MEMO

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ジョイスユリシーズ』の書き出しの言葉はStatelyで、最後の言葉はYes。この本はSで始まりSで終わる。Sを以って、終わりとはじまりとが繋がっているようにジョイスは書いた。これはアイルランドのことしか書いていないこの本が自己完結しているという印象を与える。問題は、トリエステ-チューリッヒーパリと書き記した最後の署名である。ジョイスアイルランドから出て7年間のあいだ色々な都市に転々と移りながら『ユリシーズ』を完成させていったことがわかる。アイルランドで書いた本ではないとはいえ、アイルランドを書き尽くした本である点を考えると、『ユリシーズ』の最後の署名にダブリンがはいっていないのはいかにも奇妙ではないか。なぜだろうか?精神分析かあるいは構造の知に委ねるべき表現の問題か?誰もわからない。多分ジョイス自身も。最後の署名は本を閉じるように自らを閉じている


子安宣邦氏の仕事が中国に受け入れられている理由として、中国におけるポストモダン思想の受容という背景があるようである。ポストモダン思想の用語を使うと、『朱子語類』が『四書』の読み方を変革して漢字文化圏のコスモスロジーを成立させたコード化であるとしたら、徂徠と宣長、篤胤と後期水戸学派は超コード化。中江兆民は脱コード化といえるだろうか。子安宣邦氏『漢字論』は、ポストモダン孔子漢字文化圏の占拠という意味で脱コード化による再領土化になるのではないかとわたしはかんがえている。「不可避の他者」という副題が必然だったのは、「それは他者を待ち、他者に開かれた言語への期待とともに増していった意味」だからである。


Artist who make "fragments "

ホホー、未来を思い出す部屋に、

求めあう表の世界と裏の世界があったニャ、

そこでは失うために失うことができた


十代のときから何か好きだったプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」を現代バレーがどう構成するかを恵比寿の映画館で観てよかったな


ナチスは好んで農民の格好をしたがったし都会のユダヤ人はお洒落だった。農民が勝利する「サウンドオブミュージック」が人気があるのは無意識にファシストを応援しているからだとジジェクは聴衆に語った


「真実を言う人」それ自体は、それにこだわると、どんどん意味の幅が狭くなっていって、ついに、正直者は嘘つきが「私は嘘を言う」かぎりにおいてしか正直者でしかないということになる。変なの、だけれど人間の何かを教える。


現在に繋がらぬ消滅した先住民を分かった上で祖先とするヨーロッパからすると、アメリカは異常らしい(インディオは先祖ではない)。この差は何かと時々考えてみるのだけれど..



推敲中

Against the re-operation

by takashi honda


Let's put end to the no-ending

By civil interference

Against the re-operation, the manufactured consensus.

Poem ought neither to be so obedient a subject 

As to be just a friendly people

Nor should poem try to be an insular self-centeredness, 

The Tower of Babel. 

The alternatives are not 

The private ownership in Hiragana symbol

Or the public authority in Kanji character and the alapahabet. 

Even if the Tower of Bable isn't going to reach the blue heaven,

It is only collapsing to the pot of blood;being scattered and lost 

Let's be late with that joyful floating cloud <s> 

People really don't need any more an Imperial map, but...

Without passing through indignation and hatred,

A genuine absolute democracy is impossible.

Without absolute democracy,

The street will never drink an absolute love.

Without poem, 

How the street can become writing


現在に繋がらぬ消滅した先住民を分かった上で祖先とするヨーロッパからすると、アメリカは異常らしい。インディオは先祖ではない。この問題をどう考えたらいいのかと、ロンドにやってきた義理の叔父さんに聞いた。分析哲学は別として まだ評価も定まらなかったウィットゲンシュタイン(後期)を初めて日本に紹介して、言語を哲学の中心に置くことの大切さを言った人である。だけれどこのときは、彼はこの話題には関心があまりなくて、かわりに、カントの英訳は改良されてきたが、そのせいで現在アメリカの学生はドイツ語を読めなくなってきたこと、ギリシャの古典を原文で読むことの大切さを喋った。いま思い出すと、これは彼の答えだったのだろう。たしかにその通りで、アメリカはアメリカであるためには起源についての幻想などにかかわるべきではない。だけれどこれは反権力的ではない。起源に言及するのは、起源なき廃墟に繋がる無数の入り口をつくるためである。そうして国家と対等でそれから自立している言語の故郷に帰って行く。これがわたしが現代アイルランド演劇から学んだことなのだけれど。


箱根オフィーリアの小鳥のさえずりのように喋る態度に吃驚しない人はいない。衆人、憤慨し呆れる。市民生活の流れをとめる阿呆かと思えば真実を口にしてそれが鋭かったりする



‪L’unité d’une langue est d’abord politique. Il n’y pas de langue-mère, mais prise de pouvoir par une langue dominante, qui tantôt avance sur un large front, et tantôt s’abat simultanément sur des centres divers. ーD=G‬


「言葉の統一性とは、何よりもまず政治的なものだ。母語などというものはなく、支配的な言語が権力を奪取して、広く全面を占め、また同時にさまざまな中心を襲うだけだ」D=G


「魚に食べられてしまえばいいのに」。規範も規則も体系も。魚が存在する外部を世界の中心にする人文諸科学によって、自由に喋らせてくれ、沈黙を強いる構造にたいして

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第三世界の近代国家の歴史よりも古い大学は「壁」として表象されることがあるのは、その国に属しているが部分を為していないから。中にはいるといつの間に大学周辺の外に出てしまう


シェークスピアは女性蔑視の表現があり英国のパブリックスクールでは教えないが、ジョイスを読む。アイルランドの学校はシェークスピアを教えるが、ジョイスはヤバイのでダメダメ


私は底無しの日本のダメさに絶望する近代主義者ではない。永久革命の彼らのようには絶望しない。権利のない社会に反対するゆえに、語る政治的自由が無くなる香港の消滅の危機に絶望している


理念のない政治は政治的風景を極端にせまくしていく。と同時に、そこでは権利のない社会が出来上がってくるだけでなく、権利のない社会に反対できなくなる


アイリッシュがつくった映画の詩の呟きのような小作品があった。よく思い出せないけれど荒地だった。おれを石のなかからまだ外に出してくれないのかと石が彫刻家に話しかける..


アイルランドプラトン的な詩人達=彫刻家達が石からきいた呟き(「いつ私を外に出してくれるのか」)は、石が自然の表象から出してくれと告げているようだ。何も変えるな、全てが変わる為にと石の塊は言いたい。何にしても、永久革命的に、石を削ったりすれば必ず奥から何かが現れる筈だと考える近代主義者を嘲笑う


‪甲骨文は亀の甲羅や牛や鹿の骨のに刻まれた漢字の原初形態。聖人的詩人=‬彫刻家が石からきいた呟き(「いつ私を外に出してくれるのか」)じゃないの?‬

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オスカー・ワイルドはこういいました。アイルランド人は自分自身について完全なものを書く必要があると。何故でしょうか?アナーキストだったからです。


オスカー・ワイルドはこういいました。アイルランド人は自分自身について完全なものを書く必要があると。帝国オリエンタリズムが表象する“アイルランド人”が不完全であることを示してこそ自立できるからです。国家と対等で国家からの自立的私のあり方を書くこと。そうしてワイルドの精神を継承したジョイスは宇宙を構成する密度を以ってダブリンの一日を書くことになります。それを書くために「自分で決めた亡命」を行ったのでした。その本は『ユリシーズ』と名づけられます。‪ 「自分で決めた亡命」という自己規定は過剰な感じがします。国内に仕事口がないアイリッシュは英語教師という日雇いアルバイトトをさがしに大陸に行くのですから。ジョージ・オーウエルは亡命者について語ったことは「自分で決めた亡命」にあてはまるかもしれません。「故国を捨てた人間はどうしても根が浅くなる。画家に比べると、いや詩人と比べても、小説家の場合、亡命は大きな損失になる。ふつうに働いて暮らす日常生活との接触を絶たれて、街頭とか喫茶店、教会、売春宿、アトリエなどに視野が限られてしまうからである。」ジョイスの過剰な語り口からは彼の自信の無さが露呈してしまうようです。しかしサイードが注目していますがアドルノが言っていたように、亡命者というのは全体を見渡すことができるのです。亡命者の表をみるだけでなく裏からもみる視野から隠れるものは存在しないかのようです。これは特権のようなもの


柳田先生は体壁の構造を朱子学的に考えようとしていたこともあって、十代と二十代のときはイメージをもっていた。先生はもともと西洋哲学(サルトル)に関心があったので、構造主義の影響もあって、言葉が成り立つところの身体的表現の構造を考えていた。ある日わたしが読もうとしていたフーコ『言葉と物』に興味をもって読まれていた。ここできちんと説明できないが、少し紹介すると、例えば、言葉が百科全書的に整理されてくる身体の態勢(秋)が成り立つために、単純に拡大していく物の見方に必要な身体の態勢ー>懐疑的な物の見方に必要な身体の態勢ー>言葉初めありきに必要な身体の態勢(カント的?冬)ー>無限に遠くへいく静寂に必要な身体の態勢ー>全体と部分の調和がとれない身体の態勢(春)ー>原子的にいく分類するのに必要な身体の態勢(近代科学的?ニーチェ的?)ー> 言葉を必要としない打ち壊していくために必要な身体の態勢(マルクス的?夏)ー>過去へいく物の見方に必要な身体の態勢(プルースト的?)というように順番を考えておられた。残念なことにその柳田先生はアイルランド滞在中に亡くなられてしまった。‪演劇と同様に、身体の態勢がいかに言葉にとって大切であるかは学んだ。再び朱子学についてだが、朱子学の思想をほんとうに考えるようになったのはこの十年の間のことで、これは自分の健康のためではなく、アジアにおける思想史の捉え直しのため、議論するため


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パリのシューレアリストやチューリッヒの芸術家はアナーキストジョイスのような外国語の文法の勉強は屈辱的抑圧に思う。植民地国の芸術家は同化主義と闘う為に戦略的に受け入れる


What is Asia ?

1603 - 1868

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言説<漢字論>の平面


(漢字を語る言説文は子安宣邦氏『漢字論』に示されたものを参考にした)

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フーコ曰く、「ドンキホーテはその平原を際限なく巡歴するのだが、決して相違性の明確な国境を越えることも、同一性の核心に達することもない。彼は彼自身記号に似ている」。尾崎行雄は「明治末から昭和の敗戦に至る日本の足取りを考えると、どういうわけだかつい『ドン・キホーテ』の物語」を連想する


明治以降に成立した日本語=国語からそれ以前に存在した漢字・漢文を正当化する日本語=国語の言説は、明治は江戸時代とその漢字・漢文の実現を失敗したとは考えない。それが復古主義


いきなり現れた大きすぎる他者というか、中国の圧倒的存在感のもとに、「東アジア共同体」構想がまだ存続しているのか、存続しても中国における「東アジア共同体」構想となっているのかわからないが、「近代の超克」への問いは消えてしまったわけではなくて、中国は正確に理解できるかは別として、「近代の超克」への関心が高まっているらしいんだね。子安先生はインタビューを受けている。反響をもってネットで読まれているという。「なにを超克する」のか(「明治維新の近代」を?)を問うこと、そしてアジアにおける反戦平和のために、「誰のために超克する」のかをもっと彼らとともに考えることが可能だし大切であるとおもう


ポストモダン孔子の正体は?マリリン・モンロー毛沢東が結婚した道なき全体国家から逃げて筏に乗りて東夷の国にきてフクロウ猫になった...


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岡倉天心は、横浜に育ったらしい。太平洋の方向を見ていたに違いない。岡倉天心は、大人になって風貌が中国人になったりインド人になった。もしかしたら太平洋の方向に、中国とインドを見たかもしれない。もちろんそうだと言い切れないが、そうかんがえたらどんなことがいえるだろうか?この列島に、様々な文化の痕跡が流れ着いてきた、文明博物館という意味で「アジアはひとつ」。これほど、一つの原理に包摂されない多様性の方向をはっきり言い表した言葉はない。


「天」といえば、『四書』の「天」。ほかに、「天理」(朱子)、「天命」「天下」(仁斎)、「天の大徳」(徂徠)、「天祖」(後期水戸学)の「天」がある。ちなみに宣長は「天」を’アメ’と読んだので意味がわからなかった(そりゃそうだ)。明治は福沢が「天」に言及しているのは有名である。冗談みたいな話と思われるかもしれないが、岡倉天心の「天」はどうだろうか?これもやはり「天」の思想性をもっているのではないか。セザンヌの自然=西欧だが、ダビンチに遡ると、天=自然だった。さて岡倉の「天」は、ひとつの原理に包摂されない多様性という意味で、スピノザの「自然」と比べてみたくなるよね


まだ変な絵を書いていない...

この変な文を描いているからだ


チャーチル銅像ね。情報局は収容所の存在を知っていたので知っていたと言われるが、政府は英国に亡命したユダヤ人を追い返し拷問もしていた事実に彼が関心を示した様子がない


Heaven would shock the earth


推敲中

この絵をみたのは中学生のときで、たしかデパートの展示室でみた。なんの距離もなく、セザンヌにおける内部の中に立っているあの感覚。ここにおいて自分の感覚が方向づけられてしまったものだから、この内部から、正直言うと、別のものの見方を以てその自分の感覚をみることが長い間難しかった。ウィットゲンシュタインの表象批判を徹底的にやるロンドンに行くまでは、ポストモダニズムの解体的な批評精神なんかはそう簡単に受け入れることができなかったのだ...


‪海外で失敗した恥ずかしいことは決して忘れない。お手伝いしたスタジオにきたジャン=クロード・カリエールの物凄く重厚な雰囲気に圧倒されて何も喋れなかった自分を情け無く思って後悔していただけに、彼がその年のクリスマスのテレビで喋った大切な言葉を昨日のことのようによく覚えている。クリスマスの日にこそ、別のものを以って年末を祝う他の国が存在することも考えて、とフランス人に語った。カリエールは時々日本に来て大島渚を見舞いにきたようだ。日本の宗教の歴史をその問題を含めてよく理解していた。今日小田実のこの言葉も非常に大事だと思う‬。

「ごった返しの人ごみのなかを、日の丸をかかげて歩く一団の少年たちがいる。鉢巻をして、日の丸―いや、そうくだけて言うまい。日章旗を先頭にかかげて歩く。威風堂々―と言おうか、お正月は日本人のものだと言わんばかりに一団の歩き方、すこぶる武ばっている。」『人間みなチョボチョボや』1985



‪In praise of ‘Riders to the Sea’ (J. M. Synge)‬


アラン島の断崖に立つと、海そのものが死者だとわかる。なんて近いのだろうか、詩人にとって海というのは


ジョン・ミリントン・シングについては、アイルランドはシングの影響力を封じるために岩だらけの島に監禁していると例の調子で辛辣なことをジョイスは言っている。シングは所謂アイルランドの支配層エリートの生まれで、若いときは音楽の世界に入ったのは、まあ常套手段だが、落ちこぼれるための近道だったらしい。言語(ゲール語)の取り組みを比べると、イェイツはロマン主義的だが、シングはリアルなんだね。この違いをとらえることは大切だが、違いにこだわりすぎていけない。リアリズムと神話をもって考えていくこと。リアリズムと神話をもって考えていくこと。リアリズムでもないし神話でもないものを考えること。言語を集中させること、そこではもはや人間は存在しないが、あえて人間を表象すること。ジョイスの文学って、そうでしょう(文学はこちらの文がリアリズムと指示したりあちらの文が神話と指示したりすることはないでしょう。) 2020年の日本の若い人とならばこのことを一緒に考えられるかもしれないとおもう。ネオリベ自由主義での勝ち組ブルジョワのリアリズムが自らに対してどんな危機感をもっているかなんてどうでもいいことでだし、また彼らに対して行う天皇抑止論の説教もわれわれに関係ないことである。そもそもヘイトスピーチナショナリズムの神話ではやっていけないこともわれわれは知っている。


言語は外部に向かってコミュニケーションの主体になるためにある。つまり周辺諸国との関係の構築のために、又他の宗教の自由のためにあるとおもう。ところが帝国の言語はコミュニケーションの主体を情報の客体に置き換える支配の権力であった。情報とは選別と排除で成り立っている。近代国家の時代においては政治の独立に真っ直ぐ行く国家主義のもとに言語が権力化するという、一国民主主義の自立的一国言語(国語)の問題がある。隣人との関係また他の宗教の自由を書く普遍性が「借り物」であると物語る国家の中の普遍性しかなくなる。そこで、失敗した近代にたいして、対抗的に民衆史的観念が声の開かれた役割を強調するけれど、過剰に強調するとき、そのユートピア的言説によって、言語の他者性(近隣諸国との関係、他の宗教との関係)が再び奪われていくことが起きる‬。反近代も近代を構成している


19世紀に欧米の国家は奴隷黒人の売買をやめたけれど、第一次世界大戦まで民間会社が奴隷黒人を売買していた事実をロンドンのナイジェリア人に教えられて吃驚。自分の無知を恥じた


極右の街頭で外国人労働者を殴る連中が直にヨーロッパ議会選挙に出るなんてあり得ない。都知事選はどうなの?そもそも、ナチスの戦争責任が裁かれているヨーロッパに出てきた極右と、天皇ファシズムの戦争責任が裁かれていない日本における極右は同じ「極右」なのだろうか?同じ名で語られているけれど


‪ヨーロッパ近代の知からの自立の意義を理解できなければ、宣長が行った中国文明からの自立の意義も理解できないかもしれない。しかしほかでもない、宣長から、『古事記』という名の解釈的テクストの独立した存在が現れたのだ。これが日本近代である‬


築城の技術をもったノルマン人が戦争していた時代に、洗練された陶器が作られている宋では思想と文化が心性へ行く。しかしイギリスにあって中国にないのがマグナカルタである


商業はモノといっしょに知識をはこぶのだけれど、異文化体験をした形跡はまったくうかがえないらしい。そう言うのだからそうだろうが、グラマトロジー的に言うと、痕跡はかならずあらわれる、隠れているのではなくて... 「理」の字に書いてあるじゃないかと(笑)


朱熹が最初の任地として赴任した同安県は、泉州の町から西南西に60キロも地である。彼の理の哲学はこの地でムスリム接触した結果ではないかとする推測もある。話としてはおもしろいが、彼の文集や語録を見る限りでは、彼が異文化体験をした形跡はまったくうかがえない。...儒教がそもそも大陸の思想として生まれ、海に開けていなかったことが、華夷思想とあわせて、彼らの思考コードにイスラーム文明を取り入れさせなかった一因なのではなかろうか」(第九章庶民の生活 小島毅『中国思想と宗教の奔流』講談社より)


こうした人々は全体主義的な手口を奨励すると、いつかそれが自分のためではなく、自分に対して使われかねないということを理解していない。裁判抜きでファシストを収監するのが当たり前になってしまったら、そのプロセスはファシストだけでは終わらないかもしれない。

[ジョージ・オーウエル 出版の自由——『動物農場』序文]


江戸の儒者たちの関心は身体的儀礼ではなくもっぱら議論にあった。テクストを重んじる古学は、朱子学のひとつの原理に包摂する思弁性を拒んでいくうちに、朱子学脱構築的に解体してしまった。それは家族をどう理解するかの理解の仕方において理解できる。たとえばフェースブックを読むと、国別と人種別と性別に基づかない家族の多様な形があることがわかる。家族によって、敢えて表象的にこの言葉を使うのだけれど、人間が豊かになっていくのである。まあ、「仁」を豊かにするということ。これを考えるために、しかし心の形とか言い出すと、国の形でいわれる場合のように、本質が現象に現れるという本体と作用の関係に規定される教説的思弁に絡みとられてしまう。本体\作用の分割のもとで、「孝」は仁義礼智というひとつの原理に包摂される。「孝」は本体<仁義礼智>の作用であると。しかし日常の卑近をみると逆ではないか。儒者は再び朱子を読んで「孝」が仁を実現すると解釈したのである。この読み方から、江戸思想はひとつの原理に包摂されない多様性の方向をもっていたので、本体\作用の分割そのものをすてていくことになった。また江戸思想は同じ多様性の方向を以って、理と気の平行的関係を保った。理は只気のうえに佇むと(理の論理的先行性)。気が理のうちに解消されるというような理と気の関係を透明化することを否定した。

現在、江戸思想は、儒教が消滅しきった現在、言説をめぐって展開された論争を読み直す解体-思想史となった。この解体-思想史は多様性である。これと漢字文化の他者性とデモクラシー(現人神の復活を禁止した憲法)、この三本でやっていくしかなくなったとおもうのだけれど


要するに脱領土化、「私は方向を見失った……」(これは事物と思考と欲望をとらえる知覚であり、そこでは欲望と思考と事物が知覚全体を満たし、ついに知覚しえぬものが知覚される)。D=G


わたしは別意見。もちろんヘイトスピーチナショナリズムをはじめたのは安倍で、この問題をしっかり認識しなければいけません。日本はヘイトスピーチをやめるべきです。そうすれば安倍がアジアに仕掛けた互酬的ヘイトスピーチは終わるでしょう。次に考えることは、公にお互いに相手の体制を徹底的に批判しないので、議論してはならないとされているので、日本からヘイトスピーチが起きてくるのではないかという点です。議論すれば、第二次世界大戦は、太平洋戦争の4年間ではなく、事実上日中戦争を含めた15年間だったという相手の見方を日本人は知ることになるでしょう。

ヒトラーユダヤ人やジプシーや政府を批判した者を収容所で殺しておきながら、彼らは生き残れないとレッテル貼りした。ダーヴィニズムを社会に適用する過剰な言説に気をつけよう


     え  い い い

まだへんな  書 て な...

      を い い

このへんな文 描 て るから

      を


storyteller

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ホーホー、漢字は仮名の大地の何処にも属するがその部分とならないのは、漢字が先行するから。思想だって、後の時代の新しい思想の部分とならない權利をもっているニャリ


1648年はウエストファリア条約と清教徒革命の年。そう学校で教えられる。近代国家が作り出した学校で教えられる今日の感覚からすると、世界史はここから近代国家体制へ一直線で行く。しかしそうだろうか?そう単純ではない。ボイン川付近で、退位させられて1690年ウィリアム3世率いる英国・オランダ連合軍と、ジェームズ2世率いるアイルランド軍が戦った。つまりこのときはカトリックアイルランドカトリックのイギリス側で戦っていたのである。しかし彼らはプロテスタントのイギリスにとって反乱者とみなされる。昨日は体制側、どうしてこういうことになっちゃったのというかんじで今日は反乱分子である。この400年前から20世紀の内戦を考えよう。‪歴史を無視する21世紀の‬ブレグジットは思考停止


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 北アイルランド紛争に和解をもたらためにどうしたらいいのか?アイルランドにおけるサッカーのナショナルチームに向けた応援を芝居化した一人舞台をみたことがある。観客席の男は緑の旗と青の旗の両方をもっている。だけれど男はアイデンティティを前提にするかぎり、そのことによって、紛争当事国のどちらかの旗を決めて応援せざるを得ない。と、テロのニュースがはいってくる。テロを報復するテロのニュース。男はどうしたらいいのか、こんなはずじゃなかったと、まだ緑の旗をもつのか、再び青の旗だけを持つのか?不安と焦燥、無力感、応援できなくなってくる...


"You’re trying to leave yourself behind, but you can’t. The more you try to run away from yourself, the more you’ll have yourself with you." 

- F. Scott Fitzgerald, The Adjuster




MEMO

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“Many people in the West really don’t understand Chinese history and the deep cultural traditions that exist in China.”

ーFrancis Fukuyama


新自由主義新保守主義とともに成り立った所謂ネオリベ経済学は、言論によっては覆せぬケインズ経済学の絶対的権威に数学で挑んだが、その限界は80年代にはマルクス系が行ったネオリベ経済学の厳密な数学的再構成によって証明されてしまった。これによって新自由主義新保守主義は知的支えを失ったとわたしはそう考えていたのだけれど、これらはかえって自由に、節度なくというか、東京中心主義に対する異議申し立てを通じて何でもかんでも喋るようになる。かえって経済学は二次的な周辺の知に置かれることによって、普遍を語る中心の知を占拠しはじめたかのようである。しかしその内容は、伝統でも保守でもない明治維新の近代を称えるだけだったから、必然として東京の外に東京に対抗する東京を作る主張でしかなくなった。現在もしそれを東京の中で言うとしたらそのアナクロニズムに何と言ったらいいだろうか?日本新自由主義新保守主義は伝統と保守を主張しているときに彼らから遠ざかるものは伝統と保守の知だ。これを天皇抑止論者が批判するという現在の絶望(ただし、国家からの<自立的私>の課題を殺戮するこの言説は、新自由主義新保守主義ではなくて、構造主義からくるものだ。この場合、天皇を批判しなかった吉本は構造主義者の一部である。)伝統と保守の知は、学問と文化、経済、政治は、ひとつの原理主義に包摂されない空間のネットワークとして一体としてあったあり方を記憶している


推敲中

伝統と保守の知に依拠すると言うのならば、京都(学問と文化)と大阪(商業)と江戸(政治)が構成したネットワークのあり方を空間的に一体としてあった関係として考え直してもいいだろう。鎌倉時代と比べて統治の範囲が遥かに普遍性をもっていた江戸幕府のもとに、流通は物と共に知を運んだ。そうして商業空間から懐徳堂という学問の場が出来てきたのだ。歴史を参照すれば、現在のように学問・文化を経済と対立するかのように考えることはできない。経済は自己に定義を与えたときは、学問と文化による概念の再構成(「経世済民」)を必要とした。西欧の学問の語彙の多くは蘭学のこの時期に翻訳されている。おそらく翻訳がなければ明治維新などは不可能だっただろう。


ゴダールの編集では音楽作品を使うとき冒頭が使われることが多いのは何故か?スクリーン上の投射においてはじめて見える意識の塊をきかせようという現象学的企てだろう。このときエクリチュールを排除する必要もないとわたしはおもっているのは、サイレント映画現象学的に成り立っていたわけで..


「文法的だが受け入れられない」(grammatical but unacceptable)。

この原則をもっと言うと、ヨーロッパにおける文法の成立と展開を議論する論理と思考の自由があるが、そこに、何でもかんでもヨーロッパの思考を枠づける正当化が必要なのでしょうか?文法のある機能が失われたことを根拠に、ヨーロッパの思考が不完全になったと考えること。根本から問う学の知としては考えることができるかもしれないですが、どうもラディカル・リベラルの感じがしません。カント哲学における有限性の意義をみとめた反権力のドウルーズから影響を受けて考える哲学者に宛てて言うことですが、果たしてそれは現代思想多元主義の方向性をもっているのでしょうか?わたしはちょっと疑問なんですね


江戸万歳!は過ぎ去った。まだ江戸があるとしたら、武器としての江戸思想史である。これは、近代が「前近代」と見下す思考の平面ーひとつの原理に包摂されないーを打ち出せること


大正デモクラシーは戦争体制に邪魔されて不完全に終わったと戦後民主主義は言う。逆である。日本帝国主義の完成から始まる大正デモクラシーが戦争体制を推進したのでは?それは満州事変を準備する統制だった。大正は事実上明治末から始まった。日比谷公園焼き討ち事件、大逆事件大杉栄虐殺。関東大震災以降の右翼の台頭。大正の言説空間は偶像の再興と脱神話化との間に揺れ動く


「総理になったのは天命だ」と安部が嘘ついてないならばアジアは天帝が二人もいる。もはや国家でしかないのに自らを普遍をもつ帝国と錯視していたら他の住民から反発されて当たり前


 ‪天の絶対性は天罰として表象される。顔回を失った孔子は天を仰ぎ見るしかなかった。読むことが不可能な原初的テクストに意味を与えたのに学の継承者がいないと。われわれは天の主宰者としての意味を知ることができずに大地に立つのである。顔回の葬儀は簡単だが心を尽くして行ったらしい。‬


丸山真男の講座派を包摂した市民社会論は永久革命のラディカルモダニズムだった。吉本隆明はこの言論によっては覆せぬ絶対的権威の近代を問うた。竹内好が「近代の超克」を問い直した。そして祀る神は祀られる神である構造(天皇制)の問題が顕在化した後期近代の現在、思考の平面(昭和史)は自ら、昭和十年代に留まる権利を主張する


アイルランド内戦を描いた映画のラストでナレーションは、クーデターがもたらした「銃の政治は終わった」と語る。これはアイルランド映画ならではの<嘘のナレーション>として現れるものだ。さて明治維新150年で、明治維新万歳!をたたえるひとはもういなくなった。「植民地主義を終わらせた」と前置きしながら明治維新の批判を語ることが当たり前になったとき、昔教会の下の劇場でみた芝居は「明治はまだ生きている」と語ったことを思い出す。明治維新は嘘つきではないか?それは、「今こそほんとうのことを言う」と語るとき、銃で射殺してくるような暴力だ


イギリスにいたときは、契約書(保険)を作るときは第三者の承認が必要ですが、これは誰でもいいのですね、たまたま地下の駐車場にいた人にサインして貰ったことがあります。こういうのは現在の日本ではないのですね。


江戸時代は仲介者が介入する契約の成立のあり方に関心を持ちました。


議論のあるところですが、天皇の古代王権は近世まで存続していたとみる見方があります。日本は古代王権と武士政権との二重体制だったというのですね。律令制の外部で訴訟社会に生きた鎌倉武士たちは、一生懸命漢字を読み(僧侶から習ったでしょう)、漢字を読めない者は平仮名を読んで訴状を作るのですが、このとき中世の価値観である「お天道さま」に誓ったのかどうか関心がありますが、天の公を超える依拠に関するこういうことは文献として残っているわけではないのでどうも何とも言えません。


反省のない子供だったから先生からけじめノートを作らされた。写経のつもりで全ぺージを「けじめ」の字で埋め尽くした。けじめのないノートに呆れられた..


柄谷行人は、映画『ラストエンペラー』について書いた文だけか、読めるのは。彼は外部について書いた。この映画評で廣松渉から出なければいけなかった自分のことを考えたに相違ない


『忘却のキス』も医者が登場する。人間を問う文学は自らの為に、人間の内側を切り裂く解剖のイメージを求める。と私は経済学に成るー生命が死と直面する危険極まりない地域の側から


文学者に拘る知識人が帝国の経済学を書くと、経済学の中心には他者を無きものにする彼が惹かれる文学的解剖の欲望が見出される。自らの欲望を検閲している互酬性Xの語で隠蔽するが


権利のない社会と不平等に抗議する言論活動に対しては、米国の警察と香港の警察は外見的には変わらないです。もし「黒人暴動」が米国の大きさをもった香港で起きていると考えてみたら何が言えるでしょうか?グローバル資本主義の問題が地域的に「黒人暴動」の形をとっているのではないですか?それならば、この問題は此方の問題ではなくて彼方の問題なのでしょうか?


 ‪柄谷行人の「世界史」の動因は専ら戦争です。その意味でヘーゲル的なのですけれど、ほかにないのでしょうか?例えば津田左右吉は本を書いたときこの厚さが国家と対等な<自立的私>のイメージです。1970年代から重要になってきたのは、「私<と>私」は国家に巻かれても、ノマド的にウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤして巻き返すノマドの思想。帝国のノマド的デモクラシーに対する国家暴力を正当化する礼の言説は過剰だと思います‬


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‪Le Maître dit ; <Pour gouverner un État d'une certaine importance, il faut traiter les affaires avec dignité et bonne foi, cultiver la frugalité et la compassion, n'imposer de corvées au peuple que durant les périodes prescrites.>‬

‪Confucius, Les Entretiens ‬


此方の問題と彼方の問題は共通であるか?此方と彼方の差異を消去してしまうと、此方の問題も見えないし彼方の問題も見えなくなってしまうことだってあるだろう。しかし現在香港とアメリカで起きている問題は、此方の問題と無関係な彼方の問題なのか?そうだとはおもわない..



昔は単純でした。この時代はほんとうに複雑で色々なことを考えます。クリントン(旦那さんのほうですね)が「市場と両立する社会民主主義」と言い出してから、民主党共和党の差異がなくなりました。そして現在これが原理主義に包摂されるかのように、ツイッター世界からトランプが現れてきました。トランプは、何がなんでも彼を支持する4割の支持をもって全体意思をもっています。これからツイッターとのたたかいが展開しそうです。この風景と、儒教文化に包摂されるような中国の官僚資本主義の風景は、あえて書くのですが、びっくりするほど(笑)それほど違うものではありません。それは西欧の体制が中国に棲み始めたからです。毛沢東とマリリンモンローの結婚と揶揄されるポストモダンの風景でもありますね。しかし西欧と異なる決定的な一点があります。中国には土地の私有が一切みとめられていないことです。毛沢東にしたがった古参の三世、現在の共産党の超富裕層が海外の土地を買いまくり子弟たちを米英の大学に留学させていますが、もし文革のような反乱が起きると政府がまるごと海外に亡命しなければならないというような変な体制です。グローバル資本主義の分割として帝国アメリカがあり、帝国中国があるのですが、問題は、仲が悪いんだか実は支え合っているのかさっぱりわからないこの米中の構造のことばかり考えていたら、迫害され命がけで声をあげる人々が見えなくなるし彼らが何を言っているのか考えられなくなってくるでしょうね。


「私は何を希望することが許されるか」とカントは問いました。わたしはこの文の意味を考えています。は、言語的存在である「私は何を知ることができるか」と道徳的に要請されている「私は何をなすべきか」の後に続くこの言葉が一番大切だとみるひともいます。なるほど、こういう時代だからこそ大切な問いかけです。日本語の「希望」は、輸入してきた中国語の「希望」が意味するようには存在していないときいたことがあります。

「希望」の語はいつ、一般に使われるようになったかに関心があって、大正かしらと思うのですが、資料的根拠がありませんからテキトーに喋るのですけれど(すいません)、ただ、大正の「希望」は、明治の「希望」とかなり違うと思うのですね(大正の希望は人間と等身大というか。) 江戸時代に「希望」に対応する言葉はあったでしょうか、無いかもしれません。昭和の希望?大江健三郎は「希望」という言葉を書きますね。戦後文学がはじめて罪悪感を問題にしたということをかんがえると、戦前は罪悪感なき希望だったのかな?

中国知識人が「希望」という字を使って書くときはものすごく絶望しきっている自分の状況を表明するときだけだという話を子安宣邦氏から伺ったことがあります。知識人に対する弾圧は、現在の体制のことだけでなく、2500年続いていることだということを知りつつあります。昔、30年前ですか、中国映画(『学校の先生』等々)を沢山見た時期があったのですが、共通していたのは、希望にたいして絶望しきった態度でした。


「私は何を希望することが許されるか」というカントの文に戻りますと、絶望し切っているところに、「私は何を希望することが許されるか」と問うているあり方を中国映画から学んでいたのだとやっと理解しつつあります(遅すぎですね..)


 ‪グローバル資本主義の分割として帝国アメリカー表象”アングロサクソン”ーがあり、帝国中国ー表象”中華世界”ーがあるのですが、問題は、仲が悪いんだかそれとも実は支え合っているのかわからんこの米中の構造のことばかり考えていたら、そして日本の中で何言っても無駄な乱世にすっかり慣れてしまっていたら、迫害され命がけで声をあげる人々が見えなくなるし、彼らが何を言っているのか考えられなくなってくるでしょうね‬


ハーメルンの笛吹き男の話が好きだった。現代は小説を書く男が「天皇の大御心をききたいみんな」を拐うのは笑わせてくれる。ただ青年将校達も初めは冗談でやっていたつもりがね..


『漢字論』は、不完全な理解ですが、二度読みましたが、『朱子語類』を読んでいただいたおかげで、第三章を発見しつつあります。私達は漢字訓読で読む過去の母語への距離があるのですが、わたしは不勉強ながら、講座で中国の友人たちと出会えたこともあって、彼らにとっては過去の母語を17世紀の注釈で考える距離を知り、彼方と此方の間で漢字を一緒に考える面白さというか 問題意識が深まりました。同じ対象(思想)をみているときに、言語が現れることの不安、絡みあっている距離の二重化とでも言うことができるでしょうか、これは何かと気になっています。また『朱子語類』の読みと平行して行った講座「明治維新の近代」で津田左右吉の音声化のラディカルモダニズムの視点を批判的に考えてきましたので、また第五章を読んだら時枝の別の物の見方をもっと理解できるかもしれないとおもっています。


...文の影響かもしれないとおもうけど、絵をスケッチしてみたら画家ベラスケスの筆が闇を切り裂くナイフみたいになっている。画家は二重化によって王の場所に立っているが、王の視線=画家の視線という等価はあり得ない。そういう同一化は二重化を無意味にしている。仮に同一化を指示するときはそれは絶望しているときだけだ。絶望こんな本質的なこともどうして理解できないのか呆れるが、この種の近代の権威主義は、バロックの絵ーどこに立つかの偶然を利用して従属から逃れる精神ーを鑑賞することが無理なのだろう。このこと自体も近代の入り口に描かれた絵が映し出すのであろう。『言葉と物』第10章を読むときこの絵は役に立つだろう。歴史主義は、人間が自身を権威とするような内部に絡み取られる結果、非歴史化された人間像を思い描くのである。


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推敲中

先人の遺文とは書かれたもの、今風にいうと、エクリチュールということらしい。ただし先人の遺文イコール書物ではない。伝説的にいうと、孔子は書物をつくりだしたという。孔子の前に、書物は存在しなかった。仁斎の大意(子安訳)を読んで面白いとおもったのは、学問はその初めが大事なのだれど、もっぱら文章を学ぶことを重んじる。だが、「古えにあって徳行と学問とは、別のことではなかった」という。その「徳行」の意味はなにかという問いが起きるが、すくなくとも、行為とか行動の質が問題となる行いのこと。学問と行いは切り離していけない。講義がはじまった4年前にこれを読んだときの私の勝手な理解であるけれど、エクリチュールを中心にした脱構築的解体にとどまらず、そこから、市民として何をするかということが問われているようにおもった。


推敲中


普遍主義といえば、ヨーロッパ。その中心にフランスとドイツとイギリスがある。そういう国々の中心的近代は自らを(自らが想像した)古代に表現しようとする。日本近代と大和王権の関係がそうである。(現代人は古代劇の仮面を以て自らの姿を隠す、あるいはそれによって自らを表現しようとする。)ただし、中心があり、切り離してはならない外部がある。アイルランドの近代は、中心的近代とは異なる、非連続性の思想をもっている。例えば、古代との文化的同一性を強調してみたところで、19世紀にはゲール語は消滅しきったのだから古代を読む方法がないのである。そしてゲール語は植民地時代に、たしかに抑圧は存在したけれど、アイルランド人自身が生活の必要から捨てたのではないだろうか。ジョイスの「ユリシーズ」が言いたいのは、連続しているのは、アイルランドの民の生活だけだ、そして知識人の言説のあり方から独立したような実体としての文化的同一性などが存在するわけではないということ。古代人は現代のブルームのお面やモーリーのお面を手にもっている。このことは、過去からの連続性はあっても同一性はないとということを書いたのが『ユリシーズ』であるとわたしは読む


こういうマスクもありありじゃないでしょうか。ただしジョイス文学では古代ギリシャ彫刻がかぶっているようですけどね。偶像再興の和辻ならば仮面を被るのは仏像ですが?脱神話化の津田左右吉がこれを否定し尽くす?ギリシャであれアジアであれ、これは何をあらわしているかはっきりわからないですけど、現在の関心に即していえば、普遍主義の再構成は起源の再構成をともなうこと。普遍主義と起源を無制限に再構成すると、人間があらわれてこないこと。無制限を制限するときに、人文諸科学の成立とともに存在する人間という自らを起源とする永久革命(破綻した)があらわれること。人間が消滅した後は、無限なき有限性。決定的な分析の空間に広がるのでもなく、上昇する絶対の領域に向かうのでもないような、絶えず境界線がズレていくしかない、破片としての部分的全体性。言語が定位する起源なき廃墟


象徴性を過剰に超える統合性は国民主権を危うくすると憲法も警戒しているのに、どうして、自分たちに不利になる方向に惹かれて行くのでしょうか?構造だからでしょうか?たしかに、天皇ファシズムとは、現人神である天皇が国家祭祀を主宰する無制限の権力ー憲法に書かれないーをもつ構造でした。ほかでもない、ここから、天皇は植民地化したアジアに向かって大御心を語ったとき、‪全体主義軍国主義の方向が一致しました。‬だから現在この歴史を知っている人たち、もっと自由に喋らせてくれと要求する人たちは、戦前のように再び大御心をみとめることは不可能です。構造を超えるためには、国家祭祀の禁止に依拠するしかないではないかとわたしはおもいます。

象徴性を過剰に超える統合性は国民主権を危うくすると憲法も警戒しているのに、どうして、自分たちに不利になる方向に惹かれて行くのでしょうか?構造だからでしょうか?たしかに、天皇ファシズムとは、現人神である天皇が国家祭祀を主宰する無制限の権力ー憲法に書かれないーをもつ構造でした。ここにおいて天皇は植民地化したアジアに向かって大御心を語ったのです。だからこも歴史を知っている人たち、もっと自由に喋らせてくれと要求する人たちは、戦前のように再び大御心をみとめることはないのです。現在まだなお構造と力について語る価値があるならば、構造を超えるためには、国家祭祀を禁止する力に依拠するしかないではないかとわたしはおもいます。


「知識人が真の知識人といえるのは、形而上的で高尚な理念に衝きうごかされつつ、公正無私な、真実と正義の原則にのっとって、腐敗を糾弾し、弱気をたすけ、欠陥ある抑圧的な権威にいどみかかるときなのだ。」ーサイード『知識人とは何か』

「形而上的」がアジア形而上学ではダメなのか?「理念」は仁斎学における道徳性では足りないのか?「真実と正義」の普遍について横井小楠は何も語らなかったのか?「欠陥ある抑圧的な権威」は戦後も現れてきた現人神ー祀る神は祀られる神の構造ーのことではないのか?

‪オフィーリアと呼んでいる母が茅ヶ崎にいてこれが猫のなかの猫みたいな存在なのだが、気紛れの猫に愛されるのだって難しいのだから、猫の猫に愛されることなんて...‬


ベートーベン生誕250年


ラス・メニーナス』の複雑な構成は西洋絵画の分野では盛んに分析されたが、最近手に入れたフーコ『言葉と物』の表紙のように枠付けると、絵は単純である。絵のなかの臣民が見ているのは、ほかならない、王の身体、”御真影”である。再び絵の中に画家の姿を構成すると、絵は複雑になる。近代の絵画は描く画家の姿を描かないのである(マネは例外である。)

さてだれがどこに立つかは偶然であるとするのがバロック芸術の大前提だ。画家は王が立っている場所に立っているが、そうでなければならぬという必然性はない。画家はたまたま立っていたかもしれない。王もほんとうにそこに立っていたのか?壁にある鏡のなかの王の姿も殆ど消えそうではないか。フーコは王と画家と人間が同じ場所に立っているというとき、彼はそう考えてみたらどういうことが言えるかと読者に問うた。三者はあたかも鑑賞者のわれわれが立っているところの裏側から部屋の内部を見ているようである。このとき臣民と見つめ合っていると考えるひとはナイーブすぎる。事後的に、見つめ合いの場が描かれただけで、現実はモデルの常として臣民たちは全員バラバラの方向を見ていただろうーバスケット選手たちのように。ベラスケスは隠蔽しているが、どの視線も他の視線に従属しない。視線と視線は重なりあうことはない。重なり合うのは画布の表側と裏側だけである。バロック芸術の本質は折り曲がることにある


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宋の時代に遡ることですが、『四書』においてはいわばバベルの災厄とフーコが呼ぶ事態が起きていたと理解しています。朱子が行ったことは‪『四書』の読み方を変革して言語(ランガージュ)の奪回をはかったことではないでしょうか。東アジア世界のコスモポリタニズムの成立です。本居宣長の「天地初発之時」から漢字的意味と思想とを追放したことは、アジアにおけるバベルの災厄と比べられますが、しかしこの場合は普遍性の奪回ではなくパロール的バンダリズムbandarismです。音声化のラディカリズムと能記と所記の隙間なき網目の成立。隣国同士で互いに何を喋っているかわからないナショナリズムはここから始まったとも考えてみることがゆるされるでしょうか。「日本人」の成立です。子安先生が「宣長大好きな日本人にとってこれは最悪な本」を書いてくださったおかげで、「日本人」にとって思考できなくなった最悪でもまだ何かの思考が残ることを教えてくださいます。文化の他者性とは何か?この本こそは、他者の言語の存在を思考させてくれます!‬



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恵比寿で蕎麦を食べていたら、ローゲを思い出すような稲妻にびっくり。ワグナーの『指輪』は力だけが支配する善悪なき世界であると言われるが、それではファシズムの世界だろう。しかしそうではない。ワルキューレブリュンヒルデ(娘)と神々に君臨する主神ヴォータン(父)との間の議論ー長々と続くのでウンザリさせらるけれどーに、ギリギリの倫理的要求がある。

(下はベルリン・ドイツ・オペラ1987のパンフレットより)

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嘘は人生に意味をあたえることがありますが、場合によっては嘘は他者から人生を奪ってしまいます。演劇界のハロルド・ピンタがイラク戦争で嘘をついたブレア首相に抗議する形で言ってました。芸術は嘘が必要であるけれど、政治家は嘘をついてはいけないと


Le projet de se peindre soi-même pour instruire le lecteur semble original, si l'on ignore les Confessionsde saint Augustin : « Je n’ai d’autre objet que de me peindre moi-même. » (cf. introspection) ; « Ce ne sont pas mes actes que je décris, c’est moi, c’est mon essence. » 


墓のように鍵がかけられて本居宣長の他に誰も入れない『古事記』の部屋から、本居宣長は脱出していたかもしれない。記号<『古事記』>は古代人の心をあらわすことが不可能なようf:id:owlcato:20200608202240j:plain


私は高校生のとき小林秀雄が好きでしたから、自分の力も知らずに、いつか批評家になりたいとおもっていたのでした。思想史的に言うと、50年代にマルクス主義批評(例.丸山真男)が終わったときに、小林秀雄が大事になったといわれます。小林は自分が戦犯なのかわからないまま、喋る続けますね。そこでテクストを通じて自分を語ることを良しとしたのです。『本居宣長』を書くときは、テクストを通して宣長の心を語ることを良しとしました。そして宣長も『古事記』を通して古代人の心を語ったはずだと。私の心=宣長の心=古代人の心。遠方から友がやってくるようにこの等価式が成り立つはずです。しかし実際は上手くいったでしょうか?子安先生が指摘なさるように、宣長の心をいくら追いかけてもうまくいかないのです。結局かえって、テクストを通じて私は存在すると言うことは不可能であると示してしまったのだと私は理解しています。(公の知であるマルクス主義にたいしては、「私」が存在しないと小林はみとめるわけにはいきません。)宣長は古言を解釈するためにただ方法として古代人の心を想定しただけです。とにかく小林が本居宣長において行ったことは、同時代的に、ウィットゲンシュタインがやったことをやった勇気のある探究だったとわたしはおもっているのです。小林秀雄からこのことを学びましたーテクストを通じて存在するのは公を超える天だけだと(これは吉本の言葉を借りると「信の構造」です)


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そもそも世界地図でカイロがどこにあるのか指させないような読者たちが、「カイロ大学歴詐称」自体に怒ってもね(笑)。カイロでなにを学んで、何を言うかということが非常に大切だったと思うのですけれどね。一般的に言って、どこの現地の知識人たちは外国人に話を聞いてもらいたいのですから、大学の周辺にいてもかならず何かを学ぶ機会がありますし、帰国後の勉強が大切になりますが、何とか日本を外からみる視点をもつ可能性だってあるでしょう。レジャーランドの時代に舛添ゼミで一生懸命勉強したこのライターの本は大学のイメージにたいしてノスタルジーをもちたい人たちに訴えるのかもしれませんが、大きな視点でみると、明治時代から同じ体制を続けている西欧の学問中心の、戦後三世代めになった日本の大学。そして、もともと黒塗りが得意ではいってきたひとたちが三代目、四代目となって今日オンライン授業で教える時代の大学ではないですか(笑)。

嘘に怒っている人たちは、何でしょうかね、安倍晋三時代にあってナイーブというか、本物にこだわる起源に関するナショナリズムがあるようにおもいます。昔は国籍不明の感じの原節子でしたが(右翼とは知りませんでした)、今日はアラブから来た小池が演じる起源のオブセッションを嘲笑った、節操のない映画ぐらいのものだと思えばよろしいかと。イスラムのことも考えなくてはとおもうために、できれば、アラブの言葉をもっと使っていただきたかったでしたが、今回は投票は彼女の公約実行で判断すればいいとおもいます。わたしはまったく評価しません(私は東京の投票権ないですけれど)




MEMO

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17世紀といえば「危機の17世紀」。この「危機の17世紀」にヨーロッパは外部へ出た。実はアジアも外部へ出た。その17世紀半ばからヨーロッパでは芸術批評が一般の人々に読まれることがはじまった。それまでは特権的な階級だけが読んだ。これは偶然だろうか?これについて、子安先生から大きな宿題を与えられてしまった。素読だけれど一年かけて芸術理論の歴史を読んだ。『仁斎学講義』(ぺりかん社)に書いてあった通りだ。ヨーロッパもアジアも外に出なければ、天を見ることができなかったのだ。21世紀のわれわれは「危機の17世紀」に依拠して生きているのだけれど、「危機の17世紀」は19世紀に帰ることによって隠蔽されてしまっている。だけれど内部に帰る必要がないのだ、そのことは1970年代と80年代に明らかになって来た


推敲中

1950年代迄に映画はそのあるゆる可能性を尽くしたといわれる。映画は失敗したまま完成してしまったというか、とにかく、映画に未来はなかった。映画は、トーキーの時代に忘却されてしまった過去の映画を読み解いていく映画の痕跡を拾い集めるだけである。例えば『野生の少年』(トリフォー、1969)のように。ここからはじめて、分節化された映像のなかに、それをつくる人間の姿ー物語のなかに分節化されないーが投射されたのである。それまで映画は視野としての映像しかもっていなかった。21世紀に映画が消滅し切ったとしても、1950年代から、スクリーンは自らを見ている投射をもっていたから、他者からの問いが成り立たつことができた。その問いとは、存在しないものが存在しているのではないかという倫理的なものである。この問いは、映画が存在していた時代には不可能であったことは説明の必要もないだろう。





『江戸思想史講義』(子安先生著)の中国語訳


「本は世界のイマージュなのではない。本は世界とともにリゾームになる。」(D&G) これは、もし世界が帝国を意味しているとすればどういうことが言えるだろうか?世界は、言語支配者の帝国の中心は、自己の思考(朱子学コスモロジー)にもとづく言語マイノリティーの周辺の非思考へ行くとき、帝国としての本はそこに他者をみるだろう(17世紀江戸思想)。また今度は、本は、帝国としての本は、世界のすべてを包摂しているにもかかわらず決して十分ではないと感じられるとき、世界は外部へ行くのである、他者をみるために。宗教マイノリティーとの関係、隣国との関係を帝国の中の他者として考えはじめることだってあり得る


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<イギリスの料理>は権威に質問しない社会のイメージだし、映画『戦艦ポチョムキン』は腐肉のイメージを以って<われわれは真実に値しないのか>という曖昧な観念を明確にした


昔は冤罪を国家犯罪と呼んでいた。検察の正義感の暴走が国家犯罪の原因か?否。彼等は事実が無くとも、「犯人が必ずいる」という国民の期待に応えるのだ。裁判官の責任が大きい。


小泉と安倍の場合のように、国民の圧倒的人気をもって首相に選ばれれば必ず間違いをおかすが、少なくとも田中角栄は日中国交回復を実現させたアジア主義の政治家の一人だった


フリッツ・ラング『M』(1931)は誤解されてきた。ナチズムとして描かれているのは、ベルリンの連続殺人犯ではなくて、犯人を包囲していく警察とブルジョワの協力、そして今でいう自粛警察の側である


何でもかんでも喋る「パレーシア」の民主制を揺るがしかねない問題があるらしいが、何かこれは、知識人ではなくて政治的責任をとらなくていい文化人になりたい人が多いことも関係するのかしら?知識人は宗教について語るときは宗教から距離をとる。たとえば儒家知識人は原始儒教の祖先崇拝を否定しないが、自らを孔子とか聖人に同一化することはなかったのである。本を読む仲間の間で、思想(史)のことを議論しているのに、宗教の中から何でもかんでも話しはじめちゃう熱心な人が痛いよなあ



歓喜の歌(喜びの歌)An die Freude」


Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium. Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!

歓喜よ、美しき天来の霊感よ、エーリュシオンの娘子よ、われらは火のごとく酔いしれ、至高なる者よ、なんじが聖所に入りゆく」


‪慶応三年のヘボン和英語林集成」初版から二十年間で約15000語増加した。その殆どは(国産の)漢語だった。物の見方がネイティブ化していくと、その中あって別の物の見方をするのが大変難しくなる。漢字文化圏のアジアの近世から日本の近代を解体できなくなる‬。

国産の漢語については、例外なく、‪日本近代の成功をもたらしたものとして‬称賛されるのだけれど、敢えて言うと、失敗だったのではなかったか。そう考える根拠は、100%過去を捨てきった日本だけに抵抗が起きてこない現在を考えると明らかになってくる。もっとも国産の漢語がなければ、翻訳による近現代演劇も、近代批判をはじめた『言葉と物』も読めないのだから、決して単純に「過去へ帰れ』と言おうとしているのではないよ。ただ、江戸時代よりも遥かに差別を生み出した明治維新の近代なのに、それが推進した<一国>民主主義と自立的一言語の体制(『国語』)が失敗だったと考えてもよさそうなのに考えることが出来ない理由は、これを国産の漢語だけによって考えようとしているからではないか。


自民党政治家が’#検察庁法改正案に抗議します’は「考えていない」と言ったが、対抗メディアのおかげでこの人は生まれてはじめて「考える」ことの意味を考えたようにみえます



渡辺一民氏は、フーコ『言葉と物』第十章「人文諸科学」を読むときは、他の学者と違って、本の最初の頁、ベラスケスの絵とその分析の言葉を絶えず思い浮かべながら読んでいるとわたしに言った。そういう風に読むのは僕だけだよと。この違いはなにをもたらすのか?現在第十章を再び読みながら考える。


「かくて画家の至上の視線は、ひとめぐりすることによって、その絵を規定する潜在的な三角形を得るのである。つまり、その頂点ー可視的な唯一の点ーに芸術家の眼、底辺の一方にモデルのいる不可視の場所、他方に、裏がえしにされた画布のうえにきっと素描されているに違いない形象がある、そのような三角形をだ。(Foucault LES MOTS ET LES CHOSES)


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1758年分類学の父リンネは、ヒトを以下のような形態的特徴に基いて新種として記載した。

1. 直立した時に、頭の重心は両足の間に収まる。
2. 骨格は、直立二足歩行を支えられるしくみになっている。
3. 前足(手)の付け根は体の両側にある。
4. 後ろ足は前足よりも長く、かかとがある。
5. 体の表面の毛は薄く、ほとんどの皮膚は裸出する。

こうして私たちヒトは、動物界脊索動物門哺乳綱サル目ヒト科ヒト属サピエンス種という分類階級が与えられた。

同様に形態的な分類から、私たちは、ヒト科の中ではチンパンジー属がもっとも、次いでゴリラ属が近縁であり、オランウータン属はかなり縁が遠いとされた。近年では、DNAの塩基配列に基づいて系統分類を行うことが普通になったが、その結果、動植物においては形態による系統分類とDNA系統分類が大きくはずれてないことが判明した。


‪ウイルスの問題を考えるときは<いかに\しなければならない>を語る。また不景気の問題を考えるときは、(非常事態宣言の解除時期をめぐって)<正しい\正しくない>を語る。そして言語の問題を考えるときは(安倍の理念なき政治を語ることについて)<意味がある\意味がない>を語っている。ウイルスと不景気とナショナリズム、この知の三角形を考えるための思考の共通の平面はなにか?


‪ ‪鎖国とは何であったのか?

鎖国ほど評判の悪いものはない。ここでわたしは、鎖国とは何であったのかかんがえてこれを擁護しようとしれいるのは何故だろうか?21世紀に、世界資本主義の分割である帝国の時代に、‪市場至上主義の新自由主義的経済秩序から自立した‬鎖国の人類史的意味を考え直してみようというのである。

欧米の資本主義的生産と交易圏の拡大要求が軍事力を以って東アジアに達し、中国を侵犯しはじめた近代に鎖国がとられた。徳川時代鎖国は本当にそれほど鎖国だったのか?たしかにキリスト教を禁じた。しかし徳川的近世の民は、外部からの文化の接触によって豊かに成長していく文化を理解していたからこそ、東アジアの朱子学の普遍を積極的に学んだ。その結果、普遍の中心へ行っているとおもっていたが、それとは正反対の方向、多様性の方向へ行っていた。では普遍をもとめる知は再びどこに現れるのか?西欧に普遍があるならばむしろそれを受け入れるために国を開く準備をしていたのではなかったか(横井小楠)。子安先生の北京講演で、方法概念としてのもう一つの「近代日本」が問題提起された。近代主義が語る世界史にたいして、もうひとつの日本の近代(徳川的近世)からは、統一政権の成立、全国的交易・流通網の成立、民間教育の普及、都市と都市的生活圏・文化圏の成立のあり方を理念的に見渡すことができる。‬


こういうのは芸能人の橋下が無思想に要領よくうまく解説してくれると思いますが(爆) 、これは法の思想の根本にかかわる非常に難しい問題です。これは大変な議論になってしまうので、教科書的なことについてなら実定法理解の落ちこぼれのわたしのような者でも一言二言、言えます(言えるかもしれません)。古典的には、つまりリベラル的には、原則は法は行為を罰して人を罰せず、です。だから構成要件の賭博行為が犯罪を構成するというふうに教科書に書いてあります。古典的には、構成要件に該当する違法性の疑いのある行為が犯罪を成立させる可能性があるとかんがえていいとおもいます(もちろん学説の争いがあり)。その構成要件を読む限り、単純賭博より常習賭博のほうを重く罰しているのは(前者は2年、後者は3年)、法が人格性を裁こうしていることの現れですね。これについても学説の争いがあり(といっても、常習性のある人と賭博したときの常習性の共犯性の成立の範囲が問題にされるだけ)。思考の順序として、構成要件的には、違法性の疑いのある行為のなかに、責任要素である人格的要素を含ませているのは引っかかりますね。カントの道徳論を知っているひとは引っかかるのですが、犯罪「者」から社会を防衛しようと考える刑事政策というか政策しか関心のない人は引っかかってきません。古典的には、検察官が悪人かどうかは判断してはいけないのですが、実務に影響力のある刑法学説のなかには、行為の存在論的構造を重視して、悪人であるか、生い立ち遡って悪人になったことに責任があるかなどを問題にしますね(汗)。最後に、”程度の問題”というのはその通りで、構成要件に該当する違法性の疑いのある行為だとしても、可罰的違法性があるかどうかによります。


大島渚『絞首刑』の中で描かれていたように検察官というのはもっとも国家のイメージを体現していたが、現在は安倍の国家のカジノ化に奉仕する市場資本主義のイメージになってきたね


機関説と申しまするは、国家をそれ自身に目的を有する恒久的の団体、一つの法人と観念いたしまして、天皇は法人たる国家の元首たる地位にありまし、天皇憲法に従って行わせられまする行為カ、即ち国家の行為たる効カを生ずるということを言い現わすものであります。(演説「一身上の弁明」)


政治の問題は操作とコントロールの問題だからどうしてもそれについてばかり話すことになる。否、政治が芸術と市民エシィクスとセックスと想像力と一体としてあると語るのは誰か!?


資本論』を語ってごらんなさい。しかし『資本論』を語ったところで何一つ語ったことにはならない。繰り返して読んだこだわりを語るだけだ。これではわれわれは笑うしかない‬


資本論』を語って御覧なさい。しかし語ったところで何一つ語ったことにはならない。繰り返して読むこだわりー自己同一の全体主義ーのほかは。これではわれわれは笑うしかない‬

無とか空は、過去の日本映画の存在を思い浮かばせる起源なき廃墟のイメージの傍らにある反コスモスである。コスモス=ロゴスを見上げることなく終わりまでここに佇んでいたい


推敲中

アイルランドにいたときに宮田氏が柳瀬訳の問題を検討して新しい訳をはじめました。宮田訳の魅力は、柳瀬氏が読む経験を重んじるとしたら、見る経験を重んじているようにわたしはおもいます。また『ユリシーズ』の中国語訳がでた時代ですね。何年か前にFWの中国語訳もでたらしいです。1980年代に翻訳が充実してある意味ではじめて本が活発に語られることになったのですが、結局は、「読めないUnreadable」というのがこの本について最初に言っておかなければいけないということになりました。「我読まれず、ゆえに我あり」と自己主張しているような天下無敵の本です。しかし読めずとも、世界中の言語に翻訳されている翻訳を通して、すこしづつ理解されてくる本ではないだろうかと。そうだとしたら、FWはまだ完成されていない本ではないかというようなことがいわれています。常に新しい言語による翻訳を必要としています。翻訳が翻訳されるべきものを少しづつ完成させているというのか、翻訳が先行している、何という世界でしょうかね


What true feeling for their hayair with what strawing voice of false jiccup

ーFinnegans Wake

偽のしゃっくり藁声で干し草髪を撫でるときがサイコー

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FOCAULT LES MOTS ET LES CHOSES

まさにブランショの言う通りで、イメージの傍らに無が佇んでいる...

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推敲中

読んだときは、「アンチ・オィデプスー分裂症と資本主義」も読めるようになるのではないかと期待したものだった。この本はそれ自体として読むに値するとおもう。これを読んだとき、時間の意味を考えた。そして時間の「構造」ー時間そのものの分裂ーを理解して驚いた。単純化を恐れずにいうと、分裂は多元主義である。時間が、憲法と同様に、<われわれ>の拠り所となるのは、われわれの<あいだ>に分裂を生産するからではないか。


西欧は、マルチカルチュアリズムの到来にあって、普遍主義の規律を他者に強いることを躊躇った。「グラトモロジー」のデリダは、反植民地主義を言えば足りたルソー主義とマルクス主義を痛烈に非難。同様に、サルトルだけでなくレヴィ=ストロースも、「本来性」に定位する、音声中心主義的起源の普遍主義と告発された


バザンやゴダールたちの観察がすごいのは、遠近法という物の見方を倫理的にとらえてみる方法なんだね。美術史は倫理的な視点はない。そうすると、これを徹底して、映画史における物の見方だけれど、映画はカラーではじまってもよかったが白黒において現れたのは、映画というのは死に対する倫理的感覚をもっていたからだというように物語られる。


20年まえのトリエステに旅したときのことですけど、夜のアドリア海の雷鳴なき稲妻を眺めていたら、海のトリトンのナイフの輝きを思い出しまして、アニメよ、ありがとうと呟きました。たしかにおっしゃるように、テレビではないのですけど、赤塚さんの漫画は貧しくて差別されている子どもたちを主人公にしていたのを思い出します(「おそ松くん」?) 好きでないですが、イタリアで受けている「タイガーマスク」の孤児院とかは差別された世界ですよね。あと、幽霊が新聞配達する漫画を描いていた人の「僕は十円」」。昇華というのでしょうか、彼らから生まれてくる想像世界の大きさに圧倒されることも(海のトリトンもそうかもしれませんでした)。私がいたアイルランドのようにみんなが貧しくあった時代なので自分を惨めに感じていてもそれほどではないのですが、イギリスのように貧富の格差があるとめちゃくちゃ自分を惨めに感じ続けるんです。日本の話ですが、たまに流れてくる現在のアニメを見るのですが、惨め感を非常に巧みに表現できるんだなと感心します。豊かさが前提となっている、欲望の偶像に届かない距離を心理的に描けます。世界中にある差別にどんどんそこに繋がっていくというポストコロニアルワールドの大きな普遍主義を表現していくのは難しいでしょうね。ちょっとうまく書けていませんが、そういう違いを思います。しかし現在も、どうしたのか、学校に行かないのかしらという心配子供って道端にいますよね..


マリー・アントワネットの処刑はフランス革命軍国主義を思わずにはいられない。閔妃を集団レイプした殺害事件は長州藩テロリズムが行った明治維新の性格を考えさせる


20年前トリエステに旅したときのことですけど、アドリア海の雷鳴なき稲妻を眺めていたら、海のトリトンのナイフの輝きを思い出しまして、アニメよ、ありがとうと呟きました


コロナの経験からは国を越えた次元で取り組むことの大切な意義を学んだのではなかったのでしょうか?もう一国中心主義とネオリベではやっていけません。発想の大転換が必要。しかし都知事選は時代遅れの東京ファーストvs.時代遅れのネオリベ的東京集中主義


子安先生のおかげで、早稲とその周辺で、市民大学講座を私は9年間参加させていただきました。この間に、『仁斎学講義』、『日本人は中国をどう語ってきたか』、『歎異抄の近代』、『「大正」を読み直す: 幸徳・大杉・河上・津田、そして和辻・大川』、『帝国か民主か: 中国と東アジア問題』、『仁斎論語』が出ました。また韓国では『漢字論』の訳が出ましたし、中国では『江戸思想史講義』をはじめ先生のお仕事の数冊の翻訳がコレクションとして出版されました。大変な時期ですが、講座「明治維新の近代」の出版が待ち望まれます。また早稲田から、先生のおかげで、ひまわり運動が起きた台湾に行きましたし、岡倉天心本居宣長の地を訪ねる思想史遠足にも行きました。早稲田とその周辺の9年間は、私たちは市民という立場で自発的に考えることの意味を考えることになった意義深い9年間でした。また私にとっては反原発デモや反安倍戦争法(共謀罪)デモの現場の意味を考えるために必要な場所でした。このときに行われた小田実を語る講演会は重要でした。まだまだ学ぶことが多いですが、先生のもとで、これからも考えていく続けるつもりです。ご好意に甘えて申し訳ありませんが、今後はどうぞ「仁斎論語塾」の飯田橋でよろしくお願いします。


‪リフィー川とは、世界は本とともにリゾームになる流れのこと。流れとは、こういう環境で言説が分節化されたと理解できないような知の次元における出来事‬


なぜマルクスは商品の分析から書きはじめたのか?それは商品世界は読むことができないからである。だからこそマルクスは商品を象形文字と考えてみた。どういうことが言えるか?『資本論』の価値形式論は、エクリチュールの媒介と共に成り立つ叙事詩的世界を書く。都市の無意識。商品達は自らを表現するために他を殺戮する。命懸けの飛躍とは声が死者達を祀る俯瞰ではないか。共産主義は弔う場所もなくなった亡霊として徘徊するだろう

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この方は一定期間ですけど十年前わたしのアイルランドについて書いたツイッターの投稿を時々読んでいました。ネットに対する関心をもっていたようです。グローバリズムにおける「サブカルチャー的な知性の台頭」を問題にしているようですけど、どういう切り口で語るのか知りません。若い人たちは知識人ではなく、文化人になりたがるー日本文化の他者性を考える方向に行かないーのは、責任をとらなくてもいいという、ここが問題だとおもうのですけど。笠井さんは小田実みたいにわかりやすく書く知識人が嫌いですし、そもそも知識人の意義もみとめていないとおもうのですね。彼は暴力革命をみているのでしょうが、「暴力革命」は正しくは「暴力暴力」と言うべきです。どんな革命も支配者が変わるだけ。そして革命である以上兄弟を殺戮する罪をともなう暴力を不可避的にもっていること。このことを前提に、わたし自身に対する自己批判も含めてわたしの世代のリベラルは革命がなければ日本は変わらないということを喋ってきたのですね。無血革命を念頭においているからですが、これは自己欺瞞的です。革命は必要がないのですから、リベラルは革命頼りにみえる見方をきっぱりやめて、外部の思考をもって日本文化の他者性を主張しながら、(開発と戦争と同化主義はどんどん進むのに)政治を喋る自由がない、権利のない社会に反対するラディカルリベラルになるべきだというのがわたしの考えです。ラディカルリベラルは、グローバリズムの国家中心主義の戻らなくてもいい時代だからこそ成り立つ「世界史的」立場ではないかとおもっています。


そうでしたか、さすが廣田さん、しっかり読まれていますね。「無限転向のラディカリズ」ですか、簡単ではないですね(爆)。わたしは戦争協力なき「転向」をみとめるので、これは悪くないかなとおもうのですがね、ズバリ、永久革命のラディカル・モダニズムを言いあらわした言葉ですね。小田は、戦後の平和主義者は戦前軍国主義者だったことを指摘して、自分みたいに根のない者は戦後も変わらないと言っていますね。笠井さんは多分大衆主義(大衆が知識人であるとする考え方)のわりには、大衆が読めない文を書くというか、それは構わないですけど、むしろ望ましいのですが(笑)、その点で、震災以降非常にラディカルになった小田実は、もともとツイッターの先駆けのような文を書いていたようですが、ウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤの知識人像をもちはじめて、非常に平易な文を書きはじめますね。彼は大学時代は古典ギリシャ語を勉強した大変なエリートですが、ギリシャというのは、好んで戦争をやっていたのはダメだが、ウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤしはじめたのがいいと。学のあるひとは、神話の想像力から演劇を経て哲学的知へ、と言うところを、小田は「ウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガ」と言うことができるのですね。

わたしは永久革命のラディカル・モダニズムを支持しません。『論語』は中には時代遅れのくだらないことを書いてありますが、それらを解釈されたその通りに受けとる必要がないわけですから、『論語』を読む「有限転向のラディカリズム」ぐらいの人間交際を尊ぶ思想的位置と機能がいいかなとわたしは自分でおもいます。最低限度、宗教の自由と家族の自由(独身の権利をみとめたうえで色々な形を平等に認めた家族。外国人との結婚。同性愛の結婚等々)を社会にまもっていくという考えにいきます


安倍「あの、わたしはルイ16世と同じではない。民主的に選ばれたから」。その通り!独裁者はローマのネロ以来、選挙でしか出てこないのですから。ヒトラーも、そしてあなたも


捏造と改竄も問題ですが、錯誤も問題です。捏造と改竄は置き換えですが、錯誤は隠蔽的同一化です。第二世界大戦を太平洋戦争と同一化する問題のある錯誤があります。日中戦争という十年近く続いた戦争(満州事変を考慮すれば15年間)を隠蔽し続けています。アメリカとの4年間の戦争だけだったとするこの錯誤が、歴史修正主義(南京虐殺は無かったとか、日清戦争日露戦争侵略戦争ではなかった)といっしょに機能している現実に、戦後の日本人ってなにを認識しているのか?ということになります。この認識問題をついて考えるのですが、”本物”の戦後の民主主義から都合よく考えようとするから、所詮”偽物“の戦前の民主主義のもとで起きたひと続きのことを真剣に考えてみることがないのかもしれません。全体主義戦争は悲惨なことは悲惨だったが、偽の民主主義がもたらした偶然的事故だと。しかし日本民主主義は明治維新というクーデターから成り立ったのです。この民主主義が天皇に権力を集中させたまま帝国主義化して昭和十年代の全体主義戦争へ行くことは必然でしたでしょう


新聞記事(アイリッシュタイムズ1997)はアイルランドにやってきたアルトーについて書いたものです。メキシコから帰還してきたアルトーは、アイルランドへ行き、2週間滞在したここからフランスへ強制移送されました。わたしは彼がアラン島からダブリンにもどってきて拘束されることになった場所の近くに住んでいました。拘束されたときは、僅かなお金と劇作家で詩人のジョン・ミリントン・シングにあてた手紙しか持っていませんでした。それから聖パトリックに返すために持参してきた杖ですね(アムステルダムの骨董品市場で手に入れた?) 残念ながら、現在アイルランドはこの歴史を知るひとがほとんどいませんし、この事件から知的な影響を受けることはなかったようです。さてフランスで送られてきたこのアルトーを最初に診断したのは精神分析ラカンで、彼は芸術に深い理解がありましたが、「これはただの馬鹿じゃないか」と吐き捨てたことに、ガタリラカンの限界をみたようですね。ネグリによると、『アンチ・オイデプス』は「器官なき身体」のアルトーにおける単独性を語ることを課題としていましたが、『ミル・プラトー』は、関心がアルトーからマルチチュードスピノザへ移って、‘リゾーム’という語で語られることになった、融合状態(en fusion)のノマドのあり方ではなかったかということらしいです。フーコ『言葉と物』の殆ど最後で、バベルの災厄以降散逸した言語がどこにおいて集中することになったかを書くときに呼び出されたのはアルトーだったかもしれません。「アルトーにあっては、言説としては拒まれ、衝撃の造形的暴力のなかに奪回された言語(ランガージュ)は、叫び、拷問にかけられた身体、思考の物質性、肉体に送りかえされる。」‬


推敲中

l’analyse de Sartre dans la Critiquede la raison dialectique nous paraît profondément juste, d'après laquelle il n'y a pas spontanéité de classe, mais seulement de <groups en fusion>...Le véritable inconscient...est dans le désir de groupe, qui met en jeu l'ordre moléculaire des machines désirantes (Deleuze & Guatteri)



存在とはなにか?    


1、存在とはなにか?ドン・スコトゥスアルトーは、この石が分割不可能であること、この身体が分割などはできはしないことを主張した。存在の問題は、分割不可能性と関係している事を見抜いていた。同様に、スピノザ「エチカ」によると、自然たる神は分割できないゆえに、存在と関係していると考えた


2、ハイデガーは普遍主義を存在論的に攻撃したあげく、結局はネガティヴな瞑想に、君が代的「世界内存在」に後退した。しかし天皇主義的ゲットーの分割を破壊せずして存在の開示性などは成立するはずがない。普遍主義的な自然=神の内側で生成される多様性(差異)を抱きかかえる努力こそ存在なのだ!


3、大阪府朝鮮学校への補助金見送りを決めたが、このような、プロパガンダ的に捏造された<わたしたち>と<かれら>の間隙が天皇主義的ゲットーの分割をなすものだ。「存在とはなにか?」、この問いを常に政治の次元において生成させること、「アンチ・オイデプス」のエッセンスはこの一点に存する


4、今日一国で起きた事件は蜘蛛の巣の振動の如く瞬く間に世界に伝わる。アラブの春は反原発へ、シティーの集会はウォール・ストリートの占拠へ。現在民衆の反抗はナショナリズムに結びつくがそこにマイノリティーの権利が保存されなくてはならない。自然=神の内部に多様性が保存されなくてはならない


5、アメリカと日本は、ドゥルーズの本にとって、"祝福された聖地"となっている。パラノイアvsスキゾという視点は益々重要となってきたが、ただ病理学的症状に依拠したこの言葉遣いは誤解を招き皮相的な理解に陥る危険がある。直線的普遍的思考vsリゾーム遊牧民的思考、として捉え直すことが有効だとおもう


アナーキズムかタオイズムかに関わらず、七十年代毛沢東主義が本当にそれほど、八十年代天安門広場<占拠>が求めたように、官僚資本主義の克服を求めたかどうかが、九十年代において問われなければならなかった。これが無かった。知的な怠慢の代償は何だろうか。恐らく九十年代ポストモダニズム知識層の現在のあり方に関わる問題ではないだろうかと少しづつ気がつき始めた


Pourquoi l'Europe, pourquoi pas Chine? A propos de la navigation hauturière, Braudel demande; porquoi pas les navires chinois ou japonais, ou même musulmans ? Porquoi pas Sindbad le Marine? Ce n'est pas la technique qui manque, la machine technique. N'est-ce pas plutôt le désir qui reste pris dans les rêts de l'Etat despotique, tout investi dans la machine du despote

(Deleuze & Guatari; L'Anti-Oedipe)

いったいなぜヨーロッパであって、中国ではないのか。...欠けているのは技術ではないし、技術機械でもない。むしろ欠けているのは欲望であり、それは専制君主国家の網の中に捉われたままで、すべて専制君主機械の中に備給されたままではないのか                                                                                   


死を観念としてとらえること。この国の哲学者は観念としてとらえないから真に世界に通じる哲学になりえないと見抜いたのは、三木清であった。ところが思想が死を観念ではなく、社会的な身体的記憶としてとらえるかぎりそれは断つべき過去を持続させてしまう。(この意味で、戦後憲法天皇を象徴化というよりは観念として構成したとみるべきだ。戦前ファシズムとの連続性を切断している。)

この問題はわたしを、1980年代の思想空有に連れ戻す。近代の眼差しで社会的身体的記憶として死をとらえるのが、構造主義である。ドゥルーズはのパラノイアと呼んだ。そして構造主義パラノイアは、共同体の基底に「女の交換」を想定して、近親相姦の禁止を解釈することに成功した。これに対して、「アンチオィデプス」のスキゾ的注釈は、徹底的に、死を分裂化(観念化)する反撃にでた。絶対主義王制家族にある、近親相姦の禁止を破る過去を断ち切る欲望を対置していくー


「東アジア漢字圏の批評理論は可能か」(林少陽氏)という問題提起を知った。本を読んでいないので正確に理解していないけれど、これを読んだ子安氏の江戸思想史の新たな読みに結びつけようとなさるようにみえっる問題提起を読みながら、ヨーロッパアルファベット圏(ラテン文字圏?)の批評性の条件もちょっと考えてみた。音声中心主義のラディカルモダニズムで漢字よりも、(デリダが言う意味で)アルファベットが文のなかに存在するとはいえないのである。アルファベットの不在を問うことなく、それなのに存在していると錯視しているアルファベットで考えると思い込んでいる。アルファベットのもとに自分たちこそが普遍主義に定位しているとおもっているとしたらこれは何か?これと同様に、音声中心主義のラディカルモダニズムがもたらす漢字の不在を問うことなく、確固と存在してきたし存在していると錯視している漢字で考える批判性が可能だとおもっているゆえに、批評空間をもつ自分たちの文化に優越性があると主張する。帝国は帝国である所以は帝国が漢字文化圏であるからだが、帝国の中に漢字という他者が存在するのかと敢えて問う。漢字は存在することは存在するが、問題は漢字は不可避の他者なのかという点にある。では危機感をもって音声中心主義の認識はいつから起きたのか?清?もっと前の朱子の宋代から?荻生徂徠はどう考えたのか?すでにデリダのように考えていたのか。「東アジア漢字圏の批評理論は可能か」という問題提起に近づいてきたような...


MEMO

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" 向こう側にある『歎異抄』はみえる。朱子の『論語』はこうであるかもしれない" (子安先生の『歎異抄の近代』講義(板書)より)


「天」=「公」の記号=は何かと時々かんがえる。この等価記号によって、「天」の領域=「公」の領域とのあいだの距離がなくなるということであれば、「天」と「公」は互いに一致した<点>となった?そうして絶対無限と絶対的平等性は<点>である。この<点>は漢字を不可避の他者とする日本文化の他者性の平面にのっかっているのだろと私は考えてみる。するとどういうことが言えるだろうか。ところで対象的思考を構成しない思考(ノエシス)の球(これも平面にのっかっている)が国家祭祀に絡みとられると、日本知識人は「公」を超えて考えることができない(天皇の超越的視点からしか国家をみることができなくなる。その視点は絶対無限としての天ではない)。これが日本人の意識を与えながら意識から逃れる問題であるなどと色々勝手にかんがえはじめた。だけれど明治維新の近代の失敗を<一国>民主主義(結局帝国主義)だけで解決しようとするのはこうしたことによるのではないか。『歎異抄の近代』は、再び『伊藤仁斎の世界』と読むとともに、青土社三部作である『国家と祭祀』『近代の超克』『和辻倫理学を読む』を読みなおす必要を感じている。


JOYCEの’FINNEGANS WAKE’


これは、天と地のギャップ(上昇と下降)を書いたジョイス的表現です。



Sandhyasはジョイスの造語です。三つの言葉から出来上がっています。Sanctus(ラテン語で「聖なる」の意)、Samdhi (サンスクリッド語で「薄明」や「平和」の意)、Chante(フランス語で「うたえ」の意) 

「聖なる夜明け」と訳されますが、もっと形而上学的に、天の「至高者」ー絶対無限ーではないかとおもうようになりました。「至高者」は共同体に平等を与えます。

天は絶対無限、公は絶対的平等性。天は公より上にあるということです。


Sandhyas !Sandhyas!Sandhyas!


Calling all downs. Calling all downs to dayne.Array! Surrection. Eireweeker to the wohld bludyn world.O rally,O rally,O rally! Phlenxty, O rally! To what lifelike thyne of the bird can be.Seek you somany matters.Haze sea east to Osseania.Here! Here! Tass, Patt, Staff, Woff, Havv, Bluvv and Rutter 


聖なる夜明け!聖なる夜明け!聖なる夜明け!すべての邦に目覚めを。すべての邦に夜明けをもたらせ。一条の陽の光、復活せよ!エールウィーカーが善きダブリン世界へ誘われ、おお、光!おお、光!おお、光!あらわれよ、おお、光!吟遊詩人の比類なく素晴らしい人生。かくも多くのものがあらわれたのだ

東の海H・C・Eは、島々にその姿をあらわす。さあ、さあ、タス通信社、トン・ツートンと叩く一物が打電中、アヴァス通信社、パンに、牛乳に、ロイター通信


思想史は親不孝の始まりと言われる理由は?思想史では確立された物の見方が絶えず解体されることを学ぶから。思想史は自らも解体する。解体思想史= 別の見方+ 別の見方...


武器としての鋤。英国をやっつけるナポレオン海軍がアイルランドに上陸しようとしたが、迎えた反乱農民達の鍬を見てこりゃ駄目だと帰ってしまった。パブでこの時代の民謡をきいた


あの柄谷行人ですらカントを消去してまで『資本論』の読みへの拘りを示したが、日本知識人の『資本論』の読みへの拘りは日本だけに起きるという意味で日本ファシズムを構成する。歴史的に、日本知識人は、天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国家を俯瞰してきたように、19世紀を見渡しただけの『資本論』を純粋に読んで他のものは考えないと言いながら‪『資本論』に書いていない21世記の国家を呼び出す。ここから、社会主義を理念としてもつ帝国としての国家像とか言いだすの?


民主主義とは統治するものと統治されるものとの同一性であると憲法の教科書がそう教えるようにその通りに理解すると、統治するものは腐敗するし統治されるものも腐敗してしまう


何でもかんでもカネがモノを言う社会ではやっていくなくなるんだから権利の無い社会に反対して自由に喋らせてくれをもとめる声、そして日本文化の他者性。この二つが黙らされるという危機感が検察庁法改正案に対する抗議という形をとる。「検察庁法改正案に抗議します」が単純に増える、それでいいんだ


推敲中

方法としての「歎異抄」- 子安宣邦歎異抄の近代」の感想文 (本多敬)


1、方法としての「歎異抄


 世界資本主義の誕生は12世紀に遡る。富の蓄積は教会に。逆に貧困の進めが貴族に大流行した。聖書の字面から貧困を学んだフランシスコは、平等を説くマルキシズムよりも遥かにラジカルだった。同時代の親鸞は、往生還相へ行く。教行信証の学問僧の教えは、ウィットゲンシュタインにおけるラジカルな哲学復帰を喚起する。「言葉と物」「外部の思考」のバタイユブランショアルトークロソフスキーの読みの問題は、二十世紀の解釈学に、17世紀の注釈学的視線がいかに遅れて批判的に介入してくるかを考古学的に考える問題であった。ポスト構造主義の「歎異抄の近代」では、二十世紀の昭和思想に、十二・十三世紀の「歎異抄」、「教行信証」が介入してくる。やはり、子安氏の親鸞にアプローチする方法は、仁斎の「論語」にアプローチしてきた方法を踏襲している。「歎異抄」という<読むことが不可能な>テクストを、近代がいかに解釈し、そこのとによって自らの言説を構成してしまうことになるのかを子安氏は検証してきた。つまり、「歎異抄の近代」とは、方法としての「歎異抄」になっていく必然性があったのである。


2, 三木清を称えよう

 ー死を徹底的に観念化する世界思想性から疎外されている日本人の限界をみた


滝沢ー西田の「弥陀本願」は、超越者を侵犯していくために必要とされた超越者の思想的な措定であった。その措定は、日本の土着的な汎神論的自然観とは鋭く対立した。が、倉田百三 (「出家とその弟子」) と 丹羽敏 (「菩提樹」)、この非常に大正的であり自然主義である故に'日本'的な作家であるこの両者が、滝沢ー西田の超越者の思想的措定を台無しにしてしまう。それは、テクスト「歎異抄」の内部に、'親鸞'という超越的な<起源>を見出すことによってである。このことは、「歎異抄」の暁烏敏の発見とは無関係にあらず。暁烏の「歎異抄」の発見はひとつの神話としてあったから。その正体とは、近代が発明するー自己の肖像画の為にー''親鸞'を実体化する言説だった。滝沢ー西田の超越者の思想的措定が真に意味をもったのは、三木清においてである。そのラディカルな批評精神は、<戦う国家として自らを自らの為に祀る国家>を拒む。戦争国家が自らの栄光を称えるために自らを一体化していく象徴的な<過去>を拒む。そのために三木は「末法」を導入する。「末法」を自己と世界との間に介入させる。他者としての「末法」は、<死に切った過去>しかもたないから、そこにおいては国家が自らを永遠の超越者として勝手に祀る余白が許されないだろう。「歎異抄」の三木の「末法ー内ー存在」は、ハイデガー的和辻の「世界ー内ー存在」を超える。子安宣邦歎異抄の近代」の課題は、この反時代的な三木においてまだ書けなかった問いの部分を書くことにあった。即ち、絶対的他力者は現実の社会でどう生きていくか?


"もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる"という人々は、原発憲法を失ったかわりに何かを獲得できるとばかり安倍内閣を支持している。それによって限界なくグローバル資本主義に絡みとられていく。それにたいして、"もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる'というのが、私の他力的な構成。原発と軍隊とグローバル資本主義から何も獲得できないときにも、失うことができるそのなにかとは、自己のなかで、息苦しい全体主義に対してなお捨てきれずに抱いていたかもしれぬ、再びかれらがなんとかしてくれるのではないかという曖昧な僅かな希望である。

 「末法」とは、安倍の集団的自衛権原発体制の近代である。無力な無数のひとりの人間が、われ=われ。いわばこの絶対的他力者について小田実「世直しの倫理と論理」(1972)が語っていた。小田実が生きていたら何を言うか?永遠に巻き込まれることに、STOP ! 巻き込まれながら巻き返していく。


3, '精神主義'の清沢満之エピクテトス的抵抗


 日本軍の慰安娼婦の問題は、日本の戦争責任の問題である。「他国にも同じようなことがあった」は、日本の戦争責任を曖昧にする許し難い態度です。これと同様に、今村仁司等のオタク知識人達ーいわゆる'フランス現代思想'ーが、日本の暴力の問題についてレヴィナスの暴力論(ナチズム)を援用するとしたら、やはりそれも日本の暴力の問題を曖昧にしていく許し難い態度ではなかったでしょうか?例えば、今村は清沢満之を語ったとき、清沢が直面した暴力の問題を語るべきでした。明治時代は国家の時代でした。したがって必然として清沢満之が衝突したのはまさに、この国家だったのです。具体的には、国家が教員制度を通して宗教(真宗)を管理しはじめたことに、清沢は激しく抗議したのです。「精神主義」の清沢満之エピクテトス的抵抗は、たとえば鈴木大拙における浄土の国土的表象からはかけ離れたとものです。しかしこの清沢の怒りは、今村のようなヨーロッパとの同時代性を誇る'フランス現代思想'の知識人たちには決して共有されることはありません。いかに国家の暴力が'無限'(清沢)を囲い込んでいくかということにかくも鈍感であること、これは近代から現代の日本知識人たちの立ち位置を端的に示すものです。


4, 「歎異抄」は近代の知識人を惹きつけたように、野間宏吉本隆明をは惹きつけたのだろうか?否・・・


吉本は親鸞から宗教を差し引いたとき全部が無になる危険性を避けるために、「思想詩」「思想劇」で条件づけたのではないだろうか。詩のモローグ性と演劇のダイアローグ性は異なる。しかし「思想詩」といえ「思想劇」といえ、吉本自身の声を語っている上で両者に大きな違いはない。かくも他者の名で、ずーずーしく(笑)、自己自身を物語ったのは、ほかに、「本居宣長」の小林秀雄ぐらいだろう。が、この思想は他者を語れなくなる。これが「最後の親鸞」の吉本のパラッドクスだった。詩人はいかに、自分の思想の壺の中から親鸞という他者の名の蠅を脱出させるか?それが問題だ。

ところで、野間宏「わが塔はそこに立つ」の場合は、近代国家という壺の中にはめ込まれたものをただ「民衆」と呼んでいた。マルクス主義的な歴史観の内部に見出した「民衆」が文学の語りの内部に再発見した父的'親鸞'の固有名において重ねられていくのは、和解できない<過去>を大地に埋めていくようなカタルシスというほかないのである。

それにたいして、「最後の親鸞」の吉本隆明は、自らの思想を自己移入的に「信」と「民衆」(野間)の内部に根拠づけることはしなかった。知識人の「俗」(「大衆」)に寄り添いながらも「俗」(「大衆」)でない、「信」と「不信」の間への脱出を考えていたからである。そうして外部の愚者と成った蠅は、<往相>と<還相>を行き来するだけである。


 「吉本が親鸞についていう<衆生>は、服部や野間がその親鸞論でいう<民衆>の対極にあるというべきだろう」(子安)

「戦後思想としての吉本の発言をほかならぬ吉本のものとしたものが<大衆の原像>であったとすれば、吉本の親鸞を吉本の親鸞論にするものは<衆生の原像>であるだろう。'親鸞にできたのは、ただ還相に下降する眼をもって<衆生>のあいだに入り込んでゆくことであった'という言葉には、吉本にしかできない親鸞の読み方がある。(子安)

「<非知>とは親鸞において<非僧>;である。<非僧>とは寺院的知識の体系を負った僧における自己否定の運動である。知識人が己の知識の自己否定を続ける知識人の運動を<非知>と見れば、最後にうたる親鸞をこの<非知>の運動を貫き通したものとみなされなくもない。」(子安)


近代知識人が語る「歎異抄」の言説しかないのである。思想の問題とは、言説の交通の中に囚われた人間が、これに巻き込まれても永遠に巻き込まれないようにと、いかに批判的な外部性に存在するかにかかっている。その外部性は、自己自身の声からは見ることが不可能なほど外部にあるに相違ない。吉本のレトリックがいうようには、思想が自己称賛の詩と演劇の声に依存するのは無理だ。思想を読むこととは、外部から自己自身を規定してくる読むことができないエクリチュール性を見ることであるー他者の眼差しのうちに、壺から脱出した蠅の眼差しのうちに(外から窓をたたいている)


5、「歎異抄の近代」を読むことの倫理性


 最後に、「歎異抄の近代」について自分が書き綴った感想文について顧みる。本というのは、作家のこだわりに座礁していると中々読めないもの。これは‘異様なもの'をまえにした直観の揺れかもしれない。そういう場合は、この子安氏の本の感想文のように、何とか諸々の要素に分解して分析していくと読めるのかもしれない。しかしそうして本の出口に立ったとき、最初の悍ましい違和感がすっかりと消えている。最後の最後に来て、分析そのものが無意味に思われてくる。本当に読んでいたのかと疑いはじめる。(この空白感は、直観と分析は共通のものが無いことを告げているのかもしれないーカントがいうようには統覚的な枠組みがない)。「歎異抄の近代」についても、やはり序章で引いた言葉にかえっていくのである。結局、原初的テクストの言葉を提示するだけで十分だったのだ。感想文などは余計な解釈である。原初の言葉を称えよ!なにも変えるなーすべてを変えるために!!


 「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」


 「念仏まうしさふらへども、踊躍歓喜のこころ、をろさかにさふらふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのさふらはぬは、いかにとさふらふべきことにてさふらふやらんと、まうしいれてさふらひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、ただ唯円おなじここりにてありけり」


政治に抗議するときは、別にその人を芸能人だと考える必要がないでしょう。政治評論家のプロは知らないかもしれないが、市民は自分の頭で考えて正しいことを言うことができます


ポストモダンの70年代と80年代に近代主義批判が展開された。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題があった


「それぞれの近代」を方法としてもたなければ、「世界史的な近代」に埋没してしまうこと、埋没してしまっては、近代を批判的に相対化できないし、文学を読むことも難しい


芸能人がかくも尊敬されるのは彼らが難しいこととされる私のプライベートな感覚を公に伝える大きな力をもつからだろう。尊敬と軽蔑は一体である。尊敬は、抗議する市民にたいする軽蔑から、軽蔑の言葉を口にするのかもしれないが、「歌手は歌だけ歌っていればいい。」と言ってくる政治評論家のプロが出てくる。



17世紀近代の芸術の原点は、表現の外に依存しない鏡の中の如き表現(一つの包摂原理なき多様性をもつ表現)を追求して成熟していった。現在アーチストは「職人技」と呼ばれるのを恥と感じる場合があるのは、官僚的反復とみなされたくないからかもしれない。(しかしこの点については、現代のアーチストは、中世の職人の仕事は神わざだったという記憶もあるし、文化人類学によるブリコラージュ的な視点も知っているので、単純ではない。) 問題はもしもし官僚的反復ならば作品は表現の外に依存しているということだ。ところでナチスは退廃芸術展をやった。ファシズムによる「政治の美学化」は表現主義の芸術を酷く怖れたのはなぜだろう?わたしは関心がある。これといった答えはわたしにないけれど、やはり表現主義の作品には起源というものが感じられない。爆撃の悲惨を描くときは、そこに起源なき廃墟を表現できるアーチストたちは多くはユダヤ系であった。ナチスは起源ある廃墟にこだわった。連中は起源をもたないのにネットワークをもっているではないか?これが、根無し草の大衆を一つの起源に向かって組織化したいと望んでいる「政治の美学化」(全体主義)を畏怖させたのだろうか..?


‪5年前に、子安宣邦氏の著書『帝国か民主か』(社会評論社)を書いた。これを読むと、現在は、5年前とくらべて、アメリカ一辺倒だった安倍政権は大国中国との関係も築こうとしているが、理念をもたず、アジアへの共感もない方向は変わることがないようにみえる。2020年を考えるために、ポストコロナのアジアのあり方を自分で考えるために、子安氏の『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社、2012年)との関係で現在考えていること、そしてこのあとに5年前の書評をそのまま投稿することにした。わたしにとって、外部であるアジアから、戦後を読み直すことの意義を考えた書評だった。


ポストモダンの70年代と80年代に近代主義批判が展開された。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題があった。‬

子安宣邦氏の言葉によると、「それぞれの近代」を方法としてもたなければ、「世界史的な近代」に埋没してしまうこと、埋没してしまっては、近代を批判的に相対化できないし、文学を読むことも難しい。‬

‪この課題からみると、溝口の「公と私」は官僚資本主義の成立と共にある構造主義的思考で、所有権の特殊日本的曖昧に対抗する明確なイメージ。思考にもとづく思考不可能なもの(「天下的公」)を追い遣る。‬

‪また、多様体の内在平面は一つの包括的原理ではあり得ない。しかしポストモダンモダニズムへ行くと、儒教文化における帝国の構造を物語る柄谷行人のように、内在平面を一つの包括的原理で理解していることがみえてしまう。‬

‪あの柄谷行人ですらカントを消去してまで『資本論』の読みへの拘りを示したが、日本知識人の『資本論』の読みへの拘りは日本だけに起きるという意味で日本ファシズムを構成する。歴史的に、日本知識人は、天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国家を俯瞰してきたように、19世紀を見渡しただけの『資本論』を純粋に読んで他のものは考えないと言いながら『資本論』に書いていない21世紀の国家を呼び出す。ここから、社会主義を理念としてもつ帝国としての国家像とか言いだすの...?‬


以下は5年前の書評


「21世紀にみえてきたのは、グローバル資本主義と<帝国>と民主主義です。グローバル資本主義の分割は、<帝国>を中心に推進されています。具体的には、新自由主義新保守主義アメリカ<帝国>、(EUから) 第四帝国へ行くヨーロッパ<帝国>、スターリン主義=ボルシェヴィキズム=ツァーリズムに戻るロシア<帝国>、そして官僚資本主義の新儒教の中国<帝国>、であります。これに関して言うと、安倍自民党は日本をなんとかアメリカの側に位置づけようとして必死に、対抗・中国帝国としての危険な役割を引き受けているようにみえます。東アジアは、この安倍が原因をつくった、民族主義的憎悪を互酬的に交換するという危険な権力ゲームに囚われています。このゲームの内側で、民主主義の形骸化は、安倍をはじめとするこうした1%のネオリベの新貴族たちによって推し進められているではありませんか。一方、非暴力の抵抗であるオキュパイ運動からalternativeの民主主義が現れてきたことは、注目したい動きであります。民衆的自治・自由論・民衆的直接的行動論を「民主主義」の真の再生の力にしていく語る民主主義。そこで、市民の思想史は、東アジアのグローバル・デモクラシー=白紙の本になにを書くことができるのか?「帝国か民主か」が問うているのはまさに、このことなのです。」


現在は、アジアにおける「バベルの災厄」について考えるようになった。『朱子語類』は原初的言語(四書)も再建だったかもしれない(全く違う発想で読み直した)。古学の荻生徂徠命名制作論も原初的言語の再建か。本居宣長が「神」をカミと読んだことはこれらの再建を解体することだったのか?8年前は、丸山真男を読んでいたが、実際はなにも知らなかったが、色々面白くなってきた。


「緊急事態宣言」の解除のあとも一億の「目」が罰してくる世界では、法はどこにもないのに、理由も告げられずに、いつ地図にない監獄に連れていかれるのかわからないようなものだ


今回は、「検察庁法改正案に抗議します」の下に自分の意見を書く人が多いみたいね。反原発デモが二千人程度のときも自発的に自分の意見を書いたボードをもつ人が多かったのを思い出した。外国のデモではみかける長文もあらわれた。携帯電話でどうしてここにいるのかを友達に実況放送する女の子もいた



ジョイスほどアイルランド文化の他者性を知った作家はいない。だからこそ彼は自分で決めた亡命を行うことになった。リアリズムはどん詰まりだし、神話もそれほど期待できるのだろうか?『ユリシーズ』の挿話『テレマコス』という名は、ギリシャ神話と植民地都市の現代との交錯をほのめかす。リアリズムにとって神話は不可避的な他者である。奪われたものを取り返せるかという叙事詩ギリシャ神話は現代の植民都市の無意識を構成している。しかしそうであるならば、土地を求めて一つの確立した包摂的原理を求めるという点で反帝国主義帝国主義者ではないか?作家の思考は、リアリズムか神話かという対象的思考から逃れていく。アイルランド文化の決定的な他者性は、神話的リアリズム、ここにある。


ジョイスユリシーズ』の書き始めはマーテル塔から。あの形は、思考の優先順位としての形而上学的円か?リアリズムはどん詰まりだし、神話もそれほど期待できるのか?ストーリーテラーのコスモスは反ロゴスを利用して自らを再構成しなければならないときがきた。そうしてジョイスにおける神話的リアリズムが誕生していく。『ダブリンの人々』では最も従属している人々から書き出した。『ユリシーズ』では、ジョイスは、土地を求めて一つの確立した包摂的原理を求めるという点で反帝国主義帝国主義者であることを批判して、万物を絶対的平等とみなす視点のもとに行く。ジョイスほどアイルランド文化の他者性を知った作家はいない。だからこそ彼は自分で決めた亡命を行うことになった。

翻訳した丸谷才一氏は大学時代の悪友だったと渡辺一民氏から聞いた。退屈な講義を抜け出しては、喫茶店で丸谷氏は英文学、渡辺氏はフランス文学について熱心に語ったという。お互い話を聞いていたかはわからない?丸谷役のバック・マリガンは体育会系みたいで面白くないのだけどね、いま読み直すと、この場面は、旧制高校の寮の通過儀礼のSturm(嵐)-先輩達が不潔な部屋に来た新入生を歓迎して朝まで容赦なく議論をふっかけた-の雰囲気をもって訳しているのかな。


しかしこれはダブリンというパリから遠く離れた田舎で、アナーキスト系のボヘミアアン知識人と芸術家が集まるカフェを真似ていて、アイルランドだとナポレオン海軍にたいする砲台がカフェのかわりである。ゲール文芸復興運動の時代。バック・マリガンは時代をリードすると期待されたその知性ゆえにアイリッシュからは大変尊敬されているのだけれど、現在もね、ジョイスは彼のキャラを漫画っぽく描写している。バック・マリガンたちは若いジョイスをやっつけなければならないと危機感をもっている。『テレマコス』という名のこの章は、ギリシャ神話と植民地都市の現代とが交錯している。奪われたものを取り返せるかという叙事詩ギリシャ神話は現代の植民都市の無意識を構成している。リアリズムにとって神話は不可避的な他者である。作家の思考は、リアリズムか神話かという対象的思考から逃れていく。アイルランド文化の他者性はここにある。ジョイスは、この章では彼の視点を反映している登場人物のスティーヴンに、「アイルランドの芸術は召使いの割れた眼鏡だ」と言わせている。議論のボクシングがはじまる。暗闇のなかの銃声。場面は、その翌朝...


Bygmester Finnegan, of the Stuttering Hand, freeman’s mairer, lived in the broadest way immarginable in his rushlit toofarback for messuages before joshuan judges had given un numbers or Helviticus committed deuteronomy ( one yesterday he sternely struxt his tete in a rub for to watsch the future of his fates but ere he swiftly stook it out again, by the night of Moses, the very water was eviparated and all the guenneses had met their exodus so that ought to show you what a pentschanjeuchy chap he was!) ー Joyce FW‬


検察庁法改正に抗議します」は、投票でもないのだから、選挙集票マシーンの自民党にとっては「大したことはない」のかもしれないけれどね、「検察庁法改正に抗議します」は何でもかんでもカネがモノをいう社会にたいするネガティヴなイメージをはっきり持っている。このことだけはたしか!


野党が900万の抗議ツイートをどう活かすか


映画とテレビの時代の終わりと共に成立してきたビデオを利用した思考がこのネットの時代に実現してきているのかもしれないとおもう。国家から自立した人民peopleの方向をもって、国家と対等である自立的私を確立するという課題。反原発デモと安倍戦争法反対デモの撮影ばかりではない。オンラインで好きな本と映画を書くというような試行錯誤をしているうちに、わたしのような者でも気がつくこともでてきた。問題は、公の権力の言論的領域よりも、日本文化の他者性が殺戮されている構造や無意識の言説的領域かもしれないと。他者の問題、ここをフォーカスしなければいけない大事なときに、日本知識人の天皇への期待を過剰に語る言説に絡みとられてしまうことを警戒しているのだけれど


ネットの世の中はデモ一人の背後に百人いる。国会前にアベ辞めろで十万人は来るから900万の抗議ツイートは自民党が言う「一人で百万をつくりだす」という数字ではないだろう


外国語に翻訳できぬような母語は仕方ないねと言って、頭の中で常に正しく読んでくれる西欧人と向き合うが、私の母語を仁斎と徂徠は読むかと問わなくなった明治維新の近代の貧しさよ



‪Deshil Holles Eamus ‬ 


‪"太陽神の牛"(『ユリシーズ』)が好きだと言っていたルーマニア人がいた。トリエステで出会ったが、奥さんが妊娠中らしい。”太陽神の牛”は産婦人科病院を舞台としている。ブルームはピュアフォイを見舞い、そこで医師ディクソンに誘われて、医学生の宴会に加わる 。書き出しの言葉は、アイルランド語Deshil, 英語の地名Holles とラテン語Eamus で構成されている。呪術的雰囲気で、どうも、Let's go south to Holles Streetと言っているらしい。"南行保里為佐"と訳した丸谷才一によると、「『保里為』は地名ホリスに動詞「欲りす」の(『古事記』)万葉仮名をあてる」という。訳者が『古事記』の言語に対応していると思ったのはなぜかはとくに説明がない。わかるひとはわかる、わからないひとはわからないということ?私はわからない。‪ ‪ ”太陽神の牛”の多様な文体を書き分けた丸谷訳。まあ大変な努力だろう。歴史感覚も必要だ。英文学史平田篤胤の登場では彼の文体で書いた。現代の文学的難産と神学的救済論。文学史の最後に、起源が不明の、ダブリンの乱痴気騒ぎの英語が生まれ出る。バベルの災厄以降、言語はアイルランドにおいて見事に復活したのである。



推敲中

中国知識人と朝鮮知識人と(彼らが育てた)日本知識人の三者が一緒に書いた、国家のアイデンティティー『日本書紀』。だけれど『古事記』、『万葉集』にしたがって、"変な"中国語になっていくという。どうも、Deshil Holles Eamus のいかがわしさは、むしろ、文字を与えられた現地知識人が中心となって書いていく『古事記』において対応をみることがよいとかんがえたか?‬何にしても、このように翻訳されると、ああそうかと読めるのである。媒介として成り立つ解釈の働きを観察しよう。ジョイスは『ユリシーズ』が翻訳と解釈によって完成していくとかんがえていたようである。原文と翻訳の関係は、オリジナルとそのコピーのそれとしてと表象されるけれど、そんなに単純ではない。コピーがオリジナルに先行するように、翻訳が先行する本を書いたとしたら、その本はなんと奇妙であることか!?挿話‪"太陽神の牛"の説明文によると、「古代英語からマロリー『アーサー王の死』、デフォー、マコーレイ、ペイターなどを経て現代の話し言葉に至る英語散文体のパロデイーで書かれている」という。古典ギリシア語とラテン語という他者との関係において、近代語が自己との関係を再構成していった歴史を追うことになるわけだけれど、それだけのことだったら『ユリシーズ』の後に、『フィネガンズウエイク』は登場してこなかっただろう。逃げ腰だけれど近代に挑戦したジョイスは異常なことを本に行なっている。ヨーロッパの言語だけでなく、世界中の言葉の助けによってしか完成しない本を書いたというわけである。究極的には、出発をなすとされてきた作者も翻訳としてある。他者しか存在しない。世界の創造に語るべき中心などはない...


ルイ14世の少年時代は毒殺を恐れて犬達に囲まれるようにして寝ました。犬だからルイ14世を思い出すのでしょう。‬「首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿」(検察OB)‬


「コロナ自警団はファシズムか、自粛要請が招いた不安」。心配するな!コロナ以前に既に安倍政治から日本人の4割は政治に全く関心がないのに政府を信用しきっているファシスト


シェアさせていただきました。必要な文化支援がなく、公演ができないという困難な時ですが、わたしは活動のあり方について別の物の見方も考えてみるチャンスだとおもっていましたから、大鷲さんのお話を伺えてほんとうによかったです。ありがとうございます。やはり、観客という場は文化の他者性にかかわるという意味で大切だと思います。感染は永久に続くのではないでしょうし、ワクチンが開発されたら、また同じように経済がどんどん進むのでしょうけれど、経済ばかりが進んでもね、人間中心の世界の限界を感じていないひとはいないでしょう。しかしそのときに、文化の他者性を支える言語の体制が無くなってしまってはですね、問題ですね。ご指摘の言葉の通り、コロナを契機に、ただ怖がってばかりいるのではなく、もっと地球と関わるコスモスをトータルに考え直すロゴスのために、反コスモスを利用できるかもしれません。

ベランダは気持ち良さそうですね。うちも、屋上でテーブルと椅子を用意してコーヒー☕️を飲もうと準備しています。


無観客の舞台をネットで配信するか、これからは役者はマスクせよという。仕方ないね、役者は仮面を被るか?もう舞台上から人間の叫びも泣き声も段々聞こえなくなるのか?言葉なき身振りとジェスチャーが語るそんな無声映画としての舞台は可能か?物で書かれているものー嘗て存在した、その沈黙している自然とともに即自的に一体としてあるーに対する宗教的尊敬の感情が、書記言語が輝く空間に成り立つのだろうか?


法をまもる暴政のことも私は疑っている。軍国主義国家神道が事実上復活したのは解釈改憲によってだし、多分憲法25条にも解釈改憲が起きている

こういうことも起きなければ、ジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud)の演じた「ルイ14世」を観ることもなかったなあ...


パラジャーノフは目を開けた夢ならば、タルコフスキーは狂気の夢のなかの覚醒。物で書かれたものをたたむパラジャーノフと比べて、映画の中に映画の他のものがないわけではない


ダブリン公演に来た平田オリザの「東京ノート」の舞台撮影を頼まれたときは、舞台における内在する水平方向に働く力を媒介なくそのまま捉えることができるかが課題だった


‪『Dubliners』は”ダブリンの人々”と訳されるようになったが、以前は”ダブリン市民”という訳で通っていた。”ダブリン市民”の訳語は、共和主義者は反帝国主義ナショナリズムを意味するのでヒューマニズムの立場からは「ジョイスが望みそうにもない」とされていた。さて前に書いたように、反帝国主義ナショナリズムが領土のように土地を取り返そうとして一つの民族を表象するかぎりにおいて、帝国主義v.s.反帝国主義は、ジョイスにとって曖昧な観念である。だから、思考は二元論的分割なしに不可能だから、二元論の対象的分割(”ダブリン市民”の曖昧な観念)から出発して、これを脱構築する非対象的思考(“ダブリンの人々”の明確なイメージ)が要請される。読者がこのことをきちんと分かっていれば、‪『Dubliners』は、”ダブリン市民”でも”ダブリンの人々”(共和主義者=反帝国主義=ナショナリズムに対して明確にネガテイヴなイメージをもっている)でもいいのであるまいか。



推敲中

それは<一>的多様体ではありえない。<一>でしかない<一>的多様体の読みほど、<多>の仁斎を台無しにする解釈はないだろう。それでは柄谷(行人)的な<帝国>の<ー>と違わない。強いて<一>を言うならば、そこから、多数の穴が開いたような<一>の状態と考えてみる必要があるだろう。なぜ穴なのか。人の歩み行く道の外に道はあるのかと問われるときに、「公」を介さず「天」と直に向き合う「私」にとって目の前の他者との関係だけが、破れ傘的に、多孔性の「生生一元的世界」なのである。


宋代朱子学も中世神学も、天理のような理念性、すなわち、人間の生がもつ本来性を理念的に体系化したが、これに対して、天と人との間の本来性よりは運動性を見出したのが、18世紀の仁斎とカントなのである。ここで本来性とは、人の不在において成り立つ、意味するものと意味されるものとの間の近さをいうのではないか。つまり秩序の静的な同一性の意である。他方、私の理解では、運動性とは、人を介して天地の間の無限の距離に自らを委ねていく行いである。よって、運動性は事件性と言いかえることもできる。この場合注意しなければならないのは、天が排他的にただ一つあるという思想よりも、天が多数あるという思想のほうが運動性の概念にとっては大切となるということである。さて、西欧の近代思想史は、カントの後に、ヘーゲルマルクスが、カントが壊した中世的思弁をもう一度哲学的に再構成することになったことを教えている。新たな思弁体系をつくるために、ヘーゲルはそれを「精神」と名づけ、マルクスは精神を唯物論的にとらえて「労働」と名づけることになった(日本でこれに取り組んだのが西田哲学である)。つまり、そこで「人」の持つ意味がふたたび認識の側に中立的に客体化されたのである(例えば、マルクス主義唯物史観に個別的な貧困問題はなく、ただシステムのなかの抽象的、一般的な貧困問題があるといわれる。和辻哲郎の「人と人との関係によってなりたつ道」でいわれる意味も、抽象的、一般的な概念性である。和辻はマルクスの「ドイツイデオロギー」を最初に日本へ紹介した思想家である。この和辻と比べて、仁斎の「人」は目の前の他との関係をいう点でもっと具体的、直接的である)。つまり、「人」の消去から二十世紀的人間は(十九世紀の)ヘーゲルマルクスの呪縛に入っていくことになり、二十一世紀になっても脱出できずに囚われたままなのである。例えば、ヘーゲルと言おうとマルクスと言おうと、柄谷行人のいう<帝国>の理論のどの部分に視点を置くかの問題であって、氏の朱子学的ロゴス中心主義の<帝国>の思想の本質的な理解に大きな違いはない(朱子学的ロゴス中心主義とは、まさに仁斎が解体しようとしたものである!)。21世紀の<帝国>論は、ヘーゲルの客観精神としての「礼」の展開と呼べるかもしれない。このような世界史的教説は、徂徠がいう先王の道が礼楽論的な人民教化の道術、社会統治論的な外部的言説体系に構成して行かざるを得なかったこととパラレルであるところの知の停滞にしかみえない。最後に、首相靖国公式参拝、国民道徳、吉田松陰を伴奏にして安倍晋三が繰り返す「この道のほかにない」という言葉ほど、アジアへの共感を持たぬ彼の国家主義を露わにする言葉もないが、彼が間違っているのはその言葉から肝心な「人」の漢字が抜け落ちてしまっているということだ。絶望的にも、誰もこうしたものを批判していく役割を止めてしまったのか。二十世紀的人間の呪縛を破る外部は存在しないのか。「仁斎講義学」で子安氏が指したのが、「人」をいう仁斎とカントの方向だったのである。「もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる」というほどの絶望感、つまり、天に向かって絶望しきったような絶望感、にもとらわれた我々が、「天道」と仁斎が呼んだ運動性としてみなしえる台湾の太陽花運動や香港の雨傘運動に大きな希望を持つことになった理由もここにある。「人」の思想性とは、グローバル資本主義に抵抗すると同時に、東アジアの民主主義を求めるグローバルデモクラシーの市民的「人」の直接行動の思想性のことである。「帝国か民主か」、この問いこそ「仁斎学講義」の前に書かれた中国と東アジア問題を論じた子安氏の本の名となる必然性があったが、「仁斎学講義」と、昭和思想史研究会で進行している未完の講座「<大正>論を読む」とともに、氏の三つの仕事は、戦後民主主義近代主義の言説に対してだけでなく、前述した世界史的教説の一部である民衆史、日本ポストコロニアリズム天皇制構造論の諸言説に対する批判も可能にする、思想ラジカリズムを構成していくものである。この思想ラジカリズムの中心にはただ「人」の思想が存在する。あらためて、仁斎がいう「人の歩み行く道の外に道はあるのか」でいわれる「人」のもつ意味は大きいといわなければならず、ここから離れることなく、「近代」を乗り越える「人」の思想について根本から考えるべき時がきたのではないか。伊藤仁斎が「人」を発見したのは、幸徳秋水大杉栄小田実が「でもくらていあ」の市民を発見したのと同じほどのラジカルな意義をもっていた。ここから、管理された、一瞬一瞬の、システム的組織の利益のためなら、他を全部消し去る、地球規模の抽象的な、グローバル資本主義と帝国の時代、そして、それらの対極でそれらに逆らおうとするオキュパイ運動を契機に市民が蜂起し始めた動乱の時代に、「仁斎学講義」を読むことの意義は大きい。おそらく、今こそ仁斎と共に「論語」を読み直すべき時であろう。


朱子は理は只気の上に佇むという。すなわち理は論理的に先行するのである。朱子学を純粋に継承した朝鮮儒学では、一の原理による包摂として理に気がもとづくことになった。理にオリジナリティがある。日本儒学の方は、古学派は、朱子学の曖昧な観念に対して、『論語』の自己の学問を継承する顔回の死に絶望して天を仰ぎ見た孔子の明確なイメージをもっていた。朱子学の性の概念も放棄される。朱子学の正統派からは日本は朱子学を間違えて理解していたと非難される(今日において、日本はヨーロッパを間違えて理解していると言われるように。) 真相は、思考は二元論的分割なしに不可能だから、朱子における二元論の対象的分割から出発して、これを脱構築する非対象的思考が要請された。そうしてはじめて、無限は人という有限性から再構成される。つまり「学ぶ」ことが無限である。ここで中世の存在論的物の見方から、理念性の見方へ転回することになった。


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日本人は検査の結果次第では携帯電話の履歴を調べられて国の権力が家の中に入ってくるのはやめてくれなのに、デモに参加せずとも外に出たらどんな口実でも逮捕できる警察と黙認している検察を怖いと思わないのかしら... 非常に緩い非常事態宣言を望んでいることは事実だが、だからといって、「自由」を求めるからと躊躇いもなく言いきっていいものなのかどうか疑問におもう


推敲中

Noam Chomsky denied entry into Israel and West Bank.Marie Combesque,my facebook friend,says; c'est vraiment très bête de la part des autorités israéliennes. Très bête et très 

révélateur de cette mentalité type "forteresse assiégée". Vont-elles bientôt dire que Chomsky est antisémite? And they should stop treating Palestinian as prisoner.




MEMO

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ソクラテス。それにしても何故死罪だったのか、さっぱり分らない。ゴダール曰く、ソクラテスロッセリーニとそっくりだったと。つまり、ソクラテスロッセリーニも、どんな立場の誰とも対話したので公から危険人物にされてしまったのだろうと。なるほど本当に難しいものだ。人に近づくな、自粛せよといわれるパンデミックの時代でもなかったのに...


記憶するために、また未来の人びとに警告を与えるために、役に立たない令和をやめて、コロナ元年にしたらどうでしょうか。百年後はコロナ百年、千年後はコロナ千年と

民主主義が成り立っているからウイルス対策がダメだというのなら、逆に、ウイルス対策が上手くいくのは民主主義が成り立っていないから?すると、ドイツは民主主義が成り立っていないんだ!?論理は負けないとおもっている論客達は、民主主義も成り立っていないしウイルス対策も上手くいってないと疑う反証の精神(懐疑の精神)が眠りこけているようにみえるのだけれど

Tout le problème est de savoir quel est le rapport, ou le non-rapport, entre l’extériorité événementielle pure et le champ des images, où vient presque toujours se perdre, dans une représentation sans pensée, la puissance latente de événement, le sens encore non révélé de la révolte. ー Alain Badiou‬

ゴダールの『JLG/自画像 』(autoportrait decémbre 1995) 

「この的確で無頓着な場所では、見るものと見られるものとがたがいに入れかわる。どちらの視線も安定してはいない。というよりむしろ、画面を垂直につらぬくいずれともつかぬ視線の奇跡のなかで、主体と客体、鑑賞者とモデルは永遠にその役割を換え続けていく...」(フーコ 『言葉と物』渡辺一民訳)
en ce lieu précis, mais indifférent, le regardant et le regardé s'échangent sans cease.  Nil regard n'est stable, ou plutôt dans le sillon neutre du regard qui transperce la toile á la perpendiculaire, le sujet et l'objet, le spectateur et le modèle inversant leur rôle á l'infini. (Foucault)

「そうして絵の左端で裏がえしにされている大きな画布は、第二の機能を果たすこととなる。つまり執拗に画面を見せようとはしないそれは、視線の関係が読みとられることも、決定的に確立されることも、ともに妨げるからである」
(フーコ 『言葉と物』)
Et la grand toile retournée á l'extrême gauche du tableau exerce lá seconde fonction ; obstinément invisible, elle empêche que soit jamais repérable ni définitivement établi le rapport des regards. (Foucault)‬

‪AUTOPORTRAIT. < on m’avait demandé Godard par Godard, mais je préfère JLG/JLG. C’est un autoportrait et en principe, ça ne peut être fait au cinéma. C’est quelque chose de propre à la peinture. Je voulais essayer de comprendre ce que signifie pour moi faire un autoportrait, voir jusqu’où je pouvais aller dans le cinéma et jusqu’où le cinéma pouvait m’accepter. C’est l’idée de l’art assez classique qui dit que l’œuvre est importante que l’homme. C’est ce qu’on avait appelé “ la politique des auteurs” et qui a été mal comprise. Le mot qui comptait c’était la politique et pas l’auteur lui-même. Picaso se posait aussi beaucoup cette question :  jusqu’où puis-je aller dans la peinture.? Quand ils en avaient marre de peindre des paysages, il ne restait plus aux peinture qu’ à se peindre eux-mêmes. Le cinéma étant un peu autre chose, ne pouvant pas se faire seul, on peut toujours montrer ce qu’il y a autour de cette solitude. J’ai toujours pensé que le cinéma était un instrument de pensée. (...) Je suis heureux aussi dans la conception mais je le suis plus dans la cherche que dans l’accomplissement des choses. (...) j’ai essayé de faire un film qui ressemble aux livres que j’ai pu lire dans mon adolescence, ceux de Blanchot, de Battaile. Je me souviens par exemple de L’Experience intérieur. À l’époque, je suivais les cours d’Henri Agel, il avait passé Terre sans pain de Buñuel et je lui avais dit : “ C’est une bouleversante expérience intérieure de l’Histoire.” Voilà, le cinéma est là pour faire de le métaphysique. C’est d’ailleurs ce qu’il fait mais on ne le voit pas alors ceux qui en font ne le disent pas. Le cinéma est quelque chose d’extrêmement physique de par son invention mécanique. C’est fait pour s’évader, et s’évader c’est de la métaphysique. ‬‪ーGodard ‬1985

「ほかにいい人がいない」からで、安倍を支持するのをもういい加減にしてくれる?お見合いじゃないんだから!

推敲中

もう人間とはおさらばだ、妖精と共同生活しよう
とりあえず現在もっているものと
できそうなことをクレヨンで書き出してみた...
国際便で何ヶ国も彷徨う19箱の本たち、
マイナーなものづくり、地下茎のように
共通の部分が腐ったガラクタ学問、
そして思想史的遠足


推敲中
闇が光に、光が闇に生まれ変われるメタモルフォーゼか?この編集は、暗闇の卑近にあるのは光しかないというほどの無分節の世界の記憶を蘇らせるものであると考えてみたら、それによりどんなことが言えるか?人間は、スクリーンを背後にして語る自己を否定する観念によって(スクリーンに向きあうことになる)、平等に差異が差異としてあるような真の意味での多元世界に来るのではないか。これは形而上学の映画である。絶対的な<自分が語るのを-聞き-たい>ということである。(映画館の暗闇は自分がどういう階級であるかを隠してくれたとデユラスは少女時代を回想している。)

推敲中

人間の有限性という本来性の構成的言説に絡みとらわれないで、寧ろ万物の生成の道のラディカリズムに、ギリギリ理念的な内在性が思考されている。そして部屋の森にこそ、徴は至るところに。凡庸に新しい時代のオリジナルを鋳造する孤立から離れて、孤独の力に留まるー 目に見えないもの(夜の本)と目に見えるもの(昼の本)との間にあって‬

推敲中

ナンパの物語とお喋りを解説するほどつまらないことはないので、ウィキに要領よくまとめられているあらすじを引用しよう。「シャルロットとヴェロニックは、パリにアパルトマンをシェアする学生である。ふたりはリュクサンブール公園で待ち合わせをする。先に着いたシャルロットは、がまんできずに、パトリックという青年に求愛され、一杯飲まないかと誘われ、約束をする。シャルロットがいなくなったところでヴェロニックが着くと、おなじくパトリックが近づいてきて、おなじ会話をし、翌々日に約束をする。ふたりが部屋に戻ってくると、シャルロットもヴェロニックも、それぞれの「パトリック」のことを話す。次の日ふたりは、街で女性に親しくあいさつする青年(パトリック)を目撃し、パトリックがいつもだれに対してもおなじことをしていることがわかってしまう」。‬ ‪このナンパ劇からは、シャルロットとヴェロニックは本質的には同じもので、優先順位がちがうという見方もできるかもしれない。案外これは、深遠なロゴスのことにかかわるものかもしれない。生死を認識するとき生死は本質的に同じものであり、ただし認識の順番があるので、生を考えたあとに死を考えるという。なにか、八十年代からの天地の間を還相する映画のコスモロジーをおもうのである。‬

映画館の暗闇は自分がどういう階級であるかを隠してくれたとデユラスは少女時代を回想している。)‬


推敲中

映画のスクリーンは自らに時代精神を投射するように、80年代のゴダール時代精神を語るときどういう方向が正しいかという問題がある。70年代はブルジョワ的なものにたいする拒否の視点をもった。とくにゴダールにとって大問題だったのは、60年代の映像と音をたたえる態度が批判されたことである。九十年代以降のオートバイオグラフィー的な言葉の方向へ行くまえに、語りを可能とする媒介としての映像と音の自立的なあり方が検討された。映像と音はなにか?「カルメン」という名が与えられるまえに、それらは何だったのか?他から与えられた媒介ではなく、あるいはまた他から奪っていく媒介でもなく、倫理的に自己自身の媒介としていることによって、映像と音の存在についてもう文句を言わないこと。映画を愛するシネフィルはシネフィルの道がある。

ベートーベンは普遍というよりは、ベートーベンは普遍の統合する時代精神というほどのものではなく、統合することの無理をスクリーンの中で示す特殊の普遍ーたたえられたフランス革命の近代を批判的に相対化するーであろう。

推敲中
ここで調和とは新しい時代からの半-亡命のことである。ここで調和とは新しい時代からの半-亡命のことである。古い世界こそは、二人の間の対話を構成するシンメトリーと分割をもっていた。新しい世界を批判できる反時代的精神は、古い世界を完成させることに失敗したのだと訴える古い世界からする反時代的批判である。‬

推敲中

‪『ゴダールのマリア』(1984)は、アンヌ=マリー・ミエヴィルの短篇映画『マリアの本』とゴダールの長篇劇映画『こんにちは、マリア』(Je vous salue, Marie)の二部構成で成り立っている。『ゴダールのマリア』は言説を考える映画である。映像は、だれかが語った言葉ではなく、何が語られたのかとの繊細な関係をもつことによって、ある言説が言い出された意味の読みが成り立つという。映画の関心は、力ー異なるものどうし(映像と音と言葉)の関係ーの生産にある。この映画『マリア』は極右翼とフェミニズムの両方から非難された。前者はゴダールはアンチ・カトリックだとしてマリアの裸体像を公に晒した映像に反発し、後者はゴダールカトリック神秘主義に陥っているとして映画の女性の地位を貶める物語に抗議したのである。映画を読み解くだけでは不十分である。映画がもたらしたこの波紋からなにを読みとるか?世界は、映像がもつ言葉との繊細な関係を物語った言説としての映画を産み出し、またこれを否定したのである。一方に力ー異なるものどうしの関係ーの生産があり、他方に力を否定する抑圧が存在している。‬ ‬ 映画は誰々が語る主義と矛盾から切り離されている言説のスクリーンである以上、こう言わざるを得ない、映画が自らに投射する世界それ自身が無矛盾の映画である、と

英語を聴きとれる日本人がいないのは英語は言語だからだ。言語は差異を住処とする。差異の表象が成り立つ為には空間のイメージが必要である。空間は境界としてあった。国家はその後


身体感覚だけれど、京都の街を歩くとヤバイ感じがする。建築家ゲーリーが京都は枠作られると言っていた通りだ。東京は反権力の知があるが、これは死の感覚によるのだけれど、同じように枠作られていると感じてしまう自分は一人ぽっちと感じる。多分、国家の全体をみるフレームが天皇の死者を祀る見方に枠づけられているからではないだろうか

同じではないとおもいますが、言葉を通じて理解する事柄なので、微妙なところですね。「枠づける」がいつ、「枠作られる」となってしまうのか、そこに隠蔽があるのかとか、「枠作られる」のなかに「枠づける」の不透明な枠作られていない痕跡(外部)が必ずあるとおもいますし...

山々の輪郭は大変美しいです。文学にすんでいるような美しさというのでしょうか。またわたしは人のほうもおもしろいのです。京都に行きますと、運転手の方やお坊さんが「応仁の乱」まで遡るでしょう。あれはアイルランド人が800年前まで遡るこだわりと共通しています。東京中心主義に巻かれたくない歴史感覚というのでしょうか。詳しく書けませんが、アイルランドでは自分たちは北の地中海人という自負があります。内藤湖南を勉強して「応仁の乱」の意味がだいぶわかってきました。明治維新の近代は権門体制の復活(天皇と寺社と貴族の支配体制に、下級武士と軍人と官僚が加わった)と理解できますが、明治維新に帰れという安倍政権の東京も権門体制に反抗する「応仁の乱」が必要です。京都は伊藤仁斎の古義堂がありました。修学旅行のとき、バスガイドの人が堀川の散歩のときここを強調しました。お父さんが大事なだと言っていました。たしかに、ここを訪ねてこそ、17世記アジアの知識革命が見渡せます。
わからんことを投稿したかもしれませんが、子安先生の講座で大岡昇平を読んだことがあります、このときの議論をおもいだしました。大岡昇平は『野火』であんなにラディカルだったのに、『レイテ戦記』では何か死者の魂を救うつもりで戦闘に意味があったことを明らかにしたいと言ってこれを書くのですね。これは局所的な戦いをみてもダメで、全体をみないとわからないというのです。ある意味で国家祭祀の視野です。最近出てきた「天皇抑止論」とその反響のことも考えると、どうも何か、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた日本知識人の古代から始まるのかもしれませんが、日本知識人の視点を規定する枠組みがみえちゃうのですね

推敲中

「エレナとリシャールは、ロジェと行った同じ湖に、同じようにボートを漕ぎ出した。そこでリシャールはエレナを突き飛ばす。エレナは溺れかけるが、リシャールは腕を伸ばしてエレナの手をつかみ、エレナを救い出すのだった。‬ ‪」 エレナの精神的成熟のことがいわれる。ロジェ・レノックスはエレナの心の中の他者であると。言葉で説明されるとこのように整理されてしまうのだけれど、映像で見たかぎりにおいては、おぞましいアラン・ドロンは何らかの力で死体のまま蘇った怪物のようである。 それは人間の心の中の他者などではない。ロジェ・レノックスを殺したあと、エレナの精神がリシャールという名をもったこの死者から成り立っているではないか。わたしはこういうことも考える。エレナは過去のロジェ・レノックスの言葉を理解しようとして、彼の心の中の感覚世界を追っていったようにおもう。だけれどロジェ・レノックスは理解されることはないだろう。そうしてエレナは彼女の前に現れたリシャールの心を住処にしようとして屋敷を出るのである。しかし他者ロジェ・レノックスはリシャールの現在から構成されることは不可能である。愛の不可能性、それが「ヌーヴェルバーグ」のテーマだったではなかったか?


‪今年もゴダールの映画作品を囘想したが、『ヌーヴェルバーグ』(1990 Nouvelle Vague)についてきちんと書いていない。正直、誰もこの映画を語っていなかったようにおもう。
この映画について最初に言っておかなければいけないことは、これはスクリーンのような内在の平面を表現している映画だということだ。
アランドロンはかつてヌーヴェルバーグの敵だったこともあって、批判家たちに嫌われている。アランドロンがゾンビの如く言われるが、それですますことはできない。追い立てられて死に場所もなく、死んだら死んだでそれっきりでいいのだろうか?映画は記憶のこととしても、死者(忘却される映画自身も含めて)が生者の近くに存在しなければならないことを表現しているのである。「前近代」では類似者は常に生まれ変わりとして現れるように、ポストモダンの世界においては、スクリーンのような内在の平面の上では、生(別のあり方)も死(別のあり方)も縺れあった状態として同時にあり得る。
内在の平面は唯物論的である。ロラン・バルトマルクスの「決定する」という語の反復にウンザリしたが、エンゲルスはこの貧しいエクリチュールを借りて、何でもかんでも根本に物質があるとみる唯物論を抽象的に展開できた。死に切った過去は人間の意識が接近できない点で物質である。この内在の平面に互いに異質なものが配置される。(エンゲルス唯物論と共通のものをもっているのがペンローズだとおもうのだけれど)。

Fbの場で7冊を発表したことは、それらを考えなおすよい機会となったかもしれない。一方、持っていることが知られたら恥ずかしいから隠しておきたい本もある。これらの本のことも考えてあげなければフェアーではないだろう(変かな?) ハイデガーと共に、時間とは何かと考えるときには、一生かかっても接近できない距離を以って日常言語で考えなければいけないものを、臆病にも、物理や数学の方程式を解説した本を読んで時間についてわかろうとしている自分のなかの言語的支配の欲望が恥ずかしい。文学史が自然科学にもとづいて構想されるのは違和感があるし、同様に、思想史も公式化されてはならないということをおもう。構造主義が自らを科学でないとしたうえで、数学を利用することは全然問題はない(ポスト構造主義はそういう構造主義である)

推敲中

マルクス資本論」をシェークスピアを通して分析した、経済学者・岩井克人氏の「ベニスの商人の「資本論」」に到底及びませんが、最後の審判の日の「不均衡動学」というような切り口で、演劇というものを経済学批判の視点から読み解くことができないかというのがここでの私の目的。▼岩井「不均衡動学の理論」をホルヴァートを通して分析したいと思います。▼この「不均衡動学の理論」は、経済学の「学」に向けられた言説批判というか、「これは、まさに合理性というものの逆説にほかならない」という口調で「逆説」という言葉が氾濫しています。▼われわれに教えるその逆説は、効率性と安定性の二律背反に関わるものです。そして「市場経済とは、まさにその外部によってその内在的な不安定性から救われているのであるという逆説がここに存在している」と言われるのですが、この二律背反こそがネオリベ経済学に対するアカデミックな反論の視点をなします。▼つまり簡単にいえば、(マクロ経済学においては)効率がよくなればなるほど不安定性が増大するという関係がみられるということですね。
▼さて演劇ですが、ホルヴァートが「愚かしさのようなものほど、永遠性を感じさせるものはない」というとき、この「愚かしさ」とはなにかとかんがえるとき、それは、「外部性」の概念に関係しているのではないかとおもうのです。▼なぜ「最後の審判の日」アンナはトーマスフーデツをあれほどかばったのかという問題があります。これなんかは、外部性としての愚かさという切り口からとらえることができないだろうかと思うのですね。▼アンナはなんらかの意味での人間的な硬直性をもっていたように感じました。後期近代21世紀において極まる、効率の果てしない追求と怖るべき安定性の拡大、差別されていく精神の空洞化。これはすでに1930年代にさかのぼりますが、われわれの現代に必然的に直進していく体制にたいして、その外部に立とうとするアンナ。列車衝突事故に帰結しましたので、愚かにみえますが、それは事後的にいえることで、キスは、アベミックスのような市場至上主義の経済合理性の立場からみれば「非論理的」であるが、社会的な存在としての共同体の立場からみれば「一見したほど非論理的ではない」と私は考えます。▼時間を均質化していく機械仕掛けに進行する合理化と危機的な不均衡に巻き込まれていく人々。トーマス・フーデツに、アンナは人間性の意味を回復しようとしていわば経験知としてのキスというごとき言葉の光と闇を与えました。ホルヴァートは、近代にたいしてなんとか巻き返していこうとしたプロセスがあったことを、ほかならない、二人共同体を通して舞台で表現したのではなかっただろうか。




‪新しい物の見方が問われている。ポストコロナについて言われるようになった。このままネオリベの市場主義と同じことを続けたらやっていけなくなるのは明らかだ。ケインズ主義の見直しが起きているが、昔のケインズに戻れというような単純な話ではないだろう。岩井克人『不均衡動学』(1989)は、私の勉強不足でこれを完全には読めていないが、岩井によるケインズ『雇用・利子・貨幣の一般理論』の脱構築的読みを追いながら、合理性は合理性を貫くと合理性を保てなくなるというようなことを書いていたことは理解できたとおもう。簡単に整理すると、新古典派の思考可能な合理主義からみると、労働組合などの政治的存在は思考不可能な非合理であるが、もしそういうものがなければ、ネオリベの合理だけが存在するシナリオ通りにハイパーインフレが起きて経済そのものが成り立たなくなる。だから、<思考>と<思考にもとづく思考不可能なもの>、この両者はケインズにおいて互いに切り離されてはいないと。ここで岩井がやったことは、合理主義そのものの否定ではなく、近代における合理主義のあり方を問うものであった。『不均衡動学』は対立する経済学説の議論を検討することによって近代を問題にしたのである。だからここから、合理主義はひとつではないという新しい物の見方をかんがえてみることだって可能ではないか。たとえば新井白石の合理主義は近代であるが、伊藤仁斎の合理(「未(いま)だ生を知らず、焉(いずく)んぞ死を知らんや」の注釈)はこれとは違う近世のものである。また朱子学の合理主義と仁斎の合理は近世に属するが?両者は別のものである。啓蒙主義が多様であるように、合理主義も多様であると考える必要があるのだ。再び、ケインズ主義の見直しが起きているが、昔のケインズに戻れというような単純な話ではないだろう。ケインズ主義の問題は、それが確立してしまうとその言説的合理のなかでそれとは異なる多様性が排除されてしまったことにある。現代は世界資本主義の分割である帝国の時代であるが、近代が考えるようには、帝国のなかにひとつの合理主義があるのではない。他者が先行するのである。「帝国のなかに他者が存在する」とは多孔性の意味によって明らかになる言説ではないか‬

ヤバイ、憲法記念日をすっかり忘れていた。こんな時代だからこど、何か言わなくては、しかし令和の時代にいったい何を言うことが可能なのか?戦後確立できると考えた憲法制定権力と憲法訴訟という制度的認識、つまり国民主権司法権の独立を保障した三権分立のデモクラシーは、成り立つことがないことを、既に戦争中の天皇論ー「祀る神は祀られる神」の歴史なき構造の不変式ーには分かっていたのか(畜生!)左翼の「天皇抑止論」に顕著であるが、歴史的に、日本知識人というのは天皇(祀る神)に規定された視点の枠組みで国を俯瞰してきたのか。‪時代に対応する形で天皇制は色々なあり方でやってきたが、現在象徴制を過剰に超える象徴行為に直面しても、この構造に危機感もない。これからどうすればいいのか!?

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MEMO

ゴダールは、『新ドイツ零年』(Allemagne année 90 neuf zéro、1991)によって、「歴史」の領域にはいることになった。『アルファヴィル』(1965)のレミー・コーションを、探偵として、かつて東西を分断した境界を超えていくドン・キホーテの分身として呼び出している。ドンキホーテにとって、類似の徴は至るところに。戦争と国家とはそれほど別々のものではない。しかし同一性の時代にあって違いがわからないドンキホーテは笑われる。戦争は戦争、国家は国家である。『新ドイツ零年』はニューヨークで見た。衝撃だったのは、戦争という国家悪を外へ追いやるのではなくて、映画と現実とが溶け合う映画の諸々の断片によって形づけられた回想を通して、戦争国家を自己の内部に掘り起こすかのような編集である。大熊信行の言葉を考える。国家が個人を超えて実在するのではなくて、逆に個人が国家を超えた実在である、そうでなければ、国家悪を超える思想領域と精神領域へ歩み入ることができないと訴えるかのように。‬


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ポストモダンは近代知識人に対してもつネガティヴなイメージをもっている。このことは‪、ポストモダンが68年の運動から転身したという事情から説明できるだろう。百年後は、20世紀に生じた知識人の全否定はイコール全体主義だったと思い返されるとき、だからポストモダン全体主義に抵抗できない思想だったと表象されてしまうのかもしれない。しかし思想史はそれほど単純ではない。さて知識人の漢字エクリチュールへの依拠を批判した、従って総体として知識人を全否定したラディカルモダニズムだけが皇国史観を批判できた。この津田左右吉のような普遍主義か普遍主義でないか曖昧な位置と機能は近代主義からはみえない。だがポストモダンからはみることができる。なぜならそれは、“普遍主義である”<と>“普遍主義でない”をみとめるような思考の柔軟性をもっているからである。20世紀の思想史に記述されるべきだろう‬



Impossible


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「自己にあっての差違においてでなければ。おのれを同一化しえず、「わたし」あるいは「われわれ」と言えず、主体の形式をとることができないというのである。この自己にあっての差違がなければ、文化や文化的同一性は存在しない。」(デリダ『他の岬』)


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2021年7月の東京五輪の開催までにコロナの収束は国家的事由である。世界はもっと数えろという。数えないためには、日本における例外主義の神話を言い続けているのだろうか?



Man has not been able to describe himself as a configuration in the episteme without thought at the same time discovering , both in itself and outside itself, at the borders yet also in its very warp and woof, an element of darkness, in apparently inert density in which it is embedded, an unthought which it contains entirely, yet in which it is also caught. ーFoucault


思考が同時におのれの内と外に、その外縁に、しかもそれ自身の横糸と交叉するかたちで、夜の部分を、思考の束縛されている一見して動かない厚みを、さらに、思考にことごとく含まれていながらまた思考をとらえている思考されぬものを、発見することなしには、人間は、<エピステーメ>のなかの布置として描きだされることはなかった。ーフーコ『言葉と物』渡辺一民


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バタイユブランショアルトーとクロソフスキが蘇るというか、フーコは文学的な文体をもっている。原文と読み比べる日本語訳ではっきりわかる。フランス語は日本語だと言っていた人が翻訳した。『言葉と物』の英訳は文学的文体が無い。だが英米で中国学生が読む。彼らの認識の仕方を考えるのは面白い


ベーコンはダブリンで育った。南アフリカに行ったときの子供時代を回想している。庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもった。外縁というか、小動物によって、自己との関係を再構成していくことになったのかも。どうだろうか?「ゲルマニカ」のピカソも動物を描くが、現代アートにおける最後の表象性というか。スペインに行って見ると感動する(ピカソはキュビニズムの抽象化を切り開いたが、どうしても「美しい」スペイン人の顔を描きたかった)。ベーコンには、記号のある夢はない。トラウマテックな言説の反復というか、フロイトを読んではじめて感動する本ではないか。


推敲中

ベーコンはダブリンで育った。南アフリカに行ったときの子供時代を回想している。庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもった。外縁というか、小動物によって、自己との関係を再構成していくことになったのかも。ベーコンの絵画は、存在が表象にすんでいる西欧の伝統の枠を出ないようにみえるが、存在は小動物との出会った事件に遡るだけであって、それ以前に遡っていくことはない。存在は失うために失われる。比べると、「ゲルマニカ」のピカソの場合は、描かれるのは人間化した動物である。そして存在の日付をスペイン市民戦争の前においている。民衆の顔の至上性を書くのは物である。物ならば無限にさかのぼることができる。物が可能にしてくれる。ほかならない、始原にこそ失われることのない人類の起源がある。しかし物によって至上性を与えられているというのに、人間はそこでますます失っていくのである。


推敲中


荻生徂徠『弁名』


(子安先生訳) 「人の性質はそれぞれに殊なるとはいえ、また人に知愚・賢不肖といった違いがあっても、みな相互に愛情をもって養育し、補助し合って成し遂げていく心と、運用営為しる能力とは一様にもっている。それゆえ統治は君主の力に頼り、養育は人民の力に頼り、農工商買(しょうこ)がみな相互に頼り合って生活をなすのである。群としての集団を離れ、無人の郷で独立して生活することができないのは、それがただ人間の性質だからである。君主とは群としての人間集団の統率者である。君主においてその統率を可能にするものは、仁に非ずして何があるだろうか。」

ここでは君主と人間の集団性が言及されている。‪「君なるものは群なり」といわれるところの、人間の集団性とその統率物の存在との分かち難い関係の意味は何か。ここで子安先生は徂徠を理解するために荀子を引く。「君とは何ぞ。曰く、能く群するなり。能く群のするとは何ぞや。曰く、善く人を生養するなり」。「君なるものは民の原(みなもと)なり。原の清めば則ち流れも清み、原の濁れば則ち流れも濁る」。仁斎が『孟子』を読み直すことで、「聖人の道」をめぐる仁斎の言説体系を構成することに対抗的に応じている、と子安先生は指摘している。 ‬徂徠の言説と仁斎の言説が宿る近世の言語は絶えず注釈によって自身を顧みる。テキストの絶対的先在による。"il faut le préable absolu du texte‬"(Foucault)


デリダの翻訳は、わかってない人がやった翻訳のようですね。デリダをわかっている高橋哲哉のおかげで読めるようになりました。問題は、わかっていない人による翻訳は翻訳権で保護されてしまうことです(たとえば、『グラマトロジー』の翻訳ですね)。改められることが難しいのです。不思議なことに、日本には右翼のデリダ主義者(!?)が多いのです。デリダを読んでナショナリズムにいくことはあり得ないのですが、これは、問題のある翻訳の悪い影響によることだとおもいます。ヨーロッパではポスト構造主義とポストコロニアリズムは密接に繋がっていて、ナショナリズム民族主義の言説に絡みとられることはあり得ないです。が、どうも日本ではそうではありません。デリダをわかってない人の問題のある翻訳を読んで民族主義的となった人たちがポストコロニアリズムを読んでナショナリズムへいくのです。

フーコの原文と、フーコをわかっている渡辺先生の日本語訳と英訳をいっしょに紹介していこうとおもっています。とくに、言説discours を理解していないと、フーコを理解できません。中村雄二雄は、わかっている人ですが、言説を「言語表現秩序」と訳してしまう問題がありました。そういうこともあって、日本では、近代を批判的に相対化する鍵となる、言説discoursの概念の理解が定着していません。

ついでに、ドウルーズの翻訳も最初から問題があったのですが、Deleuzeをわかっている宇野邦一のおかげで読めるようになってきました。ただしドウルーズの理解について言えば、正しく翻訳されたフーコにかかっているとおもいます。<一>的多様性という多元主義の思想を、一に還元される多元主義(全体主義?)にしてしまうのも日本だけではないでしょうか。

子安先生の全集が出るなど、現在の中国はポストモダンの思想がはじまっているようです。言説の語は中国語にもあるのですが、これは意味が違います。おおまかに言えば、学者の議論というふうに理解してみるのもいいでしょう。学者の議論は学者が読むのですが、学者でない市民が読んだらどういうことが起きてくるのか?これがフーコの視点でしょう。ちなみに江戸時代の学者さんは市民に近いです。江戸の儒者は士大夫ではありません。天皇・貴族・寺社が独占していた学問が町人と農民に解放されて、市井の自発的に学んだ人たちです。


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‪言説は言語に宿るので、作品において言語のある部分を差し引くと、言説性が露呈されるのかもしれない‬


コラボで勘違いしている安倍にチコちゃんもイカってるよ、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」


«The plane of immanence is not a concept that is or can be thought but rather the image of thought, the image thought gives itself of what it means to think, to make use of thought, to find one’s bearings in thought.»

-  Gilles Deleuze and Felix Guatarri, What is Philosophy



鎧戸


『言葉と物』は、‪主体と客体、鑑賞者とモデルが永遠にその役割を換え続けていく様子を書くのだけれど、『監獄の誕生』において見るものと見られれるものの関係をかく書き方は、『言葉と物』のそれとは別である。人間はコミュニケーションの主体になろうとするが、情報の客体の側にいる。空間の分割が鍵である。

昔読んだ本なので記憶があやしいが、思い出しながら書いてみよう。『監獄の誕生』を読んだとき面白いと思ったのは、フーコは監獄から話しはじめたのではなかったからである。その前に、ペストのときの隔離とか、動物園のことを書くことによって、空間はいかに分割されていくのか分析している。

この本に分析されている一望監視方式の監獄は、ダブリンにある。植民地時代の監獄を博物館にしている。天井の光は善の光であり、それと同時に、大英帝国がもたらす光であったわけだ。こんな所では冬は寒くて凍え死んでしまうだろう。それぞれの独房の囚人たちは少しの熱を感じようとして天井を見上げたに違いないと想像する。一望監視方式の監獄は動物園のように公開を前提とした監獄である。ここを訪れた人々は、どういう罪を買えばどんな罰を支払わなければならないということがはっきりわかる。罪と罰は商品と価格に対応しているというわけだ。いつでも鎧戸を開けて中の囚人の様子を見ることができるようになっている。これは恐ろしいことだ。囚人はいつでも監視されていてだれが監視しているかわからない。鎧戸という実に簡単な仕掛けで監獄のコストを最大限に低くできるという。

フーコによれば、言説的なものー「最大多数の最大幸福」で知られる功利主義の善と悪を計算するアイデアーが建築に反映されているかといえばそうではないという。言説的なものと可視的なものは互いに独立しているとフーコはみる。

フーコはフランス革命の近代を考える。フランス革命後はアナーキズムと国家秩序との間に揺れ動いた。1789年のフランス革命は完全な革命ではなかった。革命はクーデターの軍国主義にとらえられてしまう。それは明治維新の場合とおなじといえるだろうかいまわたしは考えているのだけれど。軍国主義の規律と訓練が国家の秩序にとって都合のいい従順な身体を作り出していくに違いない。これは学校のモデルとなる。問題は、監獄の外部は一望監視方式の監獄の内部と違いがなくなっていくことをどう考えるかである。監獄の外部もだれが見ているのかがわからない。監視の権力に中心はない。現在はメッセージをネットワークに送るときにコミュニケーションの主体になろうとして他者を望んでいるが、現実は生活の隅々まで見られている情報の客体となっていて相互監視の網目を築いている‬。これについては、21世紀のアジアでの新しいコンテクストで考えることになりそうである


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元祖寸劇

ネコ(溜息)「あーあ、嫌なことばかりじゃない?」

フクロウ「ホー、いいこともある」

ネコ「ニャーニ、それは?え、教えて!」

フクロウ「天気だ」


推敲中



‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬


「弁名」


‪(子安訳)「しかも先王は聡明叡智の徳を備え、礼楽を制作し、道を定立し、天下後世をしてこの道を最上の規範として由らしめたのである。後世の君子たるものはこの道を奉じて、天下にこれを規範として行ったのである。先王は聡明叡智の徳を有するというが、その徳をこのように道の定立に用いずしてどこに用いることがあろうか。しかも先王における道の定立は、仁すなわち安民の徳をもってするのである。それゆえ先王の制作になる礼楽形政は、いずれも人すなわち安民の目的をになわないものはない。このようにあるならば仁を奉ずる人でなくして、だれが先王の道を行うことを己れの任務とし、安民の課題を果たすことができようか。それゆえ孔子の教えは、仁を至上とし、その「仁に依る」(『論語』述而)ことを務めとしたのである。聖人の大徳である仁に依拠することに務め、だが聖人となることを求めないのが古えの道であったのである。孟子が、「仁は人なり。合わせてこれをいえば道なり」『孟子』尽心)といっている。仁の大徳に依拠して徳をわれに為すことで、仁をもってする先王の道とわれとは合一するのである。これは古来伝来の説である。」‬


「聡明叡智とは聖人の徳である。徂徠において制作者としての先王が聡明叡智の徳を有する聖人だとされる。したがって先王が聡明叡智という聖人の徳をもって道を制作するのである。何にもとづき、いかにして道を制作するかという、制作するゆえんは、聡明叡智を称される先王(聖人)のみ知るところである。聡明叡智とは 、一般的な知と隔絶した超越的な知である。... 制作者である先王はさらに仁という安民の大徳を備える存在である。先王による礼楽刑政とく道の制作は、この仁の徳をもってするものであり、その制作行為はすべて安民というテロスに貫かれている。後世の人が先王の道を奉じて行うことも、道を貫く安民のテロス(仁の理念)をいまここで実現することだとされるのである。」(子安 『徂徠学講義』)



‪武士は自身を表現するための自分自身の文化をもったか?津田左右吉、「応仁の乱」の著者呉座氏によりながら、内藤湖南も参照して、武士のアイデンティティを思想史から考えるとどうなるか?守護在京制で公家の文化と接した武士が応仁の乱が生じたことにより京都を離れることになりこれを各々の地方に伝えたとする呉座氏の記述が中々興味深い。複数形の「小京都」を成り立たせる交通が武士の媒介的存在によって起きたといえようか。重要なことは、作ることの普遍性と等価の媒介するという媒介的存在が、16世紀ー17世紀の知識層の成立を促したという事実である。知識層から19世紀の知識人が生まれるが、荻生徂徠は知識人への方向づけを行ったと私は理解している。武士は自身を表現するための自分自身の文化をもたなかったが、文化のかわりに制度論を作り始めた。このことを踏まえたうえで、ここで仁と安民の理念につらぬかれる道をいう徂徠の言葉と子安氏の評釈をよく理解できよう。‪ここでの子安氏の分析のポイントは、武士は制度の言説を作り出したというところにある。20世紀解釈学のエートス論(和辻)にたいする批判的相対化の意味が与えられていることを見逃すことはできない。‬


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「夢」や「数」、それに「水」というものにとても強く影響されています。「夢」という不定形なものへの欲望と、「数」の定形を目指す意志との衝突がぼくの思考を生きた持続あるものにするのですが、「水」はこうした対立概念の統合されたものとしてあるんです。ー武満徹


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Le plan d’immanence n’est pas un concept pensé ni pensable, mais l’image de la pansée, l’image qu’elle se donne de ce que signifie pense, faire usage de la pansée, s’orienter dans la pensée ...

ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?


‪Les concepts sont des événements, mais le plan est l’horizon des événements, le réservoir ou la réserve des événements purement conceptuels; non pas l’horizon relatif qui fonctionne comme une limite, change avec un observateur et englobe des états de choses observables, mais l’horizon absolu, indépendent de tout observature, et qui rend l’événement concept indépendant d’un état de choses visible où il s’effectuerait.‬


‪Concepts are events, but the plane is the horizon of events , the reservoir or reserve of purely conceptual events: not the relative horizon that functions as a limit, which changes with an observer and enclose observable states of affaires, but absolutely horizon, independent of any observer, which makes the event as concept independent of a visible state of affaires in which it is brought about. ‬

‪ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?‬


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‪Le plan d’immanence n’est pas un concept, ni le concept de tous les concepts. Si on les confondait, rien n’empêcherait les concept de faire un, ou de devenir des iniversau et de perdre leur singularité. ‬

‪ーDeleuze & Guattari , Qu’est -ce que la philosophy?‬


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rory end to the regginbrow was to seen ringsome on the aquaface. ーJoyce ‘ Finnegans Wake ‘


roryは、「赤い」のアイルランド語、またroridusは、「露を帯びた」の意のラテン語。またダブリンの小劇場でみた’Making History’( 『歴史を書く』)、イングランド王ヘンリー二世に破れた最後のアイルランド王、ロリー・オコナー(1116?ー98)が暗示されているのか?


英国首相ボリスはネオリベに対する闘いを台無しにした男であるが、NHSと外国人医師二人に示した深い感謝の言葉は嘘ではないだろう。再び社会をぶっ壊したらまた感染してほしい


ハンナ・アーレントはこう語りました。「世界の安定性は芸術の永続性の中で透明になったかのようである。そしてその結果、不死性が触れる形で現れ、輝き、音を発し、語っては読まれるようになったかのようである」(『人間の条件』)。この国は芸術が無くなったら何が起きるのでしょうか?生存の手段に隷属した死の物質的支配に覆われ、輝きはなく、音を発し、語っては読まれることはなくなるでしょう。


‪It is as though wordly stability had become transparent in the permanence of art, so that a premonition of immortality, not the immortality of the soul or life but of something immortal achieved by mortal hands, has become tangibly present, to shine and to be seen, to sound and to be heard, to speak and to be read. ‬

‪ーHannah Arendt‬


推敲中


「天」の意味と知識人が語る「天」の意味は同じにあらず。知識層から知識人となっていく方向づけにおいて、同様の普遍主義的な語り口とはいえ、仁斎と徂徠の差異から近世思想史の言説的曲面をかくことができよう。徂徠の謂わば「一番弟子」であったと考えられる宣長とて、この儒家言説の枠組みに接すると理解できる。篤胤は反知識人的だけれど、だからといって近代主義が烙印を押したようにそれほど反普遍主義といえるのだろうか?問題となってくるのは、篤胤の世界は先行する全ての言説的曲面の"正しさ"を疑う点でメタレベル的に普遍主義に属するという風に言えるのではないかという点である。


柄谷の「交通」から他者はどこに消えてしまったか?

ー討議<帝国・儒教・東アジア>をいかに読むか


他者との関係をいう「交通」の概念。マルクス「ドイツイデオロギー」に出てくるこの概念を、柄谷行人マルクスの可能性の中心に置いた。しかしそうして、柄谷氏はカントから学ぶよりも、「資本論」の読み方を教えてくるようになったのではなかったか(われわれは、「教える」という漢字は「鞭」の形と関係していると考えている。)「交通」は「交換様式」として投射される。しかし現実には彼の「交換様式」からは他者ー思考できないものーが消されていく。思考できるもの(<一>)と、思考できるもののなかで思考できないもの<多様なもの>を切り離して、両者のあいだの距離をできるだけ大きくする。つまり柄谷氏の「交通」の知は、透明な帝国の「交通」の言説に置き換えられていく。つまり他者に開かれたはずの「交通」は、他者を閉じ込めて同一化していく相互監視の体系となってしまう。そこに市民の経験が語られているだろうか?子安氏はこう指摘している。日本知識人による「〈儒教〉の〈世界=帝国〉性の主張は、東アジアの多様的文化、知識を一元的〈帝国〉的文化として包摂して行く〈帝国〉的イデオロギーの先駆的主張である。」これは、柄谷言説から影響を受けてくる現在の思想空間が、多様性の方向性をもつ<一的多様体>の理念性を、『資本論』の読み方を教える思考可能な<一>でしかないものにする言説の形成をみてとれる。これがいかなる危険性を孕むか。それに対しては、「ポストモダン孔子」(子安氏)の方向性をもつ市民の経験の多様性を学ぶことが大切だとおもう。


ナチスの手法を真似て、首相はマスクをしたゲッベルスだし、官房長官は正されるアイヒマンであるが、ヒトラーがいない(米国と中国にいる。)これでは4割だし左翼も立ち上がれない


‪『軽蔑』( Le Mépris 1963)についてまず言わなければならないことは、「『軽蔑』はゴダールの映画である」、と同時に、「『軽蔑』はゴダールの映画ではない」。プロデューサーは映画にブリジット・バルドーの裸体の映像を求めたとき、ゴダールは映画から自分の名前を消すことを条件に了解したという。

ギリシャ神話「ユリシーズ」の海が枠付ける映像の系列。登場人物達は生活しているときに、ラングが語るヘルダーリンの詩の意味を理解できなくとも、神が支配する無意識に住んでいる。

『軽蔑』はブリジット・バルドーモラヴィアである。ギリシャ悲劇みたいな不条理な死が起きる、バルドーの身体は何を意味していたのか?身体は空間に属しているのだろう。この空間はそれほど空間ではない。空間的であるというか、そこは神の支配が貫徹した全領域の部分ではなかった。



ゴダールの『探偵』(Détective 1985)は、コロナのおかげでこの映画に気がついたというか、部屋のなかだけで事件が解決されなければならない。事件と言ってもね、ゴダールの初期の映画とは全然違っていて、まるで空間の中からその内部に沿って空間自身を語るような停滞と落ち込みと疲労感。何もないのだけれど、そこに思考のイメージが成り立っているのかもしれない。思考の存在を表象するためには、思考が綴られる平面(ベッドのうえ)を思い浮かべる必要がある。思い描いてもね、ゴダールの映画を見たときの感じとおなじで、いつも期待外れなんだけれどね



ゴダール『中国女』(La Chinoise 1967)。この映画には文化大革命の政治的災害は存在しない。ブルジョワ学生が集まるマオイズムの部屋で起きる偶像崇拝と、映画による偶像破壊(確立された映画をみる見方のなかでそれとは異なる見方も含む)との奇妙な分節化。68年前夜に現れたこの映画は「明確な映像に曖昧な言葉をぶつけよ」というように、単に自己否定を呼びかけただけではなかった。観念的な自己否定の曖昧さを明確にするような、精神の従属させてくる社会に対するネガティヴなイメージをはっきりもつことの重要性を訴えていたとおもうのである。


1、Ces jeunes gens représentent, comme autrefois les personnages des Bas-fonds de Gorki, 5 niveaux particuliers de la société. (JLG, 1967)


推敲中

ゴダールの天と地の間を語る形而上学においては、天から平等に物にロゴスが与えられる。「映像」も「言葉」もロゴスをもっている。だけれど「明確な映像と曖昧な言葉」(『中国女』1967)といわれる。ここでは映像そのものと言葉そのものとの関係について考えられているとしよう。すると、映像(明確な秩序)は完全な同一性で、言葉(曖昧な秩序)が不完全な同一性とされているのはどうしてなのか?平等ではないではないか。同一性と相違性のフレームにおさまらない、意味作用をもった不透明な外部の思考が存在すると考えようとしているからではないか?‬それは映画と呼ばれる...


死んだ芸術家は愛される。常に、生きている芸術家が追放されてきた。思考の存在の表象のために、思考にもとづいて目の前でこれほど不透明なものを思い浮かべなければいけないのかと


プラトンは詩人の追放を考えていたのは有名な話。どうも芸術それ自身を否定したのではなくて、表象に依存する芸術のあり方を考えていたのか、コンセプチュアルアートへの道であるとおもわれる


現場から考えることは大切。ところが危機の時になると「頑張ってるんだから批判するな」っていう紋切り型の言葉がでてくる。極端にいくと、天皇ファシズムのときも文革のときも、際限なく頑張った。「頑張る」エートスに、ラディカル・モダニズム永久革命があるが、これが齎した政治災害の問題を考えていない



‪「津田はいうのである。『王政復古』クーデターが「天皇親政」を騙った明治政府を可能にしたのだと。昭和の天皇ファシズムによる軍事的国家の成立を「王政復古」維新と無縁ではないと考える私は、津田の維新をめぐる論考を大きな助けとして「明治維新150年」を読み直したいと思っている」(子安宣邦氏‬、講座「明治維新の近代・1 」4月14日)


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‪ブレア労働党サッチャーリズムの先駆が八十年代のフランスの左翼と右翼の連立政権で、ゴダールは、左翼政党に野党の立場を貫いて欲しいと考えていたといわれる。『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987)の物語のメインストリームは、ゴダール本人が演じる「白痴公爵殿下」。(『子どもたちはロシア風に遊ぶ』(1993年)でも同じ役柄を演じることになる。)殿下が手にするドストエフスキー『白痴』の主人公ムイシュキン公爵からの引用であるが、この名はニヒリズムと嘲弄の時代の感情をあらわすように読める。右側のなかで、反証の精神が眠りこけた国家、無能で売れない落ち目の芸人たちに率いられる滑稽さと言ったら...。クルクルまわってめまぐるしく連続衝突するだけで、自己否定的な理念の運動もなくなった記号は、フランスの腐敗を描こうとしているが、果たしてフランスだけなのか


“Despite the virus’s highly infectious nature and our proximity to its source, we have prevented a major outbreak. As of April 14, we have had fewer than 400 confirmed cases. This success is no coincidence,” writes President of Taiwan Tsai Ing-wen ーTIME



気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965)は、ゴダールの「東風」においてみられる東へ方向づけられる前に、南へ行く方向をもっていたことが言われるように、ロマネスク風ミュージカルに誘われる溝口映画を喚起する道行の旅がある。映画はルノワールの生き方を物語る。美学的な問題提起が映画を貫く。黄昏と透明を重ねあわせた、画家ベラスケスが言及される。沈黙の交響曲が言説そのものを打ちまかす。そして根拠を問うコスモスは、イメージの傍らに佇む無(反コスモス)を利用して、事物の分節化されないあり方を探究して自らを再構成する。思考の存在の表象のために、思考にもとづいて目の前でこれほど不透明なものを思い浮かべなければいけないのかと。映画のおどろくほど単純で純粋な詩は絶対を語る。地中海の死と太陽の島が映画のすべての歴史と等価の大きさをもっていた。必然として、アルチュール・ランボーの詩「永遠」が朗読される。と、われわれは『山椒大夫』の島々にいるー


ゴダールリア王』(King Lear 1987)


ニ十世紀は映画の世紀といわれていたように映画の徴は至る処にあったが、21世紀にはいってから古典的傑作は急速な勢いで忘却されることになった。このまま映画はついに見えないものとなるのだろうか。映画が記憶から追放されるとともに、「ゴダール」の名は、デカルトの名が哲学それ自身を表すように、次第に、映画それ自身の存在を表すようになってきた。そのときある伝記作家が、ゴダールに「リア王」の名をあたえたのは、映画の存在の表象のためには、映画が投射される姿が思い浮かべられなくてはならないからだろう。世界たる、この道化は、見るためには、見ることにもとづいて見えないものを在らしめると荒野を彷徨い続ける。その姿は思考から逃れゆく思考とともに経験世界のなかで帰属を失った人間のそれではない。むしろかつて魔術師がやったように、暗がりのなかで小さな箱ー白紙の本に変身したスクリーン?ーを開けたら光が溢れだして、見えるものと見えないものとが共存する世界があらわれるというものである。



『徂徠学講義』(子安宣邦氏、岩波書店2008)より


‪「後世の儒者は聖人の道を知らない。したがって仁もまた知らない。そこから後世儒者の仁説が生まれる。彼らは「仁とは愛の理、心の徳である」といい、また「人欲をきれいに除けば、天理があまねく行きわたる」といい、さらにまた「専言の仁があり、偏言の仁がある」いう。こうしたとらえ方は仏教や老荘の考えに根ざしている。それゆえ後儒の学は理を主とし、心を主とするのである、また『中庸』や『孟子』を誤読して、仁を性の概念とする。だが性とはひとごとに異なるゆえ、彼らはその異なりを気質のせいにして、理においては聖人と異らず、同一だといったりする。‬

‪彼らがいう意はこうである。仁者はたしか人を愛するのだが、愛とは情であり、情として動く以前の静かな心にあっては愛という情動をみることはない、と。しかし未発の愛としての理を、人は生まれるとともに天より享(う)けて心に具えている。それが仁である。仁が心徳であるとは、そのことをいうのであると。また彼らはこうもいう。人の生まれ初めの純粋さは聖人と異なるところはない。ただ気質と人欲にとらわれると、仁本来十全さを失ってしまう。したがって学問が成り、人欲を消尽し、気質を変化させるに及んではじめて、人の行うところ仁であらざるはない境地にいたるのだと。またこうもいうのである。天地の道は生々してやまざるものである。その天地の徳を人に享けたものが仁である。それゆえ天理流行というのはただ生々の意を表しているのであると。また彼らの考えによると、仁は心の全徳である。ゆえに仁は儀礼智信を兼ね備えている。これが専言の仁である。仁が儀礼智信に対するものとして、仁儀礼智信といわれるとき、それは偏言の仁であると。‬


• 徂徠は後世的仁説の批判を書いている。ここでは、「仁とは愛の理」という言語が問題とされている。


‪訳文を読めばわかるように、宋代の程子や朱子たち、宋代以降の中国や日本のの儒者たちは、古代先王のみちこそが聖人の道であることを知らないから、したがって礼楽形政としての道を、天下安民の徳・仁によって聖人が制作したものであることができない。そこからこの後世の儒者たちは先王の道から離れて仁を、彼らの観念の言語をもって語っていくことになったという。徂徠の言及から、宋学あるいは朱子の本体論的な哲学的言語と本来主義的な倫理学的な言語の姿がみえてくる。ここでは、「本体論」と「本来性」の違いに注意しながら、体用的二元論をもって、また性理学的視点とその概念をもって語られてきた宋学あるいは朱子学ー東アジアの漢字的世界を支配していったーのエッセンスを理解する必要がある。子安氏の評釈によると、「本体論というのは、宇宙や人間の根拠にかかわる議論である。人間という存在と行為が何に基礎付けられ、根拠づけられているのかという議論である。さらに宋学は禅の本体主義も己の言葉で語るようになる。人は現実世界において、その本来性を失って堕落するその危険性のなかに絶えずある。人の本来性とは、天に賦与された人間の道徳的本性である。それは道徳的存在としての人間を基礎付ける根拠(理)でみある。現実の世界における人間は情動的契機によってこの本来性を失うようにたえず脅びやかされているのだ。ここから本来性の維持と回復とが、「復初」の言葉とともに説かれるのだ。宋学あるいは朱子学は、この本体論的な哲学的な言語と本来主義的な倫理学的な言語とをもって中国だけでなく、東アジアの漢字的世界を支配していったということができる。日本人は朱子学の受容とともにこうした言語を自分のものにしていったのである。徂徠は後世儒家のこうした本体論的な言説から「仁」を解き放とうとしている」(子安氏)。‬


言語に定位する人間が有限であり、言葉の極限に人が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼らを規定する縁である。理の内部に位置づけられないとする「聖人の道」を指示できるのは、外部の領域からであると徂徠は考えるのである。‬



小池のような国家主義者にとって、国家の存在の表象の為には、国家の存在を飾る儀式(五輪)が不可欠で、その限りにおいてロックダウンする必要がある。総理待望の声が。だがロックダウンは人類を守る為にウイルスに対する戦いを構成するのに、東京を守る自国中心主義に行くようでは、これは隣同士を大切にするアジアのリーダーではないとわたしはおもう


‪近代のものは...いっさいの命令が思考の内部と、思考されぬものを回復するための運動の内部に宿っているかぎりにおいて、いかなる道徳も定式化しようとはしない。ーフーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬

The modern one, ...formulates no morality, since any imperative is lodged within though and its movement towards the apprehension of the unthought. ーFoucault ‬


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‪「近代のものは...いっさいの命令が思考の内部と、思考されぬものを回復するための運動の内部に宿っているかぎりにおいて、いかなる道徳も定式化しようとはしない。」(フーコ)。この点については、伊藤仁斎の道徳学、荻生徂徠の制作学から批判する仁斎道徳学を読むと、近代西欧とパラレルなことなんだね。漢字と仮名で議論を読むことが大切である。ここで言う漢字はわれわれが依存しきっている明治維新以降の漢字のことではなくて、朱子学を共有した漢字文化圏の漢字こと。漢字の存在の表象のためには、漢字が書かれる姿を思い浮かべなければいけない。漢字と仮名で議論を読むことが大切だというのはそういうことである。ここで、音声化された現代中国語にもとづく朱子の翻訳に依拠できないことも言っておく必要がある。ラディカルモダニズムの音声化を推し進める近代国家と対等の自立をえるためには、国語の外縁を為しているが母国語にとっては化石のようになんの価値もなくなった漢字エクリチュールのとりかえしが問題となっているからである。‬


昔は、「一億総懺悔だ」と言ったらしいが、いまはその”わたしに責任はない”と同じ意味のことを「わたし自身の責任です」(安倍)というみたいだ。メモしておこう


国家の戦争責任をみとめないかぎり同化を拒む人々がでてくるだろう。よろしい、国家は同化を本質としているとしよう。もし国家が同化できないなら、どうしても戦争責任をみとめることが不可能ならば、その国家は終わるべきなんだ。そしてその人々とほかのあり方をさがすしかないだろう。できるとおもう


「緊急事態に人間を家畜のように監視する生活権力が各国でまかり通っている」(東浩紀)。逆。家畜に等しい扱いだったのに、補償無しに自粛する倫理観ある人間として扱うのか?


パルマコンが「両面的」であるのは、そのなかでもろもろの対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)が対立し合う中間環境〔媒体〕をなすからであり、そうした対立物たちを相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなすからなのだ(『散種』)


ゴダールの『ワン・プラス・ワン』(One Plus One 1968)から学ぶことは、対立物(魂/身体、善/悪、内/外、パロールエクリチュール、等々)を相互に関係づけ、転倒させあい、移行させあう運動と戯れをなす働きである。

“Sovietcong”,”Freudemocracy”,”Cinémarxism” という映画のなかに示される造語を笑うしかない。ゴダール文化人類学構造主義の原点がある。構造主義は強力な物の見方を構成できるが、構造主義は世界の半分しかみていないから、映画は開かれた全体にすんでいる以上、別の世界の半分を足してやらなければ...。ワン・プラス・ワン のプラス<たす> は、重ね合わされて交錯する多数の中断をもつ系列を為している。


推敲中


徂徠の社会全体の視点をもった彼の言葉を現代社会に適用すると、このこととして理解できるのではないだろうか。アベノミックスの破綻をみとめず、代替案を議論もしない。あたかもその破綻を隠蔽するように「教育勅語」の破綻し尽くした天皇ファシズム家族原理を再び言い出すことをやめよ、と、このことである。徂徠の批判はそれを読む者に論争と議論を教えるというか。




• 徂徠を読むと、理が破綻しているのになおなんでもかんでも理から説明しつづけることを批判するとき、学問というのは、依拠できるものが理の内部に位置づけられないことを考えさせようとするといわれる。依拠できるものが言葉にならないと聞くと、(近代的な意味で)神秘主義の非合理を思うが、しかし知識人が言うそれはそうではない。ここをよく考えると、(朱子や仁斎の)破綻しているかもしれないのにその理が疑問もなく一体化しているような言葉に依存しても、解決に結びつくことがあり得ない (「民の生」を安らかにすることができない)。無理に言葉で説明するとズレてしまうことがおきる。唯物論的とまではいえないが、「礼楽は外物なり、我に在るものに非ずと」という徂徠の議論を行うことを重んじる方向性をもった言葉に向き合うことになる。『弁道』で徂徠がこう言っていることに子安氏は解説している。人から与えられる礼楽の教えを重視するところには、人の心への次のような徂徠の見方があるという。‬


‪「善悪はみな心を以てこれをいうものなり。孟子曰く、「心に生じて、政に害あり」と。あに至理ならずや。然れども心は形なきなり。得てこれを制すべからず。故に先王の道は、礼を以て心を制す。礼を外にして心を治むるの道を語るは、みな私智妄作なり。何となれば、これを治むるものは心なり。我が心を以て我が心を治むるは、譬えば狂者みずからその狂を治むるがごとし。いずくんぞ能くこれを治めんや。故に後世の心を治むるの説は、みな道を知らざるものなり。」


祀られる神は祀る神であるという権力が皇居に現前しているにもかかわらず、皇居における「空虚の中心」などというオリエンタリズムの言説によって盲目にされていたような..


ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルの‪ 『ヒア & ゼア こことよそ』(Ici et Ailleurs 1974)。「ジガ・ヴェルトフ集団」の一部としてゴダールとジャン=ピエール・ゴランが1970年に作った親パレスティナ映画『勝利まで』のフッテージを使用して制作された。ビデオが積極的に利用されていることが注目された。

「ここ」と「よそ」の関係は、映画の編集概念(映像と音の関係)によって再構成される。「ここ」と「よそ」は空間的差異にもかかわらず、瞬間的な時間の分節化によっておなじに「ここ」になっていきた。「ここ」と「よそ」を敢えて映像と音の差異として語ったものは、この映画のまえにいなかった。「ここ」と「よそ」は、この映画からはじまったのである。

これは、コミュニケーションの主体を、情報の客体に還元する。だが「ここ」の思考から、「よそ」の思考にもとづく思考できないものを切り離してはならないし、切り離してはもうやっていけなくなったと語る理念性である。

ここから、現代国家批判が成り立つ。現代国家というのは、どこどこにある実体ではなくて、テレビのニュースが行う解釈のなかに存在する言説である。言葉の解釈は曖昧である。それははっきりとしたイメージにともなわれることを必要とする。問題は、テレビのなかの「ここ=映像」と「よそ=音」がはっきりとしたイメージを打ち出してきたかである。言葉の解釈が曖昧なまま、現代国家がイスラムとの関係の排除をやめて新しい普遍性を再構成しなくてはいけないのにそれを非常に悪い形でやってきた現在のあり方が隠蔽されている。言葉の解釈が曖昧なまま、後期近代においてもはやそのまま戻る必要がないのに、絶えず他者を排除せずには成り立たない国家のイメージに戻ろうとする。

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 ‪この文、好きだな。ほんとうにそうだ。「円錐体の虚頂点」が嘗ての近代の力だったというか。人間が終焉する<他者>の時代は、円錐体も消滅するが痕跡として平面スクリーン上の線になるのではないか。平面の上で点たちとはりついている球体たちと共存している


‪(人間の)起源とは、あらゆる相違性、あらゆる分散性、あらゆる不連続性が、もはや同一性の一点のみを、みずからのうえで炸裂して他者となる力をそれでもうちに秘めている、触知しえぬ<同一者>の形象のみを、形成するため、そこで凝縮されるような、そうした円錐体の虚頂点‬

‪なのである。フーコ『言葉と物』(渡辺訳)‬


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‪封筒を開いたときそこに読むべき手紙がはいっていると言うことは可能か?開けたときは手紙は脱出していたかもしれない。私しか開けない封筒の内部に私が読む手紙が入っているとは言えぬ。日本語で書くが日本人は存在しない。日本語で書くと言っても何語でもよく、母国語を逃すために書く国内亡命である‬


推敲中

作品の名に値するようなテーマの存在を説明するのが苦手ですが、何も頼らずに読めるかというとそれはあり得ないという問題がありますね、この問題を考えています。例えば、ヨーロッパ語で書いたヨーロッパの近代を読むときは、それを考えるフレームが必要です。漢字仮名混交文がそのフレーム。だけれどそれで日本語を読んでいるだけなのです。不可避的にギャッが起きてくるのは、ここにおいてですね。不一致というか、距離というか。自然に読むということはあり得ないと思うのです。依拠するフレームの存在を考えることなく、読む行為はそもそも不可能。思考の限界というこの問題をべつの仕方でかんがてみます。封筒を開いたときそこに読むべき手紙がはいっているなどと言うことは可能でしょうか?封筒を開けるときに、手紙は脱出しているかもしれませんから。それなのに、私しか開けない封筒の内部に私が読む手紙が入っているというふうに考えるのは、言葉のなかに人間が存在していると考えるのと同じくらい無理なんだろうと気がついてきました。かならず二つの封筒を使っているのですが、中の手紙が自ら封筒に成ることで脱出していることをうまくあらわしていますかね?‬まだまだかー


‪道端に倒れたひとの意識が回復したとき、助けてくれたひとの名前を間違ったままでその自分の体験を他人に語ることは問題が起きない。‬だれと出会ったかの間違いは正されなくとも、間違ったまま成立してしまうのである。しかし間違ったままでは大切な物の見方が生まれてこない。たとえばもし歴史修正主義の安倍政権を批判するつもりならば国家祭祀を天皇ファシズムの名を以って批判する必要があるのに、専らナチズムの名で語られてきたものを語っている。結局これは安倍を助けている。また、中国の民主主義にとっても日本の民主主義にとっても、支配者である皇帝の官僚が考えた民主主義なき近代の成立のあり方と、外縁においてその思想から被支配者の人びとは民主主義を考えようとしたが政治思想としては展開できなかったこともあって、まだ多元主義としての民主主義を実現できていない近代のあり方を問題にしなければならないのに、それができないようでは、民主主義をもとめた劉暁波の固有名を消し去ってしまわないだろうか。これが、間違ったままでは大切な物の見方が生まれてこない問題である。


‪昔、映画館というものがあった。映画館とは何だったのか?映画館の中はプラトンの洞窟の内部とどう違っていたのか?洞窟といっても、都市の構築された秩序からしか洞窟のあり方を考えられなかった筈だ。古代の公共建築物の壁に投射された論理形式を思考した筈である。それは神話から自立している。中世がそれをどう理解したかはわからない。自身の分身である世界に巻きついたイメージ?重要なのは思考ではなく、やはり、光を以って、暗闇から世界が一気に開かれてくる悟りだったのだろう。それに対して、映画が誕生したのは自由なお喋りがあったカフェにおいてだったから、映画はリュミエール兄弟が投射してみせるたその出発から、言語的存在である人間の意味を考えるようになっていた‬。映画は、近代が死よりも生を中心に考えるようには、死を遠ざけなかったのは、映画館のなかに死衣装であるスクリーンが配置されていたので、死後の問題を考えざるを得ない。この点について朱子を読んでおもうことは、映画は映画館と共に消滅しきってしまうのではなく、それを迎える生者達に帰ってくるというか。そうでなければ記憶することに意味がなくなってしまうではないか


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お肉とお魚、マスク、10万円、全部よこせ。3000億円はワクチン開発費、あとWHOへ



議会の近代は、王政から共和制へ移行する時代に起きてくることだが、誰が誰を代表しているのか曖昧になる。このことは指摘されることだが、フランス革命のこの時代のナショナリズムは、代表されていない人々の平等を推進する一定の役割をもっていた。現在のポピュリズムの問題は、政治風景が非常に狭くなること。どうしてそうなったのか?従来のやり方では平等化が十分に進まないと考えて危機感をもった左翼が70年代から戦略的に右側に接近した結果、だんだん差異がなくなってきた。と、気がついたら右側からすっかり巻きかえされていて、結局投票できる政党もなくなっているのが現在の有様である。安倍政治に顕著であるが、理念のある政治が棄てられてしまった。伝統と保守に仮装したナショナリズムのおぞましい声が権利のない社会をつくりあげるようにみえる


ハイデガーアインシュタインを語っていたのは、悟性の永遠の知に譲渡されたものを思想にとりかえしたいからで...それよりも、そのハイデガーも含めて、近代の知は人間と同時代でない起源の後退とか逆向きとの関係を語りはじめることになって、裂け目としての起源から、物との不可能な同一性をさがしている。17世紀の仁斎にとって顔回の死が契機となって問題となっていたのは仰ぎ見る天を最も卑近なものに関係づけること。人に根拠づけられる思想のあり方‬。仁斎は『論語』の読みを再構成することによって、言語的存在である人間にとっての存在の意味についての朱子の問いを発展させたのではないだろうか、存在から理念へと


‪安倍がやっているのは情報操作ばかりでしょう。不安を抑え込む情報操作にばかりに頭を使っていることがはっきりとわかってきたことが今回の問題です。その効果もあるみたいで、「日本はうまくやっている、自民党のおかげだ、政府のおかげだ」とか「野党は何もしない、桜問題に取り組んでいたからいけないのだ」とか、「成功している、いいことをしていることを認めなければならない。政府を批判するな」などと、何の疑問もなく喋る人が周りにあまりに多いのでこれは何だろうかと呆れますし怒りも覚えます。おそらくフランスの人々はマクロンに対する闘いを保ちながら、マクロンと共にウイルスと闘っているのでしょうが、比べると、この国は、安倍の何の解決をもたらさず現実を隠蔽する情報操作と、ウイルスにすらヘイトスピーチに利用しようとするなんと不毛なナショナリズムー安倍に同一化したいミクロの安倍たちが増殖しているーに翻弄されていないでしょうか‬


公害企業に対したときを思い出す。人の命を守りたいと皆思っているのになぜそれに無関心になるのか?小池も守りたいだろうが、同じ命ならば国の命を守るほうが絶対になるのでは?


現在は、外国語は頭から訳せ、順番を保てと言われるが、昔はそうではなかった。非常に長い和訳に訓点を付しレ点をふって原文を読む。本来は外国語(中国語)にやっていたのだけれど



推敲中

ゴダールの『離れ離れに』(Band à part 1964)‬

国家の力は芸術作品をどれくらい所有しているかによるといわれるように、美術館は美術館以上の意味をもつこの問題提起は政治的なものである。しかし『離れ離れに』では政治が語る歴史への関心から遠ざかっていった。むしろ映画は、日常の人びとの間を遊戯的に構成する、映像の博物館的な沈黙と知覚される存在の流れへ行く。そこにこそどうしても語られなければならないものがある。映像の運動が為す視線が先行する。‬


山々の輪郭は大変美しいです。文学にすんでいるような美しさというのでしょうか。またわたしは人のほうもおもしろいのです。京都に行きますと、運転手の方やお坊さんが「応仁の乱」まで遡るでしょう。あれはアイルランド人が800年前まで遡るこだわりと共通しています。東京中心主義に巻かれたくない歴史感覚というのでしょうか。詳しく書けませんが、アイルランドでは自分たちは北の地中海人という自負があります。内藤湖南を勉強して「応仁の乱」の意味がだいぶわかってきました。明治維新の近代は権門体制の復活(天皇と寺社と貴族の支配体制に、下級武士と軍人と官僚が加わった)と理解できますが、明治維新に帰れという安倍政権の東京も権門体制に反抗する「応仁の乱」が必要です。京都は伊藤仁斎の古義堂がありました。修学旅行のとき、バスガイドの人が堀川の散歩のときここを強調しました。お父さんが大事なだと言っていました。たしかに、ここを訪ねてこそ、17世記アジアの知識革命が見渡せます。

わからんことを投稿したかもしれませんが、子安先生の講座で大岡昇平を読んだことがあります、このときの議論をおもいだしました。大岡昇平は『野火』をあんなにラディカルな懐疑精神で書いたのに、『レイテ戦記』では何か死者の魂を救うつもりで戦闘に意味があったことを明らかにしたいと言ってこれを書くのですね。局所的な戦いをみてもダメで、全体をみないとわからないというのです。これでは、明治維新の帰結であったレイテ島の悲惨を意味あるものとして語る国家祭祀の視野です。平成天皇の象徴性を超える統合性(象徴行為)に対しては警戒と危機感ではなく、最近出てきた「天皇抑止論」が共感をもって受け入れられている世論のことも考えると、どうも何か、中国知識人と朝鮮知識人に育てられた日本知識人の古代から始まるのかもしれませんが、日本知識人の視点を規定する枠組みがみえちゃうのですね


自然に並べられてこのようにあるのかもしれませんが、『仁斎論語』と『言葉と物』のあいだに、溝口『中国の公と私』がみえてくるのがわたしには大変興味深いです。本の地層のような配置で隠されていたもの(?)がみえてきたり、考える必要のないと気がついたものが沈黙したりして、自分でも色々考えてみようとおもいます


言語は差異を住処とする。文学ージョイスベケットーは言語より高くあるいは低く行った。絵画は言語であり得る。イメージの傍らに存在している無から、ピカソは絶対の差異へ行く


「戦前」は二度あった。第二次世界大戦の前だけでなく、日露戦争の前を「戦前」と言っていた。

われわれが「戦後」と言っているのは実は、二度めのそれである。


‪私にとって、まだ芸術の力が存在し不可欠だとすれば、死に切った過去の世界が芸術によって蘇ること、その内在平面の差異から、現在の世は生きるに値しないと学ぶ反時代的精神にある‬


The modern reversal shares with the traditional hierarchy the assumption that the same central human preoccupation must prevail in all activities of men, since without one comprehensive principle no order could be established.  

ーHannah Arendt ‘ The human condition ‘


つまり、近代の転倒は、一つの包括的原理がなければいかなる秩序も不可能であるから、人間のすべての活動力には人間の同一かつ中心的な第一義的関心が支配しているにちがいないと仮定している点で、伝統的なヒエラルキーと同じである。

ハンナ・アーレント『人間の条件』2


多様体の内在平面は一つの包括的原理ではあり得ない。しかしポストモダンモダニズムへ行くと、帝国の構造を物語る柄谷行人のように、内在平面を一つの包括的原理で理解している


The coronavirus epidemics does not signal just the limit of the market globalization, it also signals the even more fatal limit of nationalist populism which insists on full state sovereignty: it’s over with “America (or whoever) first!” since America can be saved only through global coordination and collaboration. SLAVOJ ŽIŽEK




□「歴史的にみれば「オホヤケ」の対をなす語は「ワタクシ」ではなく「ヲヤケ」であった。「オホヤケ」とは大宅であり、「ヲヤケ」とは小宅の意である。「ワタクシ」が「オホヤケ」の対語となるのは、中国から律令制が継受され、「公私」の概念が輸入されて以降のことである。律令国家の誕生という事件は、「大」が「小」を包摂し、秩序づけていく過程でもあったが、実はこの「公私」の前史こそが、前近代日本における「公私」概念の基本的な用例を規定することとなり、中国の「公私」ともヨーロッパの public/private とも異なる分岐点をうみだすこととなった。日本における「私」が「公」と原理のうえで対立する概念とはなりえず、「公」に対する部分性、すなわち impartial/partial という語義で用いられるのはそのためである。なお中世の禅林社会では、やや例外的に、publicに近い「公議」「公論」「公挙」「公選」などの語が、「江湖〔ごうこ〕」の理念のもとに使用され、近世儒学においてはj ust/unjust の意で「公私」が用いられた」(日本思想史辞典[2009a:132])

□「日本史上、「公私〔おおやけわたくし〕」は概念的に対立していないことに特色がある。たとえば743年(天平15)の墾田永年私財法は、西欧近代型の私有財産の誕生、すなわち国家に介入されない私的自立の圏を誕生させたわけではない。それどころか同法は、律令法を通じて導入された中国型の「公私」観念が、既存の固有法的秩序に沿って再解釈されざるをえないことを示すものである。すなわち、中国から継受された律令によれば、「公」は官、「私」は民を表し、したがって人民に班給される口分田は「私田」であった。しかるに墾田永年私財法では、口分田こそが「公田」と再定義されるに至る。これは、天下の人民一般を「公民」とよぶ観念ともかかわり、その歴史は古く大宝律令以前にさかのぼるものであった。それゆえ、中国型の国家と社会の分離を前提とした「官」―「民」が、律令以前の「オホヤケ」―「ヲヤケ」の・・309 大小関係の読み替えとして登場したことは、日本の「公私」観に大きな特色をもたらすことになった。すなわち大小関係が相対的にありうるように、「公私」もまた相対的なものとして意識されざるをえなかったのである。先の墾田永年私財法を例にとれば、口分田は官有地ではないという意味において「私田」であるが、国家から班給されるという点において、墾田よりは「公田」である、というわけである。日本の「公私」観念は、国家と社会の分離ではなく癒着を前提とし、しかも社会をを入れ子状に包摂する形で国家を措定するのである」(日本思想史辞典[2009b:309-310])

□「かくて、相対的に相手より大きく、相手より筋目が正しいということが「公」であるこの世界は、古代から中世にかけて社会が多元化するにともなって、「時の公方」という語に象徴されるように、「公」の多元化という現象を招来した。すなわち、荘園領主もまた荘園という秩序の中では「公方」たりうるのであり、要は多元的(かつ時限的)に存在する三角形の秩序の、それぞれの頂点により近く立つものが「公」とされた。一方、南北朝の動乱にともなって社会の流動化が進むと、万人に開かれた西欧近代の public に近い、「江湖〔ごうこ〕」という概念が浮上する。中世の禅林には、「公議」「公論」「公挙」「公選」など、既存の「官」や「オホヤケ」とは異なった「公」の用例がみられるが、その究極の「公」こそが「江湖」であった。だが、中世後期に浮上した自治的共同体である惣村は、この「江湖」の思想とはまったく対蹠的なものであった。近江国今堀や菅浦の地下掟で「私」と対置されているのは、「公(official)」でも「江湖(public)」でもなく「惣(common)」であった。また伊勢国大湊のように「公界」とよばれる自治組織も、上位の公権力に対抗する下位の公権力(小さなofficial)としての「公」であるにすぎず、万人に開かれたpublicな「公」が全面展開することはなかった」(日本思想史辞典[2009b:310])



□「中国における公私は、社会秩序における支配・被支配や上下の関係というよりも、道徳的な対立の関係を表わす対概念である。「公」を肯定的なもの、「私」を否定的なものとしてとらえる価値評価は春秋戦国時代にまで遡る。『説文解字』において「公」が「平・・94 分」、「私」が「姦邪」として規定され、また『荀子』において、一方の「公平」「公正」と他方の「私欲」「曲私」が対比される。宋代以降の朱子学陽明学において、公私についての道徳的な評価はより鮮明になり、「天理の公」と「人欲の私」が鋭く対比される。「私」は道徳的秩序からの逸脱を意味し、それゆえ「私」を脱却することが望ましい当為規範とされる。明代半ば以降、私的な欲望の充足が肯定されるようになるとしても、それは、「公」の道徳的優位を覆すものではなかった。また、溝口雄三によれば、中国における伝統的な用法においては、「公」は、「つながりの公」、すなわち人々の間に自発的に形成される水平的な共同性を含意しており、閉鎖的・位階的な秩序には収斂しない開かれた関係性をも表しうる言葉である」(斎藤[2006:94-95])


溝口雄三によれば、中国における伝統的な用法においては、「公」は、「つながりの公」、すなわち人々の間に自発的に形成される水平的な共同性を含意しており、閉鎖的・位階的な秩序には収斂しない開かれた関係性をも表しうる言葉であるという。


「まず中国の公私の原義だか、詳しくは次節で再述するとして、ここではとりあえず戦国末から後漢にかけての資料の範囲でみてみると、ム(=私)について『韓非子』は自環すなわち自ら囲むの意、『説文解字』では姦邪の意としている。これに対する公は、(一)群として『韓非子』のいわゆる「ムに背く」すなわち囲いこみを開くの意であって、ここから衆人と共同するの共、衆人ともに通ずるの通、さらに私=自環の反義として説文解字では「公は平分なり」としている。一方、(二)群として、これは 『詩経』の用例からの類推だが、共から衆人の共同作業場・祭事場などを示す公宮・公堂、およびそれを支配する族長を公と称し、さらに統一国家成立後は君主や官府など支配機構にまつわる概念になった。」(溝口)


 一方、日本の公すなわちおおやけは大家・大宅で標記されるように大きい建物およびその所在地で、 オホヤケの枕詞が物多(ものさは)にとあることから古代的共同体における収穫物や貢納物の格納場所、さらにそれを支配する族長の祭・政上の支配機能をさす語であったと考えられる。律令国家の成立期に公という漢字が、天皇制支配機構に直接的にかかわるミヤケよりは、なお当時すでに古語化しつつあったオホヤケ概念と結びつけられたのは、オホヤケにまつわる古代共同体的な共のイメージが公の字の訓としてよりふさわしいと思われたからであろう。衆人とかかわる世間・表むきのことから、官・朝廷の諸事物に公の字があてられたのは、このおおやけの原義に由来するのであろうが、ただしここで注意されねばならないのは、オホヤケとして受容された公は、前述の(二)群の方にかたよっていて、(一)群の方はほとんど捨象されていたということである。つまり、おおやけの原義にはもともと(一)群の概念とくに通とか平分の部分は含まれていなかった。もともとおおやけは一応は共(軍事・祭事・農事などの共同性)を含みつつもなおその共を包摂する支配機能の方に概念の比重がかかっており、大和朝廷の政治イデオロギー上の要請からもその傾向はむしろ増幅された(平安期には公(おおやけ)は天皇個人を指す語にすらなった)。かつ当時かれらが導入した漢唐の文献は、先秦のそれに比べて、公については(二)群の方が優位であった、などの事情がそこには介在した。


「一見小さな差異だが、中国では(一)群の方は漢唐の間にも生きつづけ、さらに宋代に入ると天理・人欲概念と結びついてより深化し、特に近代に至ると、孫文の公理思想に展開するなど、ほとんど(一)群のみの、すなわち国家や政府を公とする日本の公とはまるで違う言葉のように差異が決定的となる。 ところがその差異が意外と明確にされないままきているので、明清以降の中国の公概念の展開をみるにあたって、そのことをあらかじめ念頭におく必要がある」(溝口)


「例えば秦の呂不韋が、「昔、先聖王が天下を治めるには、必ず公を先にした。公ならば天下は平らかであり、平は公より得られる。…天下を得る者は…公であることにより、天下を失するのは必ず偏であることによる。…天下は一人の天下ではなく、天下の天下である。…甘露時雨は一物に私(かたよ)らず、万民の主は一人に阿(かたよ)らない」(『呂氏春秋』貴公*1)と述べるときの公は偏私に対する公平であり、私の自環・姦邪に対する公の通・平分の義がここに生きているのがみられる。また漢代に編纂された『礼記』礼運篇の「大道が行われているとき、天下は公である(天下為公)」云々の有名な「大同」の個所は、 人々が自分の親族だけを大事にするのではなく、よるべなき老人・孤児や廢疾者を相互扶助し、あるいは余った財物や労働力を出し惜しみせず、要するに人々が「必ずしも己れのみに蔵(とりこ)まず」「必ずしも己れのみの為めにしない」、そういう共同互恵の社会を天下公の大同世界としてえがきだしているかにみえ*2、そのかぎりでこの公は平分の義を強くうちだしたものであるといえる」(溝口)


 しかし、にもかかわらず皇帝が支配者たりうるのは、タテマエであれ、共なり公平が期待されているからであり、それがなければ皇帝は単に天下をひとりじめする「独夫」「民賊」でしかないという 易姓革命の思想も背景にちゃんと流れているのであり、そのかぎりにおいては皇帝は一群がもつ公の倫理性から自由でありえない。これは日本の天皇が無条件かつ無媒介におおやけそのものであるのとは、やはり非常に違う。


「この倫理性の有無というのが、両者の差異をきわだたせる特徴の一つで、中国の公私が、特に(一)群については、公正に対する偏邪という正・不正の倫理性をもつのに対し、おおやけ対わたくしの方は それ自体としては、あらわに対するしのび、おもてむきに対するうちむき、官事・官人に対する私事・私人、あるいは近代に入って国家・社会・全体に対する個人・個というように、何ら倫理性をもっていない。公私のからみや対立はあっても、往々それは義理人情に擬せられうるもので、決して善・悪や正・不正レベルの対立ではない。強いて倫理性があるとすれば、おおやけのためにすることが支配の側からあるいは全体の意思として規範づけられる場合においてであり、その場合その支配者なり全体の意志の善・悪、止・不正は全く問題にならない。したがってかりにそれを倫理とよぶとしてもそれは所属する集団内部を紐帯するだけの閉鎖的なもので、むしろ対外的には当該集団の 私に従属することさえあり、公平なら公平の原理がもつ内外貫通の均一性・普遍性はみあたらない。」(溝口)


溝口の「公と私」は官僚資本主義の成立と共にある構造主義的思考で、所有権の特殊日本的曖昧に対抗する明確なイメージ。思考にもとづく思考不可能なもの(「天下的公」)を追い遣る?


鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?

鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?


安倍応援団の日本会議の問題は、どういう国にしたいのかという理念性を拒否している点にあると思うのです。残念ながら思ったほどには左翼からも声がきこえません。ヨーロッパ諸国は戦後、平等と多様性を重んじてきました。権利のない社会に反対してきました。「鎖国」をして非常事態体制でも権利のある社会を壊しているようにみえないのです、個人に補償をしています。市場至上主義も停止です。平等を重んじつつ、文化多元主義を保とうとしています。ところが安倍日本は、非常事態宣言もしていないのに、どんどん権利のない社会を作っている感じです。ウイルスとの闘いなのに、まるで権利に対する闘い(権利を抑圧する)をやっています。多様性を破壊しています。また平等に関しては、多国籍企業を規制するためには、一国主義ではやっていけなくなってきた、グローバルデモクラシーの時代にいかにやっていくかについての理念が要請されています(本来「要請」はこんな意味ではないでしょうか。) 現在はやむを得ない鎖国となりそうですが、実は日本は鎖国がはじめての経験ではありません。近代からは悪い評価しかきかれませんが、鎖国の時代に学問と教育と文化が開花したのです。識字率はヨーロッパよりも高かったのです。鎖国はほんとうにそれほど鎖国だったのか?人びとは学んだのです。ウイルスの問題が解決したときに、国をどう開いていくかを考えて準備するときです。現在のように五輪ばかりにとらわれていたのではそれこそ本当に「鎖国」‪の自国中心主義に陥ってしまいます。