DECONSTRUCTION ー 建築について何か書くということが常に躊躇われたその理由は?

DECONSTRUCTION

ロンドンの喫茶店でDaniel Libeskindの講演文を読んでいたときのこと、イスラエル人から、Libeskindユダヤ系アメリカ人の建築家であると告げられた。ナショナリストからすると、コスモポリタンのリベラルな者たちは信頼を置けないという。たしかに建築は素晴らしいけれど、目的がみえない。私はこれに対する答えが見つからず黙ってしまった。私が自分の理解した理屈をもって答えようならば、お前は危険な偶像崇拝に陥っているぞと非難されたかもしれない。あれから6、7年たったが、いまも気の利いた答えがあるわけではない。そういうこともあって、中々建築について何か書くということが常に躊躇われた。建築の文化論はタブーだった。Daniel Libeskindは、ジョイス「ユリシーズ」を利用して純粋世界=純粋都市の空間を制作した。現代建築においては本 (テクスト)が建築に先行しているようにみえる。建築家としての本、言い換えれば、現在進行形で書くことのほかに目的をもたぬ本に向かって、この建築物の目的は何かと問うてもね....