2015-05-17から1日間の記事一覧

子安宣邦「仁斎学講義」を読む、朱子学ロゴス中心主義を脱構築的解体すること

1、東アジアの「論語塾」、朱子学ロゴス中心主義を脱構築的解体すること 伊藤仁斎が十年近い瞑想中心の知のあり方に限界を知ったのは三十歳半ばであったという一文を読むとき、彼が自分の書斎から縁側を横切って庭へ出ようと一歩を踏み出したときの様子を想…

東京演劇アンサンブルの「未必の故意」(安倍公房原作、尾崎太郎演出) を観劇

事件として起きたおぞましい経験の意味を共同体の誰もが知っていたはずだが、現在のわれわれはそれを知ることができません。ただ検事(模擬裁判)の信頼できない作文を通して探るだけです。きょう尾崎氏がなぜこの芝居にこだわったのかを考えながらじっくりと…