思考について愚かなイメージを含んだある憲法草案 (というか、権利のない社会に反対しないような、ただの国民道徳を記しているだけ)にたいしては、この際、自分のためにも、思考の条件を定める方法としての対抗メッセージでも一つ出しておくことが肝心ではないかと考えているところであります

ただ国民道徳を記しているだけの憲法草案とは、こういうものです。「我々日本国民は、和を貴び、他者を慮し、公の義に重んじ、礼節を兼ね備え、多様な思想や文化をみとめ、独自の伝統文化に昇華させ、豊かな社会を築き上げてきた」。一見文句がつけられない当たり前のことを言っているようですが、しかしよく読むと、権利のない社会にたいして反対してないのです。これは、いかにも善人のふりをした連中が楽観的なタカ派の政治家みたいに国民道徳をおしつけてくる場合とたいして違いがありません。腹が立ち呆れますけれど、この際、自分のためにも、思考の条件を定める方法としての対抗メッセージでも一つ出しておくことが肝心ではないかと考えているところであります。

「われわれは、普遍的な友情を憎み、他者を村八分にし、隣人を愛せという公の義に唾し、他方でただ軍人の礼節しかなく、他との交流的接触を通じて成長するような多様な思想や文化を軽視し始めてはいないか?独自の伝統文化も罵倒したあげく、たんに動物としての生存手段を維持するだけの豊かな社会しか築き上げなかったとしたら、つぎに繋がることができるのか、それとももうやっていけなくなるのではないだろうか?「我々日本国民」であれ「一億総活躍」であれ、一人一人の人間が自身にたいして言葉で言い表せないほどの非常な孤独の痛さをもつことになった状況にどうしょうもなく気がついてしまった現在、むしろ70億人と連帯するためには、これからなにをただし、なにを行い、なんの権利を取り戻すべきなのだろうか?」