なぜ冤罪が起きるのか?死刑の問題をかんがえるときに知らなければならない構造とは

最近はこれを指摘する意見をあまりきかなくなりましたが、国家が無実の者を処刑したらそれは国家犯罪です。ここでお話したい免田事件とは、1948年に起こった初めて死刑判決に対する再審無罪が確定した冤罪事件です。再審ではアリバイを証明する明確な証拠が提示されたことで、1983年7月、発生から34年6か月後、死刑囚に対しては初となる再審無罪判決が言い渡されます。学生だったときに、無罪判決を勝ち取った倉田弁護士から直に伺いました。倉田氏は免田氏にあえて犯行をみとめたうえで凶器の返還をもとめるという方法を提案したのです。免田氏は殺人など犯していませんから当初はこの法廷戦術を拒みましたが、若い弁護士に委ねることにしました。「殺人につかったナイフは自分の所有であるからこれをかえせ」という民事訴訟を起こしました。これにたいして検察側は呆然としたといいます。検察側はいつまでも「ナイフ」を裁判所に示そうとはしません。当たり前です。最初からナイフなど存在していなかったのですから。一切合切が検察の作り話でしたから。民事訴訟の勝訴から、再審請求が一気に進んだのです。なぜ冤罪が起きるのか?倉田氏が話したポイントだけ書いておきます。第一に、裁判官が証拠を見ようとしないこと。裁判官は検察の作り話を証拠にしているとしかおもえないほど検察を信頼していたこと。第二に、裁判が長引く過程で検察は次々に交代していくのですが、実は新しく引き継いだ検察であるほど無罪であることを知ります。が、責任をとりたくありません。第三に、裁判官の方も無実に気がついても世論を非常に気にしたのです。世論は被害者家族に対する大きな同情があります。誰かが犯人であるこはずだ!あいつがやったに違いないという声が絶えず起きてきます。通り魔的な犯人をさがせないときの遺族補償がしっかりしていないから遺族も非常に苦しい立場に追い込まれるものです。この世論に裁判官が影響を受けました。死刑の問題をかんがえるときこういう構造を知る必要があるとおもいます