日本ファシズムの研究 ー全体主義と軍国主義が必ずしも同一の方向に歩まなかった例。北一輝

日本ファシズムの研究
全体主義軍国主義が必ずしも同一の方向に歩まなかった例。北一輝

これに関しては、チョムスキーの批判がいうような、戦後のアメリカ占領軍が潰してしまった戦前の「民主的な要素」など本当に存在していたのかは大いに疑います。たとえば、「戦前の民主的要素」として戦後民主主義によってとらえられていた(教科書にかいてあるような) 大正デモクラシーの普通選挙法などは、治安維持法と一体となった統制の手段に過ぎません。実際に天皇主権の形だけのその議会代表制こそは、翼賛的に陸軍ファシズムと一体となって昭和の戦争体制の拡大を推進していきました。統制派の陸軍ファシズムの原型に、幸徳秋水のあとに大杉栄を殺害していく甘粕の軍国主義があります。この軍国主義に影響されながら、しかし天皇の国体概念と衝突対決した思想家に、北一輝がいますね。私はこの人が苦手なんですが(笑)、現在とは違って、戦前の右翼のなかには国体に抵抗した人もいたのです。 「現代日本の思想」が整理するようには単純に、軍国主義に沿って行動をしたようにはみえません。北の孫文批判は寧ろ中国分断策の日本帝国主義に反対するものであったことは、子安氏の「日本人は中国をどう語ってきたか」(青土社 2012)に論証されています。少なくとも中国に共和制の可能性をみたことは確かですから、この点に関しては、久野と鶴見がいうように「民主主義、近代主義、人権の感覚の拒否にたって、社会主義ナショナリズムを結合すれば、結果するのは、超国家主義である」ということはなかったとおもいますが。久野と鶴見が描く超国家主義とは、まるでイギリスのアイルランド批判の類と一言だけ言っておきます。戦後民主主義が自らそう思いたいような戦前の全体像を過去に投射しているだけですね