柄谷行人「帝国の構造」を読む ー人文科学は、「構造」を批判していく構造分析である。人文科学の対象は、人間という存在である。帝国の「構造」を擁護することではない!

柄谷行人「帝国の構造」を読む ー 人文科学は、「構造」を批判していく構造分析である。人文科学の対象は、人間という存在である。帝国の「構造」を擁護することではない!

1867年の年は、マルクス自らの手によって世に問われた「資本論」が資本主義社会の経済構造をはじめて体系的に論述した年である。それは以降の社会主義運動の勝利を規定していく近代の決定的記述であった。しかしだからこそ国家と民族をもたないような社会主義運動の読みはそれ自身ゼロとされた。グローバル資本主義の経済とはなにか?この本の他は無意味という柄谷の「資本論」に依拠する解釈は、「資本論」の不在のテクスト、国家と民族を読みだすとき、「資本論」を前提するものから「資本論」の本質を描く無理を隠蔽してくれるのはただ帝国の「構造」だけだ。こうして理論の純化は現実と妥協していく。21世紀の「帝国」は、19・20世紀的な帝国主義とは異なる。それは主として文化による支配の構造だという。だが、台湾と香港の反グローバリズムの声が無意味と非難されるのは、それが文化論的にいって新儒教の「天の声」の構造に反するからだろうか?否。それがゼロなのは、国家と民族をもたない社会主義の運動ーアナーキズムだからである