もしデリダが生きていたら、ギリシャ問題についてどう語っただろうか。

もしデリダが生きていたらギリシャ問題についてどう語ったか。デリダはG20にたいする抗議活動にかかわっていたので彼の立場は明らかだろう。ところで昔読んだガーデイアン紙のローティRortyの回想記事によれば、ローティはデリダの考えを受け入れていたアメリカの思想家と紹介されていた。が、デリダほどの多様性としての差異をみとめていたかどうか?私の読み間違えでなければ、ローティはcommon groundという基底から考えているようにみえるところがどうもね。最近のインタビュー記事を読んだ。ハーバーマスギリシャに同情的だが、それよりもドイツの非合理な国家主義のエゴを非難している。だがEUという国家を超える通約的な合理主義の枠組みとそこでの共通通貨の意義は疑われない。ローティはこのハーバーマスに近いという印象がある。他方、デリダにとっては、信頼できる開かれたテクストは、帝国化していくEUの方向に存在しない。それは、白紙の本に一行一行と民主主義を書く(=生きる)運動の方向から現れてくるのであろう。新たに起きてきたギリシャ問題 (と同時に、ドイツ問題) を契機に、デリダハーバーマスとの差異について考えるようになった。

 


...this difference, which, we have seen, cannot reside in the world but only in language, in the transcendental disquietude of language. Indeed, far from only living in language, this war is also the origin and residence of language. Language preserves the difference that preserves language.
- Jacques Derrida ' Speech and phenomena'