デモの敗北で自らの力の限界を知ったとき私は何を考えたか?ー - 祭祀国家としての日本的近代を乗り越えること、乗り越えたあともそこに留まらないこと、絶えずそれを乗り越えていくこと

戦争法反対デモの敗北で自らの力の限界を知ったとき私は何を考えたのか?
- 祭祀国家としての日本的近代を乗り越えること、乗り越えたあともそこに留まらないこと、人類の普遍主義から絶えずそれを乗り越えていくこと

日本近代は祭祀国家としてはじまったことを見定めたうえで、いかに、祭祀国家に知の合理的限定を与えていくのかということが市民の課題としてあるとおもいます。その場合、人類でいわれるものが、知の合理的限定の重要な一つであり続けたとおもいます。残念なことに、今日、人類をいう声はすっかり忘れられてしまったかのようです。しかしこの点についてさかのぼりますと、近代の思想は18世紀のカントの人間学から重要な展開がはじまりました。ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することです。だが、人間にとっての根本は、人間自身なのです。と、このことをカントに沿ってはっきりといったのは、19世紀のマルクスでした。しかしそのマルクスヘーゲルと同様に、あえて思想を、カント以前にあったような宇宙的・中世神学的に思弁的に再構築していくことに専念しました。それで、人間にとっての根本が掻き消されてしまったのでしょうか?いいえ、そうではありません。否応なくどうしても、痕跡という差異が残ります。つまり人間にとっての根本の痕跡が残るのです。21世紀のわれわれが完全に消し去ることができない痕跡としての、人間にとっての根本 、それは人間自身...。ちなみに、そうして20世紀におけるロシアの演劇から20世紀後半の映画 ((ゴダール「映画史」のナレーション)に至るまで執拗に繰り返されて一番多くあらわれる言葉は、「人間」という言葉だったことは、痕跡の運動における必然性ではなかったでしょうか。今日的問題として考えるとき、歴史修正主義者たちが消し去ろうとしているのは、祭祀国家が帰結した全体主義的戦争という<戦前>の痕跡だけでなく、戦う国家を終わらせるとしたい平和主義の努力の<戦後>の痕跡です。国会前での運動の意味とは、記憶とともに生きる人間の痕跡を勝手に消させないという抗議の性格をもっていたのではないでしょうか。また東アジアの平和共存を望む人々を裏切らないように、祭祀国家としての日本的近代を乗り越えるという人類の行動から語るしかないではないか、と、私はそうおもいます。祭祀国家としての日本的近代を乗り越えること、乗り越えたあともそこに留まらないこと、人類の普遍主義から絶えずそれを乗り越えていくこと