人間舐めるな、権利のない社会に反対!

権利のない社会に反対!

武器輸出など経済における戦争部門の自立化、秘密保護法と戦争法歴史修正主義日清戦争日露戦争を侵略戦争としないという戦後談話。16年参院選の後の憲法改正のあとは、憲法が権利なき社会を書いた自民党憲法として現れるという事態になれば、それ以降'憲法を守れ'の主張も意味をなさなくなるというほどの非常にシビアな状況も。そのときはやはり、人類舐めるな、権利舐めるな、権利のない社会に反対!というだろうとおもいます。救いは極右翼の政治家のもとに行くしかないとばかりに、ネオリベグローバリズムが推進するなんでもかんでも金がモノをいう社会と、歴史修正主義者が教えるなんでもかんでも国家のために役立たたなければならないという社会。そうして隅々までに金と国の尺度だけで容赦なく人々を序列化していく社会に押し潰されそう。ネオリベグローバリズムの金に役立たず、また歴史修正主義者の国家に役立たないとしたら、「ずーっと地球のお荷物になってろ」というゴーリキの芝居「どん底」の台詞が思い出されます。しかし逆の方向から、「地球のお荷物」としてなら生き続けていくことができないかという開き直りのこともすこしかんがえます。地球の人口を知らないんですが、絶望しきったところから自分でランキング百億とか勝手にいっちゃおうっというか、そこから巻き返していくというか。この点にかんして、読み直してみないとわからないしまだ十分に考えてないのだけれども、日清・日露戦争に反対した夏目漱石の小説に時々仄めかされていた天の思想は、「地球のお荷物」として他と繋がる地球の思想みたいなものと関係があるのじゃないのかしらと。一般に漱石は個人の西洋の個人の行き過ぎた権利を批判したといわれるけれど、それでは凡庸な国民道徳の主張でしょう。漱石は、他国を不幸にし自国も不幸にする戦争を行う国家の権利(例えば、満州事変を要求していくことになった選挙権のような統制のシステム)に反対したのではないでしょうかね。