<漢字で考える>と<漢字について考えること>

<漢字で考える>と<漢字について考えること>

最近、三月に訪ねた台湾のことを思い出します。数日間の短い滞在でしたが、新しく経験したこと、それは、<漢字について考える>ことではなかったかと気がつきます。日本にいれば、漢字の読み書きをします。たったいまこの文を書いているときのように、<漢字で考える>のです。しかし日本で、<漢字について考える>ことはおきません。漢字文化圏ではないヨーロッパに行って生活したときに、<漢字について考える>ことになりました。台湾に行ったときも、ヨーロッパにいたときのように、<漢字について考える>ことになったのです。しかし台湾では、ヨーロッパのときのようには、意識から漢字が消滅し尽くすことはおきません。母国語の外部であり漢字文化圏の内部である、こういう距離の空間への帰属を台湾においてリアルに経験することになりました。