イタリアのオペラの旅

Energy ? Pathos ? Ecstasy ? This is Tintoretto ,
 unreadable montage of the dissimilarity

ヴェニスのテイントレット、その天井画はミケランジェロからの感化よりも断絶を感じますね。肉体(正確に言うと表象)がフワフワと浮いていて、光(表象)が俗ぽく誘っているようで、なんと言うか、この世界で一番大きい油絵は、400の橋がある穴だらけの喜ばしき迷路の街の仮面そのものではないでしょうか

アドリア海の雷⚡

ヴェニスは車両進入禁止ですから、どこの路も車が走っていません。今日朝、部屋で久々にアドリア海の雷をききました。雨が止んで出かけますが、今度は大雨。近くのカフェのテラスで雨やどり。動けず。イタリアでこんなに静かな光景は初めて。雲が切れて雨が止むと、地面から人びとの声がわいてくるかのように戻ってきました。これにはビックリ。ああ、車が無いのでこういう音の空間が成り立つんだなぁ、と、何か東京では経験できない大切なことを知った特しちゃった気分になりました、雨でどこも行かない日でしたけれどね

陸からの距離が歴史をつくりました。ガイドブックでは、フン族の侵攻を避けるために本土の住民が新潟へ移り住んだ425年が、ヴェネチア誕生の年という伝説があるといいます。人々は初め漁業で細々とやっていたが、製塩業と水上運送業を発展させやがて塩との交換による河川交易に乗出します。東西貿易の発展とべヴェネチアの繁栄、ビザンチンからの独立、ルネサンスの繁栄。興味をひくのは、ライバルのジェノバとの戦争に勝った後にイタリア本土に領土を拡大したこと。16世紀にはヴェネチア領にあるパドヴァ大学では、この時代ヨーロッパに吹き荒れた宗教改革に巻き込まれることなく、ヴェネチ領内では比較的自由な言論が保障されていたので、ガリレオは天文学を講じることができたという歴史があります。ロンドンで観たブレヒトの「ガリレオの生涯」でガリレオに興味を持ったのですが、(彼をどう物語るのかという言説に関心を持ったのですが)、ヴェネチア領パドヴァのガリレオという切り口があったのですね

直ぐ左手にMozart がいた家。Casanova が出入りしていたんでしょうなぁ、ドンジョバーニは彼らが最初に創作したのではなく、当時のあちらこちらの劇場で色んなヴァージョンが披露されていたのですね。ヴェルディ「椿姫」をみたオペラハウス、フェニーチェもこの近くにあって18世紀後半に創られた近代最初の劇場

ヴェルディの「椿姫」はフェニーチェ Feniche で初上演されました。昨日はここで「椿姫」を見ました。(溝口の映画でしか観たことがないのですが)「金色夜叉」みたいな話のようですが?、ヴェルディが原作者Dumasデユマのスキャンダルな同時代的作品を発表直後にオペラ化したようです。私はヴェルデイの楽器の特色を生かした音楽が好きなのですが、シシリー島出身のソプラノの歌手は絶唱でした


映画「レイジングブル」の出だしの音楽である、「カバレリア-ルステイカーナ」、オムニバス映画「アリア」の中で歌われる「パリアッチ」、今夜はどの歌手も絶唱でした。両作品もベリズモと呼ばれる19世紀後半のイタリアで興った文学運動(リアリズム)と関係していて、まあ、大まかですが、20世紀初頭にジョイスがイタリアに来たときの雰囲気(正確にはオーストリアハンガリー帝国の領内のトリエステ。作家達はアイルランドから来た作家にリアリズムを超える新しいものを託したかもしれない)を想像しながら夜のミラノをブラブラ

Arina di Verona
アリーナ(ヴェローナ) ナウ
 ナヴーコ初日、雨でだめかなと思ってましたが、
15分前に晴れました


ホ〜、世の中でもっともあてにニャらんオペラ論

ええー、102年間も、背後のアリーナでオペラをやっているんだそうです。現在、19世紀のヴェルディの「ナヴッコ」をみることの意味について自分なりに考えています。紀元前6世紀のバビロンの捕囚という消滅した過去に題材をとったオペラの意義については正直わからないことが多いのですが、飛躍といわれても仕方ないのですが、ただどうしても自分の中で考えておかなければならないことをとりあえず書き留めておきますと、(読解不可能な)「歎異抄」を読んだ三木清がいう絶対の過去を愛する精神との関係のことがあるのではないでしょうか。三木は、末法の時代にあって、死に切った消滅しきった過去を(直進的時間の「近代」にとって都合がいい風に未来に繋がることが決してない)いわば絶対の過去を愛する精神を言いました。ここから共同体は必ずしも、自らの唯一の拠り所を、(近代の)国家と民族にもとめる必然性がありません。(ヨーロッパでは知識人の戦争協力という問題は常に問われますが、考え方を変える転向それ自身を問題視するような国はあるのでしょうか?) 三木のような「転向」した社会主義者にとっては、常に、この道しかないといわれる道の「他」があるはずだったのですがね、どうでしょうか。最後に、前に、トリエステの文化人がダブリンから来たself-imposed exileのジョイスに、カバレリア-ルステイカーナやパリアッチのリアリズム(ベルズモ)を越えるような新しいものを託した可能性について書きましたが、ジョイスはイタリアの統一と独立をもとめる「リソルジメント」を例としたような、ヴェルディの作品で言われる意味とは全く正反対の方向で、ユートピア社会主義者と未来派のアナキストの希望の即して共同体それ自体のために白紙の本を生きるー書くことを行なったのではないか。これが、ほかならない、かれの自分で決めた亡命を構成するプロセスだったのではなかったでしょうか、というようなことを考えることになりました、このオペラの旅は。(トリエステに、ヴェルディの名をとったオペラ劇場があるのですが、「ユリシーズ」には膨大なオペラへの言及がありますね)