真の「映像の世紀」はむしろ人々が考えたくないことをあえて見せるべきではないだろうか。この映像をともなってこそ、ほかならない、思考が語る「映像の世紀」である。

おそらく最後に見たテレビ番組は「映像の世紀」(1995年)だった。TLに新「映像の世紀」のよい評判が流れてくるが、私の関心はただ、新「映像の世紀」はかつての「映像の世紀」を見た視聴者の姿を示したかということだけだ。「映像の世紀」はいかにみられたのか?このことが、新「映像の世紀」で示されていたならばじっくりと見たかった番組である。「映像の世紀」を見た私の感想をいえば、二度の世界大戦を経験した二十世紀は大失敗だったということがはっきりとわかったこと。生活の隅々まで介入してくる第一次大戦の総力戦を経て、第二次大戦の全面的戦争は、むしろ「戦後」から完成することになった。二十世紀は平和という究極の戦争を発明した。冷戦のときは戦争が国家の部分ではなく、国家が戦争の一部になってきた。そして新植民地主義とネオリべ小さな政府の今日に至る経済戦争(他者を手段の道具に貶める)ーを地球規模で展開させることになった。しかし当時の放送は湾岸戦争の悲惨から十年もたっていないのに、二十世紀はそれほど失敗ではなかったと自分を騙してみたテレビ視聴者が圧倒的に多かったのではないだろうか。実際にこういう感想もきいた。世界が戦争をしていたが少なくとも日本だけは平和な国だったのだから。しかし極東最大の軍事基地の用地をアメリカに提供したこと、ここから朝鮮戦争ベトナム戦争、そしてイラク戦争を展開してきた事実はいったいどうなるのか?真の「映像の世紀」はむしろ人々が考えたくないことをあえて見せるべきではないだろうか。この映像をともなってこそ、ほかならない、思考が語る「映像の世紀」である。