アイルランドの政治 ー dissidence

アイルランドの政治 ー dissidence

フランス革命後の論争は、アナキズムへ行くのか国家主義へ行くのかを問いました。1870年のパリコミューンの社会主義アナキズムへ、1917年のロシア革命社会主義国家主義、したがって一党独裁一国社会主義ツァーリズムへ向かうことになりました。が、パリコミューンとロシア革命のあいだに起きた、20世紀初頭の植民都市ダブリンでの大衆運動、イースター蜂起はなにであったか?「シンフェイン」の父は共和主義者と第二インター系のフェニアン、母はゲール復興運動といわれるかぎり、アイルランド社会主義は国家と民族主義へ行ったと整理することができる。だが、他方、シンフェインは、南アイルランドにおいて、「銃の政治」であるIRAへの反発と、隠された彼らへの共感の間から、未知数Xとして、現れました。ダブリンに進出したとき、政治的に、バブル時代の借金をドイツ銀行に返す必要なしと訴えることになりました。反イラク戦争を訴えて街頭に出た大規模デモのひとびと、既成政党に失望していた無党派層の気持ちを汲みとったのか、このときは私の生活はロンドンへ移っていたのでこの辺の空気の変化は知らないのですが、OWSについて報じたある本に紹介されていた証言にあるように、グローバル資本主義の時代のアイルランドのあり方がNYのアナキズム的占拠に無視できないインスピレーションの一つとなったとする事実の指摘を日本で読んで驚いています。アイルランドの政治は、たしかに dissidence