人間が戦争の暴力の国から逃げるのはなぜでしょうか?

武藤貴也は、道徳と暴力が対立することを知っているでしょうか?もし君がわれわれに道徳を徹底させたいならば、国家の暴力は一切要らないと理解すべきです。人間が戦争の暴力の国から逃げるのはなぜでしょうか?それは、もっぱら暴力で動物みたいに生存手段を維持するだけの国において人間関係を支配する崇高な道徳がなく、ここでは人間にとって生きる価値がないと考えるからなのです。

 

道徳と暴力は対立します。もしわれわれに道徳を徹底させたい立場ならば、国家の暴力は一切いらないものでしょう。戦争の暴力の国から逃げなさいと憲法は言っているようにもえます。それは人間関係を支配する崇高な道徳が要請するものです。たとえ憲法が言わなくとも、武士たちが読んだ「論語」のなかで孔子ちゃんが弟子にはっきりそう告げています。道が行われない国ならば、ここから東海に行き筏で逃げましょうとね。
「かつては」なんていうけどね、鎌倉武士の存在を知らないわけではないでしょう。鎌倉武士は君主との間に自由な契約を結び、報酬が少ないと別の君主をさがしました。鎌倉武士にとって、他人に命を捧げるということほど、武士らしからぬことはなかったのです。自民党の政治家でいわれるステレオタイプの武士道は、絶対服従の主君関係の江戸からです。武士道の究極が所謂「殉死」。ただしよく知る必要があります。太平の世の中である元禄時代以降に「殉死」が流行し、幕府が「殉死」を禁止したほどでした。禁止によって「殉死」は、亡君を永遠におもう心みたいな形になったのです。(実際は死ぬことが許されなかった...。幕府の命令に背くことでしたから。) 岩波文庫の 「葉隠」(和辻編)に記されています。(ヤバいのは、武士道を研究した東大倫理学のアカデミズムが国民道徳の自民党大ボスの太鼓持ちをやってきたという話をききます)。武藤はこちらの方を言いたいのでしょうが、幕末の「国士」について言っておくと、国士というのは、ある危機の時代に自分から国を背負っちゃうんです。(重過ぎる荷物でしょうね。) ただ、「自分から」とはいっても、吉田松陰みたいな怖い人から脅されて背負うことになったのでしょうけれど(汗)。この国士たちは、明治のときは近代的官僚に裏切られ、自由民権運動に行き、そこでさらに裏切られ、結局は大陸の浪人となる目的を失った志士たち。大陸では植民地主義を請け負うゴロツキとなって、中には、朝鮮王族の女性を集団暴行・殺害したりしています(閔妃暗殺)。きょうその成れの果てが安倍。かれの帝国主義の武士道。武藤が知っているのは、昭和十年代の戦争プロパガンダのなかで捏造されたこの国士の武士道だけです。しかし近世の武士だけでなく民衆は近代国家を知りませんから、(後期水戸学派の)ナショナリズムの思想を異常なものと考えていました。例えば武士が「誠」についてどう理解していたかは、それが何を意味していたかは、NHK大河ドラマがべったりと依存している昭和十年の帝国主義の国家の尺度からは知りようがありませんね