演劇はどこにも在る...

演劇はどこにも在る...

人々が孤立しないことを目的とした企てなのだけれど、X'masのアイルランドでは刑務所の中の舞台で元囚人と囚人による公開の演劇をやっていて、フリールのレベルの高い芝居を刑務所で見学したことがあります。家族や裁判官だけでなく、ヨーロッパからの社会保障の研究者、又はわたしのように新聞広告を見て来た一般の人々が刑務所のいくつもある鉄のドアを通過して集まってきました。芝居の歴史を少し知っている人ならば、当時は価値がわからなかったベケットの芝居が(これを誰よりも理解したという) 元囚人の役者によって初めて上演された興味深いエピソードを知っているはずです。こういう重要なものは悉く、骨董品のような、ケルトの観光ツーリズムに覆い隠されてしまうのは大変残念。たしかハンナアーレントが書いていたとおもうのですが、「演劇はどこにも在る」のはほんとうです。しかしそれはなぜだろうか?「知る」ためには演劇性が欠かせないといっていいのでしょうか、つまり、演劇的なものは、人間が外部の世界から自己の生きている位置を知るときに欠くことができないなにかがあるのだろうということはわたしのような者でもすこしづつ気がつきはじめました。恐らく「知る」ことの根底に、置き換える、という想像力があり、これが決定的に大切なのだろうとおもいます。