インターネットの未来は、<therefore...therefore...>か、<however...however...>か?国民投票で問われたOXIの思想的意味

インターネットの未来は、
<therefore...therefore...>か、<however...however...>か?

なにやらFbの未来はテレパシーだという話がタイムラインに流れてきて、そのこと自体は大変興味深いのですが、ただ、それほど遠い未来でなくて、わたしが生きている間について起きそうなインターネットの未来といったらそれはどういうテレパシーとなるのでしょうか?ゴダールの主張に耳を傾けると、 i-phoneに溢れている、(なんでもかんでも金がものをいうように) なんでもかんでも thereforeとかんがえれば安心だと決めつける流れにストップを、と言っています。<therefore...therefore...>のシナリオを拒んだギリシャの出来事をみてかんがてみたことは、人びとの howeverをいう批評精神が、ほかならない、インターネットの未来、テレパシー。物質は思考できるかを問う唯物論からいうと、物質の思考の生産に先行するのが、<however...however...>の交換なのではないでしょうか?
国民投票の形をとっておりますが、ギリシャの人びとは、他の国で貧困問題を抱える人びとのためにたたかっているとみることができます。ギリシャは、そういう意味で、自民党政府が貧困問題のあることすらみとめないというこの国の人びとのためにもたたかってくれていることをもっと真剣にかんがえてみたらどうか、と、私はおもいます。OXIの思想的意味はここに。