クレー、ドゥルーズ、アインシュタイン ー ベルンBernの思索の旅

スイスのBern ベルンに画家クレーがいました。ベンジャミンか、アドルノだったか、家に飾っていたクレーの天使の絵を好んでいてこれについて友人とよく議論したといいます。クレーの絵のコレクションは、Enzoの建築の中で鑑賞出来ますよ。彼の若いときに手がけたポンピドウセンターの建築は正直あまり感心しないし、ゴダールなんかは自分の展示を利用して陰険に建築構築物を破壊しておりましたですわ(笑)。比べると、ベルンのは環境と調和して良いですね。ラヴェンナのモザイク画に、洞窟のなかで完全にイエスが消失したことを示した、大変に唯物論的な天使の絵があるのですけど、これこそは、反ファシズムの知識人たちが読みといたクレーの偶然破壊ではなかったでしょうか。(魂が消滅した死者は言語を住処とするという本を称える異郷的ギリシャ的なメッセージ?この衝撃は、戦後憲法が「英霊」の消滅を決めもはや戦前のように国家が靖国を祭らないことをきめたぐらいの衝撃でしょう)。Gilles Deleuzeリゾームと呼んだ、多くの穴からなるzigzag(ジグザグ)の精神と等価の、線のリズムですね!
追記; 遡ること、アイルランドのダブリンから、イタリアのミラノに来たのは13年前です。当時はミラノからそのまま横へ横へと移動し文学者ジョイスが「自分で決めた亡命」の前衛的経路を辿ってヴェニスに近いトリエステをたずねたものです。今回は、スイスのベルンから垂直方向に向かってミラノに。暫し歴史を辿ると、アインシュタインは仕事を得て生活をはじめ相対論を発表したのはベルンとチューリッヒにおいてでした。が、ナチス時代のベルリンから逃げなければならなかったときは、再びスイスにはいることは許されませんでした。もちろんイタリア行きの選択は不可能で、ジョイスはユダヤ人ではありませんでしたが、その彼ですら、ムッソリーニの不寛容な時代に、(東西貿易の中継地として中世以来ユダヤ人が築いた)トリエステからチューリッヒへと余儀なく立ち去ることになりました。