歴史のもつれた輪ー必然と偶然と

歴史のもつれた輪ー必然と偶然と

飯田橋の「論語塾」後の会食のとき、再び大正論の全体像を子安氏から伺うことができました。歴史は戯曲に喩えられてきたのですが、歴史の必然に向かって進行していくシナリオに、偶然が作用することも見逃せません。(テンソルの基底間の変化が曲面のズレを齎すのと同様に) 偶然の一つ一つが、平面としての必然性の方向に影響を与えるという可能性について考えました。さて元勲として現れた明治維新リーダ達の話から。リベラルな伊藤から最右翼の山形までいた、天保の老人と揶揄された彼らは、(江戸時代の教育のピークであった)1840年前後に生まれが多かった。この連中は明治の終わりに殆ど死亡。と、大正天皇を支えることになったのは、右翼の山形と西園寺。このことと、大正天皇があのような天皇だったことは、歴史の偶然といえば偶然。民主主義の不幸といえば不幸。最後は大正天皇ひとりが、社会主義と向き合うことに。子安氏の考えによると、大正デモクラシーは、(官僚たちも承認していたという)天皇機関説的な方向に発展する可能性があったが、しかし山形の介入によって、予めこれが陰険に抑え込まれていました。日比谷公園焼き討ち事件、関東大震災という偶然の流れの中で、日本版ロシア革命という"大逆事件"(山形の捏造した冤罪事件)が起きます。その後の大杉栄を殺害していく甘粕などは陸軍ファシズムの原型のようなものでしょう。権威体制は、これらを利用して、(議会から独立する)天皇を中心にした国体体制を築いていく。山形さえいなければ、大正デモクラシーは必然として社会民主主義に向かって順調に成長したかも?が、現実は大正デモクラシー治安維持法という統制としての側面だけが重要となりました。山形が創る陸軍主導の天皇ファシズムの方向が満州事件を契機に昭和十年代に向かって現実化していくことになりました。戦前との連続線上においてズレから登場してきたのは、吉田松陰的な最悪の洗脳者、国士としての自分の役割に意識的な安倍です