包摂と展開

「包摂」は前の時代のルネッサンス的概念だけれど、スピノザにおいては「展開」のことが考えられてていくことになったといわれる。動物にに成る、とはなにか?「包摂」は人間だとしたら、「展開」(過程)は動物でしょう。この場合、後者は前者を規範的根拠と…

ジョイス

英国とイタリア(ローマ教会)に支配されてきたと語る外来性の意識は、自由と独立の純粋アイルランドをケルト的古代にさがす。先祖のゲール語が絶滅させられたという非難に対して、そうじゃないよ、アイルランドの生活者達自身が生活するために棄てただけさと…

和辻哲郎

ヨーロッパ人がキリスト教もギリシャ文化も決して外来文化とみなしていないとよくいわれるけれど、ヨーロッパに属することもその部分であることも意識しなかったアイルランドの「ヨーロッパ人」からみると、どんなことが言えるのか‬?ついでにいうと、ベルギ…

先行する項は常に無限である。常にその無限は卑近にある

前近代といわれることにすでに隠蔽がある。近代がいくら言葉と物の統一を以って迷宮として描きだそうとしても、隠蔽しようとも、けれども、言語が集中する方向で、世界は言葉と物の分裂が起きているのだ。先行する項は常に無限である。常にその無限は卑近に…

エイゼンシュタイン『イワン雷帝』

変なものができあがったなあ、と、『イワン雷帝』は意味が問われる記号。エイゼンシュタインの「西」の経験の意味はなんだったのか?映画のなかで描かれたロシアは自らに向かって、「第三のローマがわれわれだ。第四のローマはない」と繰り返し宣言する。そ…

属性と本質

‪ドゥルーズの前に、ドゥルーズのように、共通概念から、属性と本質を混同せずに考えていく読み方でスピノザを読み解いたものはいなかったとおもうのだけれど、ドゥルーズにおいてこのように初めて言われたことを恰もバロック時代に遡る過去から言われてきた…

石田梅岩

戦争で負けたことをみとめこれを考えるところから、仁斎とカントから、"石田梅岩とわれわれ"へ行くのか?何時迄も戦争で負けたことを知らずに、明治維新150年から、"ヘーゲルと世界史的人倫国家のわれわれ"を追いかけるつもりなのか?

‪「コミュ力」について

‪全体主義については用心深く語らなければいけないですが、避けてもいけないときだろうとおもいます。「コミュ力」の究極は、安倍首相の支持率によって言葉を変えていくある種の全体性にあるのではないでしょうか。新自由主義・新保守主義の時代は、言葉を語…

アンドレ・バザン André Bazin

アンドレ・バザン André Bazinアンドレ・バザン『映画とは何か』(野崎、大原、谷本共訳)を読むことにした。30年前に投げだしてしまった、「写真映像の存在論」とは何かを再び考えている。「リアリズム」とバザンがいうものは、他の「リアリズム」と比べるこ…

アンドレ・バザン André Bazin

アンドレ・バザン André Bazinアンドレ・バザン『映画とは何か』(野崎、大原、谷本共訳)を読むことにした。30年前に投げだしてしまった、「写真映像の存在論」とは何かを再び考えている。「リアリズム」とバザンがいうものは、他の「リアリズム」と比べるこ…

方法としての17世紀

‪方法としての17世紀後期近代を迎える20世紀が自らの行き詰まりをみせたとき、なお近代しかないというようなことになったとき、何とかしなければいけないと考えた知識人たちのなかには、近代が始まる17世紀は何かと問う者たちがいた。ポスト構造主義からは、…

江戸思想

「完全でなかった」けれどと一応言って、徳川日本と比べて平等の達成を行なった明治維新を評価するパターンがある。安倍政権を批判する人達からもこういう話をきかされる。だが、まさか、差別が広がったのではないかと疑った痕跡が全くない。疑うことがなけ…

思想の歴史ー 6個のゲームの規則‬

‪思想の歴史ー 6個のゲームの規則‬‪1 古典の読みの再構成によって言語の成熟が起きてくる。2へ進む‬‪2 脱構築的に、分節化されていない思考の優先順位を求めよ。3へ進む‬‪3 確立した物の見方とは別の物の見方へ行け。4へ進む‬‪4 抽象化は不可避の他者との関…

大島渚『絞首刑』

約十年前にBFIのフィルムを借りてアイルランド初上映を手伝ったのは、感謝している国だったのでよかった。大島渚『絞首刑』といえば、パリの68年前夜に、学生たちがみた映画。彼らはこの映画の意味を理解できたのだろう。『絞首刑』を一番見ていない国はもし…

大杉栄

‪「マイナスの価値(日本はダメだ)をいうのはいくらでもできるよ、こんな簡単な国ないよ。しかしプラスの価値を言うのが大事でしょう。これからどう生きるんだということ…を、言わなければいけない。そうしたら、若者はついてくると思う。そういう話を聞き…

思想の歴史

‪思考の優先順序としてまず考えることがある。それは分節化されない変なものである。変なものが変なものとしてマイナーなポストモダン的多様性にとどまっていたらどうなっていくのだろうか?ところがこの変なものは、近代の単線的直進に対して「なんとかしな…

MEMO

‪「ーにおけるー」と、「ーというものー」、「ーにおけるー、ーにおけるー」はそれぞれ作用を為していているけれど、体をともなわせなければ意味がでてくこない。「日本における思想の歴史」(偶然性)、「日本という思想の歴史」(固有性)、「東アジアにおける…

美学

‪17世紀という時代は、美学が自分のことを喋り出す時代なんだね、17世紀はそういう場所をつくるというか。18世紀の問題は、絵と彫刻、音楽なんかー詩もーを語るようには言葉が語るようにできなくなってくる。私の理解では、この時代に、美学は書くことができ…

漢文

漢文の読みというのは、スローモーションで、漢字が真珠の玉たちのようにおちて地にばらばらに散在していく方向と、それとは逆に、散在していた玉たちが恰も天に向かうように飛び上がっていく方向の二つから成り立つ。前者は破裂したような玉と集まった顔が…

21世紀の漢字廃止論はなぜ、理性の私的使用にNo!と言えないのか?

‪21世紀の漢字廃止論はなぜ、理性の私的使用にNo!と言えないのか?漢字を読むとき色々考えなければならないという、それが効率がよくないという。恐らく出版社の行き過ぎの宣伝だろうけれど、そうして漢字が日本語を滅ぼすというだけの根拠で、漢字廃止をい…

ポスト・オリエンタリズム

「明治維新・王政復古150年」にたいしては、漢字書き下し文で考えらえた思想が忘却されてきたのではないかという問題がある。国内亡命の場所がどこにあるのかを問うことは、知識人の漢字書き下し文で考えらえた思想をもつことがなければ、成り立つことはない…

発音記号

わたしのダブリン時代はゲール語の辞書に発音記号はありませんでした。ネットではあるようですが、本屋に発音記号のある辞書をおいていませんでした。友達に理由を聞きましたら、言語は共同体に属するから、直にゲール語を喋るひとたちから言葉の読み方を教…

『野性の少年』(L'enfant sauvage フランソワ・トリュフォー)

『野性の少年』(L'enfant sauvage 1969)は、フランソワ・トリュフォー監督 François Truffaut がJ・M・G・イタールによるアヴェロンの野生児の記録を映画化した。 イタール博士はトリュフォー自身が演じている。 この戯曲は、アイルランドに行く前に、フラン…

ゴダール

‪『映画史』は、言説とは何かについて理解をもっていないと、全体像の理解が成り立たないかもしれない。私はどうか?少なくともそれがゴダールの言説の歴史という性格をもっていることをなんとか理解している。だけれど多くの言説を読み解けないままでいる。…

ゴダール

1950年代迄に映画はそのあるゆる可能性を尽くしたといわれる。映画は失敗したまま完成してしまったというか、とにかく、映画に未来はなかった。映画は、トーキーの時代に忘却されてしまった過去の映画を読み解いていく映画の痕跡を拾い集めるだけである。例…

白紙の本

日本人は『朱子語類』を中国研究者による訳文を読むが、江戸時代の書き下し文で読もうとはしないという。ところが講座に参加なさっている中国人留学生から感想を伺うと、書き下し文が面白いという。この感想が面白かった。このとき、日本近代というのは、近…

仁斎

‪縺れ合いという言葉で理解していこうとするわたしは、天は外部的に天を仰ぎ見る人をもたなかったら、流行的天と主宰的天の縺れ合いが成り立つことがないと思うのです。「人間にとって天命とは?」の問いかけが消されては、仁斎にとって朱子を読む意味がなか…

イエニー

‪映画のイエニーはロンドン時代のヴィクトリア朝風コスチュームでなくて本当によかったとおもっている。マルクスは、といっても、もちろん映画のマルクスのことであるが、人間の本質的平等観をもっていたので、かれのなかで「革命」の概念が成立していたよう…

ポストコロニアル世界としてのワールドカップ

‪ワールドカップはポストコロニアル世界をもつ。参加国の数ではオリンピックよりも「普遍性」があるとする見方が成り立つ。世界はテレビをつうじてアフリカチームの監督が現地の非白人という意味を考え、セネガルの映画はポストコロニアル世界の問題を問う‬…

MEMO

‪アイルランドはどちらかというとフランス革命のマッチョ主義の犠牲となったマリー=アントワネットに共感があるという印象をもった。ところでマリー=アントワネットという名の紅茶、私のようなものでも嗅覚と味覚のギャップに一瞬イメージが宙吊りになるそ…