台湾へウロウロウヨヲヨと行く

 

ジョイスの「自分で決めた亡命 self-imposed exile」は、本当に変な言葉だ。アイルランドを脱出したという意味のほかに、アイルランドを国外へ連れ出したと指摘する意見もきく。なるほど、たしかに、外部の位置から初めて書けるアイルランドの全体像があるのだろうか。ジョイスはイタリアのトリエステで、ダブリンを舞台にした「ユリシーズ」を書いた。(自分で決めた) 亡命先でかれは一人でアイルランドを取り囲んでしまったのである。(女房のノラとともに。)それならば、同様に、対象を取り囲む程のデモが重要で、とにかく人々が囲んでしまえば、閉じられた全体との関係から連続性の破れが生じるとき、脈絡なき思想史の傍で思想が自立するのではないだろうか?たとえば、台湾では中国共産党が事実上平等の共産主義をうち捨てたときに対抗イデオロギーとしてのアイデンティティーを失う危機に陥るとき、立法院を取り囲むデモがなければ、東アジアの白紙の思想史に、台湾思想は成りたつかという問いは決して書かれることはなかったのではないか?3月後半に台湾へ行くー台湾の人々のなかで台湾思想は可能かを考えるために、また外側から行き詰まりの安倍自民党のこの国をみるためにも