柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか? (4)

柄谷行人の'交通'はどこへ消えてしまったか?
ー日本オリエンタリズムについて考える (4)

辻邦生曰く「僕らは無意識に既に東洋である事を失っている」。が、「我々の歴史意識」と丸山真男が称えた'西欧'に避難したつもりなのだろうか?丸山が「'変化の持続'は現代日本を世界の最先進国に位置づける」というとき、かれは「シナ歴史の停滞性」を対抗的に否定した自己肖像画としてのオリエンタリズム的優越に立った。このように自ら勝手に想定した'劣ったもの'を愛する態度の背景には、自らの力の優位の観念を再生産するために、死んだ文化しか愛するつもりのない支配がある。「中国の歴史」の貝塚茂樹描いた、中国人の'面子と芝居'ほど、他者の人格をグロテスクに単純化した、オリエンタリスト的表象の優越感は無いのだ。ところでフローヴェルが描いた'エマ'は物語の初めから夫の形見であった。妻の死は、自らを称えたいボヴァリーに、永遠の花嫁として'劣ったもの'を道徳的に称えさせた。さて貝塚における仁斎「童子問」の語りも、この種のオリエンタリズムの語りとしてあった。「徳」を知のホームレスと称えた。つまり語り手が体現する優越した西欧の知だけがアジアに家を与えたというわけである。最後に、柄谷が言うように、かりに法を復讐的互酬制からの断絶とみなせば、儒家の政治思想が、有徳の為政者が法治を支配するという徳治のシステムを求めたともいえよう。が、そもそも復讐的互酬制はオリエンタリズム的表象ではないか?徹底した道徳性は、国体的法治主義と相いれない。鞭で打ってくる帝国からは、ただ逃げるだけだ。「子の曰く、道行われず。いかだに乗りて海に浮かばん。」