Romeo Castellucciが演出したダンテ「神曲」の感想文

・ダンテの墓はイタリアのラヴェンナRavennaにあります。この地で死んだダンテの遺骨を、当時フィレンツェメディチ家が要求していました。教皇がこの移送を許可したときに、ラヴェンナの修道士たちが不審に思い、この共和主義者の遺骨を隠したのです。ダンテの遺骨はその約百年後にここに埋葬されることになりました。ダンテは死しても、権威との闘いがつづいたのですね。さて「神曲」が書き記している煉獄は、中世の民衆が発明したといわれます。衆生が祈ると、煉獄にある死者の償いの時が短くなるのですね。いわば第三項としての煉獄は、天国か地獄かという二項対立の脱構築であったと考えられています。ここでダンテのことをかんがえると、真理(ウェルギリウス)と衆生の間の往復運動に生きていた知識人の<信>の構造のことに思いが行きますね。

・ヒチコック映画「レベッカ」に、ビクトリアン朝ロマン主義の美意識をみとめることができるといいます。なるほど、そうおもえば、 ダンテ「神曲」の挿絵のロマン主義的再構成もなかなかわるくはないようにおもえます。

・Romeo Castellucciが演出したダンテDante「神曲」に大きな感銘を受けました。だけれど何年も感想の言葉を中々書けなかったのはなぜだったのでしょうか?Romeo Castellucci の運動イメージの演出については、演劇を語る言葉よりも、寧ろ映画か、現代舞踏をみた言葉で書くべきだったのかもしれません。そこにやっときがつきました。「踊るときには、魂が先行する。人間が歩くときには、足のことを考えますか。誰も考える人はいない」(大野一雄) 。舞台のうえでは、身体の消滅は、地面に倒れることを通じて表現されました。(Romeo Castellucci自身の)身体の終わりもその死体が犬に食われるという場面であらわされました。ここから、(身体から)分離した魂のリズムが多様化していきます。I can be anywhere in it. And still not be of it (どこにもいた...けれども、わたしの土地はみつからなかった。) 魂は動きの息の中で長く持続するのですが、やがて詩を語る息のなかで魂も消滅してしまいます。権力の網に絡みとられるまえに。ここで魂は(人間と動物と植物と鉱物に共有される)言葉を住処として定位することになるということを表現していたと思います。これは中世的世界観の再構成だと考えることも自由です。二一世紀に甦った「神曲」において、世界の中心に外部を置くという、天と地との間の往復運動の哲学に触れたように思いました。私の願いは、将来演劇はもっと積極的に現代舞踏とかかわること...