漢字を受容した時代の約千年後、17世紀の京都からは、12、13世紀原書の漢字と、漢字仮名交じり文で考えながら、東アジアの知のために、中国文明と対等な思想、朱子学批判の漢字テクストを書いた儒者たちがあらわれました。例えば、「童子問」がそういう本…
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