SUMMARY <No.5> ー 国家の筋を通すこと、'戦後日本論ー沖縄から見る'、子安「帝国か民主か」より

 

・従属関係でしかないものを対等であるとごまかすという「国家の筋を通すこと」の幻想。日米安全保障条約におけるこの幻想は「基地の島」沖縄がなければ成り立たなかった。そして幻想が幻想を生むー「日本はグローバル「帝国」時代の日米安全保障条約という新たな従属関係に入ったのである。主権国家日本の筋を通すとはそういうことである。まさしく主権国家日本の首相としての意地から靖国参拝を続けた小泉によって、日米の緊密化はいっそう進行したのである。かくてアメリカの戦争を支援する名誉ある一国に日本はなりえたのだ」 。ネグリとハートによれば、「安全保障」は「国の内外において恒常的な戦争活動を行うことを正当化する」ことだという。そうであれば、「集団的安全保障」などはこれを言い換えただけのものだろう。

・「国家は死者を選別し、「英霊」として己れの中に囲い込む。靖国祭神とは、日本帝国によって選別され、一方的に国家に囲い込まれた戦死者である。」「だが見捨てられた死者の側に立つ沖縄の人びとは、区別なく、国境をこえて死者の名を平和の礎に刻むのである。」なぜなら「戦争の死者たちに真に連帯する市民に国境はない」からであろう。おそらくは、一つの国家、一つのアイデンティティーに、多数の穴を開けていくような開かれた理念性と運動の具体例がここにある。

 

 

「1972年五月十五日、沖縄返還協定が発効し、米軍の統治下にあった沖縄は四半世紀半ぶりに本土に復帰し、沖縄県となった。沖縄返還が日米間で合意され、「核抜き本土並み」による72年中の返還が公表されたのは、69年の11月であった。「本土並み」とは日米安全保障条約...下で維持・運用される本土の米軍基地並みということである。「本土並み」であることは、「持たず」「作らず」「持ち込ませず」という日本の非核三原則が、沖縄にも適用されることをも意味している。とすれば「本土並み」ですむことを、なぜわざわざ「核抜き本土並み」とことわるのか。それはこの返還交渉の難関が「核」問題にあったことを示している。困難な交渉は、しかし最終的に「核抜き本土並み」で合意をみることになった。だがこの合意は「緊急時の核持ち込み」の権利が米国がもつことの秘密合意w\を日米首脳間で取り交わすことではじめて成立したのである。この日米の合意をもって本土復帰する沖縄が組み込まれることになる日米安全保障条約は、佐藤栄作の兄である岸信介首相が進めた改定交渉によって成った新条約である。1960年、戦後日本の最後の大規模な市民学生らによる安保闘争が展開された。国会周辺は反安保を叫ぶ人びとによって埋め尽くされた。反安保の叫びの中で新安保条約は成立したのである。岸首相は日米は対等の新時代には入ったといった。敗戦国という従属関係を脱して日本は、対等の同盟国としてアメリカと相互的な安全保障条約を結んだというのである。だがアメリカの核兵器をもって東アジア地域の安全の最終的な保証とする安全保障条約上の関係に対等ということはない。「日本は自主的にアメリカの核の傘に入った」だけなのだ。ただ対等であることは相互的な防衛分担義務としてだけ強調された。
1972年、極東における米軍最大の「基地の島」沖縄が返還された。佐藤はこれをもって日本の敗戦は終わったといった。沖縄という領土の返還をもって日本の主権性は真に恢復され、戦後日本の対米従属性は最終的に脱せられたというのである。兄である岸を継いで佐藤は、自立日本の悲願を達したのである。かくて極東米軍最大の「基地の島」沖縄は、公式的には、「核を抜く」ことで、しかし、緊急時には核の再持ち込み」を可とする密約をもって、日本の領土に服したのである。これが日本の真の自立ということであり、従属的戦後日本の終わりということである。しかし米軍の「基地の島」沖縄は依然として「基地の島」沖縄である。では何が終わり、何が始まったのか。
ネグリとハートは、「防衛」が外からの脅威に対する防壁を含意するのに対して、「安全保障」(security)とは「国の内外において恒常的な戦争活動を行うことを正当化する」ことだといっている。たしかに朝鮮戦争を通じて強化された日本の米軍基地は、ベトナム戦争を通じて米軍の軍事的戦略拠点としての位置を強めていった。ベトナム戦争が泥沼化するなかで、沖縄の嘉手納基地はB52の発進・補給の一大拠点となっていったのである。米軍基地とはアメリカの戦争のための軍事拠点である。日米安全保障条約とはこの米軍の軍事拠点の維持を、日本が対等の義務として請け負ったことを意味する。アメリカの戦争状態の維持を、日本は自らの条約的義務とすることを保証したのである。それが沖縄返還の意味である。9・11以降、反テロという戦争は世界の状態となった。その戦争を日本は対等な条約国として後方支援する。日本の陸上自衛隊イラクまで出動し、海上自衛隊の補給艦はインド洋で米軍艦艇に燃料を補給している。日本はグローバル「帝国」時代の日米安全保障条約という新たな従属関係に入ったのである。主権国家日本の筋を通すとはそういうことである。まさしく主権国家日本の首相としての意地から靖国参拝を続けた小泉によって、日米の緊密化はいっそう進行したのである。かくてアメリカの戦争を支援する名誉ある一国に日本はなりえたのだ。そしてアメリカと対等な同盟国日本の平和な若者はたちは、いまやサミットの会場ともなったリゾート沖縄の「青い海」を満喫しているのである。」

「私が「沖縄修学旅行」を手にして沖縄を訪れたのはやっと2004年の11月である。「国家と祭祀」の最終章に沖縄の死者たちのことを記した私は、ともかく沖縄の摩文人の丘に詣でねばならないと思っていた。私は沖縄最終戦の戦場となった南部の海岸と洞窟の前に立ち、摩文人の丘の平和の礎に詣でた。平和の礎は、沖縄戦による戦没者の氏名を刻した御影石の石碑群からなっている。そこで刻まれているのは、沖縄戦で命を落としたすべての人びとの名前である。国籍をこえ、敵と味方、軍人と住民、加害者と被害者の別をこえてその名が刻まれて...いる。その総数239092人のうちにはアメリカ14008人、韓国341人、イギリス82人、台湾28人が含まれている(2004年6月23日現在)。靖国祭神2466427柱(2002年10月17日現在)とは、日本帝国によって選別され、一方的に国家に囲い込まれた戦死者である。国家は死者を選別し、「英霊」として己れの中に囲い込む。そこには台湾出身の戦死者も、朝鮮出身の戦死者も一方的に己の「英霊」として囲い込まれている。それが日本国家としての筋を通すことである。だが見捨てられた死者の側に立つ沖縄の人びとは、区別なく、国境をこえて死者の名を平和の礎に刻むのである。戦争の死者たちに真に連帯する市民に国境はない。国家という筋を通そうとするものは死者を選別する。そして主権的国家日本の筋を通そうとするものによって、「帝国」の常態的戦争の戦略拠点として沖縄は日米「安全保障」体制に組み込まれたのである。これを変えることは、戦争の死者たちと真に連帯する国境をこえた市民の力によるしまかない。」
ー国家の筋を通すこと、'戦後日本論ー沖縄から見る'、子安「帝国か民主か」より