日本人に誤解があるのは、帝国がグローバル資本主義を抑えこむという幻想。グローバル資本主義に抵抗するのは、帝国ではなく、オキュパイ運動以降の(イラク反戦もふくめた) グローバルデモクラシー

 

グローバルデモクラシー

21世紀の地球の座標は、互いに不断の闘争状態にある4つの基底(原理)をもっています。すなわち、グローバル資本主義と帝国と国家とグローバルデモクラシーです。恐らくその一つの基底が他の基底を征服して21世紀の地球を独占することはないでしょう。この4つの基底が構成するベクトルが、21世紀の地球を決定することになるのではないでしょうか?

 

二十一世紀は、グローバル資本主義とグローバルデモクラシーの間の対立が基本にあるとおもいます。この間の対立を調整するのが、国家とか帝国(EU,ロシア、アメリカ、中国)だというふうにかんがえています。一九九〇年代以降世界で起きている動乱で、グローバル資本主義に関係がないものはひとつもなく、したがって全部グローバルデモクラシーに関係あるものです。デモクラシーを訴えている人々は、時代遅れにも、民族主義と烙印をおされているだけです。あるいはそう呼ばれているから効果を狙ってそのようにふるまっているだけです。具体的に言うと、国境を超えたデモクラシーとデモクラシーの連帯は、スコットランド国民投票の影響をみていくことができます。もっと近いところでは、台湾と香港の動きがあります。どちらも(マルクス主義の平等理念を捨てさった)コミュニズムが強いてくる市場万能主義にたいする抵抗運動です。これがどこまでやれるか、民主主義の問題に発展していくのか、大きな流れをつくっていくのか注目しています。天安門事件ですね。一方、帝国の側は、(文革とはちがう)グローバルデモクラシーに対抗すべく、権威的な新儒教とかの普及を世界規模で国策的に展開していますね。日本の場合は、外部で起きているグローバルデモクラシーにかんする報道を十分に行わなければ、それはマスコミの信頼を失っていくことになるでしょう。また、安倍を起点とした集団的自衛権とTPPと愛国心の言説が、なにをしたいのか全然わからないのですが、デモクラシーの側に抵抗の運動がなければ、あるいはあっても国際的な連帯もなく一国的に孤立していれば、おそらく、確実に、アメリカの帝国の内部にむかってぐいぐいと引き寄せれていくだけの、知性もなんの感性もない、閉じた未来しかないでしょう。これも帝国のイデオロギーを構成するものだ、とわたしはかんがえます。 緊急の問題としては、日本と韓国の間に可能性としてグローバルデモクラシーがあるのだと信じなければ、人々は民族主義的対立を煽る両方の政府(+歴史修正主義)に引き込まれていくばかりです。結局日韓のエスタブリッシュメントネオリベですから。この両者は、国民の政府批判(経済政策)を避けるために、民族主義的対立を互いに利用しているとおもいます。両国の間に平和的な人間交際をつくっていくためには、もはや国家がなにもしてくれなければ、人々はなにができるか、です。まとめますと、日本人に誤解があるのは、帝国がグローバル資本主義を抑えこむという幻想です。柄谷は帝国を正当化する言説すら展開しはじめました。しかしEUも中国も、内部は、まったくのフリーマーケットなのですね。グローバル資本主義に抵抗するのは、帝国ではなく、オキュパイ運動以降の(イラク反戦もふくめた) グローバルデモクラシーなのです。