2017-02-15から1日間の記事一覧

荻生徂徠

演劇的に想像しましよう。伊藤仁斎を描いた舞台に凹凸の起伏が欠かせません。舞台上に照らされる事物もあれば、照らされていない事物もあるのです。闇は「理」に介入する経験知をあらわすことになります。それに対して、荻生徂徠を描く舞台は、滑らかさが対…

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 7 ( 私の文学的フットノート)

‪‪‪「弁名」ノート‬ No. 7 ( 私の文学的フットノート) ‪「〜に先行する」(時間の順序関係を示す)を、「〜外部にある」(事物が関係する空間の位置関係を示す)という風に方法的に外部の思考へ行ったのが徂徠だったと私は考える。このとき、起源に遡る必要はな…

シネマトグラフィー

シネマトグラフィーは、この世界が壁にかかっている布の白い四角に至ることを隠す。映画は自らの壁への依存を自立に変容させる。これに対して小説はゼロからの出発で独立している

フーコからの引用

‪自己自身の書法は、隠遁ということと補完的な関係にある。それは孤独につきまとう様々な危険を緩和する。それは行為したことや考えたことを、仮想の目の前に晒すことを意味する。書くことを義務とするという事実は、人間としての尊厳と羞恥心を呼び覚ますこ…