<ナチスはヴァイマール憲法から生じてきた> ならば、再び新しく<ヴァイマール憲法的なものがナチスから生じてくる> チャンスがある、つまり安倍自民党のファシズムをいかに終わらせるかという課題のこと

<ナチスはヴァイマール憲法から生じてきた> ならば、再び新しく<ヴァイマール憲法的なものがナチスから生じてくる>  チャンスがある。つまり安倍自民党ファシズムをいかに終わらせるかという課題のこと。

「さとり世代」という言葉を知っていましたか?彼らはポスト「ゆとり世代」で、国が「道徳」を教え始めた学校に行った世代です。ある「さとり世代」が書き綴った思慮に富んだ証言を読みました。哲学・文学などの人文科学の古典の読みが市民社会の精神の理解を助けてくれます。大切なことは、学校の仕事とは、これらの市民社会の精神を知ろうとする生徒一人ひとりの<読み>を励すことではないかと。もし学校が市民社会の精神から離れて、「道徳」と「倫理」への高過ぎる無理な<こだわり>を、あたかも国が民を罰するような仕方で教えるとしたら、「道徳」と「倫理」の根底にある「知る」という人間性すなわち究極的には人間の愛を抑圧することになるだけだと心配します。個人が主役である「道徳」は民法に、共同体が主役となる「倫理」は憲法に事実上書かれています。過去にヴァイマール憲法がそういうものとしてありました。しかしこれらの他との共存を不可欠とした市民社会の精神から離れて、ただ国を愛すために国を愛せというに至る民族の同一的反復の<こだわり>を教え続けたら、国家の排他的他者を憎む兵隊としての国民を繁殖させることに成功するかもしれません。実際にそのようにして<ナチスはヴァイマール憲法から生じてきた> のです。他方で、われわれの人間性の内側でいつかはそんな無意味な<こだわり>ではやっていけなくなるという感情が起きてくることはないのでしょうか。ファシズムはこの道しかないと脅迫的にいうけれど、この貧困と悲惨の道ではやっていけないのだと。こうして、再び新しく<ヴァイマール憲法的なものがナチスから生じてくる>  チャンスがあると考えます。つまり安倍自民党ファシズムをいかに終わらせるかという課題のこと。これこそが真に「道徳」「倫理」と呼ぶに値するものではないでしょうか!