運動のなかの自己統治のあり方を問う意味

運動のなかの自己統治のあり方を問う意味

安倍は裸の王様だ!と、街頭に出た若者達は見抜いています。この国の未来を決める力が若者たちにもあります。だからこそ、差別主義者のファシズムに対するときに、もし自らも (見えない他者からみて) 差別に加担しているようでは差別に対するたたかいにならないということは、知らなければならない基本中の基本、自己統治のあり方です。運動のなかの性差別やマイノリティ差別の一部の若者に限りません。現場の抗議するひとりひとりは、他者の視線をどこか遠くに置き忘れてしまうことがゆるされません。なぜでしょうか?これを自分のこととして問うとき、わかりませんが、ただ、裸の王様の傍で差別したい自己の欲望に委ねた此処だけしかなくなり、もし他が定位する余所がついになくなってしまえば、そのときこそ、避難所なき、裸の/私/あなた/彼/彼女はもうやっていけなくなってしまうでしょうから