「ラスト・エンペラー」からはじまった事柄

坂本龍一の音楽は素晴らしいなあ。なかでも、Rain (I want a divorce) が好きでした。1987年のこの映画について、筑紫哲也ラストエンペラーとは昭和天皇のことだと指摘し、手塚治虫オリエンタリズムだと苦言を呈します。柄谷行人は外部の問題を考えたというのです。が、どれもピンときませんでした。映画の光の知的構成について内在的に語る言葉を読みたいと思っていましたから。そこで、撮影監督ストラーロに関心をもちました(コッポラ「地獄の黙示録」を撮影しました!) 。ベルトリッチと共に手掛けた「暗殺のオペラ 」(70)、「暗殺の森」 (70)、「ラストタンゴ・イン・パリ」 (72)をみていくことになります。撮影監督という存在への関心から、ヌーヴェルバーグを助けたアルメンドロスの仕事も発見しました。恵比寿にいた時代、たまたま近傍・近所にいたフランス人で、パリのシネマテックに来ていたこの撮影監督を大変慕っていたあるドキュメント監督との交流があり、(シナリオを利用して) 遅きながら勉強したフランス語で映画論を読み始めました。ゴダール映画を撮影監督クタールの観点からとらえなおすという必要性を強く感じたものです。そういう映画として「パッション」(81)があります。(ちなみに英語圏の国にいたのに、東京に戻ったときに初心者にフランス語を教えろといきなりいわれた市民大学公開講座ではこの映画を利用しました。) ゴダールをフーコから読み解くときは、渡辺先生がやったような(フーコに先行する思想も歴史的に見渡した) 20世紀精神史の全体像も欠かせません。ここから、朱子学的教説の如きスターリズム(笑)に抵抗する脱構築としてゴダールをとらえなおすことが可能だからです。ゴダール映画全体では、暗黒からの経験知の介入を、理念が定位する光の領域に浸透していく反復の過程として常に語ってきたのです。「ともかく私は、概して、映画のそこが好きだ。説明不在の光に浴す、壮麗な記号たちの飽和」