経験知の介入 ー ピケティ氏とスティグリッツ氏、英労働党コービン新党首の経済顧問に

経験的知の介入

イギリスには、カントが経験的知と呼んだものを受け入れるスペースがギリギリあるようです ーピケティとスティグリッツ、英労働党コービン新党首の経済顧問に。 新聞で読んだ私の理解では、間違いを恐れずにいうと、経済学において考えなければならないとスティグリッツが時々いうaccountingの意味は、情報公開と民主主義の原則を打ち立てることの同義語におもえます。ピケテイは来日したとき専ら経済学の話題(r>gとr<gの差異について)に集まりましたが、ピケテイの経験知とは、マルクス主義唯物史観の教説的理念とネオリベの教説的理念の両方に異議を唱えるところにあります。が、だからといって実現しない理念を言うことを無意味とは考えないことがピケティでは重要なのです。実現するかしないかは関係なく、民主主義の民主主義性とは一人でも食うことができなければ民主主義性ではありません。かれの「21世紀の資本」の最大のポイントは、21世紀がこの民主主義の理念が立つことによって初めて政治がただされると言っていることです。つまりこうした理念がなければ、緊縮財政の政治がただされることがないということです。コービン氏は経済諮問委員会のメンバー発表に続き「われわれの経済政策は、一握りの富裕層だけでなく、あらゆる人々に安心を届けるものでなければならない」と語っています。来年の参院選での民主党日本共産党選挙協力の実現の鍵は、やはり安倍の「この道しかない」という政治をただす「他の道」的理念にかかっている、これがなければグラグラしてしまうのだろうと思いますがね。(ここで、マルクス主義の唯物史観の教説的理念とは、'究極的には革命でしか資本主義の矛盾を解決できないのだからそのときまで待て'というものです。他方ネオリベの教説的理念も、'市場でしか資本主義の不均衡を調整できなのだからその時まで待て' (それまでに金持ちを金持ちにし貧しいものをもっと貧しくしておくこと)というものです。)