「我考える、外部に, 我存在す」

ホホー、父親の眼差しから、最近母親の眼差しに似てきたと不安に駆られた男がプロフィール写真にいきなり侵入してきたが、みなさんの梟猫は元気ニャッ。リア王もこうして外に追放されたときみたいな心境だったのかな..。と、なんだか世の中はねー、なんでもかんでもおカネが物を言う時代に、現在21世紀は19世紀に非常に似てきたという指摘もある。世界資本主義を分割した<帝国>の時代の到来だとばかり、<帝国>アメリカ・<帝国>中国、<帝国>ロシア、<帝国>EUの包摂から逃れようとする、沖縄、台湾・香港、ウクライナイスラームに対する驚きで湧いているが、逆に、この驚きに違和感を覚える「我」はどこの外部からやって来た「我」かなと考える(なんちゃって)。カネのためなら歴史も修正してしまうほど、物事は'世界史の構造'とやらに絡みとられた<帝国>の'この道しかない'という現実主義で果たしていいのかしら?我考える、外部に、我存在す。このことだけは言っておこうとおもうよ。「物事のあらゆる側面を見せようとしないこと。 未定義の余白を残しておくこと。」というじゃありませんか。Ne va pas montrer tous les cotes des chose. Garde-toi une une marge d'indéfini