安倍がポツダム宣言を読もうとしないことの意味はなにか?

 ポツダム宣言受諾が知っておかなければならない常識かどうかのまえに、そもそも常識そのものに意味がないと嘲笑っているとしたら、こういう権力者はいかに破壊的な衝動をもつのかということをかんがえておかないと。平和をいう憲法9条だけでなく人間の生存権をいう憲法25条などを理由もなくことごとく破壊しつくすでしょう。

 

ポツダム宣言が<先>、原爆投下は<後>。国体維持の無理の中で降伏しなかったのは、無意味な遅れをもたらしました。ところが原爆投下の後にポツダム宣言があったと安倍が本の中で喋るのも、かれの歴史修正主義の類なのかもしれません。そして安倍はポツダム宣言を読まずにいるのは、自らを陸軍ファシズムに同一化してはじめたからなのでしょうか?いま考えておかなければならないのは、そうであれば、ふたたび、自分たちが何をしているのかわからないという悲惨が集団的自衛権行使において繰り返されるだけだということです。