ゴダール映画 「さらば、愛の言葉よ」はなにを告げにきたのか?

ゴダール映画 「さらば、愛の言葉よ」はなにを告げにきたのか?

アナーキズムの法は全体主義国家を非難したとき、結果的に社会保障を否定したファシズムがあらわれることを助けてしまったとしたら、法は、自己の生存を保証してくれるものを否定した抗議者のように、自己自身と対立した苦しみに引き裂かれる。と、これは、保守リベラルの論客からよくきく非難ですが、このよう言葉がゴダールの映画「さらば、愛の言葉よ」のなかで本から引用されていました。ゴダールはこれにたいしてどのように理解したかですが、映画の中のどの言葉を追っても明らかにはなりません。しかしこれにたいする反論として、今回の映画の全体が構成されていったことだけはたしかだとおもいます。問題は法が何もせずとも、グローバル資本主義が国家を終わらせる方向に進んでいること、現実に新自由主義新保守主義の国家自身がそれを望むように行動していることです。その前に、社会も、(分割された単位の)個人も成り立たなくなるでしょう。21世紀のファシズムというのは、人々がウロウロウヨウヨ、ワイワイガヤガヤすることのほかになにもできないような、社会も個人も成り立たない状況かもしれません。しかしここで何ができるかを話し合うしかないということではないでしょうか。日本は来年、戦争しているとおもいます。いまから、自分よりも人間を思って彷徨う犬 (哲学) に変容した、詩人(精神) の物を観る眼を一人一人がもたなれば、愛の言葉とともに戦争なき森に生きることなどはとても無理でしょう。それを告げに来た映画だったとおもいます!