福沢諭吉は1860年代にロンドンに行っています。大英帝国時代のロンドンですから、もしぶらりと街の図書館に足を運んだら、そこで世界中の言語の本をみて圧倒されたにちがいないのです。

ドイツの哲学者ヘーゲル(1770~1831年)が自身の初版本に当時の書評を抜粋して書き込んだ本が、都内の古書店で見つかったそうです。ところで福沢諭吉は1860年代にロンドンに行っています。大英帝国時代のロンドンですから、もし諭吉がぶらりと街の図書館に足を運んだら、そこで世界中の言語の本をみて圧倒されたにちがいないのです。記録に残っておらず証拠はないのですが、諭吉は、大英博物館か大学の図書館に行ったときに、あるいは帝国の充実した街の図書館に立ち寄ったとき、ヘーゲルの本 (英訳)を手に取って読んでいた可能性も。ヘーゲルのカント注釈とか、「法哲学」の世界史のアジアについての記述とか。これらの西欧形而上学の部分は、かれの朱子学とか徳川儒学の教養をフルに利用して読んだかもしれません。まだ国家はできていませんでした。もちろん靖国神社もありません。諭吉がロンドンに滞在したとき、かれの新しい国家建設のブループリントに、(読んでいたとしたら) ヘーゲルの本が影響を与えたことが間違いありませんので、かれの認識においては、憲法を超える権力を靖国神社に結びつけるというよ...うな立憲体制は不可能だったはず。つまり国家が後期水戸学派の国体概念にもとづくことはありえませんでした。それにしても、ヨーロッパにおいて五百年かけて発展していく近代の民主主義は、日本の場合、百年で達成しようとしてきました。おそらく中国の場合は、百年よりももっと短いこの二十年ぐらいの期間で民主主義を作り出そうと取り組んでいるようにみえます。人々はいかに大変な圧縮に直面しているか!?全体主義を民主主義といったり、逆に、民主主義を全体主義といったりと、まさに天と地がひっくり返るほどの正反対の価値観の衝突はこうした圧縮から説明ができるかもしれませんね。天安門事件を契機にアジアにおいて本格的にはじまったと察します。現在ほとんど報じられませんが、香港と台湾の学生たちは、なんでもかんでもカネが支配するグローバリズム資本主義に抵抗しています。かれらのこのグローバリズムにたいするたたかいが、(日本では複数政党制と土地の個人所有権がみとめられている点をのぞけば、他の点は同じであるとみえなくもない!)中国共産党の権威体制にたいして、言論の自由を中心にどれだけの異議申し立てをつきつけることが可能か大変注目しています。

 

追記

福沢諭吉のイギリスを称えた言葉全部にしたがうと、男性原理である大英帝国アイルランド植民地化を容認しなくてはならなくなります。しかしこのような容認は不可能です。私はアイルランドに8年間いましたから。現在の靖国全体主義を批判していくために下に書いたのは、後期水戸学派の国体概念排した福沢の思想にどんな外からの感化があったかと考えてみる推測です。具体的にはヘーゲルの本。ヘーゲルの名は、ロマン主義的なあの息苦しい肖像画とともに、例えば歴史の終焉をいったフクヤマが依ったような右翼的な言説に結びつけられて登場しますね。(ちなみに一高時代の父の同級生であった、今年他界した叔父などは、宮沢の時代の丸山ゼミでヘーゲル法哲学」の原書を読んだことが生涯の自慢話したが、痛いことに、明治天皇靖国を称えていました。丸山真男は戦時中、マルクス的に書くことができず、軍国主義の検閲を逃れるためにヘーゲル的に書きましたが、段々と自らマルクスを検閲する右翼的な書き方になっていったという意見もありますね)。ヘーゲルからは右派と左派が出ました。マルクスは後者でした。かれが「法哲学」の序文を書いたのは、かれの市民社会の可能性についての思考をラデイカルに発展させていくために絶対欠かせない仕事だったからです。そういう意味で、国体概念を批判した福沢はヘーゲル左派である、と、ここで書いてしまってはやり過ぎ、大きな間違いか?しかし一考の価値はあるでしょう。最初にもどると、実はアイルランドとイギリスの関係は日本人(福沢も含めて)には捉えられないぐらい複雑な歴史ですが、だからといって、アイルランドを犠牲にした大英帝国の近代を称えた言説が許されていいわけではありません。が、福沢にかんしては、現在の大きな敵(国体概念を復活させようとする安倍の全体主義を前にして、人民戦線的に団結できる思想家のひとりです。最後に、(嗚呼、名前もおぼえていない) 祖父はかれがはじめた学校の初期の学童だったらしいのですけど、国のために知性を働かした憎むべき官僚だった父と財界の叔父の位置よりは、(知性がないと侮られていましたが) この祖父の子供のときの視界を時々想像したりします。子供に帰れば、靖国全体主義なき、<他>であったかもしれない、近代の可能性を読むこともけっして不可能ではありません。おそらく、忘れられてしまった、名も知らないものにたいする思い入れ、それゆえの希望かも。