ヒュームが今日生きていたらならスコットランド独立について何て言うでしょうか、わかりませんが、おそらく・・・

スコットランドといえば、二人の啓蒙主義者、アダム・スミスとデビッド・ヒューム。スミスの名は(ネオリベの) グローバル資本主義と結びついているかといえば、かならずしもいつもそうではなく、最近チョムスキーなどはスミスをアンチ・グローバル資本主義の言説として読みだしていますね。英米の思想の文脈のなかでは、ヒュームはマルチ・カルチュアリズムの社会設計の理論的先駆者。ヒュームが今日生きていたらならスコットランド独立について何て言うでしょうか、わかりませんが、おそらく、ナショナリズムには反対、国民投票には賛成、というところでしょうか。ヒュームの名は、知る人ぞ知る、カント哲学の前座として、また、現象学に先行した心理学にかならず出てきます。が、スコットランドとの結びつきをかんがえる人は殆どあまりいなかったでしょう。ところで13世紀に同一性の問題から唯物論的存在論へ行くラジカル神学Dun Scotusも、スコットランド出身だっただろうといわれています。(アイリッシュアイルランド出身といいますが)。ラジカルな懐疑主義者だったヒュームの方は、同一性を批判して、(神とか自我とか、因果関係などの観念を導く) <基体的>な共通性を徹底的に批判しました。こうした点で、ドゥルーズのヒューム論は、(日比谷焼き討ち事件などの) 帝国主義の側に回収されていったマルチチュードに対する批判として必要かもしれません。また、それは国体観念に対する抵抗の理論的武器にもなり得るのですが、どうもそういう話はさっぱり聞いたことがありませんね。浅田彰が仄めかすぐらいでしょうか。ただそのドゥルーズのテクストから基底的な存在論的共通論も読みだすことが不可能ではありませんから、非常に厄介。いつの時代でも先端の理論は矛盾を含むものですが、これも例外ではありません)