ゴダールとデュラスとのテレビ対談 (1987)

Godard; je pense que je le suis, honnêtement. A mon age, j'en ai pour deux ans à me souvenir de cette phrase que tu viens de dire. C'est comme une analyse. Pourquoi as-tu utilise telle expression comme < tu as peur des mots>.
- Marguerite Duras et Jean-luc Godard ; entretien télévisé.

 (正直に言ってぼくもそう思う、でもこの年になると、あなたがさっき口にしたあおの言葉を思い出すのに二年もかかってしまう。精神分析をするときのようなものだ。つまり、あなたはなぜ、<あなたは言葉を恐れているのよ>といったたぐいの言い回しをつかったのかということ)

論語」は後世の時代に孔子が語った言葉を編集した書物だが、しかし孔子が直接喋っていた文が本当の所どれくらいあるのかと問うこと。そうして近代文献主義的方法で徹底的に調べていくと実は、書かれている文が、後世の時代のスタイル、後世の作為による文章だということがどんどん明らかになってくる。つまり文献主義で調べていくと原始論語は限りなくゼロになってしまう。百年、二百年たって「論語」は現在読んでいるこういうテクストになったというふうに、「論語」をこのようにして考えないと読めなくなる。だがここで考えなくてはならないことは、(問いの前提となっている) オリジナルな作者が存在したという観念、このオリジナルなものに優越的な特権を与える観念こそが、ほかならない、'近代'の発明物なのである。ここでなぜこんなことを書くかというと、デュラスがゴダールに向かって、「あなたは自分の言葉で語ることを恐れている」というとき、やはりデュラスは近代の作家に属していることがわかる。と同時に、ゴダール映画が他者の言葉に依拠しているという理由がわかる。ゴダールが本当に恐れていたのは、むしろ、<オリジナルなものか、オリジナルなものでないか>という問いに絡みとられることによって、多重・多層・多元の開かれた大きな世界との繋がりを失うことではなかっただろうか?