21世紀は自らをいかに書いていくのか ? ーゴダールのグローバル・デモクラシーとしての肖像画

21世紀は自らをいかに書いていくのか ?
ゴダールのグローバル・デモクラシーとしての肖像画

はじめにー ゴダールはだれか?

ゴダールの五十年代。モノー家追放に​帰結した、混乱のパリ時代の後、ダンデイな青年となる。​ブルジョア両親の厳格なモラルと、時代の進歩的息吹、社会民主主義に背​を向けて無為に過ごした。前衛芸術と大衆芸術のコミュ二ケーター、都会的コスモポリタン、耽美主義的アナーキストの方へ歩み出す。
ゴダールの六十年代(前半)は、アンチ・社会民主主義、アンチ・ブルジョア的耽美主義者、アルジェリア戦争反対、である。映画に登場する逸脱者たちは、車泥棒、チンピラ、女好きの怠け者、ジゴロ、ダダ的発明家、娼婦、放浪的探偵、そして、物書きである(職業とはいえない、自分で決めた半失業者)。
ゴダールの六十年代(後半);政治映画において先行していた大島渚は、ゴダールの「中国女」への大転回に驚嘆した。毛沢東主義フェミニズムの出発点、ジョイス文学からブレヒト演劇へ移行する映画モデルの変遷、芸術の自己定義からマスコミ的表象の批判への移動、ベトナム反戦、アンチ・ドゴール主義。
ゴダールの七十年代は、極左との集団制作、ジガ・ヴェルトフの時代。「プラウダ」、「東風」、「イタリアの闘争」、「パレスチナ映画」を制作して、ハリウッド映画を帝国主義として非難した。映画は、教条主義的に理解されたが、実際には、抽象的モンタージュを通して、内省的な思考の側面が現実化した
ゴダールの八十年代は、ウィットゲンシュタインの哲学的転回を喚起する、映画世界への復帰である。ミニマリズム的自主制作を発展させた時代、思考と言葉の映画が確立する時代だ。ゴダールは、新左翼アナーキズムが転向したネオリベポストモダニズムと一線を画して、モダニズム的な批評精神を貫いた。
ゴダールの九十年代は、歴史と自伝的記述の時代だ。考古学的方法に準じて、観客達が過去に見た映画を積分的に地層化することによって、二十世紀史と等価物の映画史を表現しようとした。未来を思い出すこと、ユートピアとしてのヨーロッパの再生の歴史を、自己のアイデンティティーの物語と重ね合わせた。
ゴダールの2000年代は、思想的自立性の時代といえる。それ故に、モンタージュの実験精神を編集した左翼的構築よりも、思考を紡ぎ出す日常言語の使用が重要となる。国家語に還元する右翼的幻想が拒まれて、多言語的な次元が優越することになった。ヨーロッパの外部に於ける映画制作が初めて実現した。


1、 投射

「ドキュマン」誌刊行によって、シューレアリズ運動の中心をなしたバタイユの影響圏に向かっていったのは、ほからなない、エイゼンシュタインであった。ローマ時代のコインの肖像、祭祀のマスク、演劇の仮面、動物の表情。「顔」に関する宇宙論的探求は、人間を中心とした従来のモンタージュ理論の「知」には収まらない、神秘主義のなにか他の惑星の異生物と交信している自動筆記的な方法であった。シューレアリズの哲学が、限りなく、(対極の側にあるとされる)「唯物論的弁証論」に接近していくのは、この哲学は方法を重んじる神秘主義弁証法であることによってであろう。つまり、哲学自身がすべての内的矛盾を承認することが可能となる弁証法となるから。思想史は、なにを知るのか?世界の実在性と理念性が弁証法的に発展していくのを知るだけでなく、人間から出発するという間違いをおかしてもまた、母国語から出発するという間違いから出発しても同一的なものは存在しないことも知るのである。


人間が人間であるときに人間であるのはなぜなのか?
動物が動物であるときに動物であるのはなぜなのか?
人間が人間であるときに動物であるのはなぜなのか?

ひとが母国語で書いているとき母国語で書いているのはなぜなのか?
ひとが外国語で書いているとき外国語で書いているのはなぜなのか?
ひとが母国語で書いているとき外国語で書いているのはなぜなのか?


理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である。アナーキスト系芸術家たちは理性的なものこそ現実的であるとかんがえた。それにたいして、神の「創造」を自負するブルジョアジーは、現実的なものこそ理性的であるとかんがえたのである。和解はなかった。アナーキスト系芸術家たちは、ブルジョアジーの所有する都市がなぜかくも疎外と形容されるほかのない抑圧なのか、と問うた。と同時に、国家の民族主義を表現した自国語中心主義がいかに戦争の原因を形成していくのかと告発した。知的ボヘミアンが依拠する真の芸術は、いかなる所有を排すること、またどの国のどの母国語にも属すべきではなかった。この点において、サイレント映画こそは、この過大ともいえるユートピア的使命を託された芸術のひとつであった。(民族言語を超える普遍言語の構築が、第二次大戦後のフランスのブルジョア出身の映画人たちに自覚されてくるものであるといわれる)。
その映画も、五十年代にあらゆる映画の試みが尽くされた、といわれる。今後は、映画は問いになる。映画とはなにか?映画は思考の形式とゴダールが呼ぶ投射の構造として再定義されていく。つまり映画は20世紀の精神を投射する思考の道具である。思考の抽象的スクリーンに投射された世界の構造について約束されることは、どんなにそのスクリーンが小さくともいわば近傍としての未定義の余白が存在しなくてはならなかったということである。ここに、かつてアナーキスト系芸術家たちが依拠しようとした理性的なものの場所ー批評の場所ーが復権したといえよう。

映画は書いているときに世界が書いているのはなぜか?
映画は編集するときに世界が編集しているのはなぜか?
世界は書いているときに映画が編集しているのはなぜか?
映画は話しているときに世界が話しているのはなぜか?
映画は読んでいるときに世界が読んでいるのはなぜか?
世界は読んでいるときに映画が話しているのはなぜか?
映画は終わっているときに終わり世界は始まるのはなぜか?
世界は終わってしまったときに映画が始まるのはなぜか?


無限に「他」の可能性をもった理性的なものは、知的ボヘミアンにおいて、空間的に構想された(ジョイス「ユリシーズ」の都市)。第二次大戦後は、これが時間的な構想に変容していく。20世紀精神は、ほかでもない、映画の歴史にある、と、ゴダールは見抜いたが、この映画の歴史は思考手段であるから思想史の様相を帯びることになるのは必然であった。諸言説の問題を時間的に思考するための、思想史としての映画史、である。
そして70年代の異議申し立てポストモダニズムが体制化していく90年代に、高度資本主義の内部において、映画と世界との間には区別がないほど互いに互いに溶け合ってきた。批評の世界では、映画に介入することは、それは世界に介入することと等価となってきたとすらいわだした。このとき、ゴダールによって、ブレッソンの言葉「物事のあらゆる面を見せようとはしないこと、未定義の余白を残しておくこと」が「映画史」の冒頭に置かれてくるのは、1990年代以降の現実世界にかかわる倫理的な問題を構成していたのである。ゴダールの、包摂されない未定義の余白たちは、この時期のゴダールを非難する芸術至上主義とは関係がない。寧ろそれらは、21世紀のグローバル・デモクラシーとしての理念的な肖像画が可能となるために必要とされた理念的且つ現実的な条件なのであった。


2、 翻訳

「映画史」は、「映画は私たちの眼差しを私たちの欲望にかなう世界に置き換える」という。これとともに、ブラショの「何ごとかが、至高性そのものがここに消え、ここに現れる」が意味するのは、なにか?つまりそれは、 <置き換え可能なもの/不可能なもの>が世界に消え、世界に現われる、ということにほかならない。たとえば、ポスト構造主義においては、精神分析を翻訳した哲学・文学の領域逆に、が、哲学・文学を翻訳した精神分析の領域、思考の対象となっていた(「ドゥルーズ&ガタリ「アンチ・オィデプス」)。これに対応して、「映画史」の20世紀は、映画的なものを翻訳する現実の領域を物語り、または現実的なものを翻訳する映画の領域を物語る。しかし決して単純ではない。なにかを失ったからこそ「なにか」を得ることができるといった、二項対立的のようには。なぜなら、
ゴダールによれば、世界から獲得できないときにも失うことができるから。
浅田彰「映画史」の解説で、ジョイス「フィネガンズ・ウェイク」から書き始めたのは十分な理由があった。「映画史」とは、二十世紀が自らの肖像を書いた本。この本の言語の構成は、翻訳において元の何語から翻訳すべきか決定不可能なほどアナーキーであった。しかし斯くも、起源の言語とその中の過去の姿を消滅させる唯一このような本だけが、思い出されてくる未来を発明できよう。「映画史」は21世紀を書いた本であった。しかし結局、20世紀の始めを第一次世界大戦にとり、その終わりをイラク戦争にとるとすれば、20世紀の世界史の終焉とたたえられたほどの「民主主義」は、結局、国家と戦争のなかに囲い込まれただけの、「最悪の映画」であった。ここから獲得できるものがほんとうにあるのだろうか?せめて、獲得できないときでも、思考の外部性において、失うことができると信じたいのである。つまりわれわれはなにを失うことができるだろうのか?

3、 徴

世界は語るときに映画が沈黙していたのはなぜか?
世界に光があらわれるときに背後から映画の闇が覆うのはなぜなのか?
世界は沈黙しはじめたときに今度は映画が語るのはなぜなのか?

今日、権力はポストコロニアリズムの言説すら支配の言説として利用しはじめ、'われわれは誰か''どこから来たか'を教えるという fromの教説を絶えず展開してきている。このなかで、権力が政治的に正義を語ることならば、それに対して声なき人々は正義について語らない、つまり沈黙をまもるというのは、イデオロギーの虚説を失うという抵抗を構成してきた。と同時に、これと同等に他の可能性が存在する。つまり、権力が正義を語らなくなるときは、今度は沈黙を失うチャンスである。いいかえると、抵抗する人々に政治的に正義を語るチャンスがきたという可能性のことである。このとき、沈黙を利用した抵抗がただの<ゼロ>、ただ無意味なnothingの教条主義にならないために、われわれは思い出されてくる未来に依拠してわれわれ自身は誰なのか'を開かれた問いとして問う'in,into'の語りがうまれてくるべきなのだ。
バイオグラフィーは、八十年代の、ウィットゲンシュタインと比べられるゴダールの言語的転回に注目する。つまりゴダールの、言葉の方向に歩みだす詩人としてのアイデンティティーを強調する。つまりサイレント映画的なエクリチュールを書く、ということであった。これは一体何を意味するだろうか?民族語を超えた普遍言語である、サイレント映画的なエクリチュールは、詩人において、完全には消滅していなかった、と結論をあたえるべきか?それとも、パレスチナ映画からの復帰を契機に消滅させたうえで、過去のサイレント映画的なエクリチュールとの差異化を構成していったのだ、と、かんがえてみるべきだろうか。
『偽造旅券』Vrai-faux passeport は、2006年のポンピドゥー・センターでのゴダール展のための作品であった。ゴダールにおけるシュールレアリズム運動の映画的継承を強調した、このゴダール展('ユートピアの旅ー失われた公理を求めて')は、「世界の創造者」というブルジョァ的世界観を内部崩壊させた、アナキスト系芸術家の挑発的な展示となっていったことはよく知られる。例外的なこととして、ポンピドゥー・センターはゴダールの展示作品の買い上げを拒否したほどだ。ゴダールにおける、シュールレアリストとしての全体像ー但し至る所微分不可能な全体像の発見。とはいえ、ゴダールシュールレアリズムのようにはそれほど神秘的な声を信じていなかったかもしれない。ただ事実の呼びかけに大きな信を置いてきたことだけはたしかである。時代の要請に応じて作品が変わっていったことは指摘される事実である。
21世紀の課題は、グローバル・デモクラシーの声なき声を可視化し言説化していくこと。この点について、「映画史」ゴダールがひく、ドニ・ド・ルージュモンの参照すべき言葉がある。「言葉が崩壊し、誰から誰かへの、その存在に関わる何かを賭した贈与ではなくなってしまえば、崩壊するのは人間的な友愛である。人々の不安とはそのことだ。もとよりそれは物質的なものではなく、何よりもまず、友愛の死から生まれる、心と精神の不安である。私は神秘的な声を信じていない。ただ事実の呼びかけに信を置いている。時代を注視し、われわれが生きる場所、われわれを取り巻く正確な状況、そしてそこが導き出した呼びかけを見極めよう。判断を下すのはそれからだ」 。こうした「呼びかけ」は、われわれは思い出されてくる未来に依拠してわれわれ自身は誰なのか'を開かれた問いとして問う'in,into'の語りの徴として、反時代的に、サイレント映画的なエクリチュールをとおしてしか表現されえなかったということが決定的に重要な点ではなかっただろうか。