アムステルダムのスピノザ

アムステルダムスピノザ

ラテン語の完璧な知識を持っていたから、自分のオランダ語を正してくれと頼んだ1665年の手紙で「生まれたときから慣れ親しんだ言語で書いていればもっとよく思想を表現できたはずなのだが」で言われているのは、ラテン語のことだと言われてきたが、最近の研究ではポルトガル語だと理解されている。祖父の時代からポルトガル語を喋るユダヤ人コミュニティーに育った彼の背景を現在に投射して想像してみると、難民や移民、又は亡命者の母国語の外で生きなければならない苦労がみえてこないだろうか。スピノザは常に言語の問題を考えていたに違いない。17世紀のヘブライ語ができても、原初的テクスト(聖書)の言葉を読むことはできない。スピノザにおいて文献学的方法は欠かせないものである。読むことができないこと、ここから彼の思想性と倫理性がはじめて可能になって来た必然性をなんとか理解するには、不勉強ながら四年越しの「論語塾」での貴重な経験がなければとても独学では ...。子安先生のもとで読むことができないことの意味を方法論的に考えることになったのだ。