ギリシャの危機と日本の危機、アンチゴーヌという名の精神の反乱

ギリシャの危機と日本の危機、アンチゴーヌという名の精神の反乱

東京演劇アンサンブルの研究生公演、「アンチゴーヌ」(ジャン・アヌイ作、志賀澤子演出) を観劇しました。ジャン・アヌイのフランス語で書いた台本は、ドイツ語のヘルダーリンブレヒト台本とは別の台本ですが、この両者は、消滅しきった遠い過去にあるギリシャの危機を描いたというよりは、古典を利用して、近代・現代のフランスの危機、あるいはドイツの危機を明らかにしたのではないでしょうか。ソフォクレスギリシャ悲劇の共同体の問題を物語る言説が、東京演劇アンサンブルの研究生たちと観客に触発していく意味とはなにか、と、このことを考えることになりました。今日共同体が正面せねばならないのは、社会分裂の危機です。だがナショナリズムと国家がみんなこの危機を隠蔽してしまうことは、古代ギリシャのときとちっともかわらないのですね。確かにアンチゴーヌという名の、人間的尊厳を求めた精神の反乱が、テーベのみせかけの平和と秩序に抗議していきました。と、同時に、幽閉された部屋で彼女が「愛しい方へ」と衛兵に綴らせたことが大変重要です。手紙の名宛人は、ほかならない、国民国家の時代に王を追放していくほどの権力をもつこの衛兵自身、つまり彼女にとっては、現在舞台をみる民衆だったかもしれないのですから。その中で、それほど遠い未来にはいない、その手紙を受け取るはずの相手が、日本の危機に直面するいまのわれわれ自身ではなかったか、です。アンチゴーヌは代筆する衛兵に全面的な消去を命じました。その結果いまのわれわれのために、大きな余白を残すことになりました。現在白紙の手紙になにを書くのか?そこでなにを生きるのか?「今という時点で私たちは「アンチゴーヌ」をどのように読み、どのように生きることができるか。沖縄と日本、辺野古に基地をつくることに反対して抵抗する人たちと、絶対の権力で基地をつくることを決めている日本国家と首相の状況が、ストレートに見えてしまう。」(志賀澤子氏)