人間の危機とはなにかを問う市民の劇場 ー 東京演劇アンサンブルの「第三帝国の恐怖と貧困」の感想文 1

人間の危機とはなにかを問う市民の劇場

ー 東京演劇アンサンブルの「第三帝国の恐怖と貧困」の感想文 (1)

1、敗戦から10年、1954年に創立した東京演劇アンサンブルは、18人の平均年齢20才、「企画も深くあったわけではない、若者の思いで発足した集団だった」と入江洋祐氏は当時について語る。この三年後に、「第三帝国の恐怖と貧困」が第三期生によって上演された。さて2015年に看板俳優の松下重人氏が「第三帝国の恐怖と貧困」を演出することになった。ところで二年前にボートー・シュトラウス作「忘却のキス」(公家義徳氏演出)の主役イェルカを演じたこの松下氏であり、この「忘却のキス」では、目は声の中心にある戯曲を読むためだけに働くのではなく、新しく試みられたのは、目がいかに記号を読むかという視線の機能、いいかえれば、記号がそれを読む主体に触発していく意味を舞台に呈示していくことだったといってよい。それにたいして、今回の演出で松下氏が(俳優には)「とにかく相手の目を見て相手のセリフをきいて反応するよう求める」と語るとき、かれが重視したのは、ポストモダン的な「視線」...の機能ではなく、モダニズムの「視線の説得力」であったようにみえる。目と目との距離が分散を余儀なくされたとき<忘却のキス>が成立したとすれば、さて目と目との距離が集合しつつあるいま、<忘却のキス>は分散させられるのではないだろうか。 <忘却のキス>に委ねた偶然の力が消失するとしたら、演出家の松下氏は観客になにを思い出させたいのだろうか?恐らくそれはドイツの千田是也の歴史かもしれない。照明の大鷲良一氏が白黒映画のスクリーンのように浮かび上がらせ、役者たちが溌剌とした運動性と表現性を与えていた舞台の空間をみながら、1930年代のことをかんがえた。2、千田是也は1927年5月にべルリンに到着した。この約三週間前にベルリンでの最初のヒトラー演説が行われていたし、三か月後にはニュルンベルクで初めて第三回ナチ党大会が開催。31年まで滞在していた彼は、ヒトラーが公にベルリンに現れてくる時代、人間の危機の時代に、ベルリンにいたのだ。この事実からいっても、創立60周年の劇団には、ほかならない、帰国後の千田が訳した戯曲を演じることに大きな意味があることは説明を必要としない。外国語で書いた戯曲を日本から読むことにどんな意味があるのかを問うこと。「第三帝国の恐怖と貧困」のブレヒト国民投票の場面で階級の視点の保持をいうが、入江氏によると、千田是也は、久野収のようなブレヒトを読んでいた、市民社会の意義をいう哲学者から感化を受けた可能性もあるという。舞台というのは、演出家と劇団員たちが戯曲を読むために取り組んできた研究の成果を示す場。翻訳者だけではない。一人一人が主役となる、演じる主体として、このブレヒトの古典の戯曲にたいし新たにどんな意味を付け加えていくことができるのか。3、特筆すべきことは、この劇団は、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団との交流を通してこの芝居にのぞんだことである。現地入りしたとき、「年間20ミリシーベルト以下の被曝は我慢しろ」「賠償打ち切り」がいかに、国家がもたらした災害に民は文句をいうな、国は間違わない、国に責任があるとみえても民の責任だ!というような、極端までいくと、戦争する国のために喜んで死ねというナチスと共有した国民道徳の形といかに似ているかを考えることになったに相違ない。なにもかも原発のためにということではやっていけなくなったときに、そしてそのときがいまなのだが、小さな人間たちは究極的に何に依るのか?大江健三郎はそれは文学と言ったが、「第三帝国の恐怖と貧困」を観劇したとき、同じ意味で、演劇ではないかと考えてみた。演劇とはなにか?それは未来の人々との関係のこと。未来の人々と繋がるためには、(特攻隊の永遠のセロのプロパガンダよりも)、ワイワイガヤガヤと人間の危機を問う市民の舞台のもとに行くこと。冒頭に述べたように、モダニズムの視線の説得力であれ、ポストモダンの視線の機能であれ、一番大切なことは、人間は人間自身の故郷に帰るためには、人間のなかで言葉が紡ぎだす思考の演劇を必要とするのではないか。市民たちの演劇である。

(本多敬)