人間の思想

人間の思想

近代の思想は、18世紀のカントの人間学からはじまりました。ラディカルであるとは、事柄を根本 (どん底) において把握することです。だが、人間にとっての根本 (どん底) は、人間自身なのです。と、このことをカントに沿ってはっきりといったのは、19世紀のマルクスでした。しかしそのマルクスヘーゲルと同様に、あえて思想を、カント以前にあったような宇宙的・中世神学的に思弁的に再構築していくことに専念しました。それで、人間にとっての根本 (どん底) が掻き消されてしまったのでしょうか?いいえ、そうではありません。否応なくどうしても、痕跡という差異が残ります。つまり人間にとっての根本 (どん底) の痕跡が残るのです。21世紀のわれわれが完全に消し去ることができない痕跡としての、人間にとっての根本 (どん底)、それは人間自身...。そうして20世紀におけるゴーリキィの芝居のなかで執拗に繰り返されて一番多くあらわれる言葉は、ほかならない、「人間」という言葉だったことは、痕跡の運動としてあった必然性ではなかったでしょうか。今日の問題としてかんがえるとき、歴史修正主義者たちが消し去ろうとしているのは、全体主義的戦争という<戦前>の痕跡だけでなく、戦う国家を終わらせるとしたい平和主義の努力の<戦後>の痕跡だということです。現在行われている国会前でのたたかいの意味とは、記憶とともに生きる人間の痕跡を勝手に消させないというたたかいの性格をもっているのではないでしょうか。私はそうおもいます.