「歎異抄」は読むことが不可能なテクストだから、清沢満之の解釈を通じて読む。ここで、'明治の清沢満之の解釈を通じて読む'というべきであろう。そうすると私に厄介なのは、清沢が語り働き生活した明治という時代がどんな時代だったのか定まっていないことである。

歎異抄」とはなにか?わからない。そもそも本当に親鸞が書いたのか?だれがオリジナルを書いたかはどうでもいいことである。ただ、方法としての読みしかないのだから、「歎異抄」と呼ばれるテクストが存在したということだけが保証されればそれでいいのである。さて「歎異抄」は読むことが不可能なテクストだから、清沢満之の解釈を通じて読む。ここで、'明治の清沢満之の解釈を通じて読む'というべきであろう。そうすると私に厄介なのは、清沢が語り働き生活した明治という時代がどんな時代だったのか定まっていないことである。明治とは何か?対象(明治)を明らかにするためには、対象(明治)の中からその内部に沿って語ることはできない。'明治的なもの'ー言説の集合体として理念的に再構成した近代の部分ーならば、江戸時代と大正時代からみえてくるかもしれない。明治に先行して江戸と大正がある、とはそういう意味だ。つまり、明治という時代を知るためには、江戸という時代とはなにか?大正という時代とはなにか?という問いを解決しておかなければならない。(その点で「論語塾」と「大正を読む」の二つの講座は私に大変役立つ。) しかし私は清沢を読めないということを一番最初に書いておかなければならなかったのかもしれない。だから昭和・平成に生きる子安先生の解釈を通じて、「歎異抄」を読んだ清沢を読むしかなかったと。ふたたび新しく、思想史的に昭和と平成の時代が問題となってくるが、この場合でも、先行する大正という時代の解釈が重要な意義をもつようにおもわれる。そうして全体として、読む主体(「私」) の外から、読みの非連続性と連続性が反復される。文字の奴隷といわれようが、かまわない。テクストの外に出ることは決してできないものなのだから。恐らくは、「教行信証」を書いた学問僧であった親鸞も書いたはじめからこの学びの反復に依拠したのではなかったか?(本多)