990年代の問題意識を反映して行われるのである。すべて金で支配しようとする新植民地主義の世界的復活とネオリベグローバリズムに対して、原発推進のための新安全神話に対して、抗議するわれわれは、<仰ぎ見る「天」>とともに在るのだ。実際に、子安氏は序文でこう書いているではないか。


・「方法としてのアジア」とは、中国研究者竹内好が「思想史の方法」をめぐる連続講座で行った講演の表題である。世界認識への竹内の独自の立場を伝えるその言葉は、彼の論集のタイトルともなって一般にすでによく知られている。竹内のいう「方法としてのアジア」とは西欧近代を包みかえすいわば方法的視座としてのアジアの提示であった。「西欧をもう一度東洋によって包みかえす、逆に西欧自身をこちらから変革する、文化的な巻き返し、あるいは価値上のの巻き返しで、西欧の生み出した普遍的な価値をより高めるために西欧を変革する、・・・その巻き返す時に、自分の中に独自なものがなければならない。それは何かというと、おそらくそういうものが実体としてあるとは思わない。しかし方法としてはありうるのではないか」と竹内はいうのである。「実体としてのアジア」が、近代ヨーロッパ帝国の世界支配に対抗するもう一つの帝国=日本が、かつてその盟主の名のもとに仮想したアジアであったとすれば、「方法としてのアジア」とは西欧近代とその世界史的展開への、西欧の外部における批判的な視座の確保の主張である。「方法としてのアジア」とは変革への可能性を見た中国に己の視座を据えながら竹内が、現代史に終始かかわり続けることを通じてわれわれに残した貴重な遺産ともいうべき視座、即ち、<歴史への批判的な視座>である。「方法としての江戸」とは、この竹内の「方法としてのアジア」を貴重な示唆として構成される歴史批判のための方法的な視座である。西欧近代を追走しながら、その対抗として自己形成した日本の近代を読み直し、とらえかえすべき批判的な視座、それが「方法としての江戸」である。「江戸」といっても、それは決して対抗としての実体的な江戸・徳川日本の主張ではない。「実体としての江戸」の語りとは、西欧的近代の転移としてある近代日本に対抗するもう一つの近代、すなわち徳川日本の再構成的なナラティヴでしかないだろう。だが「方法としての江戸」とは、日本の近代史の外部に構成される<歴史への批判的な視座>の主張である。



MEMO

ポストモダンヘーゲル感染のワクチンだったはずだがどうもワクチンが足りていないようである。ヘーゲルとはなにか?ヘーゲルの言語は近代を体系的に示した。その言語の全体の表象が成り立つ為には、言語が「精神」(Geist、Spirit)として書かれる姿をー『百科全書』とは違うやり方でー思い浮かべなければならない。問題は、「精神」とは前近代的な他者であるときに、近代は自己の中でその内部に沿ってそれが否定する他者を見ることができるかに存する。これは、全体構造が齎らした不可能性を解決しようとして、再びその全体構造に依拠しようとするような他者なき同一的反復の悪夢である。ワクチンが必要だ。


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アジアの身体のイメージ

東洋医学が)ツボというものを見つけ出すのに、そこに何の理論も解剖学的観察もあったわけではない、手さぐりで、いろんな体験、試行錯誤を経ながら、人間は長い時間をかけて見つけ出して来たという一事です。この事実は、ふしぎに私を感動させ、勇気のようなものをあたえる。

小田実『二つの世の中』73年


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先月から20年ぶりに自由が丘にある整体道場に行っている。自由が丘の道場は、九段下道場の環境と違って、お洒落な小道沿いの建物にある。親しみがあるというか。今日は先生から、「頸椎2番と背中の端をおさえていると息があさい」と指摘された。ふむ、ふみ。「(息があさいから)物の見方も目先のことしかかんがえられない」。ズキン、たしかに、鋭い...「首と肩と頭でかんがえるよりも、丹田(へその下指4本)を中心に身体全体から考えること」のたいせつさをいわれた。おそるべし、整体道場


「マクロレベル」を言わざるを得なくなったか。若者は考えてみて。不均衡の構造は、需要を考えず供給だけで全体を考える経済政策、つまり部分対象なのに全体とする言説から生じる


表象représentation の傍らにかならず反コスモスanti-cosmos の痕跡である外部があるー本の存在、言語の存在、イマージュの存在、思想史


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ändere nicht ‬

‪damit alles anders ist ‬


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‪マスクの詩


宇宙と通信できた顔の下にあった仮面が

顔の上で顔を顕にするマスクとなっている

戦争が増殖中ー令和2年+2600年


高橋源一郎教育勅語の原文(「朕は」)で読む恐怖感を口語訳によって取りのぞいて、まさか、親しんでもらいたいとでも思っているのでしょうか?「はい、天皇です。よろしく」という口語訳などせずにそのままにしておいたほうが消滅していくはず



「芦部先生は教科書で国家法人説に触れて、「君主主権か国民主権かという近代憲法が直面した本質的問題を回避しようとした」と説明しています。要するに中途半端な理論だと言っているのですが、」。この部分を読んで、吉野作造民本主義などのように、国民主権なき民主主義を考えることはできませんが、なるほど芦部はこの点が大切だったのですね。しかしながら宮沢説を見直すことは、8月革命説(丸山真男の説でもあった)と、天皇機関説の意義を理解することで、象徴行為論をいう危険な清宮説が影響力をもっている現在、それを批判する見方をもつために大切だと思います。再び天皇に象徴制を過剰に超える行為をみとめてしまえば、国民主権が危ういことは憲法が警告しています。事実、古代から、天皇が観る見方の枠のなかで世の中を考えてきたのが日本知識人ではないかと思わざるを得ないところがあります。長谷部はなにが言いたいのかよくわからなくなるのは、「自分自身の良識」で考えようというときです。それは天皇の御大心(おおみこころ)となってしまう危険があるでしょう(自由意思と自分自身の良識を奪っていくもの、それが構造というものです)。そんなことを言うのでなくて、このひとは、このひとの主張からもっとはっきりと、「日本人で憲法を書こう」と言わないとわからない。もしそうならば、そのとき、憲法前文はヨーロッパの全体主義軍国主義を問題にしているけれど、これが天皇ファシズムを問題にしているとは読めないので、全体主義軍国主義が一致することになった歴史を前文に書くべきではないかというのはわたしの意見です。戦前の天皇<祀る神=祀られる神として>憲法に書いていない権力ー国家祭祀を主宰する権力ーをもつのですが、わたしが心配しているのは、軍国主義と方向を同じくしていったこの天皇ファシズムをもっと問題にしなければいけない大事なときに、ヨーロッパのファシズムのことを語って終わりにしてはいけないということです。GHQの占領期間が短かったために戦前のファシストを撲滅できませんでした。戦前そのままの主張を以って極右翼の政治家が復活した日本の戦争責任なき戦後を語らなければいけないのに、いつの間にか、ドイツの戦争責任を果たした戦後だけを語っているのですね。日中戦争をまだ日華事変と言っているようなことも含めて侵略の戦争犯罪を裁かなかった日本に再び台頭してきた極右翼を、戦争犯罪を裁いたドイツに現れてきた極右翼と同一視しているのが大変気になります。「極右翼」という言い方でおなじものを指示していると勘違いしていないでしょうか。すると、こちらで起きていることはあちらでも起きているというような錯誤が起きてしまいます。心配しています


わたしは専門家ではないが、間違っているかもしれないが、イスラム哲学とユダヤ哲学において来たるべきスピノザの思想は十分に準備されていたようにみえる。『エチカ』でやったことは、神や属性や人間の自由意思の否定についての言説を公理論的に再構成することだった。ラテン語で書いた理由は一の神の構造にこだわりがあったからだろう。ヤハウェ(יהוה)またはアラー (الله, Allāh) が、あるいはデウス(Deus)として語られることになっても、一である神の構造そのものが彼をとらえることに変わらない。だが公理論的再構成によって一にたいする関係が多様化するその結果、スピノザは彼の前に誰も言わなかったことをはじめて語り出したのであるー多元主義に向かって。多分商人出身のスピノザを助けたオランダの知のネットワークがそういう多元的なものだったのではないか。


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Kojèveたちが取り組んだヘーゲル。フランシスフクヤマも読んだとおもわれるフランス語訳も面白い


‪La nécessité de l’expérience, pour la conscience, que la chose, de par la déterminité justement qui constitue son essence et son être, aille au gouffre se trouver brièvement considère de la sort selon le concept simple. La chose est posée comme être pour soi, ou comme négation absolute de tout être-autre; par conséquent négation absolue ne rapportant qu’à soi; mais la négation de rapportant à soi est sursumer de soi-même, ou( le fait) d’avoir son essence dans un autre.‬

‪ーPhénoménologie de l’Esprit、Hegel‬


‪「物がその本質と自立性を成り立たせる、まさにその性質によって破滅していく、という経験は、意識にとって避けがたいものだが、その必然性の単純な道筋を辿ると以下のようになる。物が自立しているというのは、他との関係をすべて完全に否定して、自分だけと関係することだが、自己と関係するこの否定の作用が、物を破壊するような、言いかえれば、他のものを本質的に認めるような力をうみだす。」ーヘーゲル精神現象学』Phänomenologie des Geistes (長谷川宏訳)‬



‪フランス語訳も面白い


Mais l’esprit devient ob-jet, car il est ce mouvement de devenir à soi un autre, i.e. ob-jet de son Soi, et de sursumer cet être-autre. ‬

ーPhénoménologie de l’Esprit、Hegel


‪「精神が対象となるのは、精神が、自分の外に出て、自分が自己(意識)に見つめられる対象となり、さらに、この外的な存在を破棄するような、そういう運動だからである。」ーヘーゲル精神現象学』Phänomenologie des Geistes (長谷川宏訳)‬


‪意識と自己意識と欲望と真理に高められた自己確信との関係をかんがえる


Diese Unmittelbarkeit ist aber selbst absolute Vermittlung, sie ist nur als Aufheben des selbständingen Gegenstandes, oder sie ist Begierde. Die Befriedigung der Begierde ist zwar die Réflexion des Selbstbewußtseyns in such selbst, oder die zur Wahrheit gewordente Gewißheit. ‬

ーHegel, Phänomenologie des Geistes ‬


‪This “immediacy”, however, is itself absolute médiation; it exists only as supersession of the independent object(I.e., as desire). The satisfaction of this desire is indeed the reflection of Self-Consciousness onto itselfーa Certainty-which-has-becomes-Truth     ーHegel’s Phenomenology of Spirit ‬


‪Mais cette immédiateté est elle-même médiation absolue, elle n’est que comme sursumer de l’on-jet ‬

‪autostant, ou elle est désir. La satisfaction du désir est certes la réflexion de l’autoconscience dans soi-même, ou la certitude par parvenue à la vérité.‬


ーPhénoménologie de l’Esprit、Hegel‬



長谷川訳:

この直接の存在は無限の媒介を経て生じたものであって、自立した対象をなきものにする働きなしには成り立たない、という点で、それは欲望する存在である。そして、欲望の充足をもって自己意識は自分のうちへと還えり、自己確信は真理へと高められる。


‪Es ist ein Selbstbewußtseyn für ein Selbstbewußtseyn... ーHiemit ist schon der Begriff des Geistes für uns vorhanden. War für das Bewußtseyn weiter wird, ist die Erfahrung , was der Geist ist, diese absolute Substantz, welch in der vollkommenten Freheit und Selbständigkeit ihres Gegensatzes, nemlich verschiedener für sich seyender Selbstbewußtseyn, die Einheit derselben ist; Ich, das Wir, und Wir , das Ich ist  ‬


‪ーHegel, Phänomenologie des Geistes ‬


‪• 自己意識と自己意識が対峙している。...そこにはすでに「精神」というものの構図があらわれている。以下で展開される意識の経験は、世界の絶対的な本体たる精神がどんなものか、それをあきらかにしてくれるものである。それは、独立に存在するさまざまな自己意識が、完全な自由と自立性をもって対立しつつ、そこに統一が成り立つような経験であり「われ」が「われわれ」であり、「われわれ」が「われ」であるような経験である。ー ヘーゲル精神現象学長谷川宏訳本‬


‪• Self-Consciousness exists for-a-Self-Consciousnesses ...With this the concept of Spirit is already before us. What still remains for consciousness is the Experience of what Spirit isーSpirit, this absolute substance, which in the completed freedom and independence of its opposite, namely disparate self-consciousness existing-for/self constitutes their unity: The I that is a We, and the We that is an I. ‬

‪ーHegel’s Phenomenology of Spirit ‬


‪• Il y a une autoconscience pour une autoconscience...Du coup est déjà présent-là pour nous le concept de l’esprit. Ce qui pour conscience advient en sus est l’expérience de ce qu’est l’esprit, cette substance absolute qui, dans la liberté parfaite et autostance de son opposition, savoir des autoconscience diverses étant pour soi, est l’unité de ces mêmes [autoconscience]; Je qui [est] nous , et nous qui est Je. ‬

‪ーPhénoménologie de l’Esprit、Hegel‬



ジョイスの「自分で決めた亡命」だったのに「父息子」になったとガッカリするな。「ヨーロッパでレンズ豆のポタージュ」の無分節化を経て、本質なき分節「父息子」に成ったのだから


‪He even ran away with hunself and became a farsoonerite, saying he would far sooner muddle through the hash of lentils in Europe than meddle with Ireland’s split little pea. ‬

‪ーJames Joyce, Finnegans Wake ‬


‪あいつはアイルランドのけちな割れ豆を我慢するよりヨーロッパでレンズ豆のポタージュをこねまわしている方がまだしもだと言って女と逃げ出し、父息子となった。(宮田恭子訳、2004 集英社)


 フーコ『言葉と物』、この一冊のなかには何冊つまっているのか?華厳教じゃないけど、無限だ、少なくとも1000冊以上だ。見つめてくる本の真ん中に鏡があり、本の傍らに無がある


ゴダール『映画史』の中の映画を数える。フーコ『言葉と物』を構成する本達のように無限だ。見つめてくる本にしたのは真ん中にある顔とその傍らに存在する無を創造したかったから


江戸思想史は朱子批判の言説を作ることによって漢字を数えられる無限にした。漢字はヘーゲルが言う意味でまさに自立した物である。それは自ら二重化し破滅して他と関わるようになる


本は、根強く信じられているように、世界のイマージュなのではない。本は世界とともにリゾームになる。本と世界との非平行的進化というものがあるのだ。本は世界の脱領土化を確かなものにする。けれども世界は本の再領土化を行ない、今度はその本がそれ自体として世界の中でみずからを脱領土化する…。ーD=G


人々は、大がかりな調教の体制ともいうべきものを作り上げたのだ。市民は自分自身を調教し、それにふさわしい個人の種類を作り出したのである。ある種の市民的自由主義が制度の次元で可能となるためには、私がミクロの権力と呼んでいる次元で[警察や司法などによって]個人をさらに厳重に包囲することが必要になった。規律というのは、民主主義のコインの裏側なのだ。(フーコ)


seq1 口の中にマドレーヌをころがす話者、冗長性、無意志の回想のブラック・ホール。どうやって彼はそこから脱け出せるだろうか。結局これは脱出すべきもの、逃れるべきものなのだ。――(中)p49

seq2 プルーストはそのことをよく知っていた。彼を注釈する者たちにはもう理解できないことだが。しかし、そこから彼は芸術によって脱け出すだろう、ひたすら芸術によって。――(中)p49


フィリップ・グラスがドラキュラ映画を利用した作品がある。「ドラキュラ映画は沢山あるけれど、どうしてこれを選んだのですか?」というダブリンの聴衆の質問に答えてた。ドラキュラは棺桶のなかで杭をうたれて死ぬが、「ドラキュラが死んだかどうかあんまりはっきりしないところが気にいっている」と


東京五輪を<中止>ではなく、<永久延期>にしてください。東京五輪にきまったのは問題があったが、FTだけ違うことを言った。外国メディア記者達が放射能汚染の状況を監視できると


「だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在(エートル)だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。」(フーコ『言葉と物』、第九章’人間とその分身’、言語の回帰より。渡辺一民訳)


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親鸞は最初に、善か悪かがそれ自体が何であるかではなく、正義論を誰が語っているのかを問うた知識人だ。念仏では民を救済できないでいる己のあり方と依拠する言語の存在をみる


「我々はウイルスとの戦争状態にある」(マクロン)。「目に見えない敵」との戦争では隙間なく人間は人口に還元される。ネオリベの何でもかんでも金がものをいう市民社会と両立する


国境閉鎖しない英国と日本。英国はリスクのある集団免疫に対する反対があり人命を重んじる方法に議論がある。日本は国家主義だけ、オリンピックの安倍政権と自民党のことしかない


‪1、マルクス主義は言説である。終わりから始まると物語る言説である。他方で近代経済学は始まりから終わりに向かっていると語る言説といえよう。マルクス主義近代経済学、この両者の言説は互いに補いあう構造をなしている。問題は、構造に絡みとられたら最後、世界の半分のことしか喋れなくなる点だ。どうすべきか?ドラキュラ映画を見よう。ドラキュラ映画のなかで棺桶の中で杭をうたれてもドラキュラが終わったかどうか不透明なのもある。始まりも終わりもない。そこでわたしは残りの世界の半分を喋ることができるようになったのか?わからない。多分難しいだろう。だけれど少なくともこのことを喋っている。‬


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‪「金利ゼロって何よ?」と取り付け騒動を心配したらしい母から電話。流動性について喋ったが、後で何十年ぶりにはさみ✂️の形をしたIS曲線とLM 曲線をメモ用紙にかいていた


夜中にポチポチとゲーム感覚で投資して、好きな本を読まなくなったひとが多いのではないかとおもうのですが、コロナのせいで現在大変みたいです。ブラックマンデーのときはどうだったかを思い出しています。とはいえ、株など持っていなかったので無関係といえば無関係でした。「現在わたしたちは株をもつようになってプチブルジョア化したので非常に打ちひしがれている...あなたはアナーキストだから興奮しているかもしれないけれど」と隣人から言われて、嫌なことを言うなあ、アナーキーストじゃないし、そうだとしても興奮なんかしないですよ。わたしは本を読んでいますから、コロナになった気持ちをうたった詩を書くぐらいですね(マスクの詩も書いてます。)「本は世界とともにリゾームになる。」というポストモダンの言葉を考えます。「リゾーム」は大袈裟なことではないことに気がついてきました。距離をもつために何とか思想性を保つ、それだけでいいのですから。だけれど書いた言葉に思想がはいっていることは滅多にありません...



「本は世界とともにリゾームになる。」というポストモダンの言葉を考えます。「リゾーム」は大袈裟なことではないことに気がついてきました。距離をもつために何とか思想性を保つ、それだけでいいのですから。だけれど書いた言葉に思想がはいっていることは滅多にありません...。多分近代の思想が自分自身のなかに閉じこもることによって、近代の後の思想があらわれるのでしょう。


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デカメロン』はボッカチォが1348~53年の間に書いた物語集で、『十日物語』とも言われる。ペストの流行から逃れてある邸宅にひきこもったフィレンツェの10人の男女が10日間にわたり、1夜にそれぞれが1話ずつ退屈しのぎの話をする形式をとっている。面白いとおもうのは、黒死病ルネッサンスへの影響が文学作品を通じて理解されることである。


「さて、神の子の降誕から歳月が千三百四十八年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に恐ろしい悪疫が流行しました。それは天体の影響に因るものか、或いは私どもの悪行のために神の正しい怒りが人間の上に罰として下されたものか、いずれにせよ、事の起こりは数年前東方諸国に始まって、無数の聖霊を滅ぼした後、休止することなく、次から次へと蔓延して、禍いなことには、西方の国へも伝染してきたものでございました。

 それに対しては、あらゆる人間の知恵や見通しも役立たず、そのために指命された役人たちが町から多くの汚物を掃除したり、すべての病人の町に入るのを禁止したり、保健のため各種の予防法が講じられたりいたしましても、或いは、信心ぶかい人たちが恭々しく幾度も神に祈りを捧げても、行列を作ったり何かして、いろいろ手段が尽くされても、少しも役に立たず、上述の春も初めごろになりますと、この疫病は不思議な徴候で恐ろしく猖獗になってきました。」

<ボッカチオ『デカメロン』野上素一訳 岩波文庫 第1冊 p.55-56>


ボカッチョの「デカメロン」に匹敵するような、文学や死生観まで昇華したものが日本にはあったのか?このことを考える上でわたしは、『歎異抄』が有名だが『教行信書』が重要であることを講座「『歎異抄』の近代」(子安先生)によって知った。

‪12世紀の相次ぐ戦乱・飢饉・疫病を前にして、「呪術的」な仏教・神道陰陽道は無力だった。そこで登場したのが法然親鸞日蓮・一遍などの「鎌倉新仏教」。親鸞は‬、実在したならばの話で書くと、最初に、善か悪かがそれ自体が何であるかではなく、正義論を誰が語っているのかを問うた知識人だ。念仏では民を救済できないでいる己のあり方と依拠する言語の存在をみたのである。


パゾリーニ監督『デカメロン』(1971)は、当時の画家を描いている。この画家を通じて、依拠する言語の存在をもとめる


パゾリーニ監督『デカメロン』(1971)は、当時の画家を描いている。この画家のイメージを通して、そこに、依拠する言語の存在をもとめるルネサンス知識人を表現したのではないかとおもう。『デカメロン』はダンテの『神曲』に対して「人間喜劇」とも呼ばれ,ヨーロッパ散文小説の範となったという。


いまこそこの映画を見るときではないでしょうか!手と愛・友情は別々にあったのではないことを思い出すために。かつて他者をたすけるときは手を差し伸べたものです。見ること、手で考えることが「意識の流れ」に先行した、’ヌーヴェルバーグ’と呼ばれる、映画のゆたかな身振りとジェスチャーは景色とともに存在しました。


知的直観というのは、自己がイデヤに合一することではない、又所謂主客合一ということでもない、自己が直に自己を見ることである、自己が自己の奥底を見ることである。(『一般者の自覚的体系』)


‪幼少時代の四年間はオーストラリアにいた。字はアイリッシュの大学生よりも上手い(爆)。七歳のときに言語化できない世界に来てしまった。もしもう少し年齢がうえだったらバイリンガルになって二つの言語の関係に関心をもったかもしれないが、そうではなかったので、この経験から、言語化できない世界と言語化できる世界との相互関係をかんがえつづけている。ソシュールとかレヴィストロースは面白いし、いまは荻生徂徠を読んでいる‬

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低予算オリンピックの理念はできるだけ多くの国に主宰の機会を与える。東京五輪の予算は7,000億だったはずなのに3兆円は約束違反だ。将来のオリンピックを世界から奪っている


トマスピケティ「新型コロナの危機は重大だが、社会変革のきっかけに」



映画版『21世紀の資本』は、共産主義体制が崩壊した東側諸国のそんな悲惨な光景から始まる。原作者のトマ・ピケティは学生時代に、そんな東側諸国を旅して、内側からその惨状を見たと映画で語る。

共産主義の欺瞞が白日のもとに晒され、資本主義が支持されることになりました。ただ、問題はそれが行き過ぎた資本主義の礼賛になってしまったことです」


「生きた精神」が生き続けなければならないのは「死んだ文字」の中においてである。そして「生きた精神」を死から救い出すことができるのは、それを進んで蘇らせようとする一つの生命と再び接触するときだけである。ーハンナ・アーレント『人間の条件』23


アイルランドのような貧しい国では、わたしの同僚が教えていた、日本語を履修していた、大学生は水泳の世界記録2位の保持者でしたが、自分のお金でギリシャへ行かなければならず、結局オリンピックに参加できませんでした。アイルランドより貧しい国なんかたくさんあるので、オリンピックは、ポストコロニアル世界で成り立っているワールドサッカーの参加国の数と比べると、それほど「普遍性」がない一部金持ち国クラブの大会だという評価があります


生きた言語と死んだ言語のせめぎあいー言語化できぬ世界と言語化できる世界にどんな関係が成り立つのか。原初的テクストの存在をゼロに還元する文献学的ニヒリズムの近代、言語の細分化と言語の拡散、そして多分音声中心主義のラディカル・モダニズムによっては思考できぬと考えた文献学者ニーチェは、言語が集中する哲学の場ー存在の意味を問うーに誘う


世界と違うことをやる「政権とともに危機に対する防衛ゲーム」の<自己責任>は国民が負うことになるだろう。本当にこれしかないのか、他にできることは無いのか?


為政者はもっぱらメダル世界の普遍の「遠い」所をみていて、もしウイルスに晒される民の「卑近」を十分に気にしていないようでは、たとえ国が偉くなっていくら威張っても、社会の基本‪ーたとえば人類知を学び共有する権利を保障するー‬が崩壊しないような防衛を構築できないとおもうのですけれど


‪もちろんヒューマニズムに反対しません。望ましいものです。ヨーロッパが五百年かけた構築したヒューマニズムをもっと充実させなければなりません。ただ、これについておもうことを書かせていただくと、わたしはアイルランドに住んでいたときは植民地化された国の過去を勉強しました。イギリスにおける帝国主義ヒューマニズムは両立していたことを知りました。もはや帝国主義の時代ではありませんが、現在は米国などの国際社会はヒューマニズムの名によって爆撃を正当化しています。さてピケティーがいうのは、経済政策に市民が介入する重要性のことであるというのがわたしの理解です。子安先生の講座でもアナール派の影響があると思われるピケティーを取り上げたことがあります。ヘーゲル左派の時代のマルクスについて言うと、人類知とその条件を共有する社会のあり方を強調していました。経済政策はそういう知を構成するでしょう(かつての経済政策はブルジョア知に留まっていました)。新しい普遍主義として模索されているグローバルデモクラシーとともに、ほんとうのヒューマニズムが成り立つと思います‬


Faut-il envoyer des athlètes Français aux de Tokyo ? 

Le ministre de la Santé Olivier Véran répond "non"

東京五輪にフランスの選手を派遣してよいか」

フランスのヴェラン保健大臣「ノン(駄目だ)」


“The first task of the doctor is ... political: the struggle against disease must begin with a war against bad government." Man will be totally and definitively cured only if he is first liberated...”

Michel Foucault, The Birth of the Clinic: An Archaeology of Medical Perception


東京五輪にフランスの選手を派遣してよいか」の質問に、ヴェラン保健大臣は「ノン」。安全の問題だけではない。悪い政府との闘いによってまず解放がなければ一人も治っていない


トマス・ピケティ「新型コロナの危機は重大だが、社会変革の契機に」。安全の問題だけではない。経済政策に市民が介入する政治。悪い政府との闘いと解放がなければ誰も治らない


2)それゆえに、無意識の平面は超越性の平面にとどまり、精神分析家の存在とその解釈の必要性を保証し、正当化しなくてはならない。このような無意識の平面はモル状のレベルで知覚ー意識のシステムと対立するのみならず、そこに欲望が翻訳されなければならないところから、



3)しかし斜線はすでに横断線に、あるいは半対角線や自由直線に、また破線や角ばった線に、さらにまた曲線になるばかりか、常にこれらの中間に位置する。(…)これは起源をもたない線である。つねに絵の外で始まり、絵はこれをその中間地点でとらえるしかないからだ。


2)とすれば、線は一つの点から別の点に向かうのではなく。点と点のあいだを別の方向に疾走し、この新たな方向性によって点が識別不可能になる。線は斜線となり、垂直線と水平線から解放される


<芸術>は、ただ名目的なだけの、誤った概念だと思う。(…)絵画は顔ー風景の「問題」に組み込まれている。音楽は、それとはまったく違う問題に組み込まれているが、その問題がまさにリトルネロなのである。[中p295]


ホー、ナルシシズムは芸術に不可避ニャ。だけど日本近代の失敗は戦争が解決できる、大衆よ、必ず勝つ、蜂起せよという反知性主義へ行く自己否定ナルシストに非ず、梟猫の想像力は


「人の心が分からないのか」と非難しても、安倍は心の中のことは分からぬと開き直っているかもしれない。「人の道」を言ってただしても、道徳を反省する相手ではない。この男は法を守っているのかと問われているのに、何が法であるかを自分が発見しているという態度である。法を守る意思もないようだ。


恐慌の危機を深める貨幣飢餓のようなことが、安倍内閣支持率において起きているのは、欲望によることなのか?自分に不利なのはわかっているのに理性では止められない、欲望の暗い領域に惹かれる人間は、自己の生存手段にしがみつく動物の従属した姿である。他者なき孤立する身体の痛みに耐えられなくなったほどの欲望の果てに、欲望は欲望しなくなるのか。そこから、別のものを欲望するのか?欲望の生産にゆだねることがほんとうにできるのか、しかしドウルーズが言うようには...。ちくしょうめ、これだけはみてやろう


原発アンダーコントロールと世界に宣言して五輪誘致したりするのを自粛しなければいけなかったのですが、現代国家の安全システムはどんどん巨大化し監視の網み目を自粛といっている


日本<自己責任論>とは、おまえたちの行き詰まりはおまえたちの責任だが、おれたち(安倍とハシゲ)が行き詰まる日は一億総懺悔だ


橋川文三+ 吉本隆明+三島由紀夫= 0


法システムは古い処罰の機能の仕方のことで、中世から17-18世紀まで主調だった。規律システムは近代システムとも呼べるもので18世紀から主調となった。安全システムは現代のシステムであり、その問題設定が登場したのはかなり早いが、まさに今、これが主調となりつつある。

ー フーコ 安全・領土・人口-


どうしてこの文がここにあるのかわからない。『言葉と物』はこんなところに別のことを書いているような文が多い。フーコはどんどん書き足していったのではないかと渡辺氏が言っていたな。水平線と垂直線から解放された斜線みたいに、ここでこの文を書いているのはこの文から文を逃してやるためではないかとおもうこともある


アジアにおけるコスモポリタンとは何か?それをポストモダン的に、地域的に考える意味は何か?西欧(縦軸)とアジア(横軸)を逃してやる斜線としての岡倉の東洋とは何か?


ゴダールは究極の美を求める厚みのありそうな探究を映画の表層的断片を通じて行うとき、ポストモダンに非らず、モダニズムではないかと分からなくなる。「われおもう」から「われあり」への移行に、「われ見る」が介入しなければならない。見えない<手で考える>というウィットゲンシュタインととともに



推敲中


始まりと終わりがあるという前提だが、『ユリシーズ』が書き始めるのはマーテル塔から。あの形は、『朱子語類』における思考の優先順位としての形而上学的円(理=大極)か?冗談で、6月16日まで読んでみるか ‪ 

重々しく、肉づきのいいバック・マリガンがシャボンの泡立つボウルを捧げて階段口からあらわれた。十字に重ねた鏡と剃刀が上に乗っかっている。はだけたままの黄色いガウンがおだやかな朝の風に乗っ、ふわりと後ろへとなびいた。彼はボウルを高くあげて唱えた。‬

‪ー Introibo ad alatare Dei <ワレ神ノ祭壇ニ行カン>‬

‪彼は立ち止まり、暗い螺旋階段を覗き込んで、荒っぽくわめき立てた。‬

‪ーあがって来い、キンチ!あがって来いったら、このべらんぼうなイエズス会士めが!‬

‪彼はいかめしげに歩みでて円形の砲座にあがった。くるりと向きなおり、三度、塔とまわりの土地と、目覚めかけた山々をおごそかに祝福した。それからステイーブン・デイーダラスを目にして、彼の方に身を乗り出し、喉をごろごろ鳴らし、頭を振り、たてつづけに空に十字を切った。不機嫌で眠そうなステイーブン・デイーダラスは階段の手すりに両腕をもたせて祝福を与えてくれる首振りのごろごろの馬面や、白樫のような色の木目の通った。明るい剃髪していない髪を冷たい目で見た。‬

‪バック・マリガンはちょっと鏡の下をのぞいて、またぴしゃりとボウルに蓋うぃした。‬

‪ー兵舎に戻れ!と彼はきびしい口調で言い渡した。‬

‪それから伝道師の声色でつけ加えた。‬

‪ーなんとなれば、ああ皆様方、これこそはまことの

クリステイーン様、肉体と血と槍傷ですぞ。ゆるやかな音楽うぃ、どうぞ。諸君、目をつむってください。ちょいとお待ちうぃ。この白血球どもが少々手間をかけておりましてな。みんな、静かに。‬(丸谷訳)


もし来年、五輪怪獣と出あって食われそうになったら、どうするかって?黒ビールを飲ませてだね、お土産に和牛商品券三枚わたして帰ってもらえ


A tale is born from an image, and the image extends and creates a network of meanings that are always equivocal.


—Italo Calvino


現在への己れの帰属を問うとは、ある教養やある伝統への己れの帰属を問うことではない。ただ単に一般的な人間の共同体への己れの帰属を問うことでもない。ある種の〈我々〉、即ち自らの現在性によって特徴付けられているような文化的な一総体へと関わるような〈我々〉への己れの帰属を問うことなのだ。ーフーコ


‪ユヴァル・ノア・ハラル氏「信頼とグローバルな団結抜きでは、新型コロナウイルスの大流行は止められないし、将来、この種の大流行に繰り返し見舞われる可能性が高い。だが、あらゆる危機は好機でもある。目下の大流行が、グローバルな不和によってもたらされた深刻な危機に人類が気づく助けとなることを願いたい。」‬

トマス・ピケティ氏「新型コロナの危機は重大だが、社会変革の契機に」

子安宣邦氏「グローバルデモクラシー」‬


‪・「自分が第一ミー・ファースト」がモットーの指導者に対して、人類の視点をもつ市民が介入する政治。悪い政府との闘いと解放がなければ誰も治らない‬


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‪適切に説明できる自信がありませんが、なんでこんな式を書いたかですよね(笑)。昔ロマン主義を解説している本にあった説明文とイラスト(下)に興味をもちました。0(ゼロ)の意味を説明すると、フランスのユートピア社会主義とイギリスの政治経済学とドイツ観念論、これらが、マルクスにとって、一体であった(線形的に)ということですね。‬これがヒントになって、勝手に、橋川文三+ 吉本隆明+三島由紀夫= 0 を書いてみました。

さて明治のロマン主義は世界のロマン主義のように理念的なのに、大正の日本ロマン主義は反知性的です。昭和の三島由紀夫も反知性的にみえます。正直いって三島由紀夫について何か論じる気持ちになれないですが、このことは、子安先生のご自宅で伺った話で、三島由紀夫橋川文三吉本隆明との関係においてとらえたら何か言えるかもしれないと理解しています。(「理解」したといっても酔っ払っていたので、間違っているかもしれませんが、大体こういうことです。)日本ロマン主義は、近代日本の失敗(明治維新の不完全)は戦争が解決すると主張していました。必ず戦争に勝てるというのですね。橋川も吉本も同じものをみていたようです。その場合、主体は、橋川は文学者、吉本は大衆と考えていたのですが、戦前における橋川と吉本の主張を、戦後に三島が主張することになるというわけです。‬凡庸な反復ですかね。

‪これが、橋川文三+ 吉本隆明+三島由紀夫= 0 で意味しようとした内容です。‬

‪付け加えていうと、橋川についていうと、廣松渉などの近代の超克では橋川が無視されます。(廣松は橋川を知らないのでしょう)。だから廣松の近代の超克論の分析はどこかで聞いたようなヨーロッパの世界史になってしまっています。竹内好をよく理解するためには、文学を論じる橋川は毒がありますが、失敗を隠さずに、これから明らかにしていかなければならない意味ある思想でしょう(「昭和維新論」がNHKで取り上げられていたようですか、これはどうですかね????)

‪吉本は、若い人が『共同幻想論』を読んだら、右翼思想家と考えるんじゃないでしょうかね。もっぱらこの構造主義的な(?)仕事が読まれるようです。吉本は最後まで、天皇を批判しないでしょう、文化人類学的に。吉本の影響下から、現在内田のような天皇抑止論の言説が出てくるのは偶然ではないでしょう。『最後の親鸞』(最後の吉本?)のような仕事は大変意味深い思想だとおもっています。‬

最後に三島。全共闘がノスタルジーにおもう三島ですが、これは自己否定のイメージ(大学解体)ばかりで、今日のネオリベをもたらした自民党のようになんでもかんでもカネがモノをいう社会に対するネガテイヴな明確なイメージをもっていません。影響を与えた当時のフランスの5月革命は、ちゃんとドリフェス事件に対する批判、なんでもかんでもカネがモノをいう社会に対するネガテイヴな明確なイメージももっていたのではないでしょうか。

フーコ『言葉と物』を翻訳した渡辺一民氏が、「大江と三島からよくやったと言われた。左翼と右翼からほめられちゃった」と言っていたので、この話から、三島はフーコのポスト構造主義に意義を理解していたのでしょう。しかし現在は三島の思想なきイメージ(のイメージ。金閣寺みたいですね)が流通しているだけにみえます


司法機構は誤ったことを有効と認めたり、偽りや嘘を作り出したり、命令によってか自発的な共謀によってか黙り込んだりすることがある。だがそれが少しずつ、日にちの経過と共に、証拠資料を辿りつつ、報告書や証言や手掛かりを通して「認知しえないもの」を作り出していくやり方は余り知られていない。ーフーコ


揺れる』(マリア・ミリサヴリエヴィッチ作)をみた。これはベルリンの壁の崩壊後の現代をえがいている戯曲である。この時代は、ネオリベポストモダン世界から生じてきた「自分が第一ミー・ファースト」がモットーの指導者達によって国どうしの境界がつくられている時代である。戯曲を読む。<わたしたち。誰でも。何人でも>というト書きは思考を揺さぶる事件だ。これは、戯曲のコスモス(ロゴス)が反ロゴス(わたしたち。誰でも。何人でも)を利用して自らをグローバルに再構成しようとしているとおもった。『揺れる』が呈示するカオスはなにか?‪『揺れる』は、なんでもかんでもカネがモノをいう社会に対するネガテイヴな明確なイメージをもっている。欲望の知覚し得ぬ極限に、隅々まで情報の客体となった身体の深まる孤立がもたらす痛さ(物理的な痛み)こそがカオスである。これにたいして、マリア・ミリサヴリエヴィッチと東京演劇アンサンブルの舞台はウイリアム・ブレイクの想像力を導入する。舞台をみる。想像力のもとに抱擁されているのは、私と私のなかの汝の下に、微かに呟き続ける即自的に影のように私につきまとう身体、何処にも属するがどこでも部分になることのない呟き続ける身体。演出家公家義徳氏の舞台は想像力の舞台からラディカルに問う。演劇は世界とともに、奪回した視線の肉体を以って、外の思考の領域へと逃げることが可能かと。そうして世界は根拠が与えられ、世界は突然、希望の無限の広がりを自分のものにしていくのではないかと想像できた。演劇から学ぶ。2020年という年に、『揺れる』の舞台をみることの意味をかんがえている。全世界が音楽、演劇、映画、美術館をたずねる能力を失ったので、それらの真の価値を真剣に考えはじめることになったことも事実である。演劇とはなにか?演劇とは、泣くこと、思いだすこと、笑うこと、考えること、学ぶこと、受け入れること、そして想像すること



国家にとって何がなんでもやりたかったオリンピックは内部の中心(本質)で、音楽、演劇、映画、美術館は外部である「不要不急」とされている。だけれど


ピカソ(1902)はどのようにグレコの作品(1607-1614)を解釈したか?これは、グレコピカソをスケッチした私の勝手な解釈の解釈によることなのだが、ピカソグレコにおける類似性のイメージを同一性と差異性のイメージにかえているようにみえる。グレコは外部を示している(稲妻が闇を裂いている世界が世界自身に巻かれている、と同時に、世界は巻き返す。)。ピカソにおいては二人(私と私のなかの汝?)が共通のもの(彼らが立っている場所)をもっている。抱擁されているのは、私と私のなかの汝の下に、微かに呟き続ける即自的に影のように私につきまとう身体ー何処にも属するがどこでも部分になることのないーかもしれない。



想像力とは、自国ファーストを呼びかけて戦争と開発と同化を押し進める指導者達に対する社会変革のモーメントを為すものと不可避なはないかと考えさせてくる


宇宙は根拠が与えられ、宇宙は突然、希望の無限の広がりを獲得した。

ボルヘス