文民統制とはなにか

文民統制とはなにか

満州事変以降、日本帝国主義の土台に、2.26事件の皇道派のクーデターが起き、さらにこの事件を天皇統帥権に基づいて利用した統制派の陸軍から、昭和ファシズムの悲惨が起きてきたと理解しています。(陸軍ファシズムの原型に、大正期に大杉栄を殺害した甘粕ー日本人が大好きな(汗)ーがあります。) 文民統制というのは、軍隊をもつどこの国の大原則なのに、なぜ日本だけ簡単に崩れてしまうものなのか?わかりませんが、たしか、組織の下の人間が'現場の声を抑えられなくなる'という口実で常に上の決定を規定していくと分析した、かつて丸山真男が説いた日本独特の現場主義と関係しているのかもしれませんね。ただし、ここから丸山が日本思想の観念性の欠如、近代主義の未成熟を論証していくのは、やはり行き過ぎた深読みかなと。 むしろ今日問題とすべき現場主義というのは、明治のエスタブリッシュメントがつくった'国民'の声のこと。問題は、日比谷焼き討ち事件から満州事変まで、ほかでもない、'国民'が戦争の拡大を要求してきたことにあります。そして、これが現在、無条件に安倍自民党を支持した、今度は自民党の'国民'によって完成をみると私は心配しています。なんでもかんでも選挙で勝ちさえすればよいとして、「語る民主主義」を打ち消すほど「選ぶ民主主義」に傾いた自民党の'国民'のシステムでは、戦争を終わらせることはできなくなることがはっきりしてきました。このままでは、集団的自衛権の安倍首相と自民党の'国民'、この両者が戦争を輸出していくことにもー危険な原発つきで。他のことをするためには、まずは、自民党の'国民'という時代遅れな鏡を割ることからではないでしょうか。