人間の思想

人間の思想

イラク戦争のときは戦争反対の世論は8割でしたが、いざ戦争がはじまると今度は戦争支持が8割に達しました。あんなにブレア―の支持率が低かったなかで冷静なイギリス人ですら戦争が始まると熱狂に絡みとられたのですから、(現在下がっているとはいえ)安倍内閣支持率が必ずしも低いとはいえない日本にどういうことが起きるのかと心配です。昨年の秘密保護法の強行採決後に支持率の回復が起きたことは苦々しい記憶です。ただ私は予想屋ではないので、将来の支持率のことは正直わかりません。支持率に関係なく、現在自分ができることを行動するだけです。なにもかも従来のやり方が通用しなくなったという絶望感のわれわれ、街頭の小さな人間たちが、大きな人間に向かって、「NO WAR JAPAN」と口に出すことの意味は価値があると考えています。'価値がある'かどうかを知るために街頭に出るのです。ところで、これは日本警察の過剰な干渉によるものですが、官邸前であれ国家議事堂前であれ警察主宰の様相を深めるデモをみると、もっと参加者の自発性が最大限に尊重された、自由なデモになっていく可能性はないのかと思います。1%に代表させないとするウオールストリートのオキュパイ運動や、大統領に代表させることを拒んだ台湾の立法院占拠の時代に、なぜ日本に非暴力抵抗のデモが起きてこないのか? このことの背景に、「民意」を代表する、代表させるという一九世紀的国民国家の道しかないとする権威的言説(安倍がその役割に意識的な、陸軍ファシズムの「民主主義」)に対する批判が十分に行われていないという問題があるかもしれません。そしていまから考えておかなければならないのは、戦争法の通過後、次の爆撃のときは、もし国会の中での座り込みが無理ならば、それと同じくらいの価値ある抵抗の行動とは何かという問い。いかに権威的言説に穴を開けることが可能かと、己の力の限界に呆然とし自分には無理だと疑いながら、人間の思想を書くことを考えています