<帝国>化するか、ヨーロッパ?

<帝国>化するか、ヨーロッパ?

ジェイムス・ジョイスはかれの「ユリシーズ」を事実上、オーストリア=ハンガリー帝国からの独立を志向していたトリエステで書き上げました。もしジョイスが今日生きていたらスコットランドの独立問題についてどう語るのか?ということがヨーロッパの新聞で時々話題になります。独立の主張が政治の二項対立的の意味に絡みとられる危険のある小国は寧ろ、他の小国たちと繋がって大国から自立する道へ歩めと言うのでしょうか?何をいうかわからないですが、ただ、最初から最後まで932頁ダブリンのことしか書いていない「ユリシーズ」の最後の文に添えられた署名トリエステチューリッヒーパリに、ダブリンの名が無いのは、ジョイスのアイルランドナショナリズムにたいする複雑な関係を物語っていることだけはたしかですね。

さてデクラン・カイバードが言うように、「「ユリシーズ」は、出版の年、1922年の現代ヨーロッパ精神の決定的記述とみなされるのが一般的だが、だからこそ植民地を持たないヨーロッパはそれ自体では無に等しいことを認識させる作品でもある」(宮田恭子訳)。ここでいわれていることは、国家の近代とは植民地主義の近代を意味するのですね。「ユリシーズ」は、幸徳秋水大杉栄の時代に、国家によって規定されない社会主義の自発的な運動が見直される時代に現れたのは、第二インター批判という同時代的な問題意識の共有が世界的にあったということではないでしょうか。ジョイスはアナキズムに一定の関心がありました。ところで西欧の68年のノンセクト・ラジカリズムが行ったことは、植民地主義の近代に対する批判と、戦後の新植民地主義の現代に対する批判でした。68年の多様性の主張を体現したものとして、1970年代のポストモダニズムの近代批判、80年代のマルチカルチュアリズムがそれぞれ重要な意義をもちました。ここで理論的なことを言いますと、リアリズム的なものと神話的なもの、この両者は、ヨーロッパにおいて互いに切り離せない関係にある、ということの理解が大切だとおもうのです。リアリズムの多様性は、社会が非合理な存在への問い(ヨーロッパのわれわれはどこから来たのか、どこへ行くのか?)を含むとしたうえで、知を合理的なもの、倫理的なものに限定していこうとするでしょう。そのことによって非白人の人々との共存を実現していくことが可能となるから。他方で、これとは正反対の方向から、多様性の神話があらわれます。それは非合理な存在への問いを前提としたとらえ方をいうのです。神話的なものが常に回帰してくるのです。神話的なものから、ジョイスが最も軽蔑し警戒したような、権威的で祭司的なものが社会に不可欠とされるのです。例えば、国家のナショナリズムの根底に、消滅しきったアイルランド語が祭祀的なものによって復活したのも、ナチス国家社会主義が過去に偽の起源をもったのも同じことであると作家は考えたのかもしれません。

ヨーロッパにおけるリアリズムのマルチカルチュアリズムは、アメリカのイラク戦争の協力を契機に決定的に崩壊してしまったようにみえますが、終わってはいません。1990年以降は、グローバル資本主義の台頭です。EUは、グローバル資本主義の分割として、他の帝国に対抗的に、帝国化していくことが考えられますが、それは、<ヨーロッパのわれわれはどこから来たのか、どこへ行くのか?>という非合理的な存在への問いを伴って起きてくるものです。<帝国>ヨーロッパの中心は、経済的中心はドイツでしょうが、文化帝国主義の中心はオーストリアあたりでしょう。文化論的な包摂である、非合理的な存在への問いは、排他的に規定されます。これは、ヨーロッパの戦争している敵対的他者への憎悪とともに進行していくことは、今年表現の自由とされたパリの週刊誌の国家の敵対的他者への揶揄などがフランスの問題を超えてヨーロッパの問題として共有されたことをみるとき考えされられることです。文化論の根底に資本主義国同士の競争関係があることは見逃せませんね (EUと非EUのアメリカ・ロシア・中国の競争)。ところで文学というのは、一番抑圧されたものを、主人公として設定してきました。これは、ジョイスが「ユリシーズ」で、アイルランドで生まれたユダヤ系の人物を主人公にした最大の理由でありますが、。現在ジョイスが書いたら主人公は間違いなく、アラブ人のパレスチナ人だと新聞で看破したのは、デビッド・ノリス です(今回の同性婚の合法化の立役者の一人)。前述したカイバードは、もしジョイスの本が分からなくなったら声をあげて読めというノリスの言葉に注目しているのは、それがデリダ的テクスト派に対する批判を構成するからと考えられますが、それ以上のものがあるでしょう。国策的ポストコロニアリズムエスタブリッシュメントが受け入れているグローバル資本主義に、いかに抵抗していくか?ダブリンで十万人があつまった反イラク戦争の抗議を例として、自発的に抵抗していくような市民の新しい歴史を発明していくことの重要性があります。私の場合、「ユリシーズ」という故郷への帰還を言うテクストの言説が、それを言う主体(私)に触発する意味はなにだろうかと問います。故郷への帰還の言説とは正反対の意味に動かされますね。ヨーロッパへ帰還を行うのは、ヨーロッパにとって豊かさが物質的に意味したものは一体なにであったかを根本から問うことなくしては、不可能です。いかに共同体が人間的尊厳をもって生きるか、同時にいかに人間的尊厳をもって死ぬのかをかんがえるとき、共同体にとって、非西洋とラベル張りしたトルコなどの諸国を周辺化するような包摂はまったく無意味ですし倫理的にも許されないことでしょう。こういうことは、3・11以降考えることになった問題です。私の<帝国>ヨーロッパ批判は、私の3・11のヨーロッパにおいて展開してくるものとなりました。