2016-12-23から1日間の記事一覧

寺山修司

寺山修司は自分の馬に「ユリシーズ」の名を与えて夢へ?挿話「イタケ」の書く言葉の終止符からは、教理問答の真偽を超えて「私は話す」(独白)という理念と主体的アクションへ行く

「言葉と物」のコンパクトな世界 No.31

ギリシア的真理は、かつて、「私は嘘つきだ」という、このただ一つの明言のうちに震撼された。「私は話す」という明言は、現代のあらゆる虚構作品(フィクシオン)に試練を課す。 -フーコ「外の思考」- 私は話すとは、私の行為に関わる能動的アクションだ…

不確実性について

左手で描いているのは、左手の感覚に依らなければ表現できなくなってきたから。だが誰も入ってこれない私一人だけの部屋では左手があるかが分からない。鍵をかけたときまだ光がそこにあっても、見ることを見なければならないほど見ることそれ自身を疑うなら…

「言葉と物」のコンパクトな世界 No.30

‪自立するために、再び全体性の包摂に絡み取られない思考の柔軟性。べラスケスの絵みたいな本。誰も入れぬ私一人だけの部屋で本を読む。不可能だ。鍵をかけたとき本が脱出したかも

縮約、投射、映画

野生の思考は縮約によって全体性を取り返す。映画は平面スクリーンへの投射で四次元世界を縮約。ロンドンの連中が2009年以来、中央銀行建物に勝手に映画を投射。これも「占拠」 映画が終わったあと「字幕ってふりがなないの?難しい字がいっぱい出て来て話全…

『「古事記」は読み継がれてきた』とはだれのこと?

専門家ではないので間違ったことをいうかもしれませんが、間違いを恐れずにいうと、17世紀の儒者たちは、中国の文献を読んでそれについて注釈を漢字で書くときに何をしているかというと、漢字と仮名で考えることができたことを再び漢字で書いていた過程を想…

「映画史」について

C'EST ÇA QUE J'APPELLE DU MONTAGE, SIMPLEMENT UN RAPPROCHEMENT (GODAD)「ただ単に近づけるということこそ、私が編集と呼ぶものです」(ゴダール) • 誕生すべき「映画史」に地質学と地理学が含まれているという。このことは言葉だけに頼ってみるとわからな…